関西例会一覧

第771話 2014/08/23

納音の古形「石原家文書」

本日の関西例会には遠く埼玉県さいたま市から見えられた会員もおられました。懇親会までお付き合いいただきました。ありがたいことです。
前回に続いて、出野さんからは『説文解字』を中心とした白川漢字学の講義がありました。荻野さんは二度目の発表で、宮城県蔵王山頂にある刈田嶺(かったみね)神社の縁起などに「白鳳八年」「朱鳥四年」という九州年号が記されていることが報告されました。わたしも知らなかった九州年号使用例でした。
今回の発表で最も驚いたのが、服部さんによる熊本県玉名郡和水町で発見された納音(なっちん)付き九州年号史料(石原家文書)についての分析でした。現在流布している納音よりも、和水町の石原家文書に記された納音が古形を示しているというもので、論証も成立しており、とても感心しました。服部さんには論文として発表するよう要請しました。
8月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔8月度関西例会の内容〕
1). 『古事記』は本当に抹殺されたのか(高松市・西村秀己)
2). 石原家文書の納音は古い形(八尾市・服部静尚)
3). 真庭市大谷1号墳・赤磐市熊山遺跡の紹介(京都市・古賀達也)
4). 香川県の「地神塔」調査報告(高松市・西村秀己)
5). 『説文解字』(奈良市・出野正)
6). 「ニギハヤヒ」を追う・番外編(東大阪市・萩野秀公)
7). 俾弥呼への贈り物(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況(10/04松本深志高校で講演、11/08八王子大学セミナー)・『古代に真実を求めて』17集発刊・坂本太郎『史書を読む』を読む・角田文衛『考古学京都学派』を読む・梅原末治博士との記憶・河上麻由子『古代アジア世界の対外交渉と仏教』・その他


第749話 2014/07/22

倭人伝の下賜品

「金八両」

 7月の関西例会では安随さんの発表以外にも、なかなか面白いアイデアが正木裕さん(古田史学の会・全国世話人、川西市)から出されました。倭人伝に記された中国から倭国への下賜品「金八両」に関するアイデアです。
 『三国志』倭人伝には中国(魏)から倭国への下賜品として、各種絹製品の他に「金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各五十斤」等の記載がありま す。正木さんはこの「金八両」という記事に注目され、この「八両」という半端な量になった理由を考えられました。そしてその重量を調べられ、八両は約 110gに相当し、志賀島の金印(漢委奴国王)の重量とほぼ同じであることに気づかれたのです。この一致が偶然ではないのではないかというのが、今回正木さんが提起されたアイデアです。
 もちろん、偶然なのか何らかの理由があるのかは論証困難ですから、いずれとも断定はできませんが、わたしは面白いアイデアだと思いました。ちなみに古田先生は、このとき下賜された「金八両」で鍍金されたのが、糸島郡二丈町の一貴山銚子塚古墳から出土した「黄金鏡」ではないかと考えておられます。黄金鏡など、日本列島での出土例は極めて少ないことから、その可能性はあると思います。「黄金鏡」の鍍金の科学的成分分析により、産地が特定できれば面白いと思います。


