関西例会一覧

第1151話 2016/03/19

律令時代の中央職員数は九千人強

 本日の「古田史学の会」関西例会では、冒頭に服部静尚さん(古田史学の会・全国世話人、『古代に真実を求めて』編集責任者)よりミネルヴァ書房から出版された『邪馬壹国の歴史学 「邪馬台国」論争を超えて』の説明があり、会場で特価販売を行いました。『古田武彦は死なず』(『古代に真実を求めて』19集)も刊行され、2015年度賛助会員へは明石書店から順次発送されるとの報告がなされました。
 その服部さんから、古代律令時代の中央職員数に基づく考察が発表されました。養老律令によれば総勢九千人以上の職員が宮殿や官衙(平城宮)で勤務していたとのこと。従って、7世紀中頃に九州王朝が評制による全国支配をしていた宮殿として、九千人が勤務したり、家族と共に生活できる都は前期難波宮か太宰府しかないとされました。一元史観の通説では孝徳天皇没後に前期難波宮から飛鳥宮へ遷都したとされていますが、九千人もの職員やその家族を収容できるような宮殿も官衙も飛鳥宮にはありません。この矛盾を一元史観では全く説明できないのです。
 こうしたことから、前期難波宮が造営された難波には、職員やその家族が生活する「宅地分譲」のために条坊が同時に造営されたとする高橋工さん(大阪文化財研究所)の説を紹介されました。わたしもこの7世紀中頃の前期難波宮と条坊造営説に賛成ですので、服部さんの数字を示しての発表には説得力を感じました。
 3月例会の発表は次の通りでした。高知市から別役(べっちゃく)さん(古田史学の会・会員)が夜行バスで初参加されました。

〔3月度関西例会の内容〕
①「宮城と官僚」-難波宮・飛鳥宮・太宰府政庁・藤原宮・平城京(八尾市・服部静尚)
②推古紀は隋との国交を記録していた(姫路市・野田利郎)
③中国風一字名称について -『二中歴』年代歴の「武烈」の理解-(高松市・西村秀己)
④定策禁中(京都市・岡下英男)
⑤弥生の硯が証明する古田論証(川西市・正木裕)
⑥ニギハヤヒを考える(東大阪市・萩野秀公)
⑦『日本書紀』の盗用手法について -大和中心にベクトルを転換-(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田光河氏より来信・史跡巡りハイキング(大東市立歴史民俗資料館)・ミネルヴァ日本評伝選『三好長慶』を読む・東大寺二月堂「お水取り」に関する水野説(長屋親王への慰霊)・TV視聴・その他


第1141話 2016/02/20

「是川」は「うじ川」か「この川」か

 本日の「古田史学の会」関西例会は久しぶりに谷本茂さんや大下さんの発表があったり、横浜市の長谷さんが例会デビューをされました。
 谷本さんからは古事記に基づいて、神武東征や天孫降臨の時代を推定するという「未証説話」の考察が報告されました。学問の方法を意識されたもので、仮説や論理の組立方のよい訓練となりました。
 正木さんからは九州年号史料に散見される「中元」「果安」を天智と大友の「近江朝年号」とする大胆な仮説を発表されました。「果安(はたやす)」は人名に使用されており、年号とすることに否定的な意見も出されましたが、今後の検証が期待さります。
 今回の例会で印象に残ったのが岡下さんからの発表でした。『万葉集』の柿本人麻呂の歌にある「是川」を「うじ川」と訓まれていることに疑問を呈し、「この川」と訓むべきとされました。
 滋賀や京都のこの付近が古代において「この国」と呼ばれていたとする説が西井健一郎さん(古田史学の会・全国世話人)からかなり以前に発表されていますが、人麻呂の歌の「是川」を「この川」とすることで、「この国」との関連もうかがわせます。近年、古田先生は関西の銅鐸圏の国こそ倭人伝にある狗奴国のことであるとされていましたから、「この国」「この川」の淵源は狗奴国(こうの国)にあったとする理解も有力ではないでしょうか。
 2月例会の発表は次の通りでした。発表希望者が多く、時間配分が大変でしたが、いずれも勉強になる発表でした。

