古田史学の会一覧

第3583話 2026/01/19

二つの万葉歌の新史料批判、

   池上説と正木説

 昨日、「古田史学の会」関西例会が大阪産業創造館(大阪市中央区本町)で開催されました。宇治市から中村さん(非会員)が初参加されました。リモート参加(無料)は先月より倍増し、10名でした。リモート参加希望の会員はメールアドレスを本会事務局(上田)までお知らせ下さい。

 関西在住の方は、なるべく「会場参加」していただければ有り難いです。交通の便(駅の近く)が良く、ネット配信環境が良い会場は使用料が高く、例会参加費(500円)収入が少ないとが赤字になりますので、ご協力のほどお願い申し上げます。2月例会〔2/21(土)〕の会場は大阪駅前第2ビル(大阪市立総合生涯学習センター)です。

 今回の関西例会では池上洋史さんが例会発表デビューされました。万葉歌の柿本人麿の「近江荒都歌」に見える枕詞「ささなみの」を意味別に7分類して史料批判を行い、同歌の解釈における古田説の当否を論じたものです。その結論として、古田先生の〝「ささなみ」という地名には、無残に殺された忍熊王たちを連想させる〟と解釈できる可能姓は低いとしました。池上さんの見解の当否はおくとしても、万葉歌中の「ささなみ」全用例調査という学問の方法による、多元史観での興味深いアプローチと思いました。

 正木裕さんの発表は瀬戸内海の潮流に基づいた仮説で、従来にない視点であり、説得力を感じました。それは万葉8番歌の〝ニキタ津で月が昇るのを待って船出する〟という歌の通りであれば、そのとき瀬戸内海は満潮となり、海流により船は西(筑紫)ではなく東(難波)に向かうという自然現象を根拠として、斉明紀に見える「西への航海記事」を、九州王朝の天子による「東への航海記事」からの盗用とする新説です。

 1月例会では下記の発表がありました。発表希望者は上田さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。なお、古田史学の会・会員は関西例会にリモート参加(無料)ができますので、参加希望される会員はメールアドレスを本会事務局(上田)までお知らせ下さい。

〔1月度関西例会の内容〕
①古田武彦氏論文「近江のまぼろし」の検証 ―万葉集の「ささなみ」全調査を基に― (京都市・池上 洋史)
②倭国の滅亡 (姫路市・野田利郎)
③欽明紀の日影皇女分注に関する考察 (茨木市・満田正賢)
④「斉明」の航海は九州王朝の天子の航海 (川西市・正木 裕)
⑤縄文語で解く記紀の神々 安閑・宣化帝・欽明帝 (大阪市・西井健一郞)
⑥本歌取りならぬ本句取り (八尾市・服部静尚)
⑦藤原二題 (八尾市・服部静尚)
⑧冬芽と葉痕で土偶を読む & 逃げる穀霊の捕縛と稲束の関係 (大山崎町・大原重雄)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
2/21(土) 10:00~17:00 会場:大阪市立総合生涯学習センター(大阪駅前第2ビル)


第3575話 2026/01/08

1月18日(日)新春講演会の

    講師、荊木美行さんのこと

 「古田史学の会」では恒例の新春講演会を茨木市で1月18日(日)に開催します(注①)。会外からの講師として、皇學館大学教授で文献史学の研究者、荊木美行(いばらき・よしゆき)先生を招聘しました。

 氏の著書『東アジア金石文と日本古代史』(2018年)を読んで以来(注②)、是非とも本会で講演していただきたいと願っていたところ、同じく講師として講演していただく谷本茂さん(『古代に真実を求めて』編集部)と正木裕さん(本会事務局長)のご紹介により、来ていただけることになりました。

 岡崎公園内の京都府立図書館で『東アジア金石文と日本古代史』を始め、氏の著書を数冊拝読し、荊木さんは「邪馬台国」北部九州説(筑後地方)で、「ほぼ短里」説(一里:九十m)であることを知りました。古田武彦先生の邪馬壹国説にも触れておられ、氏は後代史料を根拠に「邪馬台(臺)国」を是とする説ですが、古田説を無視することもなく、良心的な学者だと思いました。

 『東アジア金石文と日本古代史』はさすがに文献史学の専門家らしく、その博識が随所にうかがわれました。特に『風土記』に関わる論考はとても勉強になりました。新春講演会ではそうしたお話しをお聞かせいただけることと楽しみにしています。

 講演会後には、講師を囲んでの懇親会も予定しています(当日、会場で受け付けます。別途、懇親会参加費が必要)。講演会・懇親会は会員以外の方も参加できます。皆さんのご参加をお待ちしています。

(注)
①『列島の古代と風土記』出版記念 新春講演会「風土記が秘した歴史」
〖日時〗2026年1月18日(日) 午後1時20分~5時
〖講師・演題〗
荊木美行氏(皇學館大學教授) 風土記は史実を語るのか ―天皇の巡幸伝説をめぐって―
谷本茂氏(『古代に真実を求めて』編集部)  「多元史観」から見た風土記研究 ―「縣型(乙類)風土記」の成立時期―
正木裕氏(元大阪府立大学理事・講師) 『風土記』が拓く大和朝廷以前の歴史
〖会場〗茨木市文化・子育て複合施設「おにクル」7階 茨木市駅前三丁目9-45(JR茨木駅・阪急茨木市駅から歩約10分)
〖参加費(資料代)〗1000円 高校生以下無料 大学生500円
〖定員〗150名 〖主催〗古田史学の会
②古賀達也「【書評】荊木美行『東アジア金石文と日本古代史』斜め読み」『古田史学会報』167号、2021年。

