祭祀一覧

第3045話 2023/06/18

肥後と信州に分布する罵倒語「田蔵田」

松本修『全国アホ・バカ分布考』(注①)に不思議な罵倒語とその分布図がありました。それは「田蔵田(タクラダ)」系というもので、熊本県と長野県に濃密分布しています。このような罵倒語があることをこの本を読むまで知りませんでしたし、聞いたこともありませんでした。類語として東北地方に「タクランケ」が散見しますが、熊本県(タクラ)と長野県(タークラター)に濃密分布しており、これは古代に遡って両地方に交流があった名残ではないでしょうか。
というのも、九州と信州の両地方における歴史的交流の痕跡について、「洛中洛外日記」などで何度も取り上げてきたところです(注②)。それは次のようなものです。

【「洛中洛外日記」九州と信州関連記事】
422話(2012/06/10) 「十五社神社」と「十六天神社」
483話(2012/10/16) 岡谷市の「十五社神社」
484話(2012/10/17) 「十五社神社」の分布
1065話(2015/09/30) 長野県内の「高良社」の考察
1240話(2016/07/31) 長野県内の「高良社」の考察(2)
1246話(2016/08/05) 長野県南部の「筑紫神社」
1248話(2016/08/08) 信州と九州を繋ぐ「異本阿蘇氏系図」
1260話(2016/08/21) 神稲(くましろ)と高良神社
1720話(2018/08/12) 肥後と信州の共通遺伝性疾患分布

今回、罵倒語の「田蔵田(タクラダ)」を上記に加えることにします。なお、九州内では熊本県のみに分布が紹介されていますが、それは昭和六年に熊本県内の小学校を対象としたアンケート調査資料(注③)に基づくためとのことですので、昭和六年時点では福岡県や鹿児島県にも「田蔵田(タクラダ)」が分布していた可能性が高いように思います。この言葉の意味には諸説あるようですが、今のところ納得できるものはありません。それにしても、不思議な分布の罵倒語です。

(注)
①松本修『全国アホ・バカ分布考 ―はるかなる言葉の旅路』太田出版、平成五年(1993)。平成八年(1996)に新潮文庫から発刊。
②古賀達也「古代の九州と信州の接点」『東京古田会ニュース』190号、2020年。
③田中正行『肥後方言由来記』昭和六年(1931)。


第2859話 2022/10/15

信州上田に濃密分布する「番匠」地名

 昨日、「多元の会」主宰「古代史の会」にリモート参加させていただきました。吉村八洲男さん(上田市)により、上田市に遺る神科(かみしな)条里の成立が七世紀前半に遡り、九州王朝の進出と関係するのではないかとの研究が発表されました(注①)。吉村さんは、当地の古代製鉄の痕跡などを発見した研究者です。「古田史学の会」の会員でもあり、古代における九州と信州の密接な関係についての研究(注②)を進めるうえで、当地の歴史について何かと教えていただいています。
 今回の吉村さんの発表では、驚くべき史料事実が報告されました。江戸期の地名史料によれば、上田市に「番匠」やそれに類する地名が濃密分布(一村に一個所ほど)しているとのこと。他地域にはそのような地名分布は見えないようで、この「番匠」地名が古代に淵源するのであれば、九州王朝による信濃遷都計画に伴って派遣された「番匠」の痕跡ではないかとされました。
 九州王朝による前期難波宮(難波京)造営のために番匠の派遣が開始されたとする『伊予三島縁起』の記事「孝徳天王位、番匠初。常色二戊申(九州年号、648年)、日本国御巡歴給」が正木裕さん(古田史学の会・事務局長)により発見されていることもあり(注③)、九州王朝との関係が予想される興味深い「番匠」地名分布ではないでしょうか。吉村さんの研究の進展が期待されます。

