古田史学の会一覧

第2145話 2020/05/03

クラウド(YouTube)古代史講演会

   のご案内

本日、竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)より、下記のメールが届きましたので紹介します。日本社会で自粛が続く中、ネットやSNSを用いて「古田史学の会」として何か発信やバーチャル例会などができないかと竹村さんに相談してきたのですが、この度、YouTubeで服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)による古代史講演が配信されることになりました。皆様からのご意見やご要望などを参考にしながら改良・発展させることができます。ご視聴とご協力をお願いします。

【以下、転載】
前略。毎度、お世話になっております。
服部編集長によるクラウド講演会、ユーチューブにアップ中です。
竹村順弘

 2024年10月23日削除しました。竹村氏の講演記録のみ残っています。検索すれば出てきます。
項目のみ記載しています。

【クラウド講演会@服部静尚】
「古田武彦氏の多元史観で古代史を語る」

1. 邪馬台国と卑弥呼

2. 古墳と多元史観

3. 倭国独立と倭国年号

4. 聖徳太子の実像

5. 大化の改新

6. 天皇と飛鳥

7. 白村江戦と壬申の乱

8、日本書紀


第2144話 2020/05/02

【緊急告知】

5月度「古田史学の会」関西例会を中止します

 新型コロナウィルス対策として発出された緊急事態宣言が継続される見通しとなりました。残念ながら、5月16日(土)の「古田史学の会」関西例会会場の福島区民センターが閉鎖となり、「古田史学の会」では5月度の関西例会中止を決定しましたので、お知らせいたします。
 「古田史学の会」役員会では、6月21日(日)午後に予定している会員総会・記念講演会の開催が可能か、不可能な場合は代替措置としてどのような手段があるのかなど、社会情勢も見ながら検討を続けています。開催する場合、総会議案の作成、会計監査の実施、講演会講師との調整など、超えなければならないハードルも多く、楽観はできません。
 今後の「関西例会」など諸行事の開催状況につきましても適宜判断し、ホームページ「新・古代学の扉」で案内いたしますので、皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。いずれ、経済活動再開に伴い、例会会場も開館されることと思います。会員の皆様におかれましては一層ご健康に留意していただきますよう、お願い申し上げます。終息まで、もう一息です。頑張りましょう。


第2143話 2020/04/28

『多元』No.157のご紹介

 友好団体「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.157が本日届きました。同号には服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の論稿「『国県制』を考える」と拙稿「前期難波宮出土『干支木簡』の考察」が掲載されていました。
拙稿では、前期難波宮出土の現存最古の干支木簡「戊申年」(648)木簡と二番目に古い芦屋市出土「元壬子年」(652)木簡の上部に空白部分があることを指摘し、本来は九州年号「常色」「白雉」が記されるべき空白部分であり、何らかの理由で木簡に九州年号を記すことが憚られたのではないかとしました。また、「戊」や「年」の字体が九州王朝系金石文などの古い字体と共通していることも指摘しました。
また、『多元』No.156に掲載された拙稿「七世紀の『天皇』号 ―新・旧古田説の比較検証―」を批判した、Nさんの論稿「読後感〝七世紀の「天皇」号 新・旧古田説の比較検証」〟について」が掲載されていました。その中で、わたしが紹介した古田旧説、近畿天皇家は七世紀前半頃から〝ナンバーツー〟としての「天皇」号を名乗っていた、という説明に対して、次のようなご批判をいただきました。

 〝古賀氏は、古田旧説では、例えば「天武はナンバーツーとして天皇の称号を使っていた」と述べるが、古田武彦はそのように果たして主張していたのだろうか、という疑問が生じる。〟
〝小生には古賀氏の誤認識による「古田旧説」に基づいた論難となっているのではないか、という疑念が浮かぶ。この「不正確性」については、以下の古賀氏の論述にも通じるものを感じる〟
〝今回同様の手前勝手に論点の整理をして、「古田旧説」「古田新説」などときめつけ、的外れの論述とならないように、と願うのみである。〟