②古賀達也「【書評】荊木美行『東アジア金石文と日本古代史』斜め読み」『古田史学会報』167号、2021年。


第3574話 2026/01/07

『古代に真実を求めて』30集の

   特集テーマ「古代の女人伝承」

『古代に真実を求めて』30集の特集テーマは「古代の女人伝承」です。高市早苗さんがわが国初の女性総理大臣に選ばれたこともあり、多元的古代の真実を「女人」を視点として捉え直す機会にしたいと、このテーマを決めました。

日本古代史には、卑弥呼・壹与・倭姫・薩末比売や神話の女神たち、近畿天皇家にも神功皇后をはじめ推古・皇極(斉明)・持統・元明・元正などそうそうたる女性たちが登場します。あるいは歴史の流れの中で忘れられた女性も少なくないでしょう。もちろん、女神(イザナミなど)の伝承も当テーマの対象になるでしょう。女神のアマテラスを最高神とする日本列島の伝統研究なども文化論や思想史・精神史として面白いと思います。あるいは極めて少数例ではありますが、律令制時代の女性戸主の存在なども興味深い現象として論じられるのではないでしょうか。

このように、必ずしも伝承を論じたものに限定はしません。古田史学・多元史観の立場から、古代の女人をテーマとした論稿を期待しています。投稿締切は二〇二六年九月末日です。古田史学・多元史観の継承と発展に寄与する論稿をご投稿ください。


第3573話 2026/01/06

『藤原京 王朝交代の舞台』のゲラ校正

  『古代に真実を求めて』30集

     投稿募集要項

「古田史学の会」の会誌『古代に真実を求めて』29集となる『藤原京 王朝交代の舞台』(明石書店)の初校ゲラの校正作業を編集部員の担当者3名(谷本茂さん・西村秀己さん・古賀)で進めています。当号の採用稿はいずれも誤字脱字などは少なく、校正作業は順調に進んでいますが、内容がハイレベルであり、校正担当者の知識や理解力が要請されています。
同誌末尾には、次号(『古代に真実を求めて』30集)への投稿募集要項(投稿規定)や編集後記などがありますので、以下転載します。

《原稿募集(投稿規定)》
❶三十集の特集テーマは「古代の女人伝承」です。古田史学・多元史観の継承発展に寄与できる論文をご投稿ください。
❷特集論文・一般論文(一万五千字以内)、フォーラム(随筆・紀行文など。五千字以内)、コラム(解説小文。二千字程度)を募集します。投稿は一人四編までとします〔編集部からの依頼原稿を除く〕。
論文は新規の研究であること。他誌掲載論文、二重投稿、これに類するものは採用しません。それとは別に、編集部の判断に基づき、他誌掲載稿を転載することがあります。
❸採用稿を本会ホームページに掲載することがありますので、ご承諾の上、投稿してください。
❹投稿締め切り 令和八年(二〇二六)九月末。原稿は最終稿を投稿して下さい。投稿締切後の修正には原則として応じません。編集部から、採用予定稿の修正を求める場合があります。
❺原稿はワード、またはテキストファイル形式で提出して下さい。ワードの特殊機能(ルビ、段落自動設定など)は使用しないで下さい。ルビは()内に赤字で付記してください〔例 古田史学(ふるたしがく)〕。原稿は縦書仕様とし、アラビア数字を漢数字にするなど、適切に対応してください。
❻掲載する写真や表は、文書ファイルとは別に写真ファイル・エクセルファイルとして提出して下さい(ワード掲載写真は画像が不鮮明になるため)。その際、写真・表の掲載位置を原稿中に赤字で指示してください。
写真や図表などの転載・転用は、他者の著作権や版権に留意し、必要であれば転載許可申請などに対応できるよう、事前に準備して下さい。
❼英文目次に掲載しますので、原稿タイトルの英訳を冒頭に記入して下さい。英訳に不慣れな方は編集部にて対応しますので、お任せ下さい。
❽投稿先 古賀達也まで。

《編集後記より抜粋》
次号、三十集の特集テーマは「古代の女人伝承」。高市早苗さんがわが国初の女性総理大臣に選ばれたこともあり、多元的古代の真実を「女人」を視点として捉え直す機会にしたいと、このテーマを決めました。日本古代史には、卑弥呼・壹与・倭姫・薩末比売や神話の女神たち、近畿天皇家にも神功皇后をはじめ推古・皇極(斉明)・持統・元明・元正などそうそうたる女性達が登場します。あるいは歴史の流れの中で忘れられた女性も少なくないでしょう。必ずしも伝承を論じたものに限定はしませんが、古田史学・多元史観の立場から、古代の女性をテーマとした論稿を期待します。
投稿される方は投稿募集要項の規定❶~❾を遵守してください。投稿締切は二〇二六年九月末日。古田史学・多元史観の継承と発展に寄与する論稿をお待ちしています。(古賀達也)