第747話 2014/07/19

冶金学と漢字学の古代史

 本日の関西例会に参加された方は果報者です。冶金学と漢字学の講義を聴けたのですから。
 最初の報告者の服部さん(『古田史学会報』次期編集担当者)から、「わたしの専門は冶金です」という挨拶で切り出された弥生時代の製鉄や出土鉄器の報告はまさに冶金学の講義そのものでした。鉄固有の個体相での相変化など、冶金学による「焼き入れ」「焼きなまし」の解説は勉強になりました。
 そして報告の結論は、倭国の中心は北部九州であり、奈良県(畿内)は全弥生時代を通して「鉄器真空地帯」というものでした。発見されているすべての弥生時代の鉄器出土分布図や製鉄遺跡のデータを示され、北部九州の圧倒的濃密分布と畿内の空白を示す分布図は「邪馬台国」畿内説なるものが全く成立の余地の無 いことを明白に示すものでした。わかりやすく見事な報告でしたので、『古田史学会報』に投稿されるよう要請しました。
 次の講義は出野さんによる漢字の成立・発展史でした。冒頭、中国で入手された「骨卜」の高価で精密なレプリカや内側に金文がほどこされた青銅器のレプリ カを見せていただきました。甲骨文字から始まった漢字が、金文・篆書・隷書へと進化する様子について説明はわかりやすく有意義でした。
 わたしからの次の質問にも興味深い回答がなされました。邪馬壹国・卑弥呼の時代に中国と倭国で交わされた詔書や上表文の字体は何だったかという質問に対して、おそらく隷書だったとのことで、根拠としてはその時代の文字遺物の主流が隷書だということでした。
 次に、後漢代に成立した『説文解字』により、当時の音韻復元は可能かという質問に対しても、音韻復元はできないと明快な回答がなされました。現在残され ている『説文解字』は後代(宋)の解説が付けられており、その解説中の「反切」(音韻表記)を『説文解字』原文と勘違いしている人も多いとのことでした。
 最後に、「室見川の銘版」についての出野さんの見解をたずねたところ、銘文の完成度の高さや、国内で同様のものが6~7世紀の墓誌が出現するまで発見さ れていないことから、同銘版は中国で製造され、倭国へ贈られたものと考えるのが妥当とのことでした。古田先生の見解(倭国産説)とは異なっており、今後の 検討や議論の展開が楽しみです。
 この他にも優れた研究発表がありましたので、改めて紹介したいと考えています。懇親会では中国曲阜から一時帰国されている青木英利さんから、中国のインターネット状況(国家による検閲など)について、横田さん(古田史学の会・全国世話人、インターネット担当)とともにお聞きすることができ、とても参考になりました。「古田史学の会」HPの中国語版「史乃路」の運営に役立てたいと思います。
 7月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔7月度関西例会の内容〕
1). 鉄の歴史と九州王朝(八尾市・服部静尚)
2). 二倍年齢の検討(八尾市・服部静尚)
3). 「唐軍進駐」への素朴な疑問(芦屋市・安随俊昌)
4). 「景初」鏡と「正始」鏡はいつ何のために作られたか(京都市・岡下英男)
5). 卑弥呼は新羅に使者を派遣したか?(姫路市・野田利郎)
6). 漢字の誕生と変遷(奈良市・出野正)
7). 『魏志倭人伝』と邪馬壹国への道(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(論文執筆中「村岡典嗣との対話」他、10/24松本深志高校で講演、11/08八王子大学セミナー)・『古代は輝いていたⅢ』発刊・『古 代に真実を求めて』17集編集中・森田悌『長屋王の謎 北宮木簡は語る』を読む・寺西貞弘『近世紀州文化史雑考』を読む・石川邦一氏提供「祢軍墓誌」関係文献・水野氏の祖父、邦次郎氏が関わられたJR中央線笹子トンネル工事・その他


第733話 2014/06/21

「亀卜」「骨卜」

本日の関西例会では、服部さんから『三国志』倭人伝に見える「令亀の法」を根拠に、倭国では日付干支が使用されていたとする発表をされました。亀甲を用いた占いを亀卜(きぼく)といいますが、それよりも古い時代は獣骨を用いた骨卜(こつぼく)が広く世界的に行われていたようです。質疑応答のおり、 出野さんから急遽、古代中国における「亀卜」や「骨卜」について解説していただきました。
それによると、亀の甲羅に穴をあけて、そこに焼け火箸のようなもので熱を加え、それでできた「ひび」により占うのですが、その「ひび」ができるときに 「ボク」という音がするそうで、その「ひび」の形の「卜」が字形となり、その音(おん)が「ボク」になったとのことでした。漢字の成立も面白いものですね。
次回の関西例会では、出野さんから本格的な「亀卜」について発表していただけるとのこと。中国で購入した「亀卜」のレプリカも持参されるとのことで、楽しみです。
関西例会での発表テーマは次の通りでした。時間が余りましたので、正木さんから、百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産にするための大阪府の取り組みなどがビデオで上映され、いつも以上に楽しく有意義な例会でした。

