『陸奥話記』の「宇曾利」
沿海州のウスリー川や中国語表記の「烏蘇里江」について、由来や語源・出典調査を続けていますがよくわかりません。沿海州オロチ語辞典(注①)にもそれらしい言葉は見つかりません。そこで、下北半島の地名「宇曽利」についての史料調査を行っています。その結果、平安後期(11世紀頃)の成立とされる『陸奥話記』(むつわき、注②)に「宇曾利」がありました。
「奥地の俘囚を甘言で説き、官軍に加えた。是れに於いて鉇屋(かんなや)、仁土呂志(にとろし)、宇曾利(うそり)の三部の夷人を合わせしめ、安倍富忠を首と為して兵を発(おこ)し、将に為時に従わせた。」『陸奥話記』(岩波書店、日本思想大系『古代政治社会思想』。古賀訳)
鉇屋・仁土呂志・宇曾利の地名が記されていますが、鉇屋と仁土呂志は現存していないようです。いずれも下北半島の地名と見られているようですが、『陸奥話記』の合戦の舞台としては宮城県多賀城付近から出羽国(岩手県)の地名(注③)が見えますので、この三地名を下北半島にあったとしてよいのか、少々不安が残ります。今のところ、この『陸奥話記』の「宇曾利」が出典としては古いようです。
(注)
①松本郁子訳「オロチ語 ―簡約ロシア語=オロチ語辞典」(古田武彦編『なかった 真実の歴史学』1~6号、ミネルヴァ書房、2006~2009年)
②『ウィキペディア』によれば、『陸奥話記』は、日本の戦役である前九年の役の顛末を描いた軍記物語とある。『将門記』とともに軍記物語の嚆矢とされる。成立は平安時代後期、11世紀後期頃と推定される。
③『陸奥話記』に鳥海柵(とのみのさく)が見える。岩手県胆沢郡金ケ崎町にあった平安時代の豪族安倍氏の城柵。