大化改新詔「畿内の四至」の諸説(4)
佐々木高弘さんの「『畿内の四至』と各都城ネットワークから見た古代の領域認知 ―点から線(面)への表示―」(注①)には、畿内の四至以外にも重要な指摘がありました。それは大津京が畿内の外にあり、古代の都城ネットワークのなかでも異質の存在であるとの指摘です。近江大津宮が大和朝廷の畿内の外にあることは、今までも指摘されてきたことですが、歴史地理学の佐々木論文でも次のように記されています。
〝大津京を語る場合、当時の政治的問題や時代背景を無視できないのは周知のことであるが、ここでは図化されたものから論ずるにとどめる。
第一に、大津京は畿外にあって王城の地「畿内」という定義をくずしている。(中略)「畿内の四至」の外に都城があるという絶対的な問題は解消できず、この時より従来の畿内制とは大きく変わって来ているという事が指摘できる。〟30~31頁
ここで指摘されているように、大津京は畿内の定義をくずしており、従来の畿内制の概念とは大きく異なります。すなわち大津京は大和朝廷の畿内制から外れた都城ということです。これは近江大津宮を九州王朝の都とする古賀説(注②)や、同じく九州王朝系近江朝とする正木説に有利な指摘ではないでしょうか。
歴史地理学にも多元史観を導入する事により、古代史研究に新たな視点や方法論が得られるように思われます。
(注)
①佐々木高弘「『畿内の四至』と各都城ネットワークから見た古代の領域認知 ―点から線(面)への表示―」『待兼山論叢』日本学篇20、1986年。
②古賀達也「九州王朝の近江遷都」『古田史学会報』61号、2004年4月。
③正木 裕「『近江朝年号』の実在について」『古田史学会報』133号、2016年4月。