〔6月度関西例会の内容〕
1). 〔討論会〕倭国に対する唐の影響について(高松市・西村秀己)
2). 推古天皇の二倍年暦の百歳・続編(八尾市・服部静尚)
3). 令亀の法(八尾市・服部静尚)
4). 「亀卜」「骨卜」の解説(奈良市・出野正)
5). 「景初」鏡の銘文の流れ ー「魏年号銘」鏡(その2)ー(京都市・岡下英男)
6). 『日本書紀』と『海東諸国記』に見る「常色の改革」(川西市・正木裕)
7). 〔ビデオ上映〕百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況(モンテーニュ『エセー』の読み直し。A.ベーク著『解釈学と批判 古典文献学の精髄』安酸敏眞訳の贈呈を受ける)・大越邦生氏による中国古典文献中の二倍年暦例悉皆調査・木村賢司氏 大下隆司氏による少年向け古代史『多利思北孤』発刊(注) ・ 会務報告(会計監査、会員論集編集状況、他)・「古田史学の会」総会と記念講演会開催・高槻市しろあと歴史館訪問、高山右近像・大山誠一著『天孫降臨の 夢』を読む・テレビ視聴「江戸の瓦」「長屋王と観音寺」・明治37年、第一回東京小豆島会の写真に水野氏の祖父、邦次郎氏・その他

お詫び

(木村賢司氏 大下隆司氏による少年向け古代史『多利思北孤』発刊)(注)
木村賢司様よりのご指摘によれば、同書籍はまだ発刊されておらず、書名等の説明も不正確・不適切とのことでした。
木村様大下様をはじめ関係者の皆様にお詫び申し上げ、当該記事部分(下線部分)を撤回いたします。(古賀達也)


第710話 2014/05/16

6月15日(日)に会員総会・講演会を開催済み

 来月、6月15日(日)に会員総会・記念講演会を開催します。午前中はビデオ鑑賞会を行い、午後からは記念講演会を開催します。終了後に古田史学の会・会員総会を行いますので、会員の皆様のご出席をお願いします。ビデオ鑑賞会や記念講演会は会員以外の一般参加も可能です。多数のご来場をお待ちして います。
 午前中のビデオは3月にアクロス福岡で開催された古田先生の講演と宮地嶽神社神官による筑紫舞で、なかなか見る機会のない貴重な舞です。中でも浄見宮司の「神無月の舞」は幽玄でまさに九州王朝宮廷舞楽として圧巻です。
 午後は記念講演会で、今回は会員の出野正さんとわたしが発表します。出野さんの報告は、雲南省の奥地に居住する倭(アカ)族の現地調査報告で、多くの撮影写真をプロジェクターでご覧いただけます。出野さんと張莉さんご夫妻による現地調査は、恐らく本邦初の調査で、大変貴重なものです。同調査報告の出版に向けても準備が進められています。日本の風習や民俗と極めて類似した倭(アカ)族の生活様式や文物にはきっと驚かれると思います。
 わたしからは、近年「発見」した九州年号史料の紹介とその学問的意義や展望について報告します。その一つは熊本県和水町の「石原家文書」の「納音(なっちん)」付き「九州年号一覧」史料、二つめは平安時代(天長5年、828年)に成立した九州年号「常色元年(647)」史料『赤渕神社縁起』、三つ目は内閣文庫にある九州年号「大長九年壬子(712)」史料の『伊予三島縁起』です。いずれも普段は見ることができない貴重な史料です。多くの方の参加をお待ちしております。

