第2950話 2023/02/23

九州王朝(筑後)の日下部(草壁)氏

「洛中洛外日記」前話(注①)で、「古代における日下部氏は九州王朝の有力な軍事氏族ではないでしょうか」としました。そして、九州王朝の天子の一族と思われる高良大社の祭神、高良玉垂命の子孫も日下部氏(草壁氏)を名乗っていたことを紹介しました。たとえば、平成九年に広川町郷土史研究会より発刊された『稲員家文書』五一通(近世文書)には、佐々木四十臣氏(同会顧問)による「稲員氏の歴史と文書」に次の解説があります。

「稲員氏の出自を同氏系図でみると高良大明神の神裔を称し、延暦二十一年(八〇二)草壁保只が山を降って、三井郡稲数村(現在は北野町)に居住したことにより稲員(稲数)を姓としたという。」

康暦二年(一三八〇年)の奥書を持つ高良大社蔵書『高良玉垂宮大祭祀』にも「三種之神宝者、自草壁党司之事」「草壁者管長先駈諸式令職務也」とあり、稲員家が草壁を名乗っていた当時から三種の神宝を司る高良大社でも中心的な家柄であったことがわかります。
また、『周防国天平十年正税帳』にも筑後国介従六位上の「日下部宿禰古麻呂」の記事が見えます。

「四日、向従大宰府進上御鷹部領使筑後国介従六位上日下部宿禰古麻呂、将従三人、持鷹廿人、(中略)御犬壱拾頭(以下略)」

大宰府からの献上品(持鷹、御犬)とともに御鷹部領使の日下部宿禰古麻呂という人物が記されています。この筑後国の日下部氏は、高良大社官長職の日下部氏(草壁とも記される稲員家の祖先)と同族の可能性が高く、九州王朝王家一族の一人と思われます。
五〇年に一度執り行われる高良大社御神期大祭御神幸では、稲員家を中心に「三種の神器」などとともに、羽の付いた冠を被った「鷹鳶」と呼ばれる一団が行列に加わります。これも、九州王朝の天子、玉垂命らが鷹狩りをしていた名残ではないでしょうか。拙稿「九州王朝の鷹狩り」(注②)に関連史料を紹介しましたので、ご覧ください。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」2949話(2023/02/20)〝甲斐国造の日下部氏と九州王朝〟
②古賀達也「『日出ずる処の天子』の時代 試論・九州王朝史の復原」『新・古代学』第5集、新泉社、2001年。

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