『新撰姓氏録』巨勢楲田朝臣の伝承 (1)
近年、研究史料として『新撰姓氏録』を使用することが増えました。おかげで『新撰姓氏録』に多元史観・九州王朝説でなければ、うまく説明できない記事があることに気づきました。その一つ、巨勢楲田朝臣(こせのひたのあそん)の記事について紹介します。同書の「右京皇別 上」に次の記事が見えます。
〝巨勢楲田朝臣
雄柄宿禰四世孫稻茂臣之後也。男荒人。天豊財重日足姫天皇〔諡皇極〕御世。遣佃葛城長田。其地野上。漑水難至。荒人能解機術。始造長楲。川水灌田。天皇大悦。賜楲田臣姓也。日本紀漏。〟『新撰姓氏録』右京皇別上(注①)
要約すれば次のようです。
(1) 巨勢楲田朝臣の荒人は、雄柄宿禰四世の子孫稻茂臣の子である。
(2) 皇極天皇の時代、荒人は佃葛城長田の灌漑のために長楲を造り、川の水を田に引き、灌漑に成功した。
(3) それを天皇は悦び、楲田臣の姓を賜った。
(4) このことは『日本書紀』には記されていない。
この記事から、巨勢という地域の有力者(灌漑技術を持つ)が水利が不便な地(佃葛城長田)の灌漑に成功し、当時(七世紀中頃)の天皇から楲田臣という姓を賜ったことがうかがえるのですが、久留米市出身(旧本籍は浮羽郡大字浮羽)のわたしには思い当たることがありました。うきは市に遺る「天(あま)の一朝堀(ひとあさほり)」伝承(注②)と当地を流れる巨瀬(こせ)川です。(つづく)
(注)
①佐伯有清編『新撰姓氏録の研究 本文編』吉川弘文館、1962年。
②古賀達也「天の長者伝説と狂心の渠(みぞ)」『多元』39号、2000年。
同「洛中洛外日記」905話(2015/03/22)〝筑後の「阿麻の長者」伝説〟
正木 裕「『書紀』斉明紀の『田身嶺と狂心(たぶれごころ)の渠』」古田史学の会・関西例会、2018年3月。
古賀達也「洛中洛外日記」1628話(2018/03/17)〝斉明紀「狂心の渠」は隈ノ上川(うきは市)〟
同「天の長者伝説と狂心の渠(みぞ)」『倭国古伝 姫と英雄と神々の古代史』(『古代に真実を求めて』22集)古田史学の会編、2019年、明石書店。