厳島神は「旅の神」
『平家物語』(巻第二、善光寺炎上)に九州年号の金光が見えることを報告したことがありますが(「『平家物語』の九州年号」『古田史学会報』58号)、最近、『平家物語』の異本(長門本)に九州年号の端政があることを知りました。次のような件です。
『平家物語』長門本(国書刊行会蔵本)
平家物語巻第五 厳島次第事
「(前略)厳島大明神と申は、旅の神にまします、仏法興行のあるじ慈悲第一の明神なり、婆竭羅龍王の娘八歳の童女には妹、神宮皇后にも妹、淀姫には姉な り、百王を守護し、密教を渡さん謀に皇城をちかくとおぼして、九州より寄給へり、その年記は推古天皇の御宇端政五年癸丑九月十三日、(後略)」
端政五年(593)に厳島へ大明神が九州より来たという内容ですが、端政五年は九州王朝の天子、多利思北孤の時代です。多利思北孤が深く仏教に帰依した 天子であったことは『隋書』にも記されている通りで、「仏法興行のあるじ慈悲第一の明神」と呼ばれるに相応しい人物です。また、全国を66国に分国し、九 州島も9国に分国した天子であり、「全国統治・行脚の痕跡が九州年号などにより残されている可能性が濃厚」と第267話「東北の九州年号」で指摘した通 り、「旅の神」という表現もぴったりです。なお、厳島神社の祭神は宗形三女神とされているようですが、端政五年のことであれば、やはり多利思北孤と考える べきでしょう。
『厳島縁起』や『伊豫三嶋縁起』、あるいは伊予国温湯碑にも記されているように、多利思北孤の瀬戸内巡幸については、「多利思北孤の瀬戸内巡幸ーー『豫章記』の史料批判」(『古田史学会報』32号)でも既に述べてきました。そして多利思北孤の瀬戸内巡幸の最終目的地は「難波天王寺」ではないかと想像していますが、今後の楽しみな研究テーマです。