古田史学の会一覧

第3438話 2025/02/26

『古代に真実を求めて』29集の原稿募集

2026年春発行予定の『古代に真実を求めて』29集の原稿を募集します。投稿規定は次の通りです。新たに採用した規定もありますので、投稿の際はご留意下さい。

❶29集の特集テーマは「藤原京と古代都城」です。古田史学・多元史観の継承発展に寄与できる論文をご投稿ください。

❷特集論文・一般論文(一万五千字以内)、フォーラム(随筆・紀行文など。五千字以内)、コラム(解説小文。二千字程度)を募集します。投稿は一人四編までとします〔編集部からの依頼原稿を除く〕。
論文は新規の研究であること。他誌掲載論文、二重投稿、これに類するものは採用しません。それとは別に、編集部の判断に基づき、他誌掲載稿を転載することがあります。

❸採用稿を本会ホームページに掲載することがありますので、ご承諾の上、投稿してください。

❹投稿締め切り 令和7年(2025)9月末。原稿は最終稿を投稿して下さい。投稿締切後の修正には原則として応じません。編集部から、採用予定稿の修正を求める場合があります。

❺原稿はワード、またはテキストファイル形式で提出して下さい。ワードの特殊機能(ルビ、段落自動設定など)は使用しないで下さい。ルビは()内に赤字で付記してください〔例 古田史学(ふるたしがく)〕。原稿は縦書仕様とし、アラビア数字を漢数字にするなど、適切に対応してください。

❻掲載する写真や表は、文書ファイルとは別に写真ファイル・エクセルファイルとして提出して下さい(ワード掲載写真は画像が不鮮明になるため)。その際、写真・表の掲載位置を原稿中に赤字で指示してください。
写真や図表などの転載・転用は、他者の著作権や版権に留意し、必要であれば転載許可申請などに対応できるよう、事前に準備して下さい。

❼投稿先 古賀達也まで。原稿はe-mailでお寄せ下さい。メールアドレスは『古田史学会報』に掲載しています。


第3436話 2025/02/24

『古代に真実を求めて』28集の目次

 ―列島の古代と風土記―

 「列島の古代と風土記」をタイトルとする『古代に真実を求めて』28集の編集作業も大詰めを迎えています。発刊に先立って、同集の目次をお知らせします。どのような一冊となるのか、掲載論文名からその雰囲気を感じていただけることと思います。

列島の古代と風土記(『古代に真実を求めて』二十八集) 目次

〔巻頭言〕多元史観・九州王朝説は美しい 古賀達也

〔特集〕列島の古代と風土記
「多元史観」からみた『風土記』論 ―その論点の概要― 谷本 茂
『風土記』に記された倭国(九州王朝)の事績 正木 裕
筑前地誌で探る卑弥呼の墓 ―須玖岡本山に眠る女王― 古賀達也
【コラム】卑弥呼とは言い切れない風土記逸文にみられる甕依姫に関して 大原重雄
筑紫の神と「高良玉垂命=武内宿禰」説 別役政光
新羅国王・脱解の故郷は北九州の田河にあった 野田利朗
新羅来襲伝承の真実 ―『峯相記』と『高良記』の史料批判― 日野智貴
播磨国風土記の地名再考・序説 谷本 茂
『風土記』の「羽衣伝承」と倭国(九州王朝)の東方経営 正木 裕
『常陸国風土記』に見る「評制・道制と国宰」 正木 裕
【コラム】九州地方の地誌紹介 古賀達也
【コラム】高知県内地誌と多元的古代史との接点 別役政光

〔一般論文〕
「志賀島・金印」を解明する 野田利朗
「松野連倭王系図」の史料批判 古賀達也
喜田貞吉と古田武彦の批判精神 ―三大論争における論証と実証― 古賀達也

〔付録〕
古田史学の会 会則
古田史学の会 全国世話人名簿
友好団体
編集後記 古賀達也
第二十九集投稿募集要項 古田史学の会 会員募集


第3435話 2025/02/23

藤田隆一さんの『先代旧事本紀』講義

―天理図書館本と飯田季治校本の比較―

 昨日開催された東京古田会月例会にリモート参加しました。そこで藤田隆一さんの『先代旧事本紀』講義を拝聴させていただきました。いつもながらの見事な講義で、とても勉強になりました。藤田さんは古文や漢文にめっぽう強く、わたしが毛筆文書(富岡鉄斎の佐佐木信綱宛書簡。注①)の解読に困っていたときにも教えを請いました。