第3568話 2025/12/31

AI編集(インタビュー形式)

 「戦後型皇国史観に抗する学問」

 令和七年の大晦日、お願いしていた原稿が竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)から届きました。それは拙論「『戦後型皇国史観』に抗する学問 ―古田学派の運命と使命―」(『季報 唯物論研究』138号、2017年)をAI(ChatGPT)により、短文のインタビュー形式に編集したものです。

 同稿は「古田史学の会」創立に至る経緯と、古田学派の運命と使命について論じたものです。執筆にあたっては、「古田史学の会」役員会にはかり、事前にチェックを受けた、言わば「古田史学の会」の綱領的性格を有する一文です。

 令和七年「洛中洛外日記」の最後に、初心を忘れず、決意を新たにすべく、一部修正して転載します。

 《以下、転載》
「邪馬台国」畿内説は学説に非ず ―戦後型皇国史観に抗する学問―
語り:古賀達也(古田史学の会 代表)

◇日本古代史に横たわる「宿痾」とは何か
――まず、日本古代史学が抱えてきた根本的な問題についてお聞かせください。
古賀:日本古代史には、学問以前の「通念」が不動の前提として存在しています。それが、神代の昔から日本列島の中心権力は一貫して近畿天皇家であった、という考え方です。古田武彦先生はこれを「近畿天皇家一元史観」と名づけました。この通念は、『日本書紀』成立以来、ほとんど疑われることなく受け継がれ、戦前だけでなく、戦後の民主教育においても当然視されてきました。しかし、これは学問的な論証を経た結論ではありません。

――その通念が、具体的にどのような問題を生んだのでしょうか。
古賀:最大の問題は、通念に合わない史料事実が無視され、あるいは改変されてきたことです。最も象徴的なのが、『三国志』倭人伝に記された倭国の中心国名「邪馬壹国」を、「邪馬臺(台)国」と書き換えた原文改訂です。

◇「邪馬壹国」から「邪馬台国」へ ――原文改訂の罪
――なぜ、そのような改訂が行われたのですか。
古賀:江戸時代の学者・松下見林が行ったものですが、その理由は実に単純です。「日本の中心はヤマトでなければならない。だからヤマトと読めない『邪馬壹国』はおかしい。ならば『邪馬臺国』に直してしまえばよい」という発想です。これは学問ではなく、イデオロギーです。しかし、この方法がその後の日本古代史学に受け継がれ、宿痾となってしまった。

――それは国名だけの問題ではなかった、と。
古賀:ええ。行程記事にある「南に至る邪馬壹国」の「南」まで、「東」に書き換えられました。南では奈良県に到達しないから、東の誤りだとされたのです。基本史料を自説に合わせて自由に改訂する。これは研究不正以外の何ものでもありません。

◇「邪馬台国」ブームという悲劇
――その結果、「邪馬台国」論争が大衆化したわけですね。
古賀:そうです。学者自身が原文改訂という非学問的方法を採用してしまったため、アマチュア研究者も同じことをやり始めた。「南を東にしていいなら、西でも北でもいい」。結果、全国に邪馬台国候補地が乱立しました。出版ブームも相まって、思いつきを「学説」と称する書籍が溢れ、学問的な負の連鎖が生まれたのです。

――学界はそれを止められなかった。
古賀:止められなかったのではなく、止める資格を失っていたのです。自らが同じ手法を使っていた以上、アマチュアの俗説を真正面から批判できなかった。これが戦後「邪馬台国」ブーム最大の悲劇です。

◇1969年、「邪馬壹国」論文の衝撃
――そこに登場したのが、古田武彦先生の論文ですね。
古賀:1969年、古田先生は「邪馬壹国」という論文を発表しました。倭人伝の原文は「邪馬壹国」であり、「邪馬臺(台)国」は後世の改訂だ、と真正面から論証されたのです。特に重要なのは、『三国志』全体における「壹」と「臺」の使用例をすべて調査した点です。両者は明確に使い分けられており、誤用はない。これは誰もやってこなかった方法でした。

――「臺」という字の意味も重要だったと。
古賀:ええ。『三国志』の時代には「臺」は魏の天子やその宮殿をも指す、いわば神聖至高の文字でした。それを当時の史官が夷蛮の国名に使うなど、あり得ない。この論文は、それまでの恣意的な原文改訂を根底から否定し、日本古代史研究を異次元の高みに引き上げました。

◇九州王朝説と「多元史観」
――続いて提示されたのが、九州王朝説ですね。
古賀:『失われた九州王朝』で、古田先生は邪馬壹国の後継として北部九州に存在した「九州王朝」を明らかにしました。『旧唐書』には「倭国」と「日本国」が別国として記されています。倭国(九州王朝)は邪馬壹国の後継であり、日本国(大和朝廷)は後にそれを併合した小国だった、と。

――この理解が「多元史観」につながる。
古賀:そうです。日本列島には複数の王朝が並立・興亡していた。これが多元史観です。これは近畿天皇家一元史観と、地動説と天動説ほどに相容れません。