〔2月度関西例会の内容〕
①出雲神統譜(高松市・西村秀己)
②恩智縁起と玉祖(たまおや)縁起より見えるもの(八尾市・服部静尚)
③河内における倭国大乱とは何か(八尾市・服部静尚)
④「是川」は「許の川」(京都市・岡下英男)
⑤仮説「国伝」のご意見への回答2(姫路市・野田利郎)
⑥「天孫降臨」の時期を推定する-古事記・未証説話の内在的史料批判-(神戸市・谷本茂)
⑦郭務そうの二千人(横浜市・長谷信之)
⑧『魏志』倭人伝「郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国を歴へ、乍は南し乍は東し、其の北岸狗邪韓国に到る七千餘里」の「北岸」について(奈良市・出野正)
⑨「近江朝年号」の実在について(川西市・正木裕)
⑩ロシア調査団がエクアドル・バルディビア遺跡を発掘中(豊中市・大下隆司)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 追悼会での古田光河氏との会話(古田先生の好物。濃い日本茶、いかなごの釘煮。他)・森嶋通夫氏のこと。ノーベル経済学賞候補、文化勲章1976年・追悼会の懇親会挨拶、献杯・新井宏氏著書を読む・「楽浪土城」(平壌市内。日本人が発見)・オリーブに思う・TV視聴、ヒストリーチャネル開局15周年記念「日本発見」・その他


第1123話 2016/01/16

倭人伝「その北岸、狗邪韓国」大激論

 新年最初の関西例会が本日開催されました。関西例会らしく、新年早々から大激論となりました。冒頭、正木事務局長から明日に迫った古田先生追悼講演会の入念な打ち合わせがあり、例会参加者の協力を要請しました。
 出野さんから『三国志』倭人伝の「その北岸、狗邪韓国に到る、七千余里」の理解として、韓国の外側を水行した船から見て北側にある「北岸」とされ、古田説の韓国内陸行に反対する説が示されました。それに対して多くの批判が参加者から出され、厳しい論争が続きました。「学問は批判を歓迎する」とわたしは考えていますから、実に関西例会らしい素晴らしい論争でした。
 わたしは出野さんの読解のうち、「郡から倭に到る」とある倭人伝の「倭」が、「倭国の都」ではなく朝鮮半島内の「倭」である狗邪韓国までとする理解に、有力な見解であると賛意を表明しました。出野さんは狗邪韓国を日本列島内の倭国とは別国の朝鮮半島内の「倭」とされているのですが、わたしは倭国は対馬海峡にまたがる海峡国家とする古田説が妥当であり、狗邪韓国がその倭国の「北岸」と考えています。しかし、その「郡から倭に到る」の「倭」とは、倭国との国境(狗邪韓国)までと理解する点については出野さんの読解も成立すると思いました。ちなみに、古田先生は『「邪馬台国」はなかった』では「郡から倭に到る」の「倭」を「倭国の都」(倭国の中心領域)とされています。
 今回の出野さんの発表により気がついたのですが、郡から倭の都まで至ることを示す記事は、行程記事の終わりの方に「郡より女王国に至る、万二千余里」とあります。ここでは倭国の都がある「女王国」に至るという表記となっており、狗邪韓国までの行程を示す「郡より倭に至る」とは目的地表記(「倭」と「女王国」)が異なっているのです。すなわち、到着点(通過点)が倭との国境(狗邪韓国、七千余里)と倭の都(女王国、万二千余里)と書き分けられているのです。この点、古田先生も後の著作で触れておられたように記憶しています。
 韓国内を陸行とするのか水行とするのか、狗邪韓国を倭国の北岸とするのか、朝鮮半島内の別国の「倭」とするのかで、出野さんとは意見が異なりますが、論争により倭人伝行程記事に対する認識が深まりました。まさに「学問は批判を歓迎する」を実感できた論争でした。
 1月例会の発表は次の通りでした。

〔1月度関西例会の内容〕
○明日の「古田先生追悼講演会」の打ち合わせ(正木事務局長)

①狗邪韓国についての再考察(奈良市・出野正)
②代始改元と九州年号(八尾市・服部静尚)
③「名太子為利」の訓みの疑問(高松市・西村秀己)
④『日本書紀』宣化紀に盗用された磐井と「磐井の乱」記事の実際(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生追悼文(森嶋瑤子様)・堂門冬二著『楠木正成』を読む・寄手塚味方塚訪問の想い出・室伏志畔著『薬師寺の向こう側』贈呈受・その他


第1107話 2015/12/19

『日本書紀』安閑紀に

 「九州年号建元」記事発見!

