藤原京「長谷田土壇」の理論考古学 (五)
―「長谷田土壇」下層条坊の有無―
藤原宮下層から出土した「先行条坊」に対応する「先行王宮」の有力候補に長谷田土壇がなりうるのか、どのような調査で確認できるでしょうか。それには、「長谷田土壇」下層に先行条坊跡があるのかを発掘調査で確認するという方法があります。この場合、西二坊大路の部分だけの調査でも明らかになりますので、大規模な発掘調査は必ずしも必要ではありません。もしかすると、既に対象地区の発掘がなされているかもしれませんので、引き続き調査報告書を探索したいと思います。
もし、長谷田土壇下に先行条坊がなければ、それは条坊造営時、その地に西二坊大路を跨ぐ大型建築物を創建する計画があったことを意味します。従って、その大型建築物は先行条坊を埋め立てて造営した藤原宮(大宮土壇)に先行するものと判断できます。しかも長谷田土壇からは古瓦が出土しており、近隣には礎石が遺っていることから(注)、瓦葺きで礎石作りの大型建築物が条坊都市造営時に造られた可能性が高くなります。
逆に、長谷田土壇下層からも先行条坊が検出されれば、藤原宮と同様に条坊完成後にその条坊を埋め立てて創建された建物があったことになります。その場合、瓦葺き礎石造りの建物ですから、寺院の可能性が発生します。しかし、条坊を埋め立ててまで寺院を造る必要があるのか疑問は残ります。条坊道路の枠内に造ればよいのですから。(つづく)
(注)古賀達也「洛中洛外日記」546話(2013/03/31)〝藤原宮へドライブ〟で次の情報を紹介した。
「橿原考古学研究所附属博物館に行き、長谷田土壇の発掘調査報告書の有無について問い合わせましたが、あいにく学芸員の方が不在でしたので、後日連絡していただくことになりました。
そのとき、長谷田土壇がある醍醐集落から礎石が発見されていることを教えていただきました。礎石は道路沿いの小川の淵に露出しており、見ることができるとのこと」