◇市民運動としての古田史学
――古田史学は、市民運動としても広がりました。
古賀:はい。通説に疑問を持つ多くの人々が支持し、「市民の古代研究会」などが生まれました。私もその一人で、1986年に参加しました。一時は会員が千名近くに達しましたが、その影響力に危機感を抱いた学界から、露骨な「古田外し」が始まりました。

◇学界からの排除と「古田史学の会」の誕生
――某新聞社主催シンポジウムからの排除などもあったそうですね。
古賀:古田先生の参加が決まると、他の全パネラーが出ないと言いだす。そのことを古田先生には知らせないまま、先生抜きでシンポジウムが開催されました。その後、東日流外三郡誌をめぐる偽作キャンペーンが起こり、事態は決定的になります。

――そこから「古田史学の会」が生まれた。
古賀:1994年、迫害に屈しない研究者が集まり、「古田史学の会」を創立しました。以来、会誌や論文集を刊行し、九州年号や邪馬壹国研究を発展させてきました。

◇古田学派の運命と使命
――最後に、古田学派の使命をどう考えていますか。
古賀:古田史学の会は、学術研究団体であると同時に社会運動団体でもあります。この二重性を背負うという、複雑で過酷な運命にあります。しかし私は、古田史学が将来この国で必ず受け入れられると信じています。古田史学を継承し、発展させる。それが私たち古田学派に課された歴史的使命だと考えています。
《転載おわり》

 それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。


第3563話 2025/12/22

朝日新聞に広告 「1月18日新春講演会」

 古田史学の会では、来年1月18日(日)に新春講演会「風土記が秘した歴史」を開催します。今回、初めての試みとして朝日新聞に広告を出しました。会場のある茨木市を含む北摂版の他、京都版・滋賀版に掲載されました。北摂版の購読世帯は九万軒とのことで、既に本会事務局に15名ほど問い合わせがあり、広告の効果が現れています。広告を出すにあたり、事務局やご協力いただいた関係者のご尽力に感謝いたします。

 同講演会の内容は下記の通りです。皆様のご参加をお待ちしています。

【『列島の古代と風土記』出版記念新春講演会】
風土記が秘した歴史

日時 2026年1月18日(日) 午後1時20分~5時

講師・演題
荊木美行氏(皇學館大學教授) 風土記は史実を語るのか ―天皇の巡幸伝説をめぐって―
谷本茂氏(『古代に真実を求めて』編集部)  「多元史観」から見た風土記研究 ―「縣型(乙類)風土記」の成立時期―
正木裕氏(元大阪府立大学理事・講師) 『風土記』が拓く大和朝廷以前の歴史

会場 茨木市文化・子育て複合施設「おにクル」7階
茨木市駅前三丁目9-45 (JR茨木駅・阪急茨木市駅から歩約10分)
参加費(資料代) 1000円 高校生以下無料 大学生500円
定員 150名
主催 古田史学の会
協力 市民古代史の会京都・古代大和史研究会・和泉史談会ほか


第3562話 2025/12/21

邪馬壹国説は古田史学の脊柱

 昨日、「古田史学の会」関西例会が大阪駅前第2ビル(大阪市立総合生涯学習センター)で開催されました。とても懐かしい会場です。リモート配信のワイファイ環境も良く、使用料はちょっと高いのですが、全国の希望会員への配信事業を円滑に進めるためにも皆さんのご理解と現地参加にご協力をお願いいたします。今回のリモート参加は5名でした。リモート参加希望の会員はメールアドレスを本会までお知らせ下さい。

 来年1月例会〔1/17(土)〕の会場は大阪産業創造館(大阪市中央区本町)です。その翌日〔1/18(日)〕は茨木市で新春講演会です。こちらにもご参加下さい。

 今回の関西例会では大原さんより、『古田史学会報』191号に掲載されたわたしの論稿「荻上命題と古田論証 ―邪馬壹国の証明―」への批判がなされました。わたしは、『多元』188号(2025年7月)に掲載された荻上紘一氏による命題「女王卑弥呼の国の名前が邪馬臺国であったことを疑うことは出来ない」に対して、古田先生の邪馬壹国説が最も論理的であり、最有力説としました。そして、古田先生の著書(主に『邪馬壹国の証明』)に記された論証を転載・引用し、邪馬壹国説に至った論証などを説明したものです。その拙論を批判された大原さんの発表に対して、参加者からは賛否両論が出され、激しい論争が続きました。

 邪馬壹国説は古田史学の脊柱であり、その学問の方法も従来の邪馬台国論争とは異次元のレベルのものです。すなわち邪馬壹国説は数ある古田説の中の、単なる一つの説ではありません。今回出された賛否両論を踏まえて、邪馬壹国説成立に至る古田先生の論証群を改めて紹介し、その画期性を論じる必要を感じています。そのため、40年前に読んだ古田先生の初期著作群を読み直すことにしました。

 12月例会では下記の発表がありました。発表希望者は上田さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。
なお、古田史学の会・会員は関西例会にリモート参加(聴講)ができますので、参加希望される会員はメールアドレスを本会までお知らせ下さい。

