2015年07月19日一覧

第1003話 2015/07/19

『二中歴』九州年号の「最勝会」

 最近、「古田史学の会」役員間のメールでのやりとりで、『二中歴』所収「年代歴」に見える九州年号の「白雉」の細注記事の「最勝会」が話題となっています。次の記事です。

  「白雉九年壬子 国〃最勝会始行之」

 大意は、白雉という年号は九年間続き、元年干支は壬子(652年)。国々で最勝会を始めて行う。」ということですが、この「最勝会」とは国家鎮護の経典「金光明最勝王経」を読経する法会です。
 ところが、この記事について服部静尚さん(古田史学の会・全国世話人、『古代に真実を求めて』編集責任者)より、「金光明最勝王経」が日本に渡来するのは早くても8世紀初頭であることから、この白雉年間(652〜660年)に倭国で「最勝会」は行えないとの指摘がありました。従って、この記事は後代になって書き換えられたものではないかとされたのです。
 これに対して、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)より次のような反論がなされました。白雉年間以前に成立している漢訳「金光明経」内には「最勝」という表現があり、この経典による法会が九州王朝において「最勝会」と表現されていた可能性を否定できないという反論です。
 本格的な史料批判に関する論争であり、なかなか興味深いものです。今のところ判断は保留したいと思いますが、ことの当否は「年代歴」全体の史料批判に基づいて考える必要があり、他の細注記事の性格から判断して、西村さんが言われるように、九州王朝内で「最勝会」と呼ばれる法会がなされていたと考えるのがよいように今のところ思います。「年代歴」編者が元史料にあった法会の名称を書き換える必要が感じられないからです。
 いずれにしましても、白雉年間といえば白村江戦の直前ですし、九州王朝下の諸国で国家的危機を前にして国家鎮護の法会が催されたと思われますので、『二中歴』「年代歴」細注記事は九州王朝史を復元する上で貴重な史料であることは間違いないと思います。
 この件、引き続き論争が深化することが期待されます。


第1002話 2015/07/19

愛知サマーセミナーで講義

 「古田史学の会」ではフェースブックを立ち上げることになりました。竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)の提案で、ホームーページだけではなく写真を中心にしたフェースブックで「古田史学の会」を発信することにしたのですが、ITやデジタル化時代ですから様々な成果や効果が期待されます。
 わたしは新しいものも好きで、このところPerfumeのライブビデオにはまっています。    Perfumeは広島県出身の女性三人組テクノポップユニットで、2006年に「ポリリズム」の大ヒットでブレークし、今では世界的な人気グループとなりました。メンバーがわたしの娘と同じくらいの年齢ということもあって、ファンの一人として注目しています。3Dやプロジェクションマッピングなどの最先端技術を駆使したライブパフォーマンスはそのダンスとともに高く評価されています。
 そんなこともあって、わたしも古代史の講演にプロジェクターを使用するようになりました。仕事のプレゼンや学会発表では早くから使用していましたが、遅ればせながら古代史講演でも使い始めました。ちなみに、「古田史学の会」では正木裕さんは一足早く使用されています。
 本日、愛知淑徳中学で開催された「愛知サマーセミナー2015」でもプロジェクターを使用しました。高校生をターゲットとした内容を話しましたが、思っていたよりも高校生は熱心に聴講されていました。質問も「卑弥呼と多利思北孤は同じ王朝ですか」という本質的なものもあり、とても感心しました。受講アンケートもまじめなもので、こうした高校生がこれからの日本を支えていくのではないでしょうか。
 講義の締めくくりとして、次の文を映し、わたしたちの志を高校生に訴えましたので、ご紹介します。

【最後のメッセージ】
わたしたちの考えと志(こころざし)

 歴史学は未来のための学問です。
 子供たちや子孫にどのような日本を残すのかを正しく考えるための学問です。
 その考える力と知識を歴史から学ぶための学問です。
 子供たちの未来よりも、子孫の幸福よりも、「お金」や「利権」の方が大切な「大人」と戦うために、真実を隠し、ウソをつく「大人」と戦うために、わたしたちは20年前に「古田史学の会」を創立しました。
 今日の「講義」もそのためのものです。