第2809話 2022/08/16

「ポアンカレとモデル」 茂山さんの見解

 「洛中洛外日記」2807話(2022/08/11)〝ポアンカレ予想と古田先生からの宿題〟で、古田先生から厳しく叱責されたことを紹介しました。九州年号原型論研究に使用した「丸山モデル」(注①)という名称に対して、「モデル」という用語の使い方が間違っているという叱責でした。そのことについて、茂山憲史さん(『古代に真実を求めて』編集部)よりメールが届き、古田先生の「モデル」の理解についての見解(推察)が記されていました。
 茂山さんは大学で哲学や論理学を専攻されておられ、その分野に疎いわたしは何かと教えを請うてきました。なかでも「古田史学の会」関西例会で連続講義されたアウグスト・ベークのフィロロギーの解説(注②)は圧巻でした。今もその講義レジュメを大切に持っています。今回は、これもわたしが苦手な数学と論理学の分野のポアンカレについて、メールで古田先生の考え方についての見解を説明していただきました。特に重要な部分を紹介します。

【以下、転載】
仮説とモデルについて(古田武彦先生に代わって)

 ポアンカレのことを書かれていましたが、それを読んで、古田先生のクレームがどういうものだったか、十分説明していなかったかな、と気になりました。(中略)
 モデルの語源は、modus物差し と-ulus小さい を合わせたラテン語「modulus小さい物差し」に由来します。「尺度」「基準」などの意味も持ち、「測定すること」と深く関わった言葉です。分かり易い例でいえば、自動車のミニチュアモデル、絵画や彫刻のモデルなど。本物を作る前に粘土やデッサンなどで成形しますから、「手本」「模型」「鋳型」などの意味に派生して広がります。応用された結果「規範」「模範」「基本」などの抽象言語にまで広がりました。
 これで分かるように、もともと物作りや測定など、自然科学系の言語です。論理学に応用されても、数学的な性格をもちます。その特徴を定義すれば、モデルは仮説ではありません。また究極の解答でもありません。しかし、反復繰り返しに耐える必要があります。自動車のモデルから現実の自動車を何万台も同じように作る必要がある、という意味合いの「反復」です。それがモデルの本質です。つまり、沢山モデルがあっては困る訳で、モデルはひとつの作業にひとつ、です。しかし、ふたつの作業にはふたつのモデルがあっても構いません。
 さて、古田先生のクレームを代弁してみれば、いくつかの言説がありえます。
 まず「仮説に過ぎないものをモデルと言ってくれるな。一体だれが、そんな権威を保証したのか」というクレームでしょう。「何も論証されていない」という評価です。
 もう一つ、実学の物作りではない歴史の学問では、求める答えは(古典的哲学では)ひとつ、真実はひとつと考えられているので、「文献学(フィロロギー)では、「仮説」と「論証が完了した理論」の間には、モデルなどという中間的な存在は許されない」というクレームでしょうか。
 自然科学では、実験や測定が幾らでも(技術が可能な限り)繰り返し出来ますし、反復することに絶対的な安定性があります。「『もの』のふるまい」を研究しているからです。そのため、仮説と理論の間に(中途半端な)モデルの介在が許されています。研究の便宜のためです。しかしこの場合も、モデルと広く認知されるためには、相当の実験、測定、論証が要求され、それこそ「権威」が求められます。
 一方、実験や測定という数学的方法を駆使する社会学や心理学、経済学などを別にすれば、「『ひと』のふるまい」を研究する「古代史学」では、反復も出来ませんし、測定もできません。つまり、反復・測定を本質とする「モデル」という方法論は、馴染まないのです。
 古田先生が、ポアンカレの本を貴方に渡し、九州年号の古代史学的な議論の問題とされなかったのは、「モデル」という思想が自然科学や実学のものだ、と考えられていたからではないでしょうか。「モデル」とは、観測・測定が可能な問題で、どこでもいつでも、繰り返し使える汎用性のある規範、そう考えられていたのなら、九州年号の復元作業に「モデル」という設定はありえません。
【転載、終わり】

 この丁寧な長文の説明を読み、わたしには思い当たる節がありました。末尾に記された〝「モデル」とは、観測・測定が可能な問題で、どこでもいつでも、繰り返し使える汎用性のある規範、そう考えられていたのなら、九州年号の復元作業に「モデル」という設定はありえません。〟という指摘は、古田先生の考えに近いように思います。この件、引き続き勉強します。

(注)
①「市民の古代研究会」時代に丸山晋司氏が提案した九州年号の原型論(朱鳥を九州年号と見なさない説)が「丸山モデル」と呼ばれた。当時、『二中歴』の「年代歴」を原型とする古田先生と丸山氏とで論争が行われていた。その後、研究が進展し、『二中歴』原型説が最有力となり、今日に至っている。
②「古田史学の会」関西例会にて、「フィロロギーと古田史学」というテーマで2017年5月から一年間にわたり行われた。テキストはベークの『エンチクロペディーと文献学的諸学問の方法』(安酸敏眞訳『解釈学と批判』知泉書館)を用いた。

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