第1018話 2015/08/09

「武蔵国分寺」の多元論

 「洛中洛外日記」1016話で九州王朝の「国分寺」建立説を紹介したところ、読者の方からメールをいただきました。服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集責任者)からは、『二中歴』に見える経典渡来記事に基づいてのご意見をいただき、メール交信を行いました。その内容については「洛中洛外日記【号外】」で紹介したところです。
所沢市の肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)からは、武蔵国分寺(国分寺市)についての興味深い情報が寄せられました。その概要は、武蔵国分寺の遺構の主軸が近くを通っていた古代官道「東山道武蔵路」の方位(ほぼ南北方向)とずれているが、塔の礎石だけは「東山道武蔵路」とほぼ方位が一致しているというのです。

 肥沼さんの研究によれば「東山道武蔵路」は九州王朝により造営されたものであり、その方位とずれている武蔵国分寺の主要伽藍と、方位が一致している塔は聖武天皇が建立を命じた8世紀の国分寺と、それに先行した九州王朝による国分寺という多元的「国分寺」建立説により説明できるのではないかという仮説を提起されたのです。

 かなり面白い仮説だと思います。わたしは関東の古代寺院などについてはほとんど知識がありませんので、肥沼さんのメールにはとても驚きました。これから勉強したいと思います。会員や読者からの素早い反応や情報提供はインターネット時代ならではですね。肥沼さん、ありがとうございました。

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