大和朝廷(日本国)一覧

第140話 2007/08/26

「天下立評」

 8月の関西例会で、わたしは「平安時代の「評制」文書─『皇太神宮儀式帳』『神宮雑例集』の史料批判─」というテーマを発表しました。延暦23年 (804)に成立した、伊勢神宮の文書『皇太神宮儀式帳』に「難波朝廷天下立評給時」という記事があり、しかも同文書は太政官に提出された解文、いわば公文書であることを紹介しました。すなわち、平安時代の近畿天皇家内部の公文書に九州王朝の制度であった「評」が記されていることを指摘しました。

 たとえば『日本書紀』はおろか、延暦16年(797)に成立した『続日本紀』でも、700年以前の「評」を「郡」に改竄されているのですが、ほぼ同時期に解文として提出された『皇太神宮儀式帳』には「天下立評」や「評督」という記述が使用されており、近畿天皇家のとった九州王朝隠滅方針にも、内部では温度差のあったことがうかがえます。
  さらに、「難波朝廷天下立評給時」という記事は、九州王朝が評制を施行した時期を難波朝廷(孝徳天皇)の頃、すなわち650年頃であるとするもので、評制開始時期を記した現存する唯一の史料でもあり、貴重です。この頃、太宰府政庁よりもはるかに大規模な朝堂院様式を持つ前期難波宮が完成しており、このこと と「天下立評」とは何かしら関係しているのではないかと想像しています。この件、今後も研究していきたいと思っています。


第123話2007/02/25

藤原宮の「評」木簡

この一年間、研究してきたテーマに木簡の史料批判があります。その成果として、「元壬子年木簡」など、九州年号研究にとって画期的な発見もありましたが(第69話、72話、他)、現在わたしが最も注目しているのは藤原宮出土の「評」木簡群です。

 『日本書紀』や『続日本紀』によれば、藤原宮は持統八年(694)から平城京遷都する和銅三年(710)年まで、近畿天皇家の宮殿として機能したのですが、そこから出土する「評」木簡は、九州王朝から近畿天皇家へ権力交代する701年の直前の時期に当たる木簡であることから、権力交代時の研究をするうえでの第一級史料といえます。
たとえば、多くの木簡は「荷札」の役割を果たしたと思われますが、各地の地名を記した「評」木簡を見てみると、どのような地域から藤原宮へ貢物が届けられたかを知ることができ、当時の近畿天皇家の勢力範囲を推定することができます。
ちょっと古いデータですが、角川書店の『古代の日本9』(昭和46年)掲載資料によれば、東は安房国の「阿波評」や上野国の「車評」、西は周防国の「熊毛評」などがあり、近畿だけでなく関東や東海、中国地方の諸国の「評」地名を記した木簡が出土しています。したがって、7世紀末時点では大和朝廷は東北を除いた本州全体を支配下に置いていたと考えられます。
逆に言えば、この時点、九州王朝は九州島や四国ぐらいしか実効支配していなかったのかもしれません。そして、こうした背景(権力実態)があったからこそ、701年になってすぐ近畿天皇家は年号や律令の制定、評から郡への一斉変更をできたのではないでしょうか。藤原宮の「評」木簡を見る限り、このように思わ れるのです。


第47話 2005/11/20

活況!関西例会

 昨日は関西例会がありました。好論目白押しで、気分がよくなり三次会まで付き合い、おかげで今日は朝からバテ気味です。
 水野代表の報告を含めると9人の発表があり、進行役の西村さんは大変だったと思います。特に興味深かった報告をいくつか紹介しますと、竹村さんの九州旅行の報告ではオープンしたばかりの九州歴史博物館の様子がうかがえて、私も行きたくなりました。
 伊東さんの報告は、磐井の後を継いで九州王朝の王になったと思われる葛子の墓、鶴見山古墳よりも同時代の王塚古墳(桂川町、装飾壁画古墳)の方がはるかに立派というもので、この指摘は示唆的でした。九州王朝の王統譜を研究する上で、考古学的知見による比較検討の必要性に気づかせていただきました。
 冨川さんの報告は、六国史に見える「朝廷」「朝庭」の全抽出を行うというベーシックな研究でしたが、その結果は大変興味深いものでした。『日本書紀』で地名+朝廷という表記の初出が天武紀の「近江朝廷」であり、逆に見ると、それまでは大和朝廷内部では自らの宮殿を「朝廷」とは呼んでいなかったということにはならないでしょうか。もしそうだとすれば、大和朝廷の始まりは天智の近江朝廷からということになります。「不改常典」問題とも関連して面白い問題に発展しそうです。
 関西例会はますます活況を帯び、面白くなっています。皆さんも是非ご参加下さい。参加費は500円です。

〔古田史学の会・11月度関西例会の内容〕
○ビデオ鑑賞「シルクロード講座・西陜歴史博物館王世平先生」
○研究発表
シルクロード知ったかぶり(豊中市・木村賢司)
楽しい九州旅行(木津町・竹村順弘)
皇暦について(奈良市・飯田満麿)
鶴見山古墳発見の円体武装石人について(生駒市・伊東義彰)
釈日本紀の九州王朝(向日市・西村秀己)
古層の神名─出雲神話の史料批判─(京都市・古賀達也)
彦島物語─国譲り─(大阪市・西井健一郎)
「大和朝廷」説の始まり(3) (相模原市・冨川ケイ子)
○水野代表報告
 古田氏近況・会務報告・「ギリシア祭文」論・条里制の開始・他