 先月公開されたテキサス医科大学の研究者による下記論文は、損傷筋細胞からいわゆる「STAP現象」による幹細胞の発現を確認したというものらしいのですが、ネイチャーの電子版に掲載されています。残念ながらわたしの英語力では全く理解できませんでした。もちろん、門外漢のわたしには当否も判断できません。

 『Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells』
 損傷誘導性による筋肉由来の幹細胞様細胞(iMuSCs)
  http://www.nature.com/articles/srep17355

 願わくは、小保方さんや笹井さんの時のような集団バッシング(マスコミなどによる日本型リンチ)にあうことなく、発表者たちが落ち着いた環境で研究を進められますように。仮に間違っていたり不正確な仮説であっても、自由に発表しあえる学問的寛容性もまた科学を発展させてきたのですから。
 本日の「古田史学の会」関西例会では正木裕さん(古田史学の会・事務局長)から、『日本書紀』安閑紀に「九州年号建元」記事発見を報告されました。従来から『日本書紀』編纂にあたり漢籍(「芸文類聚」等)からの転用があることは知られていましたが、その漢籍転用は九州王朝が先行して行っており、その転用した九州王朝史書を『日本書紀』編纂にあたりそのまま引用した可能性があることを指摘されました。
 そうした研究過程で安閑紀に「九州年号建元」記事なるものを発見されました。さらに、この方法論による『日本書紀』史料批判の結果、九州王朝の漢籍受容の検証が進み、九州王朝思想史の研究にも道を拓くことが予想されます。とても興味深く重要な発表でした。今後の展開が楽しみです。
 12月例会の発表は次の通りでした。

〔12月度関西例会の内容〕
①「九州年号」と「評」から見た九州王朝の風景(八尾市・服部静尚)
②多利思北孤の都は伊勢(三重県)にあった(姫路市・野田利郎)
③仮説「国伝」のご意見への回答(姫路市・野田利郎)
④狗邪韓国の一考察(奈良市・出野正)
⑤『三角縁神獣鏡研究の最前線』〜精密計測から浮かび上がる製作地〜(京都市・岡下英男)
⑥『日本書紀』における「神武紀」の役割及びニギハヤヒの位置付け 後編2(東大阪市・萩野秀公)
⑧『大唐青龍寺三朝供奉大徳行状』の空海(高松市・西村秀己)
⑦『日本書紀』の「原典」と九州王朝(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生追悼会の準備・宮本美代志氏(米子市)から質問fax・史跡巡りハイキング(JR四条畷駅付近・市立歴史民俗資料館〔開館30周年特別展「継躰天皇と河内の馬飼い」〕・楠正行墓)・TV視聴(奈良大学文学講座)・別府史談会30周年記念投稿募集案内・蛭田喬樹『周髀算経』と「短里」、『歴史研究』No.636、2015/11・その他


第1095話 2015/11/21

関西例会で赤淵神社文書調査報告

 今日の関西例会は冒頭に西村さんから、那須与一が扇の的を射たのは現地伝承の高松市牟礼町側(東側)ではなく、西の屋島側からとする考察が発表されました。西側からでないと逆光(夕日)となり、眩しくて的を射ることは困難とのことです。また、その日の戦闘で那須与一は屋島の「内裏」焼き討ちに参戦しており、屋島側にいたことは明らかです。従って、現在の「現地伝承」は信用できないとされました。
 正木裕さんからは、北海道のアイヌの聖地(沙流川水系額平川・沙流郡平取町)から産出される「アオトラ石(縄文時代の石斧の材料・緑色片岩の一種)」を紹介され、古田先生が『真実の東北王朝』で記されたとおり、アイヌ神話(アイヌの「天孫降臨神話」)が縄文時代にまで遡ることを報告されました。
 11月18日に実施した朝来市の赤淵神社文書現地調査報告として、茂山憲史さんが撮影された文書の写真をプロジェクターで映写し、正木さんから説明されました。
 わたしからも、赤淵神社縁起が2種類あり、どちらがより原型を保っているのか史料批判上判断しがたいことを説明しました。いずれにしても平安時代成立(天長5年、828年)の史料に九州年号の「常色」や「朱雀」が記されていることには違いなく、九州年号を鎌倉時代に僧侶が偽作したとする「通説」を否定する直接史料であることを強調しました。引き続き、同史料の調査分析を進めたいと思います。
 11月例会の発表は次の通りでした。

