第2206話 2020/08/18

滋賀県湖東の「聖徳太子」伝承(4)

 本シリーズ〝滋賀県湖東の「聖徳太子」伝承〟では近江における九州王朝との関係を示唆する同時代の遺物・遺構を紹介してきました。今回は後代成立史料を根拠とする考察を紹介します。
 滋賀県湖東における九州王朝の影響について、「洛中洛外日記」809話(2014/10/25)〝湖国の『聖徳太子』伝説〟で触れたことがあります。湖東には聖徳太子の創建とするお寺が多いのですが、現在の研究状況、たとえば九州王朝による倭京二年(619)の難波天王寺創建(『二中歴』所収「年代歴」)や前期難波宮九州王朝複都説、白鳳元年(661)の近江遷都説、正木裕さんの九州王朝系近江朝説などの九州王朝史研究の進展により、湖東の「聖徳太子」伝承も九州王朝の天子・多利思北孤による「国分寺」創建という視点から再検討する必要があります。
 中でも注目されるのが、聖徳太子創建伝承を持つ石馬寺(いしばじ、東近江市)です。石馬寺には国指定重要文化財の仏像(平安時代)が何体も並び、山中のお寺にこれほどの仏像があるのは驚きです。同寺のパンフレットには推古二年(594)に聖徳太子が訪れて建立したとあります。この推古二年は九州年号の告貴元年に相当し、九州王朝の多利思北孤が各地に「国分寺」を造営した年です。このことを「洛中洛外日記」718話(2014/05/31)〝「告期の儀」と九州年号「告貴」〟に記しました。
 たとえば、九州年号(金光三年、勝照三年・四年、端政五年)を持つ『聖徳太子伝記』(文保2年〔1318〕頃成立)には、告貴元年甲寅(594)に相当する「聖徳太子23歳条」に「六十六ヶ国建立大伽藍名国府寺」(六十六ヶ国に大伽藍を建立し、国府寺と名付ける)という記事がありますし、『日本書紀』の推古二年条の次の記事も九州王朝による「国分寺(国府寺)」建立詔の反映ではないでしょうか。

 「二年の春二月丙寅の朔に、皇太子及び大臣に詔(みことのり)して、三宝を興して隆(さか)えしむ。この時に、諸臣連等、各君親の恩の為に、競いて佛舎を造る。即ち、是を寺という。」『日本書紀』推古二年(594)条

 この告貴元年(594)の「国分寺」創建の一つの事例が石馬寺ではないかと考えています。本堂には「石馬寺」と書かれた扁額が保存されており、「傳聖徳太子筆」と説明されています。石馬寺には平安時代の仏像が現存していますから、この扁額が六世紀末頃のものである可能性もありそうです。炭素同位体年代測定により科学的に証明できれば、九州王朝の多利思北孤の命により建立された「国分寺」の一つとすることもできます。ただし、近江国府跡(大津市)と離れていることが難題です。

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