第3094話 2023/08/15

論文削除を要請された『親鸞思想』(1)

 わが家の家宝となった古田先生からいただいた『親鸞思想』(注①)ですが、同書が冨山房から発刊されるに至った経緯には、「数奇な運命」がありました。そもそも同書は京都の書肆、法蔵館が出版する予定でした。同社から出版広告まで出されたにもかかわらず、突如、特定論文の削除を要請されたのです。このときの様子が、同書「自序」に描かれています。

 〝自序
親鸞の研究はわたしにおいて、一切の学問研究のみなもとである。わたしはその中で、史料に対して研究者のとるべき姿勢を知り、史学の方法論の根本を学びえたのである。
(中略)この一書は誕生の前から数奇な運命を経験した。かつて京都の某書肆から発刊することとなり、出版広告まで出されたにもかかわらず、突然、ある夕、その書肆の一室に招かれ、特定の論文類の削除を強引に求められたのである。当然、その理由をただしたけれども、言を左右にした末、ついに「本山に弓をむけることはできぬ。」この一言をうるに至った。
わたしの学問の根本の立場は“いかなる権威にも節を屈せぬ”という、その一点にしかない。それは、親鸞自身の生き方からわたしの学びえた、抜きさしならぬ根源であった。それゆえわたしは、たとえこのため、永久に出版の機を失おうとも、これと妥協する道を有せず、ついにこの書肆と袂を別つ決意をしたのである。思えば、この苦き経験は、原親鸞に根ざし、後代の権威主義に決してなじまざる本書にとっては、最大の光栄である、というほかない。――わたしはそのように思いきめたのであった。〟

 こうした経緯により出版の道が閉ざされたのですが、それを惜しんだ家永三郎氏のご尽力により、同書は冨山房から出版されました。そのことも「自序」に記されています。

 〝けれどもその後、幸いに事情を知られた家永三郎氏の厚情に遭い、今回、東都の冨山房より出版しうることとなった。かつて少年の日、わたしは冨山房の百科辞典を父の書棚に見出し、むさぼるように読みふけった思い出がある。本の乏しい戦時中であった。ここよりわたしの初の論文集を刊行しうることとなったのは、一個の奇縁と言うべきであろう。〟

 家永氏は、東北大学で学ばれていた古田先生に出会われたとのことで、同書「序」に次のように氏は紹介している。

 〝本書の著者は東北大学に学び故村岡典嗣先生に就いて日本思想史学を専攻し、近年まで育英の業に従事しつつその専攻の研究にいそしみ、めざましい業績を次々とあげてこられた篤学の士である。たまたま私が村岡先生逝去直後東北大に出講したという縁故により、著者は二十年後の今日まで上京されるごとに陋屋を訪れて研究の成果を私に示されるのであるが、そのたびにいつも学界の通念を根本からうち破る新説をもたらすのを常とした。その精進ぶりには舌を捲かないでいられないばかりでなく、研究を語るときの著者のつかれたような情熱に接すると、怠惰な私など完全に圧倒されてしまうのであった。
今、著者が全力投球の意気ごみでとりくんできた親鸞研究にひとくぎりのついたのを機会に、冨山房から一冊の論文集が上梓されることになったのは、まことによろこびにたえない。親鸞研究に豊富な新知見を加上する本書の公刊が、学界に寄与するところ絶大なもののあろうこと、とくにもともと活潑な親鸞研究をいっそう促進する強烈な刺激となることであろうことは、私の信じて疑わないところである。〟

 『親鸞思想』は明石書店から刊行された『古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編Ⅰ』(注②)に収録されています。古田学派研究者には是非とも読んでいただきたい一冊です。(つづく)

(注)
①古田武彦『親鸞思想 その史料批判』冨山房、1975年。
②古田武彦『古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編Ⅰ』明石書店、2002年。本書目次は次の通り。
〔目次〕
1 親鸞研究の方法
史料批判の方法について/親鸞研究の方法論的基礎/家永第3次訴訟と親鸞の奏状
2『親鸞思想――その史料批判』
3『親鸞思想』をめぐって
親鸞研究の根本問題/三願回転の史料批判/親鸞思想の史料批判/親鸞の史実/書評『教行信証の研究』/親鸞に於ける悪人正機説について/真実の出発点

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