〔11月度関西例会の内容〕
①那須与一「扇の的」の現場検証(高松市・西村秀己)
②「最勝会」について(八尾市・服部静尚)
国伝の「東西五月行南北三月行」(姫路市・野田利郎)
④『園部垣内古墳』を読んで(京都市・岡下英男)
⑤『真実の東北王朝』は「真実」だった(川西市・正木裕)
⑥赤淵神社文書映写(茂山憲史氏撮影。解説:正木裕さん)
⑦赤淵神社文書現地調査報告(京都市・古賀達也)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生追悼会の準備・森嶋瑤子さん(森嶋通夫夫人)へメッセージ要請・KBS京都「本日、米團治日和」テープ起しの校正・史跡巡りハイキング(阪神香櫨園駅周辺、辰馬考古資料館)・TV視聴(奈良大学文学講座)・光石真由美『旅を書く』・大橋乙羽『千山萬水』・その他


第1077話 2015/10/17

悲しみと励ましの関西例会

本日の関西例会はいつもとは少し異なり、重苦しい雰囲気が感じられました。というよりも落ち込んでいるわたしを皆さんにおもんばかっていただいたためでした。
 お昼休みに開催した「古田史学の会」役員会では古田先生のご逝去により、「偲ぶ会」の検討や『古代に真実を求めて』追悼特集について打ち合わせを行いました。午後の部の冒頭では参加者全員で黙祷しました。
 例会後の懇親会には桂米團治さんが駆けつけていただきました。米團治さんはは住吉での落語会を終えた後、懇親会に参加していただいたものです。 有り難いことです。今日は姫路市で落語会とのことでした。これからの米朝一門を立派に牽引されていかれることでしょう。皆さんに励まされた一日でした。
 10月例会の発表は次の通りでした。

〔10月度関西例会の内容〕
①本朝皇胤紹運録の中の九州年号(八尾市・服部静尚)
②新唐書日本伝の史料批判(八尾市・服部静尚)
③「副葬」は「廃棄」である(京都市・岡下英男)
④仮説、「国伝」(姫路市・野田利郎)
⑤盗まれた九州王朝の「難波宮」と「吉野宮」の歌(川西市・正木裕)
⑥「ニギハヤヒの位置付け」及び「神武の東征はなかった」の補足(東大阪市・萩野秀公)
⑦六国史の「皇祖母」(高松市・西村秀己)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(10月14日22時13分、西京区の桂病院にてご逝去)・史跡ハイキング(関大博物館・他)・「最勝会」の研究・高橋崇『藤原氏物語 栄華の謎を解く』・水野孝夫「泰澄と法蓮」会報74号・その他


第1063話 2015/09/26

「鬼前太后」「干食王后」の出典

 「古田史学の会」9月の関西例会では、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)からも貴重な報告がありました。法隆寺釈迦三尊像光背銘に記された上宮法皇(阿毎多利思北孤)の母親と奥さんの名称「鬼前太后」と「干食王后」の出典は仏典であったとする仮説です。
 正木さんの調査によると、「小地獄(無限地獄)」に落ちて受ける罰の一つに「鉄、野干、食処(てつやかんじきしょ)」というものがあり、これは仏像・僧侶などを焼いたり毀損した罪で、「身体から火が吹き出し、鉄の瓦が降り罪人を打ち、炎の牙の野干(ジャッカルとも。日本では狐に似た動物とされる)に食われる」という地獄。つまり「干食」は仏教上ではこうした罪を受ける意味を持っているとのこと。
 「鬼前」は前世で仏教を信じず侮った罪とされ、北魏の延興2年(472)に訳された『付法蔵因縁伝』に見える「斯鬼前世一是吾息一是兄婦(以下略)」を出典とされました。その意味は「鬼の前世は息子夫婦で、仏教を侮った罪で鬼に生まれ罪の報いを受けた」とのことで、ここに「鬼前」が見えます。
 結局、これらの語はいずれも仏教に背き罪を受け、無限地獄に落ち苦しむ様を示しています。多利思北孤の母、妻は、地獄の苦しみか(天然痘による病没か)らの釈迦の救済を求め、そこからの救済を行うために、「戒名」として授けられたと正木さんは考えられました。
 例会参加者からはそのような悪い戒名を天子の母や妻に付けるものだろうかという疑問も出されましたが、従来典拠不明とされていた「鬼前」「干食」の語を仏典から見いだされたことから、一つの仮説として研究に値するものと思います。「法興」「聖徳」に続いて「鬼前」「干食」も仏教に関わる語とされる正木さんの一連の研究は、九州王朝仏教史研究において貴重な成果ではないでしょうか。
 なお、この正木さんの研究は『古田史学会報』130号に掲載予定です。