○日時 6月15日(日)
    午前10時~12時 筑紫舞等ビデオ鑑賞
    午後 1時30分~4時(開場1時) 講演会
    午後 4時~ 5時 会員総会
     ※総会終了後、希望者で懇親会開催。
      懇親会受付は総会当日会場にて。  

○場所 I-siteなんば(南海なんば第1ビル2階)
    大阪市浪速区敷津東2-1-41
    地下鉄御堂筋線大国町駅下車 東へ徒歩7分
    地下鉄堺筋線恵美須町駅下車 西へ徒歩7分

○記念講演会
(1)演題:西双版納(シーサンパンナ)の旅
      -倭人の源流を求めて-
   講師:出野 正さん(古田史学の会・会員)
(2)演題:新出「九州年号」史料の展開
      -『伊予三島縁起』『赤渕神社縁起』『石原家文書』-
   講師:古賀達也(古田史学の会・編集長)


第696話 2014/04/19

隼人の吠声(はいせい)は警蹕(けいひつ)

 本日の関西例会はいつもより発表件数が少なかったこともあり、昨今、マスコミや一般国民も巻き込んで話題となっているSTAP論文騒動について、学問の問題としての視点から、急遽、わたしの見解を発表することとなりました。
 ネイチャー誌に論文を発表したこともなければ小保方さんのSTAP論文(もっとも査読が厳しいとされるネイチャー誌が掲載に値するとした論文)さえもまともに読んだこともないようなマスコミによる常軌を逸したバッシングを「集団によるリンチ(私刑)」ではないかとわたしは思っていましたので、そもそも学術論文とは何か、「お金」のための研究(例えば特許出願。新発見の事業化により社会に貢献する)と真理追究のための学術論文発表(自らの発見や仮説を「公 知」として社会に無償提供し、科学の発展や人類の幸せに貢献する)の性格の違いと、それぞれに必要とされる要件(実験ノートの必要性の有無など。「お金」 のための研究の場合は工業的所有権〔特許権〕の争いを想定して、詳細な日付入り実験ノートの作成が要求される)の違いについて見解を述べました。幸い、多くの例会参加者のご賛同をいただき、昨今のマスコミや御用学者の「多数意見」に惑わされない「古田史学の会」関西例会参加者が多いことに安心しました。
 本日の関西例会では下記の発表がなされました。中でも正木さんの発表は、隼人の吠声(はいせい)とされているものは九州王朝における警蹕(けいひつ。天 子の移動の際の先触れの声)であり、神聖な儀礼の一つであるとされました。警蹕は現在でも神社の御神体の移動などで神官により発声(「おー」という発声)される重要で伝統的な所作であることを、ユーチューブの動画(大麻比古神社〔阿波国一宮〕の御遷座の様子)をプロジェクターの映像で説明されました。
 更に能楽の「翁」の三番叟(さんばそう)の舞に、隼人舞の起源とされる海幸・山幸伝承に記された海幸の奇妙な所作が伝承されているとされ、これもプロジェクターによる映像で説明されました。インターネット時代らしくハイテク技術を駆使して、古代の真実を明らかにするという発表方法も素晴らしいものでし た。

〔4月度関西例会の内容〕
1). 故中小路氏の仏教公伝論について(八尾市・服部静尚、代読:竹村順弘)
2). STAP論文騒動への批判的考察(京都市・古賀達也)
3). ニギハヤヒを追う(東大阪市・萩野秀公)
4). 「魏年号銘」鏡(京都市・岡下英男)
5). 海幸・山幸と「吠ゆる狗・俳優の伎」(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・『古代は輝いていたⅠ』ミネルヴァ書房から復刊。II・III も続刊・古田先生検査入院予定・『古代に真実を求めて』17集編集状況・明石~淡路島ハイキング「絵島」「大和島」見学・紹興本『三国志』に「倭人傳」と いう伝目はない・小磯千尋著『インド哲学と食』・その他