 今回のテーマとなった『先代旧事本紀』は九世紀頃に成立したとする説が有力視されていますが、序文などは偽作とされており、古代史研究の史料としてはあまり論文などに採用されていません。しかし、その中の「国造本紀」には他に見えない情報が採録されており、注目されてきました。

 今回の講義で藤田さんは、鎌倉時代に成立したとされる天理図書館本がテキストとして優れているとされ、「国造本紀」の中の「伊吉島造」(壱岐島)の写本(版本)間の異同を指摘されました。以前、わたしが『先代旧事本紀』の研究(注②)に用いた飯田季治『標註 先代旧事紀校本』(注③)の「伊吉島造」には次のようにありました。

「磐余玉穂朝(継体)。伐石井從者新羅海邊人。天津水凝 後 上毛布直造。」

 ところが、天理図書館本では「伐」が「代」となっていたり、「從者」が「者從」とあり、そのため飯田季治『標註 先代旧事紀校本』とは意味が異なってくるのです。

 同校本は『渡會延佳校本の鼇頭舊事紀』を底本としており、その解題には、「本書は從來最も善本として世に流布する所の『渡會延佳校本の鼇頭舊事紀』を底本となし、更に之に標注を增訂し、且つ亦た上記の諸本を始め飯田武郷校本、栗田寛校本等を參照し、全巻を審かに校定せるものである。」とあります。

 また、国史大系本の底本は「神宮文庫本」(延宝六年写本、1678年)で、『渡會延佳校本の鼇頭舊事紀』などで校合したとあります。両本を比較して『標註 先代旧事紀校本』が優れているように思いましたので、テキストとして採用したのですが、藤田さんの説明によると天理図書館本の成立がはるかに古く、鎌倉時代とのことでしたので、使用テキストの再検討が必要となりました。

 他方、天理図書館本や国史大系本には、「大隅国造」「薩摩国造」の記事中に「仁徳朝」「仁徳帝」とあり、他の国造記事には見えない漢風諡号「仁徳」が使用されています。『標註 先代旧事紀校本』には「難波高津朝」とあり、他の国造記事と同様に宮号表記となっています。こうした表記の異同があることから、どちらが原本の姿をより残しているのか思案しています。

 いずれにしましても、藤田さんの講義のおかげで、『先代旧事本紀』研究における各テキスト表記の異同が持つ重要な問題に気づくことができました。古田学派の中に、藤田さんのような書誌学に精通した研究者がいることはとても心強いことです。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」3041話(2023/06/14)〝「富岡鉄斎文書」三編の調査(4) ―藤田隆一さん、佐佐木信綱宛書簡を解読―〟
②同「洛中洛外日記」2866~2872話(2022/10/30~11/05)〝 『先代旧事本紀』研究の予察 (1)~(6)〟
同「『先代旧事本紀』研究の予察 ―筑紫と大和の物部氏―」『多元』174号、2023年。
③飯田季治編『標註 先代旧事紀校本』明文社、昭和22年(1947)の再版本(昭和42年)による。


第3434話 2025/02/22

「列島の古代と風土記」の再校正終了

『古代に真実を求めて』28集(明石書店)

 「列島の古代と風土記」(『古代に真実を求めて』28集)の再校正作業を昨日終えて、明石書店にゲラを返送しました。今回からはゲラ校正担当として、茂山憲史さんに代わって谷本茂さんにも担当していただいています。『古代に真実を求めて』編集部では、著者校正の他に全原稿のゲラ校正(計三回)を西村秀己さん(高松市)・谷本茂さん(神戸市)・古賀(京都市)の三名で行っています。元朝日新聞記者だった茂山さんのプロフェッショナルな校正も素晴らしかったのですが、谷本さんも古田学派トップクラスの中国史書・風土記研究者らしく、著者も気づけなかったほどの細かく重要なミスまで指摘していただき、とても助かっています。「古田史学の会」は優れた校正担当者に恵まれました。ありがたいことです。

 編集作業がこのまま順調に進めば、四月上旬頃には発行できます。2024年度賛助会員(年会費5000円)には、その後、順次発送作業に入りますのでお待ち下さい。一般会員(年会費3000円)の皆様には、本会在庫の特価販売を予定しています。現在、定価や特価販売価格について検討を続けており、詳細は「洛中洛外日記」や『古田史学会報』などでお知らせします。