第1062話 2015/09/25

加賀の「天皇」と「臣」

 「古田史学の会」9月の関西例会では重要なテーマの研究発表がいくつもありましたが、中でも今後の展開が期待される研究が冨川ケイ子さん(会員、相模原市)から報告されました(加賀と肥後の道君 越前の「天皇」と対高句麗外交)。それは6世紀(欽明期)の加賀に「天皇」と「臣」を称した有力者がいたというものです。
 『日本書紀』欽明31年(570年、九州年号の金光元年)3〜5月条に見える、高麗の使者が加賀に漂流し、当地の豪族である道君を天皇と思い、貢ぎ物を献上したという記事です。そのことをこれも当地の豪族の江淳臣裙代が京に行って訴え、其の結果、道君が天皇ではないことを高麗の使者は知り、貢ぎ物は取り返されたと記されています。
 冨川さんは、道君は高麗の使者が天皇と間違えるほどの有力者であることに着目され、当時の加賀(越の国)では道君が「天皇」を自称したのではないかとされました。また8世紀初頭において、道君首名(みちのきみ・おびとな)が筑後と肥後の国司を兼任していることから、筑紫舞の翁(三人立)の登場人物が都の翁と肥後の翁、加賀の翁であることと、何らかの関係があるのではないかとされました。
 肥後が鉄の産地で、加賀がグリーンタフ(緑色凝灰岩)の産地であることから、九州王朝の天子を中心としながらも、加賀にナンバーツーの「天皇」を名乗れるほどの有力者がいたかもしれないという仮説は大変興味深いものです。
 高麗(高句麗)の使者が倭国(九州王朝)の代表者が九州にいたのか、加賀にいたのかを知らなかったとは考えられません。もしかすると、九州ではなく最初から加賀の「天皇」に会うために高麗の使者は加賀に向かったのかもしれません。まだ当否の判断はできない新仮説ですが、これからどのような展開を見せるのかが楽しみな研究発表でした。


第1056話 2015/09/19

銅鐸と三角縁神獣鏡の銅の原産地

 本日の関西例会では服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)から、銅鐸や三角縁神獣鏡の銅の成分分析(鉛同位体比)により含まれている鉛の産地に関する新井宏さんの研究を紹介されました。
 新井さんによる膨大な分析データを整理し、銅鐸の銅と三角縁神獣鏡等の銅の成分が異なっていることが示されました。したがって銅矛圏の倭国勢力は銅鐸を壊しても、それを鏡の原料として再利用しなかったこととなります。なぜ再利用しなかったのか、その理由が今後の研究テーマとなりそうです。とても興味深い分析データでした。なお、来年正月の「古田史学の会」賀詞交換会の講演に新井さんを招聘することが、本日の役員会で決定されました。
 この他にも面白い発表が続きましたが、別途紹介したいと思います。9月例会の発表は次の通りでした。
 ※本日の例会発表の様子は竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)により、早くも「古田史学の会facebook」に掲載されました。速い!面白い!

〔9月度関西例会の内容〕
①「坊ちゃん」と清(高松市・西村秀己)
②鉛同位体測定と銅鐸(八尾市・服部静尚)
③「改新詔=七世紀中頃天下立評説」のまとめ(八尾市・服部静尚)
④金印「漢委奴国王」の「委奴」について(奈良市・出野正)
⑤加賀と肥後の道君(相模原市・冨川ケイ子)
⑥越前の「天皇」と対高句麗外交(相模原市・冨川ケイ子)
⑦続編『古事記』を是とする理由(東大阪市・萩野秀公)
⑧「・多利思北孤」という“文字”の由来と「鬼前・干食」の不思議(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(KBS京都放送ラジオ番組「本日、米團治日和」8/27収録、9/09・16・23オンエア)・9/01越中富山おわら「風の盆」の観光・9/06東京講演会に水野さんの娘さんが協力・史跡ハイキング(神戸深江生活文化史料館・他)・「最勝会」の研究。なぜ薬師寺に伝わるのか?・高橋崇『藤原氏物語 栄華の謎を解く』新人物往来社(1998/02)を読む・その他