 このように、わたしの古田旧説の説明に対して、「誤認識」「不正確」「手前勝手」と手厳しく論難されています。
「洛中洛外日記」読者の皆さんに古田旧説を知っていただくよい機会でもありますので、改めて七世紀における近畿天皇家の「天皇」号について、古田先生がどのように認識し、述べておられたのかを具体的にわかりやすく説明します。
「七世紀の『天皇』号 ―新・旧古田説の比較検証―」でも紹介したのですが、古田先生が七世紀前半において近畿天皇家が「天皇」号を称していたとされた初期の著作が『古代は輝いていたⅢ』「第二章 薬師仏の光背銘」(朝日新聞社刊、一九八五年)です。同著で古田先生は、法隆寺薬師仏の光背銘に見える「天皇」を近畿天皇家のこととされ、同仏像を「天平仏」とした福山俊男説を批判され、次のように結論づけられました。

 「西なる九州王朝産の釈迦三尊と東なる近畿分王朝産の薬師仏と、両々相対する金石文の存在する七世紀前半。これほど一元史観の非、多元史観の必然をあかあかと証しする世紀はない。」(278頁)

 このように、七世紀前半の金石文である法隆寺薬師仏に記された「天皇」とは近畿天皇家のことであると明確に主張されています。すなわち、古田先生が「旧説」時点では、近畿天皇家は七世紀前半から「天皇」を名乗っていた、と認識されていたのは明白です。
さらに具体的な古田先生の文章を紹介しましょう。『失われた九州王朝』(朝日文庫版、1993年)に収録されている「補章 九州王朝の検証」に、次のように古田旧説を説明されています。

 〝このことは逆に、従来「後代の追作」視されてきた、薬師如来座像こそ、本来の「推古仏」だったことを示す。その「推古仏」の中に、「天皇」の称号がくりかえし現れるのである。七世紀前半、近畿天皇家みずから、「天皇」を称したこと、明らかである。(中略)
もちろん、本書(第四章一)の「天皇の称号」でも挙列したように、中国における「天皇」称号使用のあり方は、決して単純ではない。「天子」と同意義の使用法も存在する。しかし、近畿天皇家の場合、決してそのような意義で使用したのではない、むしろ、先の「北涼」の事例のように、「ナンバー2」の座にあること、「天子ではない」ことを示す用法に立つものであった(それはかつて九州王朝がえらんだ「方法」であった)。
この点、あの「白村江の戦」は、いわば「天子(中国)と天子(筑紫)」の決戦であった。そして一方の天子が決定的な敗北を喫した結果、消滅へと向かい、代って「ナンバー2」であった、近畿の「天皇」が「国内ナンバー1」の位置へと昇格するに至った。『旧唐書』で分流(日本国)が本流(倭国)を併呑した、というのがそれである。〟(601-602頁)

 以上の通りです。わたしの古田旧説(七世紀でのナンバー2としての天皇)の説明が、「誤認識」でも「不正確」でも「手前勝手」でもないことを、読者の皆さんにもご理解いただけるものと思います。
わたしは、〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟と考えています。ですから拙論への批判を歓迎します。


第2141話 2020/04/24

竹田侑子さんからのお礼状

 わたしたち「古田史学の会」では、会員論集『古代に真実を求めて』を友好団体などに贈呈させていただいています。この度上梓した『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』(『古代に真実を求めて』23集)を贈呈した竹田侑子さん(秋田孝季集史研究会・会長、弘前市)からお礼状が届きましたので紹介します。

【お礼状から一部転載】
(前略)
 それにしても魅力的なタイトルです。
 頂戴していつも、タイトル選びが上手だな、と思うのですが、今回は執筆者の皆様が、九州王朝が失われてからの日本の歴史にどんな孤独を抱いたのだろうか、などと連想させるような、余韻を漂わせていました。
 これから、じっくりと心して読ませていただきます。
 楽しみです。本当にありがとうございました。

 日々ご多忙と拝察しておりますが、ご自愛くださり、「古田会」を引っ張っていってくださることを願っております。
                        草々

                    2020年4月15日
                       竹田侑子
(後略)
【転載おわり】

 同書のタイトルをお褒めいただき、安心しました。というのも、今回のタイトルは敢えて文学的表現にしたのですが、読者から評価していただけるものか、正直不安だったのです。
 もっとよいタイトルがあるのではないかと悩み続けて、最終的には正木裕さんの「〝日本書紀〟だけではなく、〝古事記〟もタイトルにいれるべき」というご意見を採用し、さらに当初案はメインタイトルが「消えた古代王朝」、サブタイトルが「『古事記』『日本書紀』千三百年の孤独」だったのですが、服部編集長のご意見により、メインタイトルとサブタイトルを入れ替えることになったものです。
 その後も、久冨直子さん(編集部員)から別のタイトル案も出され、最終的には明石書店の編集会議で『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』が採用されました。明石書店内でもかなり議論になったとうかがっています。タイトルの善し悪しが、本の売れ行きに大きく影響しますから、竹田さんからのお褒めの言葉は大変励みになりました。
 なお、『古代に真実を求めて』は18集から特集テーマを前面に出して、タイトルも新たに付けることにしました。おかげさまで、それ以来、販売部数が伸びて、再版されるようにもなりました。竹田さんからお褒めいただいた各号のタイトルは次のようなものです。