 同集のタイトル「列島の古代と風土記」が示すように、古田先生以後の多元史観による風土記・地誌の最先端論文を収録しました。従来の大和朝廷一元史観では見えてこなかった列島の古代の姿が、多元史観による風土記・地誌研究で蘇っています。収録した諸論文の仮説と一元史観に基づく旧来仮説との優劣を、学界の権威におもねらない読者の皆さんで確かめてください。もちろん、学問的批判は著者たちも編集部も大歓迎です。〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟と、わたしは確信しています。

【写真】「列島の古代と風土記」表紙カバーデザインの検討案

(編集部と明石書店で検討中です)


第3431話 2025/02/16

萩野さん、阿蘇ピンク石の謎に迫る

 昨日、 「古田史学の会」関西例会が豊中自治会館で開催されました。3月例会の会場も豊中自治会館です。

 今回の報告で興味を引かれたのが、萩野秀公さんの「熊本宇土への調査旅行報告Ⅱ」でした。先月に続いての発表です。海を渡って関西にもたらされた熊本県宇土半島の馬門(まかど)から産出する赤い石材「馬門石」(阿蘇溶結凝灰岩)についての現地調査報告です。それは「阿蘇ピンク石」とも呼ばれ、古墳の石棺に使用されています。たしかに赤い石材が当時は好まれたのでしょうが、そうであれば、産地の肥後地方や九州でも古墳の石棺に使用されていても良いはずですが、何故か当地では使用されていないようなのです。石室の壁石としては使用した例はあるとのことですが、石棺に使用した古墳はないとされています。

 わたしは、生産地や九州ではピンク石石棺が使用されていないという現象を不思議に思ってきました。たとえば、大和朝廷が九州での使用を禁止したとする説もあるそうですが、これが九州王朝による禁止命令であったとしても納得できませんでした。それほど貴重な石材であり、王家以外の豪族らに使用を禁止したのであれば、王家自らの〝独占使用〟の痕跡がなければなりません。しかし、八女古墳群にある九州王朝王家の古墳と思われる石人山古墳(五世紀前半~中頃)の石棺もピンク石ではなかったと記憶しています。

 このような疑問を抱いていたわたしは、例会後の懇親会で萩野さんに、本当に肥後や九州の古墳からピンク石石棺は発見されていないのですかと質問しました。萩野さんの返答は、石室の一部に使用されている例はあるが、石棺には使用されていないとのことでした。しかし、話を進めていると、地元の某博物館ではピンク石石棺が、とある古墳から出土しているとする掲示があることを教えていただきました。

 萩野さんのご意見ではその掲示は誤りとのことでしたが、博物館で掲示されているのであれば、それは現地の考古学の専門家の意見ですから、当該石棺の実物を見ないで否定するのはいかがなものかと思い、萩野さんに再度の調査を要請しました。来月の例会でも阿蘇ピンク石について発表されるとのことですので、改めてこの点をお聞きしたいと思っています。もし、九州の古墳にもピンク石石棺があったのであれば、従来の見解を覆す発見となるのではないでしょうか。とても楽しみなテーマです。

 2月例会では下記の発表がありました。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔2月度関西例会の内容〕
①「四人の倭建」の概略 (大阪市・西井健一郎)
②倭王武の上表文の東西海北216国は制覇は史実なのか? (大山崎町・大原重雄)
③『古代日本の渡来勢力』批判 (茨木市・満田正賢)
④熊本宇土への調査旅行報告Ⅱ (東大阪市・萩野秀公)
⑤「呉」と銅鐸圏と画文帯神獣鏡・拘奴国 (川西市・正木 裕)

◎八王子セミナー実行委員会の報告・他 (代表 古賀達也)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
03/15(土) 10:00~17:00 会場 豊中自治会館


第3426話 2025/02/10

『古田史学会報』186号の紹介

『古田史学会報』186号を紹介します。同号には拙稿〝「九州王朝律令」復元研究の予察〟と〝安藤哲朗氏のご逝去を悼む〟〝〔新年のご挨拶〕超満員御礼!新春古代史講演会〟の三編を掲載して頂きました。

〝安藤哲朗氏のご逝去を悼む〟で紹介した、生前、安藤さんよりいただいた未発表稿「真福寺本古事記の文字について」は、遺稿として多元的古代研究会へお譲りしました。同会の会報『多元』か記念刊行物に収録していただけるとのことですので、故人のご遺志にもかない、同会々員のみなさんにも喜んでいただけることと思います。