(注)
①吉村八洲男「神科条里と番匠」多元的古代研究会、2022年10月14日。
②古賀達也「多元的『信州』研究の新展開」『多元』136号、2016年。
 同「古代の九州と信州の接点」『東京古田会ニュース』190号、2020年。
 次の「洛中洛外日記」でも、九州と信州の関連について論じた。
 422話(2012/06/10) 「十五社神社」と「十六天神社」
 483話(2012/10/16) 岡谷市の「十五社神社」
 484話(2012/10/17) 「十五社神社」の分布
1065話(2015/09/30) 長野県内の「高良社」の考察
1240話(2016/07/31) 長野県内の「高良社」の考察(2)
1246話(2016/08/05) 長野県南部の「筑紫神社」
1248話(2016/08/08) 信州と九州を繋ぐ「異本阿蘇氏系図」
1260話(2016/08/21) 神稲(くましろ)と高良神社
1720話(2018/08/12) 肥後と信州の共通遺伝性疾患分布
2050話(2019/12/04) 古代の九州と信州の諸接点
③正木裕「常色の宗教改革」『古田史学会報』85号、2008年。


第2129話 2020/04/09

長野県中野市から弥生中期の鉄加工場出土

山田春廣さん(古田史学の会・会員、鴨川市)のブログ「sanmaoの暦歴徒然草」に、吉村八洲男さん(古田史学の会・会員、上田市)からの「信濃毎日新聞」(4月3日)の記事の紹介が掲載されていました。
 記事によると、長野県中野市の「南大原遺跡」から弥生中期(約2000年前)の集落跡と、その中の竪穴住居跡からの、鉄を加工していたとみられる「火床」、加工した際に飛び散ったとみられる「鉄片」、鉄をたたく事に使える「石の道具」、「鉄製の斧」などが出土し、これら遺品から、ここで集落外から持ち込んだ鉄や鉄器を二次的に加工していたと判断されたとのことです。
 弥生中期、このような炉を持った鉄の加工場は全国でも珍しく、「中期の加工場跡の確認例は西日本でも九州などに限られる」と記事にはあります。この出土事実から、九州と信州の弥生時代に遡る交流を吉村さんは指摘されています。注目すべき発見です。


第2085話 2020/02/16

「筑後国風土記」の疾病記事と八面大王

 「洛中洛外日記」2050話(2019/12/04)〝古代の九州と信州の諸接点〟において、遺伝性の病気(アミロイドポリニューロパチー)の集積地が熊本県と長野県に分布を示していることを紹介しました。このことは「洛中洛外日記」読者のSさん(長崎市の医師)から教えていただいたのですが、最近、そのSさんからメールが届き、興味深い仮説が記されていました。
 それは、「筑後国風土記逸文」に見える次の疾病記事は、アミロイドポリニューロパチーによるものではないかというアイデア(作業仮説)です。

 「(前略)ここに、官軍、追ひ尋(まぎ)て蹤(あと)を失ひき。士、怒(いかり)やまず。石神の手を撃(う)ち折り、石馬の頭を打ち堕(おと)しき。古老の傅へて云へらく、上妻の縣に多く篤き疾(やまひ)あるは、蓋しく茲(これ)によるか。」

 この逸文は、筑紫の君磐井が官軍(近畿天皇家)との戦いに敗れた事件を記したものですが、古田先生は上妻の地に病人が多いのは白村江戦敗北などによる戦傷者が多かったことが背景にあったのではないかとされました。
 ところが、信州に残る「八面大王」伝承は「ヤメ大王」のことであり、それを磐井のこととする仮説も提唱されていることから、Sさんの推定のように、「筑後国風土記逸文」に記された上妻の縣(現在の八女地方)に多い疾病がアミロイドポリニューロパチーによるものであれば、その遺伝性疾患は信州まで逃げた「八面大王」(磐井)らによって、当地に伝えられたと考えることもできそうです。
 ただし、九州におけるアミロイドポリニューロパチーの集積地は熊本県荒尾市とのことですから、「上妻の縣」(福岡県八女地方)とは少し離れています。こうした検討課題が残ってはいますが、Sさんの推定を作業仮説の一つとして、検討の俎上に載せても良いのではないでしょうか。


