「紀尺」による開聞岳噴火年代の検討
紫コラの発生源となった貞観十六年(874)の開聞岳噴火記事は『日本三代実録』に記載されていることから、史実と見なされていますが、次の二つの噴火記事は信用できないとして、学問研究の対象とはされてきませんでした。
(A)「神代皇帝紀曰、第十二代懿徳天皇御宇(前510~前477年)、薩摩國開聞山涌出」『三國名勝圖會』巻之二十三 薩摩國 頴娃郡 開聞嶽
(B)「開聞神社縁起曰、第十二代景行天皇二十年(90年)、庚寅十月三日、一夜涌出、此等涌出の説あれども、皆日本書紀に載せざれば、確説に取りがたし、盖此嶽は、荒古より天然存在せしならん」『三國名勝圖會』巻之二十三 薩摩國 頴娃郡 開聞嶽
「景行天皇廿年(90年)庚寅冬十月三日之夜、國土震動風雷皷波而彼龍崛怱湧出于此界、屼成難思嵩山。卽其跡成池。今池田之池此也。」『開聞古事縁起』
(A)は今から約2500年前、(B)は約2000年前の噴火記事であることから、荒唐無稽と考えられてきたものと思われます。しかし、この考えでは、なぜ2500年前や2000年前を示す具体的な年次(皇暦による)の伝承が成立し、後世の人々もその伝承を〝是〟として伝え続けてきた理由の説明が困難です。
わたしは、史実に基づく噴火伝承の年次を、当時の何らかの暦法で伝えたもので、『日本書紀』成立後はその皇暦に換算したのではないかと考えています。古田先生は皇暦による年代特定方法を「紀尺」と名付け、従来、荒唐無稽とされてきた皇暦による年次が記されている古代伝承を、史実の反映としての再検証の必要性を提唱しました(注①)。
古田先生が提唱した「紀尺」で、(A)2500年前、(B)2000年前という年次と気象庁ホームページの開聞岳の説明との整合が注目されます。
【気象庁ホームページ 「開聞岳」】(注②)
〝開聞岳は、約4,400年前に噴火を始めた。初期の活動は、浅海域での水蒸気マグマ噴火であった。溶岩を流出する噴火を繰り返し、約2,500年前には現在とほぼ同じ規模の山体が完成していたものと推定されている。約2,000年前と1,500年前の活動では噴出量が多く、成層火山体の形成に大きく寄与した。その後、歴史時代の874年及び885年の噴火で山頂付近の地形が大きく変化し、噴火末期に火口内に溶岩ドームが形成された。〟
「約2,500年前には現在とほぼ同じ規模の山体が完成」が(A)に相当し、「約2,000年前と1,500年前の活動では噴出量が多く、成層火山体の形成に大きく寄与」の「約2,000年前」が(B)に相当します。「1,500年前の活動」に対応する史料は今のところ見当たりません。こうした火山噴火の痕跡と、文献に遺された噴火記事との二つの一致を偶然と見るよりも、史実を反映した「紀尺」を用いた伝承と考えたほうがよいのではないでしょうか。(つづく)
(注)
①古賀達也「『日本書紀』は時のモノサシ ―古田史学の「紀尺」論―」『多元』170号、2022年。
同「洛中洛外日記」2683~2687話(2022/02/15~20)〝古田先生の「紀尺」論の想い出 (1)~(4)〟
②気象庁ホームページ「開聞岳」のアドレス。
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/fukuoka/507_Kaimondake/507_index.html