甲斐の国府寺(医王山楽音寺)か (1)
本日の「多元の会」リモート古代史研究会で、井上肇さん(古田史学の会・会員、山梨県北都留郡)から興味深いことを教えていただきました。これまでも井上さんからは、九州年号史料として貴重な『勝山記』のコピーを頂くなど、何かと研究を支援していただきました。
今回、教えて頂いたのは、山梨県笛吹市一宮町塩田の醫王山楽音寺の創建が推古二年(594年)とする見解があるということでした。わたしは、推古二年創建寺院が山梨県(甲斐国)にあることに関心を抱きました。というのも、推古二年は九州年号の告貴元年に相当し、その年に九州王朝が各国に「国府寺」建立を命じたことがわかっていたからです(注①)。ですから、推古二年創建伝承を持つ醫王山楽音寺は、九州王朝時代の国府寺だったのではないかと考えたからです。
ちなみに、甲斐国分寺跡は同じ笛吹市一宮町国分にあり、そちらは八世紀の聖武天皇による国分寺と思われます。すなわち、甲斐国には九州王朝と大和朝廷の新旧二つの国分(府)寺があったことになります。管見では摂津国と大和国も新旧二つの国分(府)寺があり、こうした現象は多元史観・九州王朝説でなければ説明がつきません(注②)。(つづく)
(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」718話(2014/05/31)〝「告期の儀」と九州年号「告貴」〟
同「洛中洛外日記」809話(2014/10/25)〝湖国の「聖徳太子」伝説〟
同「洛中洛外日記」1022話(2015/08/13)〝告貴元年の「国分寺」建立詔〟
②古賀達也「洛中洛外日記」1049話(2015/09/09)〝聖武天皇「国分寺建立詔」の多元的考察〟
同「洛中洛外日記」1676~1679話(2018/05/24~26)〝九州王朝の「分国」と「国府寺」建立詔(1)~(4)〟