〔12月度関西例会の内容〕
①三韓(新羅、任那、百済)と倭国との関わりの推移 (高槻市・池上正道)
②二四代継体帝と四つの崩御日 (大阪市・西井健一郞)
③森博達氏の『日本書紀』中国人述作説の再検討 (八尾市・服部静尚)
④消えた大陸からやってきた縄文人 (大山崎町・大原重雄)
⑤『古田史学会報』№191 邪馬壹国の証明は的外れ (大山崎町・大原重雄)
⑥倭王のミヤコ「倭京」 (東大阪市・萩野秀公)
⑦「真の継体陵」とは? [再論] ―今城塚古墳をめぐる論理的諸問題― (神戸市・谷本 茂)
⑧701年の王朝交代と朝鮮半島方式から中国方式への転換 (茨木市・満田正賢)
⑨蘇我氏の年号と大化の改新 (姫路市・野田利郎)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
1/17(土) 10:00~17:00 会場:大阪産業創造館 (大阪市中央区本町1-4-5)地下鉄中央線堺筋本町駅から東へ徒歩5分


第3556話 2025/12/10

『古田史学会報』191号の紹介

 『古田史学会報』191号を紹介します。同号には拙稿〝荻上命題と古田論証 ―邪馬壹国の証明―〟と〝蝦夷国の「山神社」考〟を掲載して頂きました。前者では古田史学・古田説の根幹である「邪馬壹国」説に至った古田先生の学問の方法について詳述しました。後者はわたしが進めている蝦夷国研究の一環として、東北地方に濃密分布する山神社について論じたもので、「山神」信仰の淵源が古代蝦夷国に遡る、いわば倭国の「天神」信仰に比肩する蝦夷国の信仰とする仮説を提起しました。

 本号には、拙論や谷本稿のように、文献史学の方法について論究した論稿が並び、古田学派にふさわしいものとなりました。正木稿の、不改常典を天孫降臨以来の九州王朝の統治の根拠である「天壌無窮の神勅」とする新説は注目されます。諸説ある不改常典研究での論争・検証が待たれます。

 拙著『東日流外三郡誌の逆襲』(八幡書店)の書評が池上洋史さんから寄せられ、同書続編の執筆にあたり参考となりました。
191号に掲載された論稿は次の通りです。

【『古田史学会報』191号の内容】
○荻上命題と古田論証 ―邪馬壹国の証明― 京都市 古賀達也
○『新唐書』日本伝のより深い理解に向けて ―國枝浩氏の批評に答える― 神戸市 谷本 茂
○生島神社と『祝詞』(二) 上田市 吉村八洲男
○古田武彦記念古代史セミナー2025(八王子セミナー)参加の記 千葉市 倉沢良典
○推古紀の裴世清は隋の使者ではありえない! ―野田利郎氏の史料解釈方法への諸疑問― 神戸市 谷本 茂
○蝦夷国の「山神社」考 京都市 古賀達也
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○王朝交代と『不改の常典』 川西市 正木 裕
○『東日流外三郡誌の逆襲』の感想 宇治市 池上洋史
○古田史学の会・関西例会のご案内
○新春古代史講演会のご案内(2026年1月18日、茨木市「おにクル」)
○編集後記 高松市 西村秀己

『古田史学会報』への投稿は、
❶字数制限(400字詰め原稿用紙15枚)に配慮し、
❷テーマを絞り込み簡潔に。
❸論文冒頭に何を論じるのかを記し、
❹史料根拠の明示、
❺古田説や有力先行説と自説との比較、
❻論証においては論理に飛躍がないようご留意下さい。
❼歴史情報紹介や話題提供、書評なども歓迎します。
読んで面白く、読者が勉強になるわかりやすい紙面作りにご協力下さい。

 また、「古田史学の会」会則に銘記されている〝会の目的〟に相応しい内容であることも必須条件です。「会員相互の親睦をはかる」ことも目的の一つですので、これに反するような投稿は採用できませんのでご留意下さい。なお、これは会員間や古田説への学問的で真摯な批判・論争を否定するものでは全くありません。

《古田史学の会・会則》から抜粋
第二条 目的
本会は、旧来の一元通念を否定した古田武彦氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする。
第四条 会員
会員は本会の目的に賛同し、会費を納入する。(後略)


第3552話 2025/11/19

正木裕さんが京都府木津川市で講演

 古田史学の会・事務局長の正木裕さんが京都府木津川市で、「聖徳太子の謎」というテーマで講演されました。

 奈良新聞(11月15日)によれば、10月25日に京都府木津川市のイオンモール高の原で開催された「けいはんな市民雑学大学」主催第182回講座で、正木裕氏(古田史学の会全国世話人・事務局長、大阪公立大学非常勤講師)による「また聞きたい…聖徳太子の謎 続編」と題する講演がなされました。開講のあいさつで、主催者から「もう一度聞きたい講座のアンケートでトップ(の人気を集めたの)が正木さんでした」と紹介されています。

 今回の講演では、隋書に出てくる倭国王・阿毎多利思北孤の皇子、利歌彌多弗利について詳しく紹介し、父の多利思北孤・上宮法皇の後を継ぎ、戒を授かり仏門に入り、法号・聖徳を得て聖徳法皇を名乗ったとする正木説を解説されました。