18集 盗まれた「聖徳太子」伝承
19集 追悼特集 古田武彦は死なず
20集 失われた倭国年号《大和朝廷以前》
21集 発見された倭京 太宰府都城と官道
22集 倭国古伝 姫と英雄(ヒーロー)と神々の古代史
23集 「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝


第2137話 2020/04/19

『九州倭国通信』No.198のご紹介

 先日、「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.198を頂きましたので紹介します。同号には拙稿「『邪馬台国』畿内説は学説に非ず ―倭人伝の考古学と文献史学―」を掲載していただきました。
 その冒頭の「一、はじめに」で
 〝世にいう「邪馬台国」論争は、古田武彦先生の邪馬壹国博多湾岸説の登場により、学問的には決着がついているとわたしは考えていますが、マスコミや学界では未だに「邪馬台国」論争が続けられています。「邪馬台国」畿内説は学説(学問的仮説・学問的方法)とは言い難いとわたしは考えていますが、本稿ではその理由を説明します。畿内説支持者は気分を害されることとは思いますが、ぜひ最後まで読んでみて下さい。その上で、ご批判・反論をいただければ幸いです。〟
 と前置きして、以下の項目で「邪馬台国」畿内説を批判しました。九州の皆様には特にご納得いただけたものと考えています。

二、畿内説は「研究不正」の所産
三、行程データの原文改定
四、国名データの原文改定
五、総里程データの無視
六、地勢データの無視
七、考古学データの無視
八、最も早く文字を受容した北部九州
九、考古学は科学か「神学」か


第2135話 2020/04/13

『古田史学会報』157号のご紹介

 『古田史学会報』157号が発行されましたので紹介します。
本号の一面は札幌市の阿部さんの論稿です。九州年号の使用が仏教関連に限定されており、九州王朝律令には政治的公文書に年号使用の規定はなかったとする研究です。わたしの説とは異なりますが、史料根拠と論理性が明確な好論です。カール・ポパーが「反証主義」で主張しているように、学問(科学)においては「反証可能性」の有無が重要で、阿部稿にはこの「反証可能性」が担保されています。
わたしは、「九州王朝系近江朝廷の『血統』 ―『男系継承』と『不改常典』『倭根子』―」と「松江市出土の硯に『文字』発見 ―銅鐸圏での文字使用の痕跡か―」の2編を発表しました。いずれも従来にはない視点で各テーマを取り上げました。ご批判をお願いします。
大原稿は三星堆の青銅立人と土偶の共通性を論じたもので、先駆的な仮説であり、説得力を感じました。好論です。
157号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。
本号は会費振込用紙を同封して会員の皆様に発送しています。2020年度会費の納入をお願いします(一般会員3,000円、賛助会員5,000円)。

『古田史学会報』157号の内容
○「倭国年号」と「仏教」の関係 札幌市 阿部周一
○九州王朝系近江朝廷の「血統」 ―「男系継承」と「不改常典」「倭根子」― 京都市 古賀達也
○七世紀後半に近畿天皇家が政権奪取するまで 八尾市 服部静尚
○松江市出土の硯に「文字」発見 ―銅鐸圏での文字使用の痕跡か―
○三星堆の青銅立人と土偶の神を招く手 京都府大山崎町 大原重雄
○沖ノ島出土のカットグラスはペルシャ製 編集部
○「壹」から始める古田史学・二十三
磐井没後の九州王朝3 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○『古田史学会報』原稿募集
○古田史学の会・関西 史跡めぐりハイキング
○古田史学の会・関西例会のご案内
○各種講演会のお知らせと連絡先
○2020年度会費納入のお願い
○新型コロナウィルスの対策方針として 古田史学の会・代表 古賀達也
○編集後記 西村秀己