第2074話 2020/01/31

『東京古田会ニュース』190号の紹介

『東京古田会ニュース』190号が届きました。本号には拙稿「古代の九州と信州の接点」を掲載していただきました。以前から注目されてきた、信州にある九州や九州王朝の痕跡を紹介した論稿です。たとえば、「高良社」「十五社神社」「筑紫神社」の存在や、同じ遺伝性疾患が信州と熊本県に濃密分布することなどを紹介しました。次の「洛中洛外日記」でも触れていますので、ご覧下さい。

【「洛中洛外日記」九州と信州関連記事】
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 484話(2012/10/17) 「十五社神社」の分布
1065話(2015/09/30) 長野県内の「高良社」の考察
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1248話(2016/08/08) 信州と九州を繋ぐ「異本阿蘇氏系図」
1260話(2016/08/21) 神稲(くましろ)と高良神社
1720話(2018/08/12) 肥後と信州の共通遺伝性疾患分布

 本号には安彦克己さん(東京古田会・副会長、港区)の論稿「安日彦の本拠地を探る」や同じく「日高見国の製鉄遺跡を巡る旅」が掲載されており、関東では『和田家文書』研究が活発に行われていることがわかります。関西でも同分野の研究者の登場が期待されます。


第2050話 2019/12/04

古代の九州と信州の諸接点

 『東京古田会ニュース』189号の橘高修さん(東京古田会・事務局長、日野市)の論稿「古田武彦の『八面大王論』(幷私論)」に触発され、古代史に関わりそうな九州と信州の接点について、わたしが知るところの事物や研究テーマを紹介します。
 直近では、「洛中洛外日記」1720話(2018/08/12)「肥後と信州の共通遺伝性疾患分布」において、遺伝性の病気の集積地が熊本県と長野県に特異な分布を示していることを紹介しました。もちろん、その原因が古代にまで遡るのかは不明ですが、不思議な分布状況で注目しています。この病気のことは「洛中洛外日記」読者のSさん(長崎県在住の医師)からお知らせいただいたもので、それは家族性アミロイドポリニューロパチーという遺伝性の病気です。なぜか熊本県と長野県に大きな分布が見られ、その分布事実は両者に血縁的関係があることを示唆しているようなのです。
 次に、これはわたしが発見したのですが、熊本県天草市と長野県岡谷市に「十五社神社」という神社が濃密分布していることです。御祭神は異なるようですが、「十五社神社」という名称の一致が九州と信州の特定地域に濃密分布しているのは偶然とは考えにくいことです。
 更に、筑後一宮で有名な高良大社の御祭神「高良玉垂命」を祀る「高良神社」が信州に濃密分布していることが従来から指摘され、その調査が信州の古田学派の研究者により精力的に進められています。近年では、信州以外(淡路島・他)にも「高良神社」の分布が発見されており、今後の研究の進展が期待されます。
 また、古代系図として有名な「異本阿蘇氏系図」中に信州の有力者である「金刺氏系図」が繋がっていることも知られています。これは両地域の関係が古代に遡ることを示す貴重な史料です。
 この他にも、信州に遺る「安曇(あずみ)」地名や「お船祭り」など北部九州の安曇族との関係を感じさせるものが散見されます。橘高さんが紹介された「八面大王」を「ヤメ大王」のこととし、九州王朝の筑紫君薩野馬や磐井のこととする仮説も提唱されており、検討が必要です。まさに多元史観・古田史学の出番と言えるのではないでしょうか。

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1720話 2018/08/12 肥後と信州の共通遺伝性疾患分布