けいはんな雑学市民大学@URL
正木裕①聖徳太子の謎~利歌彌多弗利@イオンモール高の原@20251025@24:32@DSCN9331
正木裕②聖徳太子の謎~利歌彌多弗利@イオンモール高の原@20251025@29:01@DSCN9333
正木裕③聖徳太子の謎~利歌彌多弗利@イオンモール高の原@20251025@29:01@DSCN9391
正木裕④聖徳太子の謎~利歌彌多弗利@イオンモール高の原@20251025@18:51@DSCN9392

 10年以上にわたり関西各地で続けられた正木さんの講演活動が古田史学の普及に結びつき、古代史ファンの支持を確かなものにしています。なお正木さんの講演は、2026年1月18日(日)の新春講演会「風土記が秘した歴史」(注)でも行われます。皆さんのご参加をお待ちしています。

(注)
『列島の古代と風土記』出版記念新春講演会 風土記が秘した歴史
日時 2026年1月18日(日) 午後1時20分~5時

講師 演題
荊木美行氏(皇學館大學教授) 風土記は史実を語るのか ―天皇の巡幸伝説をめぐって―
谷本茂氏(『古代に真実を求めて』編集部)  「多元史観」から見た風土記研究 ―「縣型(乙類)風土記」の成立時期―
正木裕氏(元大阪府立大学理事・講師) 『風土記』が拓く大和朝廷以前の歴史

会場 茨木市文化・子育て複合施設「おにクル」7階
茨木市駅前三丁目9-45 (JR茨木駅・阪急茨木市駅から歩約10分)
参加費(資料代) 1000円 高校生以下無料 大学生500円
定員 150名
主催 古田史学の会
協力 市民古代史の会京都・古代大和史研究会・和泉史談会ほか


第3551話 2025/11/17

『古代に真実を求めて』29集

     の目次(和文・英文)

 来春、明石書店より発行予定の『古代に真実を求めて』29集の採用論文を決定し、現在、同社でゲラ作成段階に入っています。本書のタイトルは「藤原京 王朝交代の舞台」です。今回より採用論文などの題名を英訳し、英文目次も掲載することにしました(注)。これは、古田史学の最新研究を世界に発信するための初歩的な試みです。英文目次は古田史学の会HPにも掲載します。

 英訳に当たり、竹村順弘事務局次長や編集委員の谷本茂さん、元・東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣さんのご協力をいただきました。近年の英訳ソフトはかなり進化しているものの、一元史観を前提に単語を選択するためか、多元史観ではニュアンスが異なるケースもあり、四苦八苦しながら英訳しました。現役時代は、化学界で世界的に統一された用語を用いることができましたが、日本古代史論文では勝手が違い、良い勉強になりました。これを機会に多元史観特有の英単語や構文を提案できればと思います。

 『古代に真実を求めて』29集「藤原京 王朝交代の舞台」の目次は次の通りです。目次の英文頁は横組みを採用します。

(注)英文目次の作成は、倉沢良典氏(千葉市・古田史学の会々員)の提案による。

◎『古代に真実を求めて』29集 「藤原京 王朝交代の舞台」目次
巻頭言 王朝交代とその舞台 古賀達也
目次
英文目次(横組)

《特集論文》
古賀達也 王朝交代の宮殿 ―藤原宮木簡による九州王朝研究―
谷本 茂 「藤原京」先行条坊遺構の解釈に関する新視点 ―現存橿原市四条町の区域を起点として
コラム 谷本 茂 「藤原京」の用語に関する謎
谷本 茂 那須国造碑文から垣間見える七世紀末の列島の統治状況
日野智貴 大和朝廷の成立とその前史 第二次大津宮から藤原宮へ
古賀達也 九州王朝(倭国)の両京制を論ず ―難波京と筑紫なる倭京「遠の朝廷」―
正木 裕 「日出る処の天子」の太宰府
正木 裕 「筑紫君」と「筑紫都督府」
古賀達也 九州王朝の西都「太宰府」の成立 ―太宰府条坊と政庁の造営年代―

《一般論文》
都司嘉宣 七世紀末の王朝交代説を災害記録から検証する
正木 裕 小野妹子の「遣隋使」はなかった
正木 裕 もう一人の聖徳太子「利歌彌多弗利」
茂山憲史 極秘だった!天王寺を移築して法隆寺にしたこと
日野智貴 柿本人麻呂「近江荒都歌」の真実 大和朝廷の成立とその前史・大津宮編
都司嘉宣 『三国史記』新羅本紀の信頼性を日食記事から判定する
都司嘉宣 新羅第四代王の出生地は長門市正明市であった
古賀達也 『三国志』短里説が切り拓く新時代 ―「陳寿を信じとおす」とは何か―

《付録》
会則
古田史学の会 全国世話人名簿 友好団体名簿
古賀達也 編集後記
古賀達也 30集投稿募集要 古田史学の会・会員募集

 

◎『古代に真実を求めて』29集 英文目次
Seeking the truth in ancient times Volume 29 2026
Fujiwara-kyō: The Stage of Dynastic change

CONTENTS

KOGA Tatsuya;
Prefatory Introduction The Stage of Dynastic change

Feature Article

KOGA Tatsuya;
The Palace of Dynastic change: A Study of the Kyushu Dynasty through Wooden Tablets from Fujiwara Palace