第2133話 2020/04/12

野田利郎稿「伊都国の代々の王とは

     ―『世有王』の新解釈―」への批評

本日、『古代に真実を求めて』編集長の服部静尚さんから頂いたメールによれば、『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』(『古代に真実を求めて』23集)に一般論文として掲載された野田利郎さんの論稿「伊都国の代々の王とは ―『世有王』の新解釈―」に対する批評が「古代史の散歩道など」というブログ(主宰者不詳)に掲載されているとのこと。
 早速、ブログを拝見したところ、同批評は『季刊邪馬台国』131号に掲載されている塩田泰弘稿「魏志が辿った邪馬台国への径と国々」の書評中にありました。真摯で学問的な好意的批評でした。野田稿を採用したわたしたち編集部にとっても、喜ばしいことです。一部を転載し、紹介します。

【以下、転載】
「古代史の散歩道など」
https://toyourday.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-345ed0.html
2020年4月 8日 (水)
新・私の本棚 季刊邪馬台国 131号 塩田泰弘「魏志が辿った..」3/5
「魏志が辿った邪馬台国への径と国々」2016/12刊行
(前略)
 ところが、近刊の古田史学論集第23集掲載の野田利郎氏の「伊都国の代々の王とは~世有王の新解釈~」は、豊富な古典用例に基づき後出倭人伝伊都条の「丗有王皆統屬女王國」を「世に有る王は、皆女王国に統属する」と読み、倭人伝列国に皆王があり女王に属したとしています。
 定説が「丗有王」を「世世有王」と改竄して、「伊都には歴代王がいる(が、他国は特記しない限り、王がいない)」と伊都特定記事と見たのが早計としているのです。いや、さすがの古田氏も、この原本改定は見逃していたようです。(中略)
 野田氏は、范曄が、倭人伝の紙背を読んで明解に書き立てたと見て、素人目には倭人伝界で不評の笵曄株を上げる、一聴に値する論考としていて、小なりと言えども首尾が整っています。(中略)
 古田史学会誌は、ことのほか厳しい論文査読で定評があり、ここでも精妙で画期的な論考を査読、提供しています。
 今後、当論文に関し、広く追試や批判が出て来るものと期待しています。


第2130話 2020/04/09

4月度「古田史学の会」関西例会を中止します

 この度の新型コロナウィルス対策として発出された政府の緊急事態宣言により、4月18日の「古田史学の会」関西例会会場のドーンセンターが閉鎖となりました。そのため、「古田史学の会」では4月度の関西例会中止を決定しましたので、お知らせいたします。
 関係者、会員の皆様にはご迷惑やご心配をおかけすることになり、申し訳ございません。今後の「関西例会」など諸行事の開催状況につきましても適切に判断し、ホームページ「新・古代学の扉」で案内いたしますので、皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。会員の皆様におかれましては一層ご健康に留意していただき、またお元気なお顔を拝見できることを願っております。

追伸 「市民古代史の会・京都」主催の古代史講演会も4月度(講師:古賀)・5月度(講師:正木さん)の中止を決定されたとのご連絡をいただきましたので、ご一報申し上げます。


第2128話 2020/04/07

奈良新聞に

『古代に真実を求めて』23集プレゼントの案内

 奈良新聞(2020.04.04)に、古代大和史研究会(原幸子代表)からの『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝』(『古代に真実を求めて』23集)読者プレゼントの案内が掲載されました。
 記事には次のように同書が紹介されています。

 〝古代史研究家の故古田武彦氏は、大和朝廷に先立って九州王朝が存在し、中国史書に見える「倭国」とは九州王朝とする多元的歴史観・九州王朝説を提唱した。同書は古田氏の多元的歴史観に基づく史料批判により、「古事記」「日本書紀」の中に失われた九州王朝「倭国」の痕跡を探り出し、「真実の古代史像」を明らかにする。〟