第680話 2014/03/17

織田信長の石山本願寺攻め

 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」は、織田信長の摂津石山本願寺攻めが舞台となって展開中です。ご存じの通り、摂津石山本願寺の石山とは今の大阪城がある場所で、難波宮の北側です。大阪歴史博物館の窓からは大阪城と難波宮址の両方が展望できますので、お勧め観光スポットです。
 石山本願寺と織田信長の戦いは「石山合戦」と呼ばれ、10年の長きにわたり続きましたが、この歴史事実は石山がいかに要衝の地であり難攻不落であったかを物語っています。といいますのも、前期難波宮九州王朝副都説への批判として、太宰府のように神籠石山城に囲まれているのが九州王朝の都の特徴であり、前期難波宮にはそのような防衛施設がないことをもって、九州王朝とは無関係とする意見があるのですが、そうした批判への一つの回答が「石山合戦」なのです。
 先日の関西例会においても同様の疑問が寄せられましたので、神籠石山城の存在は「十分条件」ではあるが、「必要条件」ではないとする論理性の点からの反論をわたしは行ったのですが、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)から、「難波宮は難攻不落の要害の地にあり、信長でも石山本願寺攻めに何年もかかり、秀吉はその地に大阪城を築いたほど」という指摘がなされました。その意見を聞いて、わたしは「なるほど、これはわかりやすい説明だ」と感じました。わたしがなかなかうまく説明できなかったことを、見事な例で言い当てられたのです。まさに「我が意を得たり」です。
 関西の人はよくご存じのことと思いますが、当時の難波は天王寺方面から北へ伸びている「半島」となっており、三方は海に囲まれています。現在も「上町台地」としてその痕跡をとどめています。その先端付近に難波宮があり、後にその北側に石山本願寺や大阪城が造られています。
 7世紀中頃、唐や新羅の脅威にさらされた九州王朝の首都太宰府は水城と大野城などの山城で周囲を防衛しています。その点、難波であれば朝鮮半島から遠く離れており、攻める方は関門海峡を突破し、多島海の瀬戸内海を航行し、更に明石海峡も突破し、その後に上町台地に上陸しなればなりません。特に瀬戸内海は夜間航行は不可能であり、夜間は各地に停泊しながら東侵することになります。その間、各地で倭国軍から夜襲を受けるでしょうし、瀬戸内海の海流も地形も知り尽くした倭国水軍(「河野水軍」など)と不利な海戦を続けなければなりません。したがって、古代において唐や新羅の水軍が自力で難波まで侵入するのは不可能ではないでしょうか。
 同様に日本海側からの侵入も困難です。仮に敦賀や舞鶴から上陸でき、琵琶湖の東岸で陸戦を続けながら、大坂峠を越え河内湾北岸まで到達できたとしても、既に船は敦賀や舞鶴に乗り捨てていますから、上町台地に上陸するための船がありません。このように、難波宮は難攻不落という表現は決して大げさではないのです。だからこそ近畿天皇家の聖武天皇も難波を都(後期難波宮)としたのです。
 同様の視点から、愛媛県西条市で発見された字地名「紫宸殿」も防衛上の問題があります。考古学的調査はなされていませんが、もし九州王朝のある時代の「首都・王宮」であったとすれば、ここも周囲に防衛施設の痕跡はありません。北方に永納山神籠石はありますが、離れていますから王宮防衛の役割は期待できそうにありません(せいぜい「逃げ城」か)。しかし、ここでも唐・新羅の水軍は関門海峡の突破と瀬戸内海の航行を経なければ到達できません。難波に至っては、その距離は倍になりますから、更に侵入困難であることは言うまでもありません。
 難波宮が防衛上からも、評制による全国支配のための「地理的中心地」という点からも、やはり九州王朝(倭国)の副都とするにふさわしいのです。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で信長軍が石山本願寺攻めに苦慮しているシーンを見るにつけ、こうした確信が深まっています。


