第2808話 2022/08/12

『旧唐書』『新唐書』地理志の比較

 「洛中洛外日記」2804話(2022/08/08)〝『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」 (13)〟で紹介した足立喜六氏の『長安史蹟の研究』(注①)には、唐代里単位の大程(1里約530m)と小程(1里約440m)について次の説明があります。

「左に唐里の大程と小程とを比較すると、
 大程 一歩は大尺五尺、一里は三百六十歩、即ち大尺一千八百尺。
 小程 一歩は小尺六尺、一里は三百歩、即ち小尺一千八百尺で、我が曲尺千四百九十九尺四寸。
 である。」(44頁)
「舊唐書地理志の里程と實測里程とを比較して見ると、皆小程を用ひたことが明である。(中略)大程は唐末から宋代に至って漸く一般に行はれる様になったと見えて、宋史・長安志・新唐書の類が皆之を用ひて居る。」(49~50頁)

 足立氏によれば、「大程は唐末から宋代に至って漸く一般に行はれる様になった」とあるので、『新唐書』の里単位を調べるために地理志と夷蛮伝の里数を『旧唐書』と比較しました(注②)。ちなみに、『旧唐書』は五代晋の劉昫(887~946)、『新唐書』は北宋の宋祁(998~1061)による編纂です。
 『新唐書』地理志を一瞥して驚いたのですが、『旧唐書』には京師(長安)や洛陽(東都)から各主要都市や地域への距離、たとえば「天寶元年、改東都為東京也。(略)在西京之東八百五十里。」というように東京(洛陽)と西京(長安)間の距離が850里と記述されていますが、『新唐書』には各地域の戸数や人口、地名の変遷などは記されているものの、両都からの距離(里数)が書かれていないのです。これで正史の地理志として役に立つのだろうかと思うような「省略」ぶりです。ただし、国土の全領域については両書とも地理志冒頭に里数値を記しています。

〔『旧唐書』地理志〕
○漢 東西 9,302里 南北 12,368里
○隋 東西 9,300里 南北 14,815里
○唐 東西 9,510里 南北 16,918里

〔『新唐書』地理志〕
○漢 不記
○隋 東西 9,300里 南北 14,815里
○唐 東西 9,511里 南北 16,918里

 『新唐書』の里数値が、『旧唐書』の小程による里数値にほぼ基づいていることがわかります。それならば同様に各地域までの里程も『旧唐書』に基づいて記せばよいように思うのですが、それができなかった事情があるのではないでしょうか。おそらく、『新唐書』が成立した北宋代の里単位(大程)による国内各地の実測里数値と、小程により記された『旧唐書』地理志の里数値が異なっていたため、『新唐書』編者はあえて記さなかったのではないでしょうか。
 というのも、一旦、小程から大程へ里数を換算してしまうと、その影響が地理志冒頭の全国領域里数値にまで及び、果ては地理志以外の里程記事、たとえば夷蛮伝の里程まで書き改める必要が発生します。編纂時(11世紀)よりも数百年前の交流情報に基づく里数値の再検証など困難と判断したのではないでしょうか。(つづく)

(注)
①足立喜六『東洋文庫論叢二十之一 長安史蹟の研究』財團法人東洋文庫、昭和八年(1933年)。
②『旧唐書』は中華書局本(1987年版)、『新唐書』はwebの「維基文庫」を使用した。

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