第2354話 2021/01/18

古田武彦先生の遺訓(28)

―二倍年暦の「以閏月正四時」―

 『史記』「五帝本紀」で、堯(ぎょう)が定めたとする暦について、司馬遷は次のように記しています。

 「歳三百六十六日、以閏月正四時。」『新釈漢文大系 史記1』39頁、明治書院(注①)。

 この前半部分の「歳三百六十六日」が二倍年暦の影響を受けた表記であることを前話で説明しました。続いて、後半の「以閏月正四時(閏月を以て四時を正す」について考察します。平凡社の『史記』(注②)では、この部分を次の通り現代語訳しています。

 「一年は三百六十六日、三年に一回閏月をおいて四時を正した。」『中国古典文学大系 史記』上巻、10頁。(注②)

太陰太陽暦では、月の満ち欠けによる一箇月と太陽周期による一年を整合させるために、閏月を定期的に設ける必要があります。そのため、原文にはない「三年に一回」という閏月の周期を平凡社版『史記』には書き加えられたものと思われます。その〝出典〟は恐らく明治書院版『史記』の解説に見える次の記事ではないでしょうか(注③)。

 「○以閏月正四時 太陰暦では三年に一度一回閏月をおいて四時の季節の調和を計った。中国の古代天文学では、周天の度は三百六十五度と四分の一。日は一日に一度ずつ進む。一年で一たび天を一周する。月は一日に十三度十九分の七進む。二十九日半強で天を一周する。故に月が日を逐うて日と会すること一年で十二回となるから、これを十二箇月とした。しかし、月の進むことが早いから、この十二月中に十一日弱の差を生ずる。故に三年に満たずして一箇月のあまりが出る。よって三年に一回の閏月を置かないと、だんだん差が大きくなって四時の季節が乱れることになる。」『新釈漢文大系 史記1』41頁。

この閏月について、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)より、二倍年暦の閏月のことと思われる『周易本義』の次の記事が紹介されています。

 「閏とは、月の餘日を積んで月を成す者なり。五歳の間、再び日を積んで再び月を成す。故に五歳の中、凡そ再閏有り、然して後に別に積分を起こす。」朱熹『周易本義』

 同書は南宋の朱熹が『周易』に注を付したもので、この五年経つごとに再び閏月が来るという暦法は、三十日を一月として、その六ヶ月を1年とする二倍年暦にのみ適合することを西村さんは論証されました(注④)。司馬遷が『史記』に記した堯の暦法記事の分析結果とこの西村説を総合すると、古代中国における二倍年暦の暦法が復原できるのではないでしょうか。以上、推論的作業仮説として提起します。(つづく)

(注)
①吉田賢抗・他著『新釈漢文大系 史記』全十五巻。明治書院、1973~2014年。
②野口定男訳『中国古典文学大系 史記』全三巻。平凡社、1968~1971年。
③出版年次は平凡社版が五年ほど先だが、漢文学の泰斗とされる吉田賢抗氏(1900~1995年)の見解を野口定男氏(1917~1979年)が採用したのではあるまいか。
④西村秀己「五歳再閏」『古田史学会報』151号(2019年4月)

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