第1720話 2018/08/12

肥後と信州の共通遺伝性疾患分布

 九州と信州が古代から交流があったことを「洛中洛外日記」でも紹介してきました。本稿末尾にそのタイトルを転載しています。それらの記事を読まれた読者のSさんから興味深い情報がメールで寄せられました。
 Sさんは長崎県在住の医師で、家族性アミロイドポリニューロパチーという遺伝性の病気の集積地が熊本県と長野県にあり、このことは両地域の交流を示す痕跡ではないかとお知らせいただいたのです。それは専門家の間ではよく知られた分布状況とのことです。アミロイドポリニューロパチーは難病の一つで、患者さんは同じ遺伝子異常を持っていることがわかっており、長野のかたは熊本から移住したひとたちの子孫の可能性があるのではないかとSさんは考えておられました。
 この疾患は、常染色体優性遺伝形式をとり、お父さんかお母さんのどちらかにその遺伝子があれば50%の確率で子供に遺伝するそうです。実際に発症するのはそれほど多くはないそうです。
 送っていただいた分布図を見ても、熊本県と長野県に大きな分布が見られ、両者に血縁的関係があることを示唆していました。もっとも遺伝子情報だけではどちらからどちらへ伝播したのか、その時代が現在からどのくらいまで遡るのかは未詳です。歴史研究に遺伝子情報がどの程度有効なのか、その分野の進展が期待されます。今回、アミロイドポリニューロパチーの分布情報をお知らせいただいたSさんにお礼申し上げます。

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484話 2012/10/17 「十五社神社」の分布
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1260話 2016/08/21 神稲(くましろ)と高良神社


第1324話 2017/01/24

筑後市の奇祭「久富盆綱引」と

    こうやの宮の御祭神

 先日、久留米市に帰省したとき、JR久留米駅の売店に展示されていた筑後市のパンフレットを見たのですが、8月14日に行われる奇祭「久富盆綱引」(久富熊野神社)の写真が掲載されていました。墨で体中真っ黒に塗られた子供たちが腰ミノと角をつけて綱を引くというお祭りです。「盆綱引」という行事は県内各地で行われているようですが、墨で真っ黒に塗られた子供たちによるものはここだけではないでしょうか。
 この子供たちの姿に、わたしはある神社の御祭神を思い出しました。それは筑後市の南に隣接するみやま市瀬高町にある小祠「こうやの宮」の御祭神です。そこの御祭神は五体の人形なのですが、中でも七支刀を持った人形は有名です。他に南国から来た人物と思われる茶褐色の肌で腰ミノのようなものを身につけた人形があるのですが、その姿が「久富盆綱引」の子供たちに似ているように思ったのです。
 偶然の一致かもしれませんが、筑後市とみやま市という隣接した地にある神社ですから、もしかすると関係があるのではないでしょうか。機会があれば調査してみたいものです。わたしのfacebookに写真を掲載していますので、ご覧ください。


第1260話 2016/08/21

神稲(くましろ)と高良神社

 多元的「信州」研究の全国的な研究者ネットワークの形成を進めていますが、久留米市の研究者、犬塚幹夫さんから貴重な調査報告メールをいただきました。淡路島にも高良神社があったというもので、信州以外にもこうした分布があったことを、わたしは初めて知りました。犬塚さんのご了解を得て、転載します。

〔犬塚さんからのメール〕

古賀様
 
 洛洛メール便第438号で長野県下伊那郡豊丘村の「神稲(くましろ)」という地名が紹介されていました。
 わが久留米市でも「神代(くましろ)」の地名は「山川神代(やまかわくましろ)」や「神代橋(くましろばし)」として残っています。そこで久留米の「神代(くましろ)」について、「大日本地名辞書」と「太宰管内志」で調べてみたところ次のことがわかりました。

1.和名抄に御井郡「神氏」とあるのは「神代」の誤りである。
2.「神代」は「神稲」であり、高良神へ稲を供える里の意味である。
3.神代は久麻志呂(くましろ)と読む。
4.淡路国三原郡の「神稲」は久萬之呂(くましろ)と読む。
 
 淡路国にも「神稲」があることがわかりましたので、「大日本地名辞書」で「淡路国三原郡神稲郷」を見ると次のことがわかりました。

1.「神稲」は久萬之呂(くましろ)と読む。
2.「神稲」は久萬之禰(くましね)と読むべきであるが久萬之呂に転じたものであろう。
3.神稲は、神に供える稲を作る田の意味である。

