和田家文書に使用された美濃紙追跡調査
昨日は大阪で「古田史学の会」の会員総会と、それに先だって講演会を開催しました。遠くは九州や四国、山陰、関東からもお越し頂き、ありがとうございました。
講演会では、竹内強さん(古田史学の会会員・岐阜市在住)の「和田家文書に使用された美濃紙追跡調査」がスリリングで圧巻でした。和田家文書に使用された美濃紙に押印された紙問屋の屋号や商標を手掛かりに、岐阜市内の紙問屋街の全戸調査を行ったり、紙の史料館や図書館での調査など、何度も壁に突き当たりながらも、ついにその紙が明治30年から40年の間に製造販売されたことを突き止められたくだりは、思わず拍手喝采したくなるほど興奮しました。
九年前、わたしが和田家文書調査のため北海道松前町を訪れ、当地の歴史研究者永田富智氏(北海道史編纂委員)に聞き取り調査を行ったとき、永田氏は昭和46年に『東日流外三郡誌』二百〜三百冊を見たと証言され、使用されていた紙は明治の末頃に流行りだした機械織りの和紙とのことでした。この永田証言と今回の竹内さんの調査結果とが見事に一致したのです
(永田証言は「古田史学会報」16号と『新・古代学』第4集に掲載しています)。
「歴史は足にて知るべきものなり」(秋田孝季)を実践された竹内さんの見事な調査報告でした。
他の証言は古田史学会報 をご覧ください。
「平成・諸翁聞取帳」起筆にむけて
「 平 成 ・ 諸 翁 聞 取 帳 」 東 北 ・ 北 海 道 巡 脚 編 も参照。
当事者の発言はー津軽を論ず ーを御参照ください.