関西例会一覧

第680話 2014/03/17

織田信長の石山本願寺攻め

 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」は、織田信長の摂津石山本願寺攻めが舞台となって展開中です。ご存じの通り、摂津石山本願寺の石山とは今の大阪城がある場所で、難波宮の北側です。大阪歴史博物館の窓からは大阪城と難波宮址の両方が展望できますので、お勧め観光スポットです。
 石山本願寺と織田信長の戦いは「石山合戦」と呼ばれ、10年の長きにわたり続きましたが、この歴史事実は石山がいかに要衝の地であり難攻不落であったかを物語っています。といいますのも、前期難波宮九州王朝副都説への批判として、太宰府のように神籠石山城に囲まれているのが九州王朝の都の特徴であり、前期難波宮にはそのような防衛施設がないことをもって、九州王朝とは無関係とする意見があるのですが、そうした批判への一つの回答が「石山合戦」なのです。
 先日の関西例会においても同様の疑問が寄せられましたので、神籠石山城の存在は「十分条件」ではあるが、「必要条件」ではないとする論理性の点からの反論をわたしは行ったのですが、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)から、「難波宮は難攻不落の要害の地にあり、信長でも石山本願寺攻めに何年もかかり、秀吉はその地に大阪城を築いたほど」という指摘がなされました。その意見を聞いて、わたしは「なるほど、これはわかりやすい説明だ」と感じました。わたしがなかなかうまく説明できなかったことを、見事な例で言い当てられたのです。まさに「我が意を得たり」です。
 関西の人はよくご存じのことと思いますが、当時の難波は天王寺方面から北へ伸びている「半島」となっており、三方は海に囲まれています。現在も「上町台地」としてその痕跡をとどめています。その先端付近に難波宮があり、後にその北側に石山本願寺や大阪城が造られています。
 7世紀中頃、唐や新羅の脅威にさらされた九州王朝の首都太宰府は水城と大野城などの山城で周囲を防衛しています。その点、難波であれば朝鮮半島から遠く離れており、攻める方は関門海峡を突破し、多島海の瀬戸内海を航行し、更に明石海峡も突破し、その後に上町台地に上陸しなればなりません。特に瀬戸内海は夜間航行は不可能であり、夜間は各地に停泊しながら東侵することになります。その間、各地で倭国軍から夜襲を受けるでしょうし、瀬戸内海の海流も地形も知り尽くした倭国水軍(「河野水軍」など)と不利な海戦を続けなければなりません。したがって、古代において唐や新羅の水軍が自力で難波まで侵入するのは不可能ではないでしょうか。
 同様に日本海側からの侵入も困難です。仮に敦賀や舞鶴から上陸でき、琵琶湖の東岸で陸戦を続けながら、大坂峠を越え河内湾北岸まで到達できたとしても、既に船は敦賀や舞鶴に乗り捨てていますから、上町台地に上陸するための船がありません。このように、難波宮は難攻不落という表現は決して大げさではないのです。だからこそ近畿天皇家の聖武天皇も難波を都(後期難波宮)としたのです。
 同様の視点から、愛媛県西条市で発見された字地名「紫宸殿」も防衛上の問題があります。考古学的調査はなされていませんが、もし九州王朝のある時代の「首都・王宮」であったとすれば、ここも周囲に防衛施設の痕跡はありません。北方に永納山神籠石はありますが、離れていますから王宮防衛の役割は期待できそうにありません(せいぜい「逃げ城」か)。しかし、ここでも唐・新羅の水軍は関門海峡の突破と瀬戸内海の航行を経なければ到達できません。難波に至っては、その距離は倍になりますから、更に侵入困難であることは言うまでもありません。
 難波宮が防衛上からも、評制による全国支配のための「地理的中心地」という点からも、やはり九州王朝(倭国)の副都とするにふさわしいのです。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で信長軍が石山本願寺攻めに苦慮しているシーンを見るにつけ、こうした確信が深まっています。