 淡路国三原郡神稲郷は、現在南あわじ市となり神代社家、神代地頭方、神代国衙などの地名として残っているようですが、神代の読みは(じんだい)に変わっています。
 神稲が神に供える田であれば、神社が周囲にあるはずです。ネットで調べたところ南あわじ市に次のような高良系神社が見つかりました。

高良神社(南あわじ市八木国分)
高良神社(南あわじ市広田広田)
高良神社(南あわじ市賀集八幡南)
上田八幡神社境内社高良神社(南あわじ市神代社家)
神代八幡神社境内社高良神社(南あわじ市神代地頭方)
亀岡八幡神社境内社松浦高良神社(南あわじ市阿万上町)

 この神稲郷という地域の周辺になぜ高良神社が集中しているのか、神代国衙にあったと推測される淡路国府は関連があるのか、なかなか興味があるところです。
 南あわじ市の「神稲」の周辺に高良系神社があるということは、長野県下伊那郡豊丘村の「神稲」の周辺にも高良系神社がある可能性があります。洛中洛外日記第1246話で明らかにされた下伊那郡泰阜村の筑紫神社以外にも高良系神社が存在するかもしれません。これらのことも九州とどのように関係するのか興味あるところです。

久留米市 犬塚幹夫


第1248話 2016/08/08

信州と九州を繋ぐ「異本阿蘇氏系図」

 信州に多数分布する「高良社」や、熊本県天草市と長野県岡谷市に分布する「十五社神社」など、信州と九州に密接な関係があることに強い関心を持ってきました。たとえば「十五社神社」に関しては「洛中洛外日記」でも取り上げてきました。下記の通りです。

第422話 2012/06/10 「十五社神社」と「十六天神社」

第483話 2012/10/16 岡谷市の「十五社神社」

第484話 2012/10/17 「十五社神社」の分布

 この両地方の関係について、その淵源が古代にまで遡るのか、九州王朝によるものかなどわからないことばかりでしたが、「評」系図としても有名な「異本阿蘇氏系図」を精査再検討していたところ、両者の関係が古代に遡るとする痕跡を見いだしましたので、概要のみご紹介します。
 『田中卓著作集』に収録されている「異本阿蘇氏系図」によると、「神武天皇」から始まる同系図は、その子孫の阿蘇氏(阿蘇国造・阿蘇評督など)の系譜を中心にして、途中から枝分かれした「金刺氏」(科野国造・諏訪評督など)や「多氏」などの系譜が付記(途中で接ぎ木)された様相を示しています。従って、阿蘇氏内に伝来した阿蘇氏系譜部分は比較的「精緻」と思われることに対して、「金刺氏」系譜部分は遠く離れた「信州の分家」からもたらされた系図を、後世になって阿蘇氏自らの系図に付記したものと考えられ、史料的な信頼性は劣ると考えざるを得ません。この点については、「系図の史料批判の方法」として別の機会に詳述する予定です。
 阿蘇氏や金刺氏・諏訪氏の系図は各種あるようで、どれが最も古代の真実を伝えているのかは慎重に検討しなればなりませんが、「異本阿蘇氏系図」の編者にとっては、信州の金刺氏(後の諏訪氏)は継躰天皇の時代以前に阿蘇氏から分かれて信州に至ったと主張、あるいは理解していることとなります。もちろんこうした「理解」が真実かどうかは他の史料や考古学的事実を検討しなければなりませんが、信州と九州の関係が古代に遡ることの傍証になるかもしれません。
 「異本阿蘇氏系図」の「金刺氏系譜」部分でもう一つ注目されたのが、「諏訪評督」の注を持つ「倉足」の兄弟とされる「乙穎」の細注に見える次の記事です。

「一名神子、又云、熊古」

 「神子」の別称を「熊古」(「くまこ」か)とするものですが、「神」を「くま」と訓むことは筑後地方に見られます。たとえば「神代」と書いて「くましろ」と当地では読みます。ちなみに「神代家」は高良玉垂命の後裔氏族の一つです。この「神(くま)」という訓みは九州王朝の地(筑後地方・他)に淵源を持っているようですので、「異本阿蘇氏系図」に見えるこの「熊古」記事は諏訪氏と九州との関係をうかがわせるのです。
 この信州と九州とを繋ぐ「異本阿蘇氏系図」の史料批判や研究はこれからの課題ですが、多元史観・九州王朝説により新たな展開が期待されます。