TANIMOTO Shigeru;
A New Perspective on the Pre-existing Jōbō Grid of Fujiwara-kyō: Evidence from the Shijō-chō Area of Kashihara city

TANIMOTO Shigeru;
[Column Commentary]The Mystery of the Term ‘Fujiwara-kyō’

TANIMOTO Shigeru;
Regional Rule in Late 7th-Century Japan: Insights from the Nasu Kokuzō Inscription

HINO Tomoki;
The Establishment of the Yamato Court and Its Predecessors: From the secondary Ōtsu Palace to the Fujiwara Palace

KOGA Tatsuya;
The Two-Capital System of the Kyushu Dynasty(Wakoku): A Discussion of Naniwa-kyō and the ‘Distant Capital’ in Chikushi

MASAKI Hiroshi;
Dazaifu of the “Emperor of the Land of the Rising Sun”

MASAKI Hiroshi;
The Ruler of Chikushi, and the Chikushi Totokufu, the capital office of the governor general

KOGA Tatsuya;
The Foundation of Dazaifu as the Western Capital of the Kyushu Dynasty: The Construction Dates of the City Grid and Government Office

General Article

TSUJI Yoshinobu;
Examining the theory of the dynasty change of Japan at the end of the 7th century from disaster records

MASAKI Hiroshi;
Is it true that the Asuka court sent Ono-no Imoko as the envoy to the Sui dynasty, China?

MASAKI Hiroshi;
Another Prince Shōtoku, ‘Rikamitafuri’

SHIGEYAMA Kenji;
It was the top secret plan! The relocation of Tennō-ji to create Hōryū-ji

HINO Tomoki;
The Truth of Kakimoto no Hitomaro’s “Lament for the Ruined Capital in Ōmi”: From the Second Ōtsu Palace to the Fujiwara Palace

TSUJI Yoshinobu;
Judging the reliability of the ”Chronicle of the Dynasty of Silla” in “the Samguk Sagi, the Authentic history of three countries in ancient Korea” from the articles of solar eclipse

TSUJI Yoshinobu;
The birthplace of the fourth king of the Silla Dynasty, ancient Korea, was Shoumyouichi in Nagato city, Yamaguchi Prefecture

KOGA Tatsuya;
The Dawn of a New Era: A Reevaluation of Sanguozhi through the “Short Li” Theory—On “Trusting Chen Shou ”

KOGA Tatsuya;
Editor’s Note

Furuta-Shigaku-no-kai
(Furuta’s Historical Science Association)


第3545話 2025/10/21

火山への畏怖と祭祀

―金井遺跡と『隋書』俀国伝―

 10月18日、「古田史学の会」関西例会が豊中倶楽部自治会館で開催されました。リモート参加は5名でした。11月例会の会場は大阪産業創造館(大阪市中央区本町)です。関西例会としては初めて使用する会場ですので、ご注意下さい(本稿末の案内参照)。

 今回の例会で最も刺激を受けたのが、二宮さんの発表「金井遺跡群と俀国」でした。群馬県渋川市の金井遺跡は、6世紀末から7世紀初頭にかけての榛名山噴火により厚い火山灰に覆われ、当時の社会の姿を伝える遺跡です。そこから出土した甲冑を着た武人(成人男子の人骨)のお辞儀しているような姿勢が注目され、「火山の怒りを鎮めるため、神意への畏怖・祈祷として武人が鎧を着て地面に伏して祈った」とする説も出されています。

 こうした遺物や見解を根拠として、多元史観・九州王朝説による新解釈、「金井遺跡群の居館は、統治拠点であると同時に、墳墓と結びつく権威の場であった。その主が甲冑武人であるならば、舟形石棺系前方後円墳の首長層の後継者として俀国の東国支配を担ったと考えられる」を二宮さんが発表しました。そこで指摘されたのが、『隋書』俀国伝に見える阿蘇山の噴火記事と「禱祭」でした。

 「有阿蘇山其石無故火起接天。者俗以爲異因行禱祭。」(『隋書』俀国伝)

 阿蘇山の噴火に畏怖したであろう九州王朝(主に肥後国)の人々による「禱祭」が、関東の榛名山噴火時でも行われたとする二宮さんの洞察に驚きました。統治の有力者が「俀国の東国支配を担った」と言い切るにはもっと傍証や出土物などの関係性を論じる必要はありますが、検証すべき仮説としてわたしは注目しています。

 もう一つ二宮さんの研究で驚いたのが、AIを駆使して多くの報告書や論文を要約されていたことです。AIの進歩は凄まじいもので、これだけの日本語論文・報告書を瞬時にこのレベルで要約できるようになったことを知りました。これからは歴史研究ツールとして誰もが普通にAIを使用し、そうして書かれた論稿が『古田史学会報』や『古代に真実を求めて』に投稿されてくるのかと思うと、ぞっとします。投稿論文を査読し、採否決定する編集部にもAIの処理能力やアルゴリズムについての基本的な理解が必要となるからです。今回の二宮さんの研究に接し、「古田史学の会」もいよいよAI時代に入ったことを実感しました。