第679話 2014/03/15

討論「言素論」

 本日の関西例会では古田先生が提唱されている「言素論」をテーマに討議などが行われました。これは古田学派の研究者間で行われていたメールでの意見交換・討議を、せっかくだから関西例会で論争していただき、他の会員にも聞いていただいてはどうかという、わたしからの提案を受けて行われたものです。思いのほか、多くの参加者から意見が出され、関西例会らしく活発で学問的な討論となりました。
 不二井さんからは語学から見た「言素論」の画期性を評価する報告がなされ、西村さんからは「言素論」には賛成だが、他の仮説の論証に使用する場合は注意(論理的な限界に対する留意)が必要という見解が示されました。わたしも、古代史研究において方法論上の可能性を有した仮説とする意見を述べました。
 この他には、服部さんから発表された「雷山千如寺法系霊簿」に関する考察は、わたしが20年ほど前に発表した論文「倭国に仏教を伝えたのは誰か」(『古代に真実を求めて』1集所収)への批判も含まれたもので、とても懐かしく思いました。20年前の研究が再検証されることは、研究者冥利につきます。3月例会の報告は次の通りでした。

〔3月度関西例会の内容〕
①雲南の少数民族(木津川市・竹村順弘)
②雷山千如寺法系霊簿(八尾市・服部静尚)
③劉仁軌伝から白村江の戦いを推測する(八尾市・服部静尚)

【「言素論」の討議】
④語構成の研究(明石市・不二井伸平)
⑤「言素論」の使い方(高松市・西村秀己)

⑥三国志での「推量の可」の用法(姫路市・野田利郎)
⑦『倭人伝』の里程記事は正しかった
 ー「水行一日五百里・陸行一刻百里、一日三百里」と換算ー(川西市・正木裕)
⑧『古事記』真福寺本の「八千弟」と「ヤチホコ」(川西市・正木裕)
⑨「ニギハヤヒ」を追う(東大阪市・萩野秀公)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・古田先生福岡講演の報告・大和舞と筑紫舞は親類関係・言語は国家より古い(古田武彦)・宮地嶽神社への書籍献呈・神宮文庫『太神宮諸雑事記』古写本の閲覧・葛継勇「祢軍の倭国出使と高宗の泰山封禅」(『日本歴史』2014年3月号)・その他

参考

「古田史学」の理論的考察 (「論理的考察」 は誤植) 古田武彦(会報116号)
「いじめ」の法則 — 続、「古田史学」の理論的考察 古田武彦(会報117号)
古田史学の真実 — 西村論稿批判(古田武彦会報118号)
続・古田史学の真実 — 切言 古田武彦(古田史学会報119号)


第662話 2014/02/15

「納音(なっちん)」付
・九州年号史料の紹介

 本日の関西例会で、わたしは熊本県玉名郡和水町で発見された「納音(なっち ん)」付・九州年号史料を紹介しました。九州年号の善記元年(622)から始まる納音付きの不思議な九州年号史料ですので、そのコピーを例会参加者に配り、何のために作られた史料かわからないので、是非、皆さんのご協力を得たいとお願いしました。
 同史料は30種の「納音」が上段に記されているのですが、五行説の「木・火・土・金・水」の順番も乱れており、インターネットなどで出ている「納音」とも文字や順番も一致しておらず、とても理解に苦しむ史料状況を見せています。記されている九州年号も、最も原型に近いと考えている『二中歴』とは異なり、 わたしの知見の範囲では『如是院年代記』に記されている九州年号の内容に近いように思われました。引き続き検討したいと思います。
 例会後の懇親会には張莉さんも参加され、白川漢字学など興味深い研究をお聞かせいただけました。関西例会は研究発表だけでなく、二次会でも学問的に触発される貴重な一日となっています。2月例会の報告は次の通りでした。

〔2月度関西例会の内容〕
1). 天之日矛と秋山之下氷壯夫、春山之霞壯夫(高松市・西村秀己)
2). 孔子の弟子の倭人の概論(中国曲阜市・青木英利、代読:竹村順弘)
3). 内倉武久著『熊襲は列島を席巻していた』を読んで(木津川市・竹村順弘)
4). 「納音」付・九州年号史料の紹介(京都市・古賀達也)
5). 万葉集九番歌の解読の紹介(京都市・岡下英男)
6). 「東京新聞文化部御中」(「東京新聞」1月14日付「名著の衝撃」への批判文)安彦克彦(代読:明石市・不二井伸平)
7). 白村江の大義名分(八尾市・服部静尚)
8). 亡国の天子薩夜麻(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・奈良市奈良豆彦神社に伝わる「翁舞」・昭和初期に宮地岳で舞った「乙訓の伊東さん」調査・神宮文庫で『太神宮諸雑事記』古写本の閲覧・大下氏による古賀説への反論・その他