第679話 2014/03/15

討論「言素論」

 本日の関西例会では古田先生が提唱されている「言素論」をテーマに討議などが行われました。これは古田学派の研究者間で行われていたメールでの意見交換・討議を、せっかくだから関西例会で論争していただき、他の会員にも聞いていただいてはどうかという、わたしからの提案を受けて行われたものです。思いのほか、多くの参加者から意見が出され、関西例会らしく活発で学問的な討論となりました。
 不二井さんからは語学から見た「言素論」の画期性を評価する報告がなされ、西村さんからは「言素論」には賛成だが、他の仮説の論証に使用する場合は注意(論理的な限界に対する留意)が必要という見解が示されました。わたしも、古代史研究において方法論上の可能性を有した仮説とする意見を述べました。
 この他には、服部さんから発表された「雷山千如寺法系霊簿」に関する考察は、わたしが20年ほど前に発表した論文「倭国に仏教を伝えたのは誰か」(『古代に真実を求めて』1集所収)への批判も含まれたもので、とても懐かしく思いました。20年前の研究が再検証されることは、研究者冥利につきます。3月例会の報告は次の通りでした。

〔3月度関西例会の内容〕
①雲南の少数民族(木津川市・竹村順弘)
②雷山千如寺法系霊簿(八尾市・服部静尚)
③劉仁軌伝から白村江の戦いを推測する(八尾市・服部静尚)

【「言素論」の討議】
④語構成の研究(明石市・不二井伸平)
⑤「言素論」の使い方(高松市・西村秀己)

⑥三国志での「推量の可」の用法(姫路市・野田利郎)
⑦『倭人伝』の里程記事は正しかった
 ー「水行一日五百里・陸行一刻百里、一日三百里」と換算ー(川西市・正木裕)
⑧『古事記』真福寺本の「八千弟」と「ヤチホコ」(川西市・正木裕)
⑨「ニギハヤヒ」を追う(東大阪市・萩野秀公)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・古田先生福岡講演の報告・大和舞と筑紫舞は親類関係・言語は国家より古い(古田武彦)・宮地嶽神社への書籍献呈・神宮文庫『太神宮諸雑事記』古写本の閲覧・葛継勇「祢軍の倭国出使と高宗の泰山封禅」(『日本歴史』2014年3月号)・その他

参考

「古田史学」の理論的考察 (「論理的考察」 は誤植) 古田武彦(会報116号)
「いじめ」の法則 — 続、「古田史学」の理論的考察 古田武彦(会報117号)
古田史学の真実 — 西村論稿批判(古田武彦会報118号)
続・古田史学の真実 — 切言 古田武彦(古田史学会報119号)


第662話 2014/02/15

「納音(なっちん)」付
・九州年号史料の紹介

 本日の関西例会で、わたしは熊本県玉名郡和水町で発見された「納音(なっち ん)」付・九州年号史料を紹介しました。九州年号の善記元年(622)から始まる納音付きの不思議な九州年号史料ですので、そのコピーを例会参加者に配り、何のために作られた史料かわからないので、是非、皆さんのご協力を得たいとお願いしました。
 同史料は30種の「納音」が上段に記されているのですが、五行説の「木・火・土・金・水」の順番も乱れており、インターネットなどで出ている「納音」とも文字や順番も一致しておらず、とても理解に苦しむ史料状況を見せています。記されている九州年号も、最も原型に近いと考えている『二中歴』とは異なり、 わたしの知見の範囲では『如是院年代記』に記されている九州年号の内容に近いように思われました。引き続き検討したいと思います。
 例会後の懇親会には張莉さんも参加され、白川漢字学など興味深い研究をお聞かせいただけました。関西例会は研究発表だけでなく、二次会でも学問的に触発される貴重な一日となっています。2月例会の報告は次の通りでした。

