第2945話 2023/02/15

山梨県の鳳皇山と奈良法皇伝説

山梨県の地誌『甲斐叢記』(注①)に興味深い現地伝承が記されています。同書巻之七に「鳳皇山」の項目があり、次のような説明がなされています。

(1) 鳳皇山 駒岳の東南にて葦倉の北少し西に在り
(2) (その頂に)鳳皇權現の祠あり
(3) 土人云ふ 昔 奈良法皇當國に流され玉ひて此山に登り都を戀ひ玉ひしより法皇が嶽と云となん
(4) 委しくは前編奈良田の條に記せり 併せ見るべし
(5) 峡中紀行に曰く。鳳皇山を問へば、則ち神鳥来り栖し處。字、或は法王に作る。法王大日也。端を山上に現す。
(6) 或いは曰く、法王、東に謫(なが)せらるる時 此山に陟(のぼ)り京師を望む。予、其れを道鏡と爲すを疑う也

この(4)にある同書巻之一「巨摩郡 奈良田」條には次の説明があります。なお、わたしの読み取りや釈文に誤りがあるかもしれませんが、大意に影響はないと思います。

(7) その地山深くして種植熟らざる故 田租徭役を免すは里人相傅へて 昔時某の帝此所に遷幸なり 是を奈良王と称す皇居たる故に十里四方萬世無税の村ふりと云ふ
(8) 村の巽(たつみ)位に二町許りを平なる所 方三十歩なり 是を皇居の址なりと云 小詞一座を置 奈良王を祀る 然れども帝王の本州に遷座なりしこと國史諸記に見る所なし
(9) 或説に奈良法王ハ弓削道鏡なりと称すも続日本紀に道鏡法王と称せしあれど下野州に謫せられ彼所にて死(みまかり)たる事見えられし事

このように、甲斐國巨摩郡に鳳皇山(法皇山)という名前の山があり、その麓の奈良田(山梨県南巨摩郡早川町)には奈良法皇(奈良王)遷幸伝承が伝えられています。奈良法皇を弓削道鏡とする説も記されていますが、現在の早川町ホームページ(注②)などには奈良法皇を孝謙天皇のこととしています(注③)。
九州王朝説の視点から考えると、奈良法皇は上宮法皇(阿毎多利思北孤)と考えたいところですが、奈良田はかなり山深い地であり、多利思北孤が行幸したとは考えにくく、この伝承をどのような史実の反映と理解すべきかよくわかりません。いずれにしても不思議な伝承ですので、紹介することにしました。

(注)
①『甲斐叢記』大森善庵・快庵編、嘉永四年(1851年)~明治二六年(1893年)。
②早川町ホームページには「奈良王」伝承について次の解説が見える。
「奈良王とは第四十六代孝謙天皇で、奈良の都で僧道鏡と恋仲になられ、何時しか婦人病にかかられた。病気平癒を神に祈願されると一夜夢に、甲斐の国湯島の郷に、霊験あらたかな温泉があるので、奈良田の郷へ遷居するがよいとのお告げがあったので、供奉の者七、八人と供に、天平宝字二年五月、奈良田にお着きになり、王平の地に仮の宮殿を造られ、温泉に入浴されると旬日を経ずして、病は快癒されたが、都が穏やかになるまでの間八年を奈良田に過ごされ、天平神護元年還幸になられた。
なお、奈良王様(孝謙天皇)が奈良田に遷居された八年間、様々な伝説がありこれを【奈良田の七不思議】として今でも語り継がれている。」
https://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/tour/spot/legend/king.html
③小西いずみ「『方言の島』山梨県奈良田の言語状況」(『文化交流研究』2021年)によれば、孝謙天皇伝承の出典について次の紹介がある。
「孝謙天皇滞在の伝説は、奈良田にある外良寺略縁記(成立年代未詳)に記載があるもので、明治20年代には外良寺の住職・志村孝学が『更許孝謙天皇御遷居縁起鈔』と題した冊子を編集して観光客に頒布しており、昭和期にもその簡約版現代語訳が作られたという。」
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/2000245/…

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