第646話 2014/01/21

須恵器の飛鳥編年と難波編年

 1月18日、新年最初の関西例会が開催されました。初参加の方もあり、関西例会らしい活発な論議が交わされました。
 中国曲阜市から一時帰国されている青木さんからは、孔子の弟子に倭人がいたとする報告がなされ、曲阜地域から出土している「縄文土器」が日本の縄文式土器ではないかと指摘されました。縄文式土器は中南米からも出土していますから、隣国の中国から出土しても不思議ではありません。同「縄文土器」と日本の縄文式土器との様式比較や編年など、これからの調査研究が楽しみなテーマです。
 服部さんからは、前期難波宮造営を孝徳期ではなく天智期頃とする白石さんの論文「須恵器編年と前期難波宮」の分析と解説がなされ、『日本書紀』などを根拠に5~10年単位での須恵器編年が可能とする白石さんの「飛鳥編年」の根拠が脆弱なこと、出土須恵器の取り扱いが恣意的であることなどをわかりやすく説明されました。
 「飛鳥編年」に対しては、わたしも同様の疑問を感じていましたが、服部さんの報告はそのことが大変わかりやい資料やデータで示されており、参考になりました。やはり「飛鳥編年」よりも、大阪歴博の研究者たちが提起している「難波編年」の方がより科学的(年輪年代測定や干支木簡なども根拠として成立)で論理的(考古学と文献の一致など)と思われました。前期難波宮造営が7世紀中頃とする説は最有力と思います(そもそも『日本書紀』にもそう書いてありますし、その件に関して『日本書紀』編者が嘘をつく必要もありません)。
 1月例会の報告は次の通りでした。

〔1月度関西例会の内容〕
1). 孔子の弟子の中に、倭人が在り(中国曲阜市・青木英利)
2). 後漢書のイ妥国伝(木津川市・竹村順弘)
3). 「須恵器編年と前期難波宮」白石太一郎氏の提起を考える(八尾市・服部静尚)
4). 大宰府政庁2期整地層の須恵器杯Bの編年(京都市・古賀達也)
5). 徳川道(明石市・不二井伸平)
6). 明石二見港の歴史と工楽松右衛門(明石市・不二井伸平)
7). 「筑紫なる日向」を前提としたウガヤフキアエズの陵墓と神武の妻(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・新年賀詞交換会の報告・初詣(比売神社・春日大社・東大寺)・芭蕉句碑の確認「水取りや 籠り(「氷」?)の僧の 沓の音・東 大寺二月堂のお水取り「2月12日」は長屋王が殺された日(殺した側の「懺悔の日」の行事ではないか。長屋王は九州王朝系の人物ではなかったか。)・東大寺ミュージアム訪問・阿武山古墳シンポジウム・『藤氏家伝』(伏見宮家本)では藤原鎌足は火葬・その他


第636話 2013/12/21

1ドルの『邪馬壱国の証明』の邂逅

 本日の関西例会にはスイス在住会員のリムさんが参加されました。リムさんはスイスでクラシックギターを教えておられるとのこと。例会後の懇親会でリムさんに古田史学との出会いをお聞きしましたら、10年ほど昔にニューヨークの古書店で古田先生の『邪馬壱国の証明』に出会ったことがきっかけとのことでした。ちなみに、そのときの『邪馬壱国の証明』の価格は1ドルとのことでした。その1ドルの『邪馬壱国の証明』が、時間と国境を越えて関西例会での邂逅となったのです。このようなお話しをお聞きする度に、「古田史学の会」を作って本当に良かったと思います。有り難いことです。
 本日の関西例会も多彩な報告がなされ、刺激的な一日となりました。発表テーマは次の通りでした。