第1033話 2015/08/22

『「邪馬台国」古代史研究の最前線』の“不勉強”

 本日の関西例会でも様々な論点で発表がありました。出野さんからは前回の続きで、大和に入った神武らは銅鐸圏と共存し、崇神の時代になって銅鐸祭祀から鏡祭祀への変更統一を開始したとされました。また、物部氏と銅鐸圏との関わりについても論究されました。
 服部さんからは「乙巳の変」の舞台が藤原宮とはできないと持論を展開されましたが、厳しい反論を受けました。この論争はなかなか決着が付きそうにありませんが、やや西村・正木側が優勢になりつつあるように思われました。
 正木さんからは『「邪馬台国」古代史研究の最前線』の“不勉強”という過激なタイトルで、同書収録の倭人伝研究の内容が「古田武彦完全無視」であり「その内容は『最前線』どころか、古田以前の水準」と厳しく批判されました。温厚な正木さんをして「多数の『学者・専門家』の手による『「邪馬台国」古代史研究の最前線』という書物は、『古田説完全無視』に加えて、『支離滅裂』な解説の数々は、『最新の研究』という表題を信じて購入する読者を“欺く”ものだ」と言わしめています。現在、「古田史学の会」で編集中の『「邪馬台国」論争を超えて(仮称)』(ミネルヴァ書房)と読み比べていただければ、その学問水準の優劣は明白でしょう。ちなみに『「邪馬台国」古代史研究の最前線』(洋泉社)は13名の大学教授等の研究者の共著で、突っ込みどころ満載です。この報告は『古田史学会報』に投稿されるとのこと。
 8月例会の発表は次の通りでした。

〔8月度関西例会の内容〕
①銅鐸祭祀から鏡祭祀へ②(奈良市・出野正)
②乙巳の変(日本書紀とおりの)645年説の補強(八尾市・服部静尚)
③「日本正史(『日本書紀』)」上に於ける「神武紀」の役割及びニギハヤヒの位置づけ(東大阪市・萩野秀公)
④続編 神宝(天御璽)「天羽羽矢」について(東大阪市・萩野秀公)
⑤『「邪馬台国」古代史研究の最前線』の“不勉強”(川西市・正木裕)
⑥「鏡」が示す銅鐸国=狗奴国の滅亡(川西市・正木裕)
⑦張莉さんの講座を聞いて 俾弥呼は髪の長い美しい人だった!?(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(7/25イオンモール京都桂川で新役員挨拶・奥様一周忌8/18須磨寺蓮生院へ・『「邪馬台国」論争を超えて』原稿依頼「この本は、従来の学界批判になっており、期待している。」・KBS京都放送ラジオ番組「本日、米團治日和。」収録日8/27に決定・松本深志高校教諭 鈴岡潤一著『世界史』寄贈される・他)・7/25古田先生への役員交代の挨拶・『二中歴』「最勝会」の研究、「維摩会」と混同か?・高山由紀『中世興福寺維摩会の研究』を読む・国立の国分寺が東大寺とは本当か?大和八木に大和国分寺?・写真集『奈良市の昭和』樹林舎2015購入・その他