〝「九州王朝律令」復元研究の予察〟は、現存しない九州王朝律令の復元のために、木簡・金石文・『日本書紀』などに遺っている断片史料を紹介したものです。言わば基礎研究ですので、今後の九州王朝研究に裨益できれば幸いです。
一面に掲載された正木稿「「磐井の崩御」と「磐井王朝(九州王朝)」の継承(上)」は前号掲載の「『筑後国風土記』の「磐井の乱」とその矛盾」に続く、筑紫君磐井に関する本格的な論文です。この分野の有力説になるのではないでしょうか。注目したいと思います。

古谷さんの論稿〝「牛利」という姓名〟は倭人伝に見える「都市牛利」について、「都市」を官職名とした『古田史学会報』147号(2018年)の論稿「長沙走馬楼呉簡の研究」の続編でもあり、「牛利」の「牛」を姓、「利」を名とするものです。史料根拠も示されており、有力説ではないでしょうか。これもなかなか面白い仮説と思いました。
186号に掲載された論稿は次の通りです。

【『古田史学会報』186号の内容】
○「磐井の崩御」と「磐井王朝(九州王朝)」の継承(上) 川西市 正木 裕
○不改常典仮託説批判 古田武彦説と中野渡俊治説の対比 たつの市 日野智貴
○國枝氏の「唐書類の読み方」への返答 神戸市 谷本 茂
○なぜ、『隋書』は「裴清」と書いたのか ―推古紀の遣唐使の解明― 姫路市 野田利郎
○「九州王朝律令」復元研究の予察 京都市 古賀達也
○「牛利」という姓名 枚方市 古谷弘美
○安藤哲朗氏のご逝去を悼む 古田史学の会・代表 古賀達也
○〔新年のご挨拶〕超満員御礼!新春古代史講演会 古田史学の会・代表 古賀達也
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○「会員募集」ご協力のお願い
○編集後記 高松市 西村秀己

『古田史学会報』への投稿は、
❶字数制限(400字詰め原稿用紙15枚)に配慮し、
❷テーマを絞り込み簡潔に。
❸論文冒頭に何を論じるのかを記し、
❹史料根拠の明示、
❺古田説や有力先行説と自説との比較、
❻論証においては論理に飛躍がないようご留意下さい。
❼歴史情報紹介や話題提供、書評なども歓迎します。
読んで面白く勉強になる紙面作りにご協力下さい。


第3423話 2025/02/06

倭人伝「七万余戸」の考察 (4)

 ―戸数と面積の相関論(正木裕説)―

 弥生時代の人口推計学の方法(遺跡の「発見数」を計算に使用)や推定値(弥生時代の人口約60万人)が、同分野の研究者(注①)からも「計算方法に根本的な問題がある」との疑義が出されていることから、そのような推定値を根拠として、倭人伝の「七万余戸」を否定することはできないことがわかりました。

 そこで今回は文献史学の立場から、倭人伝に記された各国の戸数とその領域の平野部面積に相関があり、その戸数が信頼できることを実証的に論じた正木裕さん(古田史学の会・事務局長)の研究「邪馬壹国の所在と魏使の行程」(注②)を紹介します。同研究の概要を説明したメールが正木さんから届きましたので、転載します。詳しくは『古代に真実を求めて』17集に収録した正木論文を読んで下さい。

【以下、メールを転載】
古賀様
極めて大雑把な計算ですが、壱岐の面積と戸数をもとに計算した「魏志倭人伝」の各国の面積と領域は次のとおり。

①壱岐(一大国)は138㎢・3千許家で、これから比例させた、「千戸(家)」の伊都国・不彌国両国の面積は1/3の各約50㎢。
(*壱岐の耕地面積割合は1/3程度。怡土平野はほぼ耕地だからこれを一定考慮すれば両国は約25㎢=方5㎞の範囲の国)

②「奴国」の「二万戸」を比例させれば約800㎢。これは山岳部(背振山脈)を除外すれば怡土平野+肥前国程度。

③「邪馬壹国」の「七万戸」を比例させれば約2800㎢。これは山岳部(古処馬見英彦山地)を除けば、南西は筑後川河口の有明海岸まで、南は耳納山地を含み、東は周防灘沿岸の豊前市付近まで、北東は直方平野から関門海峡までを包む領域で、邪馬壹国は筑前・筑後の大部分と豊前といった北部九州の主要地域をほとんど含んだ大国だったことになる。

