公卿補任のONライン
その結果、701年を境に人数が増えるという現象を発見されたのです。そしてその原因として、701年以降になって近畿天皇家は自らの官僚名を正確に記し、それ以前の九州王朝の官僚は記されていないため、人数が少ないのではないかとされました。正に王朝交代の画期点である701年(ONライン)が公卿補任にも反映している可能性を指摘されたのです。大変優れた調査結果と考察だと感心しました。
竹村さんには、公卿補任だけでなく、例えば『二中歴』の「都督歴」なども調査されるよう要請しました。このところ、竹村さんの研究発表には刺激されることが多く、毎月の例会が楽しみです。
奈良市の原さんからも久しぶりに発表があり、当麻寺の中将姫伝説などを教えていただきました。
当日の発表は次の通りでした。
○研究発表
1). 『俾弥呼』を読む(向日市・西村秀己)
2). 青木さんからの手紙(豊中市・木村賢司)
3). 「論争のすすめ」(会報105号)について(豊中市・大下隆司)
4). 公卿補任の大宰帥(木津川市・竹村順弘)
5). 大宰帥の家系図(木津川市・竹村順弘)
6). 当麻寺の曼陀羅由来・他(奈良市・原幸子)
7). 久留米・太宰府地名研究会講演会の報告(川西市・正木裕)
古田氏近況・会務報告・住吉神社研究・他(奈良市・水野孝夫)