〔2月度関西例会の内容〕
1). 天之日矛と秋山之下氷壯夫、春山之霞壯夫(高松市・西村秀己)
2). 孔子の弟子の倭人の概論(中国曲阜市・青木英利、代読:竹村順弘)
3). 内倉武久著『熊襲は列島を席巻していた』を読んで(木津川市・竹村順弘)
4). 「納音」付・九州年号史料の紹介(京都市・古賀達也)
5). 万葉集九番歌の解読の紹介(京都市・岡下英男)
6). 「東京新聞文化部御中」(「東京新聞」1月14日付「名著の衝撃」への批判文)安彦克彦(代読:明石市・不二井伸平)
7). 白村江の大義名分(八尾市・服部静尚)
8). 亡国の天子薩夜麻(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・奈良市奈良豆彦神社に伝わる「翁舞」・昭和初期に宮地岳で舞った「乙訓の伊東さん」調査・神宮文庫で『太神宮諸雑事記』古写本の閲覧・大下氏による古賀説への反論・その他


第646話 2014/01/21

須恵器の飛鳥編年と難波編年

 1月18日、新年最初の関西例会が開催されました。初参加の方もあり、関西例会らしい活発な論議が交わされました。
 中国曲阜市から一時帰国されている青木さんからは、孔子の弟子に倭人がいたとする報告がなされ、曲阜地域から出土している「縄文土器」が日本の縄文式土器ではないかと指摘されました。縄文式土器は中南米からも出土していますから、隣国の中国から出土しても不思議ではありません。同「縄文土器」と日本の縄文式土器との様式比較や編年など、これからの調査研究が楽しみなテーマです。
 服部さんからは、前期難波宮造営を孝徳期ではなく天智期頃とする白石さんの論文「須恵器編年と前期難波宮」の分析と解説がなされ、『日本書紀』などを根拠に5~10年単位での須恵器編年が可能とする白石さんの「飛鳥編年」の根拠が脆弱なこと、出土須恵器の取り扱いが恣意的であることなどをわかりやすく説明されました。
 「飛鳥編年」に対しては、わたしも同様の疑問を感じていましたが、服部さんの報告はそのことが大変わかりやい資料やデータで示されており、参考になりました。やはり「飛鳥編年」よりも、大阪歴博の研究者たちが提起している「難波編年」の方がより科学的(年輪年代測定や干支木簡なども根拠として成立)で論理的(考古学と文献の一致など)と思われました。前期難波宮造営が7世紀中頃とする説は最有力と思います(そもそも『日本書紀』にもそう書いてありますし、その件に関して『日本書紀』編者が嘘をつく必要もありません)。
 1月例会の報告は次の通りでした。

〔1月度関西例会の内容〕
1). 孔子の弟子の中に、倭人が在り(中国曲阜市・青木英利)
2). 後漢書のイ妥国伝(木津川市・竹村順弘)
3). 「須恵器編年と前期難波宮」白石太一郎氏の提起を考える(八尾市・服部静尚)
4). 大宰府政庁2期整地層の須恵器杯Bの編年(京都市・古賀達也)
5). 徳川道(明石市・不二井伸平)
6). 明石二見港の歴史と工楽松右衛門(明石市・不二井伸平)
7). 「筑紫なる日向」を前提としたウガヤフキアエズの陵墓と神武の妻(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・新年賀詞交換会の報告・初詣(比売神社・春日大社・東大寺)・芭蕉句碑の確認「水取りや 籠り(「氷」?)の僧の 沓の音・東 大寺二月堂のお水取り「2月12日」は長屋王が殺された日(殺した側の「懺悔の日」の行事ではないか。長屋王は九州王朝系の人物ではなかったか。)・東大寺ミュージアム訪問・阿武山古墳シンポジウム・『藤氏家伝』(伏見宮家本)では藤原鎌足は火葬・その他