 つまり壱岐の戸数と面積をもとにすれば「七万戸」は北部九州、それも福岡県とその周辺に収まる「合理的な戸数」になります。
全国で60万人などという人口推計がおかしいのです。
正木
【転載おわり】

 この正木さんの計算方法は簡単明瞭であり、誰でも検証可能なデータに基づいていますから、説得力があります。他方、現在の文献史学における「邪馬台国」畿内説論者たちは、倭人伝に記された里数値や行程方角、戸数などをなぜか信頼できないとします。そこで、畿内説論者の著書・論文(注③)を入手し、取り急ぎ読んでみました。(つづく)

(注)
①中村大「北海道南部・中央部における縄文時代から擦文時代までの地域別人口変動の推定」『令和元年度縄文文化特別研究報告書』函館市縄文文化交流センター、2019年。
http://www.hjcc.jp/wp/wp-content/themes/jomon/assets/images/research/pdf/r1hjcc_report.pdf
②正木裕「邪馬壹国の所在と魏使の行程」『古代に真実を求めて』17集、明石書店、2014年。
③渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』中公新書、2010年。
仁藤敦史『卑弥呼と台与』山川出版社、2009年。
同「倭国の成立と東アジア」『岩波講座 日本歴史』第一巻、岩波書店、2013年。


第3419話 2025/01/31

『東京古田会ニュース』220号の紹介

 『東京古田会ニュース』220号が届きました。拙稿「『難波の宮」発見逸話 ―山根徳太郎氏の苦難―」を掲載していただきました。同稿では、難波宮を発掘した山根徳太郎氏が調査資金不足や有力な学問的批判に苦しんでいたことを紹介しました。

 その学問的批判とは喜田貞吉さんらによるもので、『日本書紀』に見える孝徳天皇の難波長柄豊碕宮は、地名の一致や地勢から判断すると狭隘な大阪市中央区の法円坂ではなく、北区の長柄・豊﨑の地であるとするものです。当時はこの見解が有力説でしたが、前期難波宮の出土により法円坂説が通説となり、今日に至っています。しかし、それでは何故地名が一致しないのかという問題は未解決のままでした。そこで、拙稿では次のように論じました。

〝喜田氏の見解は『日本書紀』の史料事実と現存地名との対応という文献史学の論証に基づいており、他方、山根氏の上町台地法円坂説は考古学的出土事実により実証されている。なぜ、このように論証と実証の結果が異なったのか。ここに、近畿天皇家一元史観では解き難い問題の本質と矛盾があるのだが、その理由は明白だ。“列島内最大規模の宮殿であるからには、列島の最高権力者である近畿天皇家の宮殿のはず”という、一元史観の歴史認識(岩盤規制)に従わざるを得ないからだ。

 結論から言えば、山根氏が発見した前期難波宮は孝徳紀に書かれた「難波長柄豊碕宮」ではなく、九州王朝の王宮(難波宮)だった。その証拠の一つとして、法円坂から出土した聖武天皇の宮殿とされた後期難波宮は、『続日本紀』では一貫して「難波宮」と表記されており、「難波長柄豊碕宮」とはされていない。この史料事実は、法円坂の地は「難波長柄豊碕」という地名ではなかったことを示唆する。〟

 論文末尾には〝残された「真の問題」、孝徳天皇の「難波長柄豊碕宮」が北区長柄にあったことを立証したい。〟と書きましたが、これは大変な仕事になりそうです。

 当号に掲載された國枝浩さん(世田谷区)の二つの論稿には深く考えさせられました。一つは一面を飾った「古田氏の旧説撤回問題(上)」で、古田先生が自説を変更されたいくつかのテーマについて、その問題点を指摘したものです。これらについては古田先生の著作だけではその経緯や論理構造がわかりにくいかもしれませんので、わたしも「洛中洛外日記」などで説明したこともありましたし、古田史学の会・関西例会でも少なからぬ論者により当否が論じられてきました。新たに古田史学に触れられた方のためにも、國枝さんの論稿は有意義なものと思いました。

