第3199話 2024/01/12

古田史学の万葉論 (5)

  ―天香具山豊後説の論証―

 古田万葉論の中でも、際だった新説が天香具山=豊後国の鶴見岳説でした。従来の万葉学では、天香具山とあれば大和飛鳥の香具山のこととして歌を解釈してきました。その結果、万葉歌(巻一、二番歌)に見える天の香具山はかなり無理無茶な解釈が横行していました。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鷗(かまめ)立ち立つ うまし国そ 蜻蛉(あきづ)島 大和の国は 《『万葉集』巻一、二番歌》

 古田先生は万葉歌理解の基本的認識に基づいて、「歌」と「題詞」を切り離し、「歌」そのものの内容から、この歌の舞台を豊後の別府湾近辺(旧名は『和名抄』に「海部郡 安萬」とある)とされ、天の香具山を鶴見岳(標高1375m)とする新説に至りました。詳細は『古代史の十字路』(注①)の第三章「豊後なる『天の香具山』の歌」に記されていますので、興味のある方は同書をご覧下さい。古田先生の疑問点は次のようでした。

〈1〉「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山」とあるが、大和の他の諸山と比べて、飛鳥の香具山は特段に「群山あれど とりよろふ」(意味不詳)と歌うほどの特徴ある山ではない。むしろ周囲との比高約50メートルに過ぎない低山(標高152メートル)である。従って、同歌の「天の香具山」を奈良県飛鳥の香具山とするのは無理だ。
〈2〉しかも、飛鳥の香具山は、「天の香具山 登り立ち 国見をすれば」とあるような、国見をするに相応しい山とは言い難い。
〈3〉「海原は 鷗(かまめ)立ち立つ」とあるのも、不審。香具山に登っても海は見えないし、鷗が飛んでいるとも思えない。奈良盆地に海はなく、当地で詠めるような内容ではないのだ。従来の解釈では、「鷗」をユリカモメのこととするが、様々な池で「鷗」の存在を歌う例は『万葉集』にはない。
〈4〉従来説では、「海原」を香具山の近くの埴安池(1200㎡)と解釈するが、そのような〝ため池〟を「海原」と歌う例も『万葉集』にない。

以上のことから、この歌の「天の香具山」は奈良県飛鳥の香具山ではないとされ、この歌の情景に相応しい地を探されました。そして、次の論証と傍証により、豊後の鶴見岳が最も相応しいとする仮説に至ります。

〈5〉「天の香具山」とあることから、そこは「アマ」と呼ばれた領域である。
〈6〉「蜻蛉(あきづ)島 大和の国は」とあり、これは『古事記』の国生み神話に出現する「大倭豊秋津島」ではないか。「豊」は豊国であり、大分県。秋津は「安岐」の津であり、別府湾に相当する。豊後国の古名が「安萬(あま)」である。こうしたことを『盗まれた神話』(注②)で論証した。別府市内には「天間(あまま)区」(旧、天間村)という地名もある。
〈7〉「海原は 鷗(かまめ)立ち立つ」という表現も別府湾岸であれば、問題ない。
〈8〉この地であれば、別府温泉の湯が「煙」となって立ち上っており、「国原は 煙立ち立つ」という表現がピッタリである。
〈9〉当地には国見をするに相応しい山がある。鶴見岳だ(標高1375メートル)。「天の香具山 登り立ち 国見をすれば」と歌われているように、「国見」が可能な名山である。更に、別府市天間区には「登り立(のぼりたて)」という小字地名も遺存しており、鶴見岳を「天の香具山」とする理解の傍証となっている。
〈10〉鶴見岳には「火男火女(ほのおほのめ)神社」があり、ご祭神は主に「火(ほ)の迦具土(かぐつち)命」である。「火(ほ)」は鶴見岳が火山であることに由来し、「土(つち)」は「津」(港)の「ち」(神の古名)を意味する。語幹は「迦具(かぐ)」であり、この神を祭る鶴見岳は「天(安萬)の香具(かぐ)山」と呼ばれるに相応しい。

 古田先生の論証は更に詳細を究めるのですが、これほどの論証を尽くして、 「天の香具山」豊後国鶴見岳説を提唱されたのです。従来の万葉学では、「天の香具山」とあれば条件反射の如く、奈良県飛鳥の香具山と理解し、それにあわせるためには無理無茶な解釈もいとわなかったことと比べれば、古田万葉論がいかに学問的に優れた、ある意味で極めて常識的・合理的な文献理解に立ったものであるかがわかります。

 この「天の香具山」多元説が一旦成立すると、『万葉集』などに見える「天の香具山」が、どの山を指しているのかという基本作業(史料批判)が全ての研究者に要求され、新たな万葉学(文献史学としての万葉歌の新解釈)がここから成立します。まさに〝新時代の万葉学〟誕生です。(つづく)

(注)
①古田武彦『古代史の十字路 ―万葉批判―』東洋書林、平成十三年(二〇〇一)。ミネルヴァ書房より復刻。
②古田武彦『盗まれた神話 記・紀の秘密』朝日新聞社、昭和五十年(一九七五)。ミネルヴァ書房より復刻。

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