 奈良新聞の読者に古田史学・古田武彦ファンが増えることが期待されます。古代大和史研究会の取り組みと、掲載していただいた奈良新聞に感謝いたします。


第2123話 2020/04/01

『東京古田会ニュース』191号の紹介

『東京古田会ニュース』191号が届きました。本号には拙稿「満月寺石塔『正和四年』銘の考察 ―多層石塔の年代観―」を掲載していただきました。大分県臼杵市の満月寺にある五重石塔の製造年代を、銘文にある「正和四年乙卯卯月五日」(1315年)として問題ないことを、その様式や「卯月」という表記、そして四面に彫られた梵字(六世紀頃に中央アジアで成立し、日本へは八世紀に伝来したとされる悉曇文字)の存在などを根拠に解説したものです。
 昨年11月に開催された「八王子セミナー」で、同石塔を九州年号「正和四年(529年、己酉)」の製造とする発表が林伸禧さん(愛知県瀬戸市)からありました。しかし、同石塔の様式や梵字の存在、そして1315年を示す干支「乙卯」に追刻や改竄の痕跡は認められないなど、どこをどう見ても中世の石塔であることから、拙稿を発表することにしたものです。もし、この石塔の様式や彫られている梵字が六世紀初頭のものであると主張したい場合は、そう主張する側に六世紀初頭の同様の金石文の存在を明示するなどの立証責任があることは自明でしょう。
 本号に掲載された安彦克己さん(東京古田会・副会長、港区)の「浅草キリシタン療養所の発見」は秀逸の論稿でした。和田家文書(北斗抄)に記された江戸時代初頭の浅草にあったとされる〝キリシタン療養所〟の存在を示す記録が、1924年発行の『ゾテーロ伝』(ロレンス・ペレス著)にあることをつきとめられたもので、これは和田家文書偽作説を根底から覆すものです。この新発見については、昨年の「八王子セミナー」の夜、宿泊した部屋が隣室だったご縁で、安彦さんから概要をお聞きしていました。ですから、論文発表をわたしは心待ちにしていましたが、期待に違わない驚愕の内容でした。同時に和田家文書の持つ優れた史料価値を再認識させられました。
 田島芳郎さん(川崎市)の「古田武彦先生の思い出」も興味深い内容でした。田島さんは古田史学ファン(読者・研究者)として、いわば第1世代に当たる方で、わたしが知らないような昔の古田先生との想い出が紹介されています。中でも、昭和薬科大学諏訪校舎で開催された『「邪馬台国」徹底論争』シンポジウム(1991年8月)の裏話〔藤田友治さん(当時「市民の古代研究会」会長、故人)とのトラブル〕などは初めて知ったお話しでした。わたしも記憶が鮮明な内に、こうした想い出を記しておかなければと思いました。


第2122話 2020/03/30

新型コロナウィルスの対策方針について

 新型コロナウィルスの感染拡大による各種イベントの自粛要請などを受けて、「古田史学の会」役員会は、当面、次のような対策と各種講演会への対応方針を決定しましたので、会員や講演会・例会参加者の皆様にお知らせいたします。ご理解とご協力をお願い申し上げます。

1.関連自治体や会場管理者の要請に応じて、各種イベント開催の是非や講師派遣などの協力について適切に判断いたします。

2.関西例会など主催イベントの開催も上記に準じ、開催する場合は発表者を始め参加者にマスク着用、手の消毒などの協力を要請します。ご高齢者や病弱な方の命と健康を守るため、咳や発熱などの症状がある方のご入場をご遠慮いただきます。また、持病をお持ちの高齢者の参加は自粛をお願い申し上げます。

3関係団体主催イベントへの講師派遣については、必要な安全対策を要請し、講師の安全確保が困難と判断した場合は講師派遣などの協力をお断りします。

4.政府や関連自治体の方針に基づき、上記の対応を継続します。具体的なイベント開催の中止や延期などについては「古田史学の会」ホームページ、『古田史学会報』などで告知いたします。

以上

 この難局を乗り越えるために、皆様のご理解とご協力を重ねてお願い申し上げます。


第2116話 2020/03/21

『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独

       — 消えた古代王朝』刊行

 できたばかりの『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝』が明石書店から送られてきました。「古田史学の会」2019年度賛助会員(年会費5000円)にはこれから順次送付されます。配送作業に日数がかかりますので、しばらくお待ちいただくことになります。一般会員(年会費3000円)やその他の方は、書店やアマゾンでご注文ください。価格は2,600円+税です。
 多元史観・九州王朝説に基づいた『日本書紀』の解説書という性格も持つ一冊で、「古田史学の会」ならではの従来の解説書とは全く異なる出来映えとなっています。「古田史学の会」では全国各地で出版記念講演会を開催し、本書を世に広めていきます。ご期待下さい。
 同書「巻頭言 『日本書紀』に息づく九州王朝」の末尾に、わたしは次のように記しました。

 〝読者が本書を手に取り、新たなページを開くとき、それは令和の世に「新・日本紀講筵」が開講されたことを意味する。千三百年後のその日のために、わたしたちは本書を上梓したのである。〟

 願わくは、本書がこれから千年の命を保ち、千年後のその日、「令和の日本紀講筵」テキストとして『日本書紀』と共に古典となっていますように。