〔後注〕信州と九州の関係について研究されている長野県上田市の吉村八洲男さんと、最近、知り合いになりました。共同研究により、更に研究が進展するものと楽しみにしています。


第1246話 2016/08/05

長野県南部の「筑紫神社」

 「洛中洛外日記」第1240話「長野県内の「高良社」の考察(2)」を読まれた読者の方から、長野県南部の下伊那郡泰阜(やすおか)村に筑紫神社が鎮座しており、御祭神が高良玉垂命であることを教えていただきました。次のようです。

信濃国 伊那郷里に、「筑紫神社」が存在します。御祭神は、高良玉垂命 です。
長野県下伊那郡泰阜村字宮ノ後3199番
地図 https://goo.gl/maps/v7u5HuvdqcU2
因みに発見したときのブログです。
「伊那谷に 筑紫神社 があった!」
http://utukusinom.exblog.jp/12466291/

 地図を見ますと、かなり山奥のようです。しかも、現地では同神社に関する伝承が伝わっていないようで、「高良社」ではなく「筑紫神社」と称されていることも気になります。
 九州の高良信仰は在地性の強い信仰圏を有し、その神社は筑後地方に濃密分布しています。ですから、「筑後神社」というのならよくわかりますが、「筑紫神社」ではちょっと違和感があるのです。九州(筑紫)から勧請された神様を祀るので筑紫神社と銘々されたのか、あるいは九州が筑前と筑後の分国前(6世紀末以前)に信州にもたらされたため筑紫神社とされたのか、興味があるところです。
 こうした現地の情報が集まるのも、インターネットの利点です。ご連絡いただき、ありがとうございました。


第1240話 2016/07/31

長野県内の「高良社」の考察(2)

 長野県に多数分布する「高良社」については、「洛中洛外日記」第1065話“長野県内の「高良社」の考察”などで紹介しましたが、「古田史学の会」会員の吉村八州男さん(上田市)からの新着情報によれば、新たに上田市内で3社発見されたとのことです。それとは別に鈴岡潤一さん(「古田史学の会・まつもと」、松本市)も長野市で見つけられたとのことでした。
 2015年にいただいた村田正幸さん(「古田史学の会・まつもと」、松本市)の調査結果を再録します。

長野県内の高良社等の調査一覧(村田正幸さん調査)
No. 場所        銘文等    建立年等
1 千曲市武水別社   高良社   室町後期か?長野県宝
2 佐久市浅科八幡神社 高良社   八幡社の旧本殿
3 松本市入山辺大和合神社 高良大神1 不明
4 松本市入山辺大和合神社 高良大神2 不明
5 松本市入山辺大和合神社 高良大神2 明治23年2月吉日
6 松本市島内一里塚  高良幅玉垂の水 明治8年再建
7 松本市岡田町山中  高麗玉垂神社 不明
8 安曇野市明科山中  高良大神   不明
9 池田町宇佐八幡   高良神社   不明
10 白馬村1      高良大明神  不明
11 白馬村2      高良大明神  不明
12 白馬村3      高良大明神  不明

 「高良社」は長野県の中・北部で分布しており、この地域は「科野国」の領域です。県南の「諏訪国」からは未発見で、諏訪大社の信仰圏と「高良社」の分布領域は今のところ重なっていません。このことに歴史的背景があるのかどうか、興味があるところです。
 また、「高良社」領域と諏訪大社信仰圏とに挟まれるように分布している岡谷市と茅野市の「十五所神社」も気になります。熊本県天草市に濃密分布する「十五所神社」との関係は未解明ですが、いずれにしても九州と信州の関係が深いことは確かです。九州と信州の研究者の協力体制を作っていきたいと考えています。