第1474話 2017/08/08

『塩尻』の中の九州年号(3)

 天野信景(あまの・さだかげ)の随筆『塩尻』には我が国の年号の始まりについて次のように記しています。

 「我國年號大寶を始とす。其前へ年號有といへとも一時の嘉號也。まして佛書にいへる我年號は史にのせさる所也。(後略)」『塩尻』巻十九
 ※句読点は古賀が付した。

 この記述について、天野信景は大寶以前の年号を九州年号と理解しており、これとは別に「佛書にいへる我年號」については九州年号かどうかは直ちには判断できないと、わたしは「洛中洛外日記」1473話で述べました。その後、それは誤読・誤解であることに気づきました。
 「其前へ年號有といへとも一時の嘉號也」とされた年号をわたしは九州年号のことと理解したのですが、よく考えるとそれは『日本書紀』に見える大化・白雉・朱鳥の三年号(九州年号を『日本書紀』編者が転用したもの)のことのようです。ですから、大宝以後のように連続した年号ではなく、「一時の嘉號」とされたのです。
 他方、「佛書にいへる我年號」こそ九州年号の可能性が高いと思います。その根拠は「佛書にいへる」という点です。九州年号には仏教と関係が深い漢字や用語があり、寺院の縁起類に九州年号が使用されている例も少なくありませんから、このような表現になったのではないでしょうか。また、「史にのせさる所也」とありますから、この年号は「史」(『日本書紀』などの正史のことか)に記載されていない九州年号のことと思われます。さらに「我年號」と表現していることから、史書に見えない九州年号も我が国の年号と認識していることがうかがえます。従って、この記事に依れば天野信景は九州年号を偽作とは考えていないこととなります。(つづく)

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