第2609話 2021/11/05

古代山城発掘調査による造営年代

 昨日、「古田武彦記念古代史セミナー2021」(八王子セミナー。注①)の予稿集が送られてきました。自説とは異なる論稿も収録されており、学問的刺激を受けています。わたしは〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟と考えていますので、こうした予稿集は自説を検証する上でも貴重であり、勉強になります。
 古墳や土器の他に神籠石山城なども当日のテーマになりそうですし、神籠石山城の築城年代を「倭の五王」の時代(5世紀)とする見解が古田学派内に以前からありますので、この機会に古代山城についてのわたしの知見を紹介しておきます。
 古代山城研究に於いて、わたしが最も注目しているのが向井一雄さん(注②)の諸研究です。向井さんの著書『よみがえる古代山城』(注③)から関連部分を下記に要約紹介します。

(1) 1990年代に入ると史跡整備のために各地の古代山城で継続的な調査が開始され、新しい遺跡・遺構の発見も相次いだ(注④)。
(2) 鬼ノ城(岡山県総社市)の発掘調査がすすみ、築城年代や城内での活動の様子が明らかになった。土器など500余点の出土遺物は飛鳥Ⅳ~Ⅴ期(7世紀末~8世紀初頭)のもので、大野城などの築城記事より明らかに新しい年代を示している。鬼ノ城からは宝珠つまみを持った「杯G」は出土するが、古墳時代的な古い器形である「杯H」がこれまで出土したことはない。
(3) その後の調査によって、鬼ノ城以外の文献に記録のない山城からも7世紀後半~8世紀初め頃の土器が出土している。
(4) 最近の調査で、鬼ノ城以外の山城からも年代を示す資料が増加してきている。御所ヶ谷城―7世紀第4四半期の須恵器長頸壺と8世紀前半の土師器(行橋市 2006年)、鹿毛馬城―8世紀初めの須恵器水瓶、永納山城―8世紀前半の畿内系土師器と7世紀末~8世紀初頭の須恵器杯蓋などが出土している。
(5) 2010年、永納山城では三年がかりの城内遺構探索の結果、城の東南隅の比較的広い緩やかな谷奥で築造当時の遺構面が発見され、7世紀末から8世紀初めの須恵器などが出土している。

以上のように古代山城の築城年代に関する考古学エビデンスは増え続けています。そして、その多くが7世紀後半以降の年代を示しています。古墳時代5世紀の築城とする遺物の出土報告は見えませんから、古代山城の築城年代は古く見ても7世紀頃であり、5世紀の倭の五王時代とする考古学エビデンスは見つからないとするのが、学問的な判断だとわたしは思います。

(注)
①古田武彦記念 古代史セミナー2021 ―「倭の五王」の時代―。主催:公益財団法人大学セミナーハウス。開催日:2021年11月13日~14日。共催:多元的古代研究会・東京古田会・古田史学の会・古田史学の会・東海。
②古代山城研究会代表。
③向井一雄『よみがえる古代山城 国際戦争と防衛ライン』吉川弘文館、2017年。

よみがえる古代山城 -- 国際戦争と防衛ライン

④播磨城山城(1987年)、屋島城南嶺石塁(1998年)、阿志岐山城(1999年)、唐原山城(1999年)など。

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