〔12月度関西例会の内容〕
1). 独楽の記紀 — 「記紀とは何か」(大阪市・西井健一郎)
2). 北魏と倭の繋がり(木津川市・竹村順弘)
3). もう一つの天孫降臨 — 天火明命(天香山命)は東海に来ていた(東大阪市・横田幸男)
4). 「赤淵神社縁起」の解説(京都市・古賀達也)
5). 歴史概念としての「東夷」について(奈良市・出野正、張莉)
6). 池田仁三郎著「古墳墓碑」を批判する(八尾市・服部静尚)
7). 日本書紀の中国および朝鮮記事のずれについての考察(八尾市・服部静尚)
8). 何故末廬国の長官・副長官名がないのか(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・『古代に真実を求めて』16集発刊・中臣鎌足と阿武山古墳シンポジウム・新池ハニワ工場公園(太田茶臼山古墳および今城塚古墳 のハニワ工場)・講演会参加「江戸時代における東大寺大仏殿再興物語」平岡昇修氏・飛鳥の五角池の曲線の島は日本列島か・その他


第621話 2013/11/15

原発危機と「東大話法」

 先日、「古田史学の会」の会誌『古代に真実を求めて』を発行していただいている明石書店を訪問し、石井社長にご挨拶してきました。そのおり、同社より刊行された安冨歩著『原発危機と「東大話法」』をいただきました。同書は古田先生からも推薦していただいており、注目していた一冊でした。非倫理的で非学問的な「東大話法」に対して、現役東大教授が批判するという刺激的な内容ですが、 今回読んで、その「東大話法」に対する批判以上に現代日本に対する思想史的考察や物理学(熱力学第二法則)に基づいた現代文明批判は圧巻でした。是非、皆さんにも読んでいただきたい本です。
 さて、本日の関西例会は多種多彩な報告が続き、とても充実した一日となりました。たとえば野田さんからは、『三国志』の「歩」の全用例を抜き出し、それ が「短歩」なのか「長歩」なのかの考察が報告されましたが、時間不足のため質疑応答時間がとれず残念でした。
 出野さんからは中国雲南省のアカ族(倭族)の現地調査報告がプロジェクターを使用してなされ、日本の風習や文物との類似が大変よく理解できました。このように関西例会は近年ますます充実し、とても勉強になります。11月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔11月度関西例会の内容〕
1). 「與」の用法(明石市・不二井伸平)
2). 武寧王の手白香皇女(木津川市・竹村順弘)
3). 日本書紀遣隋使記事は12年ずれでよいか?(八尾市・服部静尚)
4). 『三国志』の尺(姫路市・野田利郎)
5). 渡来人について(多摩市・齋藤政利)
6). 『三国志』の歩(姫路市・野田利郎)
7). 天武十年記事の信頼性(川西市・正木裕)
8). すり替えられた九州王朝の南方諸島支配の概要(川西市・正木裕)
9). 「西双版納(シーサンパンナ)」倭人の源流を訪ねて(奈良市・出野正)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・八王子セミナーの概要(肥沼氏ブログより要約)・『古代に真実を求めて』16集、11月末刊予定・静御前の故郷、大和高田ハイ キング「八百屋お七」の墓・永井一郎著『大和路の(俳人)芭蕉』・「新東方史学会」役職人事・その他


第612話 2013/10/19

薩摩半島の高良一族

 本日の関西例会では、中国曲阜市在住の会員青木さんの研究論文を竹村さんが代読されたり、武雄市の会員古川さんらの調査報告を正木さんが紹介されるなど、ちょっとかわった試みがなされました。関西例会に参加しにくい遠方の会員の研究などが代理報告されることにより、多くの知見や研究成果が共有でき、よい取り組みだと思います。
 特に古川さんの調査は、薩摩半島(南九州市など)に「高良神社」(御祭神は玉垂命・他)が分布しており、宮司は高良一族ということで、久留米市の高良大社の研究を永く続けてきたわたしも知らなかったことでした。薩摩の「高良神社」の創建は和銅年間にまで遡るとのことで、ちょうど九州王朝滅亡の時期でもあり、とても興味深い伝承です。「古田史学の会」でも現地調査を行おうと正木さんから提案がありました。是非、実現させたいものです。
 10月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔10月度関西例会の内容〕
1). 続7世紀の日本の記述の問題(中国曲阜市・青木英利、代読:竹村順弘)
2). 縄文海進と倭人渡来(木津川市・竹村順弘)
3). 駆逐される東夷(木津川市・竹村順弘)
4). 高句麗と倭人(木津川市・竹村順弘)
5). 『日本書紀』持統紀に見える「蝦夷男女二百一十三人」について(明石市・不二井伸平)
6). 日本書紀に遣隋使はなかった(八尾市・服部静尚)
7). 古川清久氏らによる南九州市河辺町の「高良一族」調査(川西市・正木裕)
8). 図と写真に見る瓊瓊杵降臨地と室見川の銘板の「臨地性」について(川西市・正木裕)
9). 「倭人」と「盟」についての若干の資料紹介(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・岩永芳明さんから「腰岳の黒曜石」寄贈・古田武彦研究自伝『真実に悔いなし』発刊・『古代に真実を求めて』16集再校中・持統崩御の34年遡り説・その他