 もう一つの「『大作塚』AIと会話して」も重要なテーマです。古田説や倭人伝の「大作塚」の理解に対してのAI(Chat GPT)との問答を紹介したものです。近年、実用化が飛躍的に進んだAIの機能が歴史学などの学問や研究にどのような影響を与えるのか、研究者はAIとどのように接するべきなのかなど、近未来の重要課題です。國枝さんの問題提起により、この問題を深く考えるきっかけとなりました。


第3418話 2025/01/30

安藤哲朗氏のご逝去を悼む

 多元的古代研究会の顧問(前会長)安藤哲朗氏が一月二四日、ご逝去されました(九一歳)。謹んで哀悼の意を捧げます。

 安藤さんは「市民の古代研究会」時代からの知己、漢文・中国史書に堪能な方で、誠実温厚なお人柄でした。亡くなられた高田かつ子さんの後を継いで多元的古代研究会々長に就任され、『多元』誌の編集発行などにご尽力されました。古田武彦先生が亡くなられた二〇一五年一〇月、友好三団体(多元的古代研究会、東京古田会、古田史学の会)の幹部が東京の学士会館に急遽集まり、追悼行事の打ち合わせをしたことなどが昨日のことのように思い起こされます。

 わたしの手元には、生前、氏から委ねられた未発表論稿があります。『古事記』真福寺本国生み神話に見える「天沼矛(あまのぬぼこ)」の字形に関する論稿で、それを「天沼弟(あまのぬおと)」と読み〝銅鐸の音〟と解釈する古田説を〝否〟とするものでした。研究途上あるいは古田先生に遠慮されたのか、発表の意思はないとのことで、安藤稿に賛成するわたしに託されたのかもしれません(注)。この論文は遺稿となりました。

 最後に『多元』一七〇号(二〇二二年七月)掲載、恐らくは絶筆であろう「FROM編集室」を転載します。
「◆人身受け難し(台宗課誦)◆私もあと短期ののち古田先生の忌に順うであろう◆NHKの深夜放送は例によって目を覆うばかりの小魚の群を少数の大魚が追い廻す光景を放送して◆暗示している◆私は来世何に生まれるやら◆人間を期待するのは無理だろうな◆でも人間は地上を荒らしすぎた◆最近それを人々は自覚しはじめたようだ◆哲朗誠恐誠惶頓首謹言」

 水野孝夫さんら古田史学第一世代の物故が続いています。悲しみと寂しさは雲委の如し。令和の御世、鬼哭啾々にして涙暇無し。あなたのご遺志をしっかりと引き継ぎます。

(注)
古賀達也「洛中洛外日記」628話(2013/12/03)〝幻の古谷論文〟
同「洛中洛外日記」676話(2014/03/11)〝『古事記』道果本の「天沼矛」〟

 

【写真】学士会館(東京神田)にて。安藤哲朗さん(多元的古代研究会会長・当時)・古賀(古田史学の会代表)・藤沢徹さん(東京古田会会長・故人)2015.10.22。


第3414話 2025/01/23

『九州倭国通信』217号の拙稿紹介

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.217号が届きましたので紹介します。同号には拙稿「チ。-地球の運動について- ―真理(多元史観)は美しい―」を掲載していただきました。同稿は「美しい」というキーワードで多元史観を論じたもので、その前編です。

 前編ではNHKで放映されたアニメ「チ。-地球の運動について-」(注)を引用しながら、中世ヨーロッパでの地動説研究者と多元史観で研究する古田学派との運命と使命について比較表現しました。原稿は次の言葉で締めくくりました。

 「あなた方(一元史観の学者)が相手にしているのは僕じゃない。古田武彦でもない。ある種の想像力であり、好奇心であり、畢竟、それは知性だ。それは流行病のように増殖する。宿主さえ、制御不能だ。一組織が手なずけられるような可愛げのあるものではない。」

 後編では、中国史書の解釈において、一元史観よりも多元史観が「美しい」ことを具体的に比較紹介します。

 なお、「古田史学の会」と「九州古代史の会」との友好関係は、今年も更に深まることでしょう。1月19日の新春古代史講演会には同会の前田事務局長ら三名の方が見えられました。わたしたちも同会月例会での研究発表を今年もさせていただく予定です。

(注)『チ。-地球の運動について-』は、魚豊による日本の漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて連載(二〇二〇~二〇二二年)。十五世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちを描いたフィクション作品。二〇二二年、単行本累計発行部数は二五〇万部突破。二〇二三年、第十八回日本科学史学会特別賞受賞。