 10月例会では下記の発表がありました。発表希望者は上田さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。
なお、古田史学の会・会員は関西例会にリモート参加(聴講)ができますので、参加希望される会員はメールアドレスを本会までお知らせ下さい。

〔10月度関西例会の内容〕
①鎌足=豊璋同一人物説 阿武山古墳の被葬者は鎌足との説明は不十分 (大山崎町・大原重雄)
②蘇我馬子と聖徳太子 ―その2― (姫路市・野田利郎)
③阿毎多利思北孤が蘇我馬子であることの検証 (茨木市・満田正賢)
④金井遺跡群と俀国 (京都市・二宮廣志)
⑤「倭京」・「古京」・「新城」について (東大阪市・萩野秀公)
⑥「履中・反正・允恭」の三兄弟と雄略帝 (大阪市・西井健一郞)
⑦{飛鳥浄御原宮は藤原の地にあった}という説の検討 (神戸市・谷本 茂)
⑧不改常典についての新解釈 (八尾市・服部静尚)
⑨長屋王が天皇になれなかった理由 (八尾市・服部静尚)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
11/15(土) 10:00~17:00 会場:大阪産業創造館 (大阪市中央区本町1-4-5)地下鉄中央線堺筋本町駅から東へ徒歩5分
12/20(土) 10:00~17:00 会場:大阪市立総合生涯学習センター  (大阪駅前第2ビル5階)

《写真解説》金井遺跡出土の甲冑を着た武人。噴火する阿蘇山。


第3543話 2025/10/14

『古田史学会報』190号の紹介

 『古田史学会報』190号を紹介します。同号には拙稿〝温泉大国の九州王朝と蝦夷国 ―すいたの湯の入浴序列―〟を掲載して頂きました。同稿は、国内県別の温泉湧出量が蝦夷国(東北・北海道)と九州王朝(別府温泉・指宿温泉・他)に多いことに注目し、7~8世紀の都の中で太宰府(倭京)だけに温泉(二日市温泉=すいたの湯)が隣接していることから、九州王朝は意図的に温泉の側に遷都したとする仮説を提起しました。

 さらに、すいたの湯(川湯)には入浴序列が決められており、最初は大宰府官僚。その次に入浴できるのが、身分的には高くない「丁(よぼろ)」と呼ばれる労役に就いた人々であることを紹介しました。この序列が九州王朝時代にまで遡るのかは未詳ですが、当時の人々の思想性を考える上で興味深い風習であるとしました。

 本号で最も注目したのが谷本稿でした。昨今の「邪馬台国」説、なかでも畿内説の学問レベルが50年前(古田武彦の邪馬壹国説以前)にまで逆行していることを指摘したものです。近年、古田説支持者・古田ファンの中でさえも、ややもすれば古田説(邪馬壹国説・短里説など)への理解が曖昧になっていたり、誤解されていることをわたしも懸念していましたので、谷本さんの指摘には深く同意できました。古田史学の原点に戻って、多元史観やフィロロギーをわたし自身も学び直すきっかけにしたいと思えた、谷本さんの鋭い好論でした。

 萩野稿は編集部の手違いもあり、掲載が大きく遅れてしまいました。お詫びいたします。白石稿は、この度刊行された御著書『非時香菓(ときじくのかくのこのみ) ―斉明天皇・天智天皇伝説―』(郁朋社)の執筆動機から発行後の評判までを綴ったエッセイ。こうした投稿も大歓迎です。
190号に掲載された論稿は次の通りです。

【『古田史学会報』190号の内容】
○繰り下げられた利歌彌多弗利の事績 川西市 正木 裕
○考古学から論じる「邪馬台国」説の最近の傾向 神戸市 谷本 茂
○消された「詔」と移された事績 東大阪市 萩野秀公
○生島神社と『祝詞』(一) 上田市 吉村八洲男
○温泉大国の九州王朝と蝦夷国 ―すいたの湯の入浴序列― 京都市 古賀達也
○伊予朝倉の斉明天皇伝承を定説にするために 今治市 白石恭子
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古代に真実を求めて』28集出版記念 新春古代史講演会のご案内
○編集後記 高松市 西村秀己

『古田史学会報』への投稿は、
❶字数制限(400字詰め原稿用紙15枚)に配慮し、
❷テーマを絞り込み簡潔に。
❸論文冒頭に何を論じるのかを記し、
❹史料根拠の明示、
❺古田説や有力先行説と自説との比較、
❻論証においては論理に飛躍がないようご留意下さい。
❼歴史情報紹介や話題提供、書評なども歓迎します。
読んで面白く、読者が勉強になる紙面作りにご協力下さい。

 また、「古田史学の会」会則に銘記されている〝会の目的〟に相応しい内容であることも必須条件です。「会員相互の親睦をはかる」ことも目的の一つですので、これに反するような投稿は採用できませんのでご留意下さい。なお、これは会員間や古田説への学問的で真摯な批判・論争を否定するものでは全くありません。

《古田史学の会・会則》から抜粋
第二条 目的
本会は、旧来の一元通念を否定した古田武彦氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする。
第四条 会員
会員は本会の目的に賛同し、会費を納入する。(後略)