「鬼滅の刃」と『竈門山舊記』
昨今、超人気の「鬼滅の刃(きめつのやいば)」(注①)の作者、吾峠呼世晴さん(ごとうげ こよはる、1989年5月5日~)が福岡県出身と知り、主人公の名前が竈門炭治郎(かまど たんじろう)であることから、太宰府の竈門山(宝満山、御笠山ともいう)に鎮座する竈門神社と何か関係があるのではないかと感じました。というのも、「洛中洛外日記」409話(2012/05/06)〝「竈門山旧記」の太宰府〟で紹介したように、「竈門神社」という名前や、同神社が太宰府の「鬼門」にあたることなどがその理由です。同神社の由来や歴史を記した『竈門山舊記』に次の記事が見えます。
「天智天皇ノ御宇、都ヲ太宰府ニ建玉ウ時、鬼門ニ當リ、竈門山ノ頂ニ八百萬神之神祭リ玉ヒ」
「太宰ノ府ト申ハ水城ヲ以テ惣門トシ片野ヲ以テ後トス。今ノ太宰府ハ往昔ノ百分一ト可心得、内裏ノ四礎今ニ明ケシ。」
『竈門山舊記』(五来重編『修験道史料集』Ⅱ)
天智天皇の時代に太宰府に都が造られ、水城が惣門にあたり、当時は今の百倍の規模という伝承が記された貴重な記録です。この『竈門山舊記』の成立年代は不明ですが、延寶八年(1680)までの記事が記されており、成立はこれ以後となります。ここで「天智天皇」とされているのは九州王朝の最後の天子、筑紫君薩野馬のことと思われますが、その陵墓についても次のように記されています。
「天皇御廟嘉麻郡千種寺ニ有ト云。又ハ内智(うち)山トモ云。異説甚(はなはだ)多シ。」同前
廟嘉麻郡千種寺とは嘉穂市にあった千手村(せんずむら)の千手寺のことで、旧嘉麻郡に属していました。千手寺は〝天智天皇に付き従って九州に下った千手氏の菩提寺〟であり、九州征伐まで代々千手氏が当地を治めていたとされています(注②)。この伝承が正しければ、九州王朝の薩野馬に仕えた家臣「千手氏」の存在が明らかになったわけで、九州王朝史研究の手がかりとなりそうです。
話を「鬼滅の刃」に戻しますと、「竈門」の候補地として、他にも筑後市の溝口竈門神社と大分県別府市の八幡竈門神社があるそうで、現在は「聖地巡り」として、「鬼滅の刃」ファンの人気観光スポットになっているそうです。web上でも多くのサイトで紹介されており、最有力候補は溝口竈門神社のようです。確かに状況証拠(下記参照)を見ると、わたしもそのように思います。
いずれにしても、九州王朝に関係する神社に関心が高まることはよいことです。わたしは九州王朝の家臣「千手氏」について、更に調査したいと思います。
□宝満宮竈門神社(福岡県太宰府市)
○大宰府の鬼門封じとして建立された。
○上宮の宝満山で修行する修験者の着ている市松模様の装束が炭治郎の羽織の柄と合致する。
○同神社の石段の途中に金剛兵衛という刀鍛冶の墓がある。
○同神社の主祭神が、作中の医者「珠世(たまよ)」と同じ読みの玉依姫命(たまよりひめのみこと)。
○同市内の太宰府天満宮で、火で鬼をあぶり出す「鬼すべ」神事がある。
○作者が福岡県出身。
□溝口竈門神社(福岡県筑後市)
○単行本7巻で煉獄杏寿郎が竈門炭治郎を「溝口少年」と呼び間違えるシーンがある。
○同神社の主祭神が、作中の医者「珠世」と同じ読みの玉依姫命。
○同神社での神事は、同市内の恋木神社の神官が兼ねて行っており、これが恋柱の甘露寺蜜璃と関連付けられる。
○同神社の拝殿の欄間の模様が、炭治郎が使う剣術の型「水の呼吸」の描写と似ている。
○同神社の神事「きせる祭り」では、炭治郎を鍛えた鱗滝左近次の天狗の面に似たお面が用いられている。きせるに青竹が使われており、竈門禰豆子がくわえている青竹を連想させる。
○溝口地区で生産されている瓢箪、多く生息している彼岸花が作中に画かれている。
○筑後市には鬼にまつわる伝承や行事がある。子供たちが体中を黒く塗る奇祭「久富盆綱引」などは著名(注③)。
○作者が福岡県出身。
(注)
①ウィキペディアによれば、『鬼滅の刃』は吾峠呼世晴による日本の漫画。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて2016年11号から2020年24号まで連載され、シリーズ累計発行部数は単行本第23巻の発売をもって1億2000万部を突破している。2019年にテレビアニメ化され、2020年に映画化され大ヒットし、社会現象となった。
物語の主人公、竈門炭治郎は亡き父親の跡を継ぎ、炭焼きをして家族の暮らしを支えていた。炭治郎が家を空けたある日、家族は鬼に惨殺され、唯一生き残った妹の竈門禰豆子も鬼と化してしまう。妹を人間に戻す方法を探すために戦う姿を描く剣戟奇譚。時は大正時代の設定。
②ウィキペディア「千手村(福岡県)」による。
③「洛中洛外日記」1324話(2017/01/20)〝筑後市の奇祭「久富盆綱引」とこうやの宮の御祭神〟で紹介しているので参照されたい。