「井真成」の村、熊本県産山村
2005年から始めた「洛中洛外日記」第1回のテーマは「井真成(いのまなり)異見」でした。当時、中国で発見された「井真成墓誌」が注目され、井真成の出身地について諸説が出ました。古田先生は、「井(wi)」は上古音の「倭(wi)」に由来するのではないかとされました。すなわち、倭国(九州王朝)の王族か関係者の末裔の可能性を示唆され、その傍証として、現代の苗字の「井」さんの分布が熊本県阿蘇郡の産山村・南小国村・一ノ宮町に濃密であることに着目されました。
同研究は大きな進展を見せることもなく今日に至っていますが、昨年末に物理学者の上村正康先生から次のメールが届きました。要約して紹介します。
古賀達也様
本日(12/26)の朝日新聞夕刊(福岡地区)社会面の大きな記事(「全国の井さん集まれ 産山村村おこし」)を見て、古賀さんにお知らせ致したくメールいたしました。この記事は、九州地区だけではないでしょうか。
記事を見てすぐ思い出したのは、2004年に中国で発見された在唐の日本留学生「井真成」墓誌の発見報道です。この墓誌の重要性から、大きな話題になりました。古賀さんも「洛中洛外日記」の第1話(2005/06/11)で「井真成(いのまなり)異見」を発表されています。
というわけで、古賀さんからこの産山村の「全国いーさん祭り準備委員会」実行委員長(村商工会 会長)井博明さんに連絡を取られて解説・宣伝されたら如何でしょうか。
厳寒に向かいます。ご自愛ください。良い年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。
12月26日 上村正康
上村先生は九州大学教授時代の頃から古田先生の支持者です。1991年に福岡市で開催された物理学の国際学会のバンケットスピーチでは、邪馬壹国説・九州王朝説を紹介され(注①)、参加各国の物理学者の関心を集めました。上村先生とは「市民の古代研究会」時代からのお付き合いで、近年では2019年7月に博多駅でお会いし、旧交を温めました(注②)。
このメールをいただいたことがきっかけとなり、「井(いい)(い)」姓について改めて考えてみました。以前から気になっていたのですが、江戸幕府大老の井伊直弼で有名な彦根藩の井伊家も本来は「井(いい)」だったのではないでしょうか。同家系図(注③)によれば始祖を「大織冠鎌足」としており、そこからは九州王朝との関係はうかがえません。しかし、鎌足を始祖とする北部九州の氏族(注④)が散見されますので、系図の信頼性も含めて検討が必要と思われます。なお、「井伊」さんの最濃密分布地は愛媛県であり、その由来も知りたいところです。
もう一つ気になっていることがあります。現代の「井」さんの最濃密分布地は阿蘇郡産山村とその近隣ですが、小分布が長崎県対馬市にあります。壱岐・対馬は天孫族の故地ですから、この分布にも歴史的背景があるように思います。こうしたことも九州王朝説に基づく研究と解明が必要です。
(注)
①1991年11月に福岡市で開催された物理学国際学会の晩餐会で、古田説を英語で紹介(GOLD SEAL AND KYUSHU DYNASTY:金印と九州王朝)した。
②古賀達也「洛中洛外日記」第1938話(2019/07/13)〝物理学者との邂逅、博多駅にて〟
③「井伊系図」『群書類従系図部集 第五』1985年。
④菊池氏、星野氏、他。