第599話 2013/09/22

『伊予三島縁起』にあった「大長」年号

 本日の関西例会では、古田説に基づき『「倭」と「倭人」について』を発表された張莉さんのご夫君(出野さん)を始め初参加の方もあり、盛況でした。わたしにとっての今日の例会で最大の収穫は、多摩市から参加されている齊藤政利さんにいただいた内閣文庫本『伊予三島縁起』の写真でした。九州年号史料として有名な『伊予三島縁起』原本(写本)を以前から見たい見たいと私が言っているの を齊藤さんはご存じで、わざわざ内閣文庫に赴き、『伊予三島縁起』写本二冊を写真撮影して例会に持参されたのでした。
 まだそのすべてを丁寧に見たわけではありませんが、一番注目していた部分をまず確認しました。それは「天長九年壬子」の部分です。五来重編『修験道資料集』掲載の『伊予三島縁起』には「天武天王御宇天長九年壬子」と記されており、この部分は本来「文武天皇御宇大長九年壬子」ではないかと、わたしは考え、 701年以後の九州年号「大長」の史料根拠の一つとしていました(『「九州年号」の研究』所収「最後の九州年号」をご参照下さい)。
 齊藤さんからいただいた内閣文庫の写本を確認したところ、『伊豫三島明神縁起 鏡作大明神縁起 宇都宮明神類書』(番号 和42287)には「天武天王御宇天長九年壬子」とあり、『修験道資料集』掲載の『伊予三島縁起』と同じでした。ところが、もう一つの写本『伊予三島縁起』(番号 和34769)には 「天武天王御宇大長九年壬子」とあり、「天長」ではなく九州年号の「大長」と記されていたのです。わたしが推定していたように、やはり「天長九年」は「大長九年」を不審とした書写者による改訂表記だったのです。
 「大長九年壬子」とは最後の九州年号の最終年である712年に相当します。近畿天皇家の元明天皇和銅五年に相当します。なお、「天長九年壬子」という年号もあり、淳和天皇の時代で832年に相当します。『伊予三島縁起』書写者がなぜ「天武天王御宇」と記したのかは不明ですが、九州年号「大長」が 704~712年の9年間実在したことの史料根拠がまた一つ明確となったのです。内閣文庫写本の詳細の報告は後日行いたいと思います。齊藤さんに心より感謝申し上げます。
 9月例会の報告は次の通りでした。古田史学の会・東海の竹内会長が久しぶりに出席され、報告していただきました。

〔9月度関西例会の内容〕
1). 日名照額田毘道男伊許知邇の考察(大阪市・西井健一郎)
2). 記紀の原資料と二倍年暦の形(八尾市・服部静尚)
3). 九州年号から考えた聖徳太子の伝記の系統(京都市・岡下英男)
4). 倭王武は武烈でありヒト大王だった(木津川市・竹村順弘)
5). 倭王武の時代の版図(木津川市・竹村順弘)
6). 邪馬壱国の南進(木津川市・竹村順弘)
7). ワニ氏の北方系海人族としての歴史的考察(知多郡阿久比町・竹内強)
8). 鬯草を献じたのは「東夷の倭人」か「南越の倭人」か(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・『古代に真実を求めて』16集初校・ミネルヴァ書房からの古田書籍続刊・張莉さんと古田先生の仲介・古田先生自伝刊行記念講演会の報告・古田先生八王子セミナーの案内・浄瑠璃「妹背婦女庭訓」の説明・『大神宮諸雑事記』の紹介・その他