第636話 2013/12/21

1ドルの『邪馬壱国の証明』の邂逅

 本日の関西例会にはスイス在住会員のリムさんが参加されました。リムさんはスイスでクラシックギターを教えておられるとのこと。例会後の懇親会でリムさんに古田史学との出会いをお聞きしましたら、10年ほど昔にニューヨークの古書店で古田先生の『邪馬壱国の証明』に出会ったことがきっかけとのことでした。ちなみに、そのときの『邪馬壱国の証明』の価格は1ドルとのことでした。その1ドルの『邪馬壱国の証明』が、時間と国境を越えて関西例会での邂逅となったのです。このようなお話しをお聞きする度に、「古田史学の会」を作って本当に良かったと思います。有り難いことです。
 本日の関西例会も多彩な報告がなされ、刺激的な一日となりました。発表テーマは次の通りでした。

〔12月度関西例会の内容〕
1). 独楽の記紀 — 「記紀とは何か」(大阪市・西井健一郎)
2). 北魏と倭の繋がり(木津川市・竹村順弘)
3). もう一つの天孫降臨 — 天火明命(天香山命)は東海に来ていた(東大阪市・横田幸男)
4). 「赤淵神社縁起」の解説(京都市・古賀達也)
5). 歴史概念としての「東夷」について(奈良市・出野正、張莉)
6). 池田仁三郎著「古墳墓碑」を批判する(八尾市・服部静尚)
7). 日本書紀の中国および朝鮮記事のずれについての考察(八尾市・服部静尚)
8). 何故末廬国の長官・副長官名がないのか(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・『古代に真実を求めて』16集発刊・中臣鎌足と阿武山古墳シンポジウム・新池ハニワ工場公園(太田茶臼山古墳および今城塚古墳 のハニワ工場)・講演会参加「江戸時代における東大寺大仏殿再興物語」平岡昇修氏・飛鳥の五角池の曲線の島は日本列島か・その他


第621話 2013/11/15

原発危機と「東大話法」

 先日、「古田史学の会」の会誌『古代に真実を求めて』を発行していただいている明石書店を訪問し、石井社長にご挨拶してきました。そのおり、同社より刊行された安冨歩著『原発危機と「東大話法」』をいただきました。同書は古田先生からも推薦していただいており、注目していた一冊でした。非倫理的で非学問的な「東大話法」に対して、現役東大教授が批判するという刺激的な内容ですが、 今回読んで、その「東大話法」に対する批判以上に現代日本に対する思想史的考察や物理学(熱力学第二法則)に基づいた現代文明批判は圧巻でした。是非、皆さんにも読んでいただきたい本です。
 さて、本日の関西例会は多種多彩な報告が続き、とても充実した一日となりました。たとえば野田さんからは、『三国志』の「歩」の全用例を抜き出し、それ が「短歩」なのか「長歩」なのかの考察が報告されましたが、時間不足のため質疑応答時間がとれず残念でした。
 出野さんからは中国雲南省のアカ族(倭族)の現地調査報告がプロジェクターを使用してなされ、日本の風習や文物との類似が大変よく理解できました。このように関西例会は近年ますます充実し、とても勉強になります。11月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔11月度関西例会の内容〕
1). 「與」の用法(明石市・不二井伸平)
2). 武寧王の手白香皇女(木津川市・竹村順弘)
3). 日本書紀遣隋使記事は12年ずれでよいか?(八尾市・服部静尚)
4). 『三国志』の尺(姫路市・野田利郎)
5). 渡来人について(多摩市・齋藤政利)
6). 『三国志』の歩(姫路市・野田利郎)
7). 天武十年記事の信頼性(川西市・正木裕)
8). すり替えられた九州王朝の南方諸島支配の概要(川西市・正木裕)
9). 「西双版納(シーサンパンナ)」倭人の源流を訪ねて(奈良市・出野正)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・八王子セミナーの概要(肥沼氏ブログより要約)・『古代に真実を求めて』16集、11月末刊予定・静御前の故郷、大和高田ハイ キング「八百屋お七」の墓・永井一郎著『大和路の(俳人)芭蕉』・「新東方史学会」役職人事・その他