第3413話 2025/01/22

京都新聞に「新春古代史講演会」記事

 1月19日に開催した新春古代史講演会の記事が翌日の京都新聞朝刊に掲載されましたので紹介します。「古田史学の会」事務局から同新聞社に案内を送っていたこともあってか、京都新聞社より取材にうかがいたいとの電話をいただいていました。当日の開会前に高山浩輔記者が見えられ、わたしが取材を受けました。その後も高山記者は熱心に講演を聴いておられ、仕事とは言え、まじめな青年だなあと思いました。

 当日、奈良新聞記者として講演会に来ていた竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)によれば、翌日の朝刊に掲載されるはずとのことでしたので、京都新聞を置いているご近所の喫茶店タナカコーヒーで20日付け朝刊をいただきました。見ると、市民版のページにカラー写真入りで新春古代史講演会の記事が掲載されていました(WEB版 2025.01.19 には記事の冒頭部が掲載)。京都新聞社さん、ありがとうございます。

【2025.01.20「京都新聞」朝刊より転載】
博物館の未来像 市民考える
下京で古代史学ぶ講演会
「地域文化への拠点」へ転換訴え

 古代史について考える講演会が19日、京都市下京区のキャンパスプラザ京都で開かれた。文化庁博物館支援調査官の中尾智行氏が、考古学にも密接に関わる博物館の未来像について語った。

 中尾氏は博物館の約8割は公立だが「バブル崩壊後、自治体の財政悪化で予算が割けず学芸員を置いていないところも多い」と指摘。老朽化も進む中、予算を得るためには、市民ぐるみで「地域文化の拠点」に変える必要があるとし、文化財なども一部のファンだけではなく、社会で価値を共有する必要性を投げ掛けた。

 橿原考古学研究所(奈良県橿原市)の元所員も登壇し、邪馬台国の所在地論争で有力な「畿内説」に疑義を呈する独自の見解を披露した。講座は古代史家の故古田武彦氏のファンらでつくる古田史学の会が主催した。(高山浩輔)


第3412話 2025/01/20

超満員御礼! 新春古代史講演会

 昨日、キャンパスプラザ京都で開催した新春古代史講演会は108名という多数の御参加で超満員となり、大盛況でした。参加者や関係者の皆様、講演していただいた三名の講師(注)の方々に厚く御礼申し上げます。そして、定員オーバーのため、途中退室要請に応じていただいた十数名の皆様(古田史学の会・関西の皆さん・他)には心より感謝申し上げます。この方々のご協力がなければ、講演会を無事に終了することはできなかったかもしれません。

 今回の講演会は、多くの案内チラシを各地の図書館や大学などに配布し、講師の方々の前評判が高かったこともあり、各地からの問い合わせ電話が連日のように届きました。当日は京都新聞の取材もありました。遠く関東、南は佐賀県・福岡県からもご参加いただきました。中でも友好団体の「九州古代史の会」の前田事務局長・田中前会長・松中さんがご来場され、旧交を温めました。講演会後の懇親会には講師の中尾先生・関川先生・正木先生にもご参加いただき、とても楽しい京の一夕となりました。

 昨年から続けてきた「古田史学の会」創立30周年記念イベントも、この京都講演会で終了です。これからは創立40周年に向けて、決意も新たに前進してまいります。会員の皆様には様々な機会にご参加頂き、ご意見ご要望などお寄せ頂けましたら幸いです。

《追補》今日の午前中は、佐賀県から講演会に見えられたKさんと出町商店街のカフェ〝出町ビギン〟でお会いしました。Kさんは元東京新聞の記者で、古田先生の訃報を掲載していただいた方。九年ぶりの再会でした。午後は八王子セミナー実行委員会にリモート参加。
関西例会・新春講演会・セミナー実行委員会と連日のハードスケジュールが続き、その合間を縫って『古代に真実を求めて』28集のゲラ校正や『古田史学会報』投稿原稿の査読、論文執筆などを行いました。会務を徐々にでも後継に委ねたいと願っています。

(注)《講師・演題》
中尾智行氏 (文化庁 博物館支援調査官) 考古学と博物館の魅力を未来に
関川尚功氏 (橿原考古学研究所元所員) 畿内ではありえぬ「邪馬台国」 ―考古学から見た邪馬台国大和説―
正木 裕氏 (古田史学の会・事務局長、元大阪府立大学理事・講師) 百済の古墳と「倭の五王」