第582話 2013/08/17

西井さんの「歴史記事スクラップ」

 「古田史学の会」関西例会では様々な研究発表を聞けたり、質疑応答など本当に刺激的で素晴らしい勉強会です。終了後の懇親会も楽しみですが、わた しが楽しみにしているものがもう一つあります。それは懇親会などを担当していただいている西井健一郎さん(古田史学の会・全国世話人)が毎回配布されてい る古代史や歴史関連の新聞記事を切り抜いて編集されている「歴史記事スクラップ」(A3、4ページ)です。仕事が忙しくて、日頃は新聞の隅々まで読むこと がないわたしにとって、この西井さんが作成されたスクラップ記事のコピーは大変貴重な情報源となっています。こうした史料を毎月多数入手できる関西例会に みなさんも是非お越し下さい。会費は500円です。
 8月例会の発表は次の通りでした。服部さんの「荒神」に関する報告や、正木さんの発表に対する質疑応答時に、竹村順弘さん(古田史学の会・全国世話人、関西例会担当)から指摘された天智天皇の年号「中元」など、驚きの内容でした。
 なお、9月例会は9月22日(日)で、通常の第三土曜日ではありません。ご注意下さい。

〔8月度関西例会の内容〕
1). 張莉論文を読んで(木津川市・竹村順弘)
2). 多利思北弧の国交断絶(木津川市・竹村順弘)
3). 古代天皇の父子継承について(八尾市・服部静尚)
4). 荒振神・荒神・荒についての一考察(八尾市・服部静尚)
5). 薩夜麻の都督・倭国王即位と近江朝の日本国改名(試案)(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・ミネルヴァ書房からの古田書籍続刊・張莉さん論文『「倭」と「倭人」について』・古田先生八王子セミナーの案内・古田先生『研究自伝』記念講演会・浄瑠璃「妹背山婦女庭訓」・『先代旧事本紀大成経』の国生み神話の小豆島・その他


第572話 2013/07/21

九州王朝の采女制度

 今日は参議院議員選挙の投票日です。わたしは朝に投票を済ませました。投票所の京極小学校は湯川秀樹さんの出身校で、娘 の母校でもあります。投票所では著名な狂言師の茂山千五郎さんを久しぶりにお見かけしました。茂山さんのご自宅屋上にはいつも阪神タイガースの旗が掲げら れており、ご近所でも有名です。
 なお、今回の投票では、わたしは原発問題を主な判断基準にして政党や候補者を選びました。この選挙を通じて、よりよい日本になればと願うばかりです。
 昨日の関西例会には、高松市在住の会員、寺崎さんが初参加されました。また、遠くは多摩市から参加されている齋藤さんからは、「采女」について研究報告 がなされました。近畿天皇家の采女制度は、九州王朝で先行して行われていたとする仮説です。わたしの記憶では、「采女」については古田学派内でもほとんど 研究されてこなかったテーマではないかと思います。これからの展開が期待されます。7月例会の発表は次の通りでした。

〔7月度関西例会の内容〕
1). 「安帝の鎖」高句麗好太王vs倭王讃(木津川市・竹村順弘)
2). 貴倭国と邪馬たい国(木津川市・竹村順弘)
3). 古代日本の実名敬避俗について(八尾市・服部静尚)
4). 巨大古墳についての一考察(八尾市・服部静尚)
5). 「別」の探求-天孫降臨以前の九州-(姫路市・野田利郎)
6). 采女について(多摩市・齋藤政利)
7). 『粘土に書かれた歴史』を読んで(京都市・岡下秀男)
8). 「常色律令」-『書紀』天武紀の「位冠・律令・法式・礼儀」記事について-(川西市・正木裕)
9). 倭人伝を尊重した末廬国・伊都国・奴国・不彌国の比定(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・ミネルヴァ書房からの古田書籍発刊・八王子セミナーの案内・行基建立の四十九院・文字より数字が先に発明された・『先代旧事本紀大成経』の国生み神話の小豆島・その他


