『史記』天官書、「中宮」か「中官」か(2)
『史記』天官書の記述が「中宮」か「中官」かという不思議な史料状況を調査するために、京都府立図書館に行きました。顔なじみになったご年配の図書館員の方に訪問目的を告げると、蔵書やweb掲載書籍調査をしていただきました。その結果、今回の蔵書調査を含めて次のことを確認できました。
○『国譯漢文太成 経子史部 第十四巻』(國民文庫刊行會、1923年)
「中宮」「東宮」「西宮」「南宮」「北宮」/「五官」
○野口定男訳『中国古典文学大系 史記 上』(平凡社、1968年)
「中官」「東官」「西官」「南官」「北官」「五官」 ※全て「官」とする。
(注)
官 天官書では以下、天を中官・東官・西官・南官・北官の五官に分けて星座、また恒星について記す。中官は晋書以後は紫宮、紫微垣と称する部分で、現在では大熊・小熊・竜・ケフェウス・カシオペア・きりんなどのある処である。(同書、263頁)
五官 紫宮=中官。房・心=東官。権・衡=南官。咸池=西官。虚危=北官官。(同書、266頁)
○吉田賢抗著『新釈漢文大系 史記 四』(明治書院、1995年)
「中宮」「東宮」「西宮」「南宮」「北宮」/「五官」 ※「五官」は「五宮」の誤りとする注がある。
(注)
五官 「五宮」の誤りか(考証)。張宇節は「列宿部内之是也」(正義)という。列宿部内とは、二十八宿の部内の星。(同書、216頁)
以上のように、わたしが確認できた国内の書籍では、平凡社版は全て「官」が使われており、明治書院版は中と東西南北は「宮」としながら、その総称は「五官」としたため、注で「五官」は「五宮」の誤りとしたものと考えられます。大正十二年に刊行された『国譯漢文太成 経子史部 第十四巻』も明治書院版と同様でした。
この現象はいったい何故なのだろうと考えていると、冒頭紹介したご年配の図書館員の方が、「わたしは読めないのですが、関係ないでしょうか」と国外の本を書庫から見つけていただきました。(つづく)