第1001話 2015/07/18

鋳型の神「天糠戸命・石凝姥命」

 わたしが「古田史学の会」代表に就任して最初の関西例会が開催されました。今回も服部さんと西村さん正木さんとの間で「大化改新」論争における「乙巳の変」を『日本書紀』通り645年とするのか7世紀末の事件とするのかで論争が展開されました。どちらも相譲らず論争はこれからも継続しそうです。
わたしが興味深く拝聴したのが、出野さんの発表で、奈良に点在する鏡作神社の祭神「天糠戸命(あまのぬかど)・石凝姥命(いしごりどめ)」は銅の鋳造にかかわる神で、銅鐸圏の銅鐸製造工人集団に淵源するとされました。その根拠として、鋳造に使用する鋳型の材料として「米ぬか」「石」があり、神の名前にある「ぬか」「いし」がそれを表しているとされました。なかなか面白い仮説だと思います。
 なお、御祭神はこの二神の他に「天照国照大神」もあり、これは本来は「ニギハヤヒ」ではなかったかとされ、出野さんは銅鐸圏の神とされました。この銅鐸圏の銅鐸製造技術者が鏡を祭祀する天孫族に取り込まれ、後に鏡造集団となり、その神々が鏡作神社に祀られたとのことでした。
わたしは「天照国照大神」もその名前から、「天」や「国」を照らす「鏡」に関わる神と考えても良いように思いますが、これからの研究テーマでしょう。さらなる展開が期待される研究発表でした。
 お昼休みに開催した「古田史学の会」役員会では、竹村順弘さん(事務局次長)から提案されていたフェースブックの新設について審議し、「古田史学の会」としてフェースブックに参入することを決定しました。具体的な立ち上げ準備は竹村さんが進められますが、掲載するコンテンツなどは引き続き検討したいと思います。
 7月例会の発表は次の通りでした。

〔7月度関西例会の内容〕
①讃岐の豊玉姫伝説(高松市・西村秀己)
②歴史学における論証(奈良市・出野正)
③銅鐸祭祀から鏡祭祀へ①(奈良市・出野正)
④乙巳の変 695年説についての考察(八尾市・服部静尚)
⑤九州王朝の天子の系列と伊予行幸(川西市・正木裕)
⑥「日本正史『日本書紀』」上における「神武紀」の役割及びニギハヤヒの位置付け(東大阪市・萩野秀公)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(『古代史をゆるがす真実への七つの謎』ミネルヴァ版出荷開始・青森のホテルに「和田家文書」の展示・他)・7/25古田先生への役員交代の挨拶・下鴨神社〜京都大学博物館ハイキング・テレビ視聴(「郡山城天守台の発掘と金箔瓦」「飛鳥の古墳を考える」)・『二中歴』白雉年間の「最勝会」の研究・その他


第984話 2015/06/20

九州王朝の御子孫が例会参加

 本日の関西例会には大阪市在住の隈(くま)さんが初参加されました。そのお名前が気になり、どちらのご出身ですかとお聞きしたところ、久留米市大善寺とのこと。やはりそうだったのかと思いました。というのも、九州王朝の王族と思われる高良玉垂命の9人の皇子(九躰皇子)の「長男」シレカシ命の御子孫が大善寺玉垂宮の神官の隈家とされており、その御一族のようです。隈さんのお話でも、久留米市大善寺には隈を名乗る家が多いとのことです。
 大善寺玉垂宮の史料には端政元年(589年)に玉垂命が崩御されたとあります。その次代の天子が有名な「日出ずる処の天子」阿毎多利思北孤ですから、隈さんは九州王朝の天子の一族の御子孫ということになります。関西例会で九州王朝の御子孫にお会いでき、とても驚きました。ちなみに、隈さんは「古田史学の会」ホームページに掲載されたわたしの「九州王朝の筑後遷宮」にある大善寺玉垂宮の隈氏に関する記事を読まれ、関西例会に参加されたとのことでした。
 6月例会の発表は次の通りでした。

〔6月度関西例会の内容〕
①元嘉暦が11年ずれたとしたら(高松市・西村秀己)
②再び、日本列島の「倭人」国と朝鮮半島の内の「倭」について(奈良市・出野正)
③中国の王朝は二倍年暦か?(奈良市・出野正)
④再び「倭人貢暢」論議(奈良市・出野正)
⑤相撲の起源(京都市・岡下秀男)
⑥推古紀が明かす近畿朝の真統譜(大阪市・西井健一郎)
⑦大化改新の論点を整理する(八尾市・服部静尚)(八尾市・服部静尚)
⑧「神武東征譚」はリアルか、また、ニギハヤヒ王朝からの「譲位・譲国」ではなかった?(東大阪市・萩野秀公)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況(『三国志』短里問題の論文執筆。『古代に真実を求めて』次号に掲載予定、『隋書』「犬を跨ぐ」が原文、「志賀島の金印」出土地に疑義、神社の狛犬はライオンか犬か、来日した最初の僧はインドから?)・新年度の会役員人事・5/17会計監査実施・5/23「古田史学の会・四国」と大阪で懇親会・「船の科学館」で南極観測船宗谷を見学・テレビ視聴(NHK歴史ヒストリア「古代日本の愛の力」)・その他