第558話 2013/05/19

古代ギリシアの「従軍慰安婦」

 昨日の関西例会で、わたしは古代ギリシアの「従軍慰安婦」というテーマでクセノポン著『アナバシス』にギリシア人傭兵部隊に娼婦が多数従軍していたという記事があることを紹介しました。
 ソクラテスの弟子であるクセノポンが著した「上り」という意味の『アナバシス』は、紀元前401年にペルシアの敵中に取り残されたギリシア人傭兵1万数 千人の6000キロに及ぶ脱出の記録です。クセノポンの見事な采配によりギリシア人傭兵は故国に帰還できたのですが、その記録中に娼婦のことが記されてい ます。アルメニア山中の渡河作戦の途中に次の記事が突然現れます。

 「占者たちが河(神)に生贄を供えていると、敵は矢を射かけ、石を投じてきたが、まだこちらには届かなかった。生贄が吉 兆を示すと、全軍の将士が戦いの歌を高らかに唱して鬨の声をあげ、それに合わせて女たちもみな叫んだ−−隊中には多数の娼婦がいたのである。」岩波文庫 『アナバシス』(169頁)

 この娼婦たちはギリシア本国から連れてきたのか、遠征の途中に「合流」したのかは不明ですが、将士の勝ち鬨に唱和して叫んでいることから、前者ではないかと推定しています。
 昨今、物議を醸している橋下大阪市長による「慰安婦」発言もあったことから、いわゆる「従軍慰安婦」が紀元前400年頃の記録に現れている例として紹介 しました。この問題は他国への侵略軍・駐留軍が避けがたく持つ「性犯罪」「性問題」が人類史的にも根が深い問題であり、ある意味では橋下市長の発言を契機 に、より深く考える時ではないかと思います。「建前」だけの議論や、単なるバッシングでは沖縄の米兵による性犯罪をはじめ、世界各地の侵略軍・駐留軍により恐らくは引き起こされているであろう各種の問題を解決できないことは明白です。歴史学や思想史学が机上の学問に終わらないためにも、真剣に考えるべきテーマではないでしょうか。
 5月例会の発表は次の通りでした。なお、6月例会は「古田史学の会」会員総会・記念講演会などのため中止となりました。

 

〔5月度関西例会の内容〕
1). シキの考察−−西村説への尾鰭(大阪市・西井健一郎)
2). 古代に忌み名(諱)の習俗はあったのか(八尾市・服部静尚)
3). 歩と尺の話(八尾市・服部静尚)
4). 古田史学会インターネットホームページ運営報告(東大阪市・横田幸男)
5). 古代ギリシアの「従軍慰安婦」(京都市・古賀達也)
6). 和気(京都市・岡下秀男)
7). 「室見川の銘板」の解釈について(川西市・正木裕)
8). 「実地踏査」であることを踏まえた『倭人伝』の距離について(川西市・正木裕)
8). 味経宮のこと(八尾市・服部静尚)
9). 史蹟百選・九州篇(木津川市・竹村順弘)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・会務報告・会誌16集編集遅れ・新東方史学会寄付金会計報告の件・行基について・その他 


第556話 2013/05/08

6月16日(日)、会員総会・講演会を開催します

 来る6月16日(日)に古田史学の会・会員総会を開催します。会員の皆様のご参加をお願いします。当日、総会に先立って午後1時より記念講演会を開催します。こちらには一般の方もご参加できます。
 今回の記念講演会は竹村さんと正木さんに講演していただくことになりました。テーマは次の通りです。

            

○竹村順弘さん 古田武彦著作集で綴る史蹟百選・九州編
○正木 裕さん 周王朝から邪馬壱国、そして現代へ・・倭人伝の官職名と青銅器・・

            

 竹村さんからは、現在、古田史学の会で編集中の「古田武彦著作集で綴る史蹟百選・九州編」(仮称)の概要について報告されます。古田史学関連遺跡の紹介を読みながら、古田史学について学べるという、優れものです。同書はミネルヴァ書房から刊行されます。
 正木さんからは、倭人伝の官職名が中国周代の青銅器に由来するという驚きの新発見について報告されます。倭人伝研究の新段階ともいうべきテーマですのでご期待ください。
 会場は古田先生の著作が多数集蔵されている、大阪府立大学難波キャンパスI-siteナンバです。是非ご参加ください。