古田史学の会一覧

第1345話 2017/03/02

【巻頭言】

九州年号(倭国年号)から見える古代史

 今朝は久しぶりに仕事で和歌山市に向かっています。和歌山には化学工場が多く、化学メーカー同士で競合したり協力したりと、そのビジネス環境は複雑です。
 今月末頃に発行される『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(「古田史学の会」編、『古代に真実を求めて』20集)の宣伝も兼ねて、わたしが執筆担当した「巻頭言」を転載紹介します。なぜタイトルに従来の「九州年号」ではなく「倭国年号」を選んだのかの説明や本書の研究史的位置づけなどを記しています。

【巻頭言】
九州年号(倭国年号)から見える古代史
         古田史学の会・代表 古賀達也

 古代の中国史書に記された日本列島の代表国家「倭国」がいわゆる大和朝廷ではなく、北部九州に都を置いた九州王朝であることを古田武彦氏(平成二七年〔二〇一五〕没、享年八九歳)は名著『失われた九州王朝』(昭和四八年〔一九七三〕、朝日新聞社刊。ミネルヴァ書房より復刻)で明らかにされた。
 六世紀初頭、九州王朝は中国の王朝に倣い、自らの年号を制定した。その年号を古田武彦氏は「九州年号」という学術用語で論述されたのであるが、その命名の典拠は鶴峰戊申著『襲国偽僭考』に記された「古写本九州年号」という表記に基づく。九州年号を制定した倭国が自らの年号を当時なんと呼んだのかは史料上明らかではないが、恐らくは単に「年号」と呼んだのではあるまいか。あるいは隣国の中国や朝鮮半島の国々の年号と区別する際は「わが国(本朝)の年号」「倭国年号」等の表現が用いられたのかもしれない。もちろん、倭国が自国のことを「九州王朝」と呼んだりするはずもないであろうし、自らの年号を「九州年号」と称したということも考えにくい。
 今回、本書のタイトルを「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」と決めるにあたり、従来使用されてきた学術用語「九州年号」ではなく、あえて「倭国年号」の表現を選んだのは、「倭国(九州王朝)が制定した年号」という歴史事実を明確に表現し、「九州地方で使用された年号」という狭小な理解(誤解)を避けるためでもあった。古田武彦氏も自著で「倭国年号」とする表記も妥当であることを述べられてきたところでもある。もちろん学術用語としての「九州年号」という表記に何ら問題があるわけではない。収録された論文にはそれぞれの執筆者が選んだ表記を採用しており、あえて統一しなかったのもこうした理由からである。
 さらに、《大和朝廷以前》の一句をタイトルに付したのも、「倭国年号」の「倭国」は通説でいう大和朝廷には非ずという一点を、読者に明確にするためであった。本書の「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」というタイトル選定にあたり、編集部は多大な時間と知恵を割いたことをここに報告しておきたい。
 倭国(九州王朝)が制定した倭国年号(九州年号)は継躰元年(五一七)に始まり、大長九年(七一二)まで続いたと考えられている。他方、倭国(九州王朝)から王朝交代し、列島の代表者となった近畿天皇家(日本国)は初めての年号「大宝」(七〇一)を「建元」したことが『続日本紀』に見える。この時期に倭国から日本国へと、列島の中心権力が交代したことが、これら両国の年号からもうかがえ、その時代の日本列島のことを記した中国の史書『旧唐書』に「倭国伝」「日本国伝」が別国表記(日本国は倭国の別種)されていることとも見事に対応しているのである。さらには考古学的出土事実(木簡等)においても、倭国内の行政単位「評」が七〇一年から全国一斉に「郡」に代わったことも、この九州王朝から大和朝廷への王朝交代を反映していると考えざるを得ないのである。
 古田学派における倭国年号(九州年号)研究は、古田武彦氏の九州王朝説の提唱以来、全国各地の研究者により活発に進められてきた。その第一段階は諸史料に残された九州年号の調査探索であり、その集大成として『市民の古代』第十一集(市民の古代研究会編、新泉社。一九八九年)が「特集『九州年号』とは何か」として発刊された。次いで第二段階では九州年号の「年号立て(各年号の正しい順番と文字。暦年との対応など)」、すなわち原型論についての研究がなされた。その結論として、九州年号群史料としては現存最古の『二中歴』「年代歴」に見える九州年号が最も原型に近いとする説が最有力となり、さらに『二中歴』から漏れた「大長」年号が七〇一年以後に実在したことも明らかとなった。そして第三段階では、九州年号と九州年号史料に基づく九州王朝史研究へと発展した。その成果がミネルヴァ書房から刊行された『「九州年号」の研究 ー近畿天皇家以前の古代史ー』(古田史学の会編、二〇一二年)として結実したのであるが、本書はその続編あるいは姉妹編に相当する。
 本書は近年の九州年号研究の最先端論文を収録するにとどまらず、コラムとして各地の研究者による様々な九州年号関連記事も掲載した。この狙いは読んで面白いというだけではなく、読者にも九州年号研究の一翼に加われるという思いを共有していただける様々な切り口紹介という側面も有している。
 本書中、出色の研究成果は正木裕氏(古田史学の会・事務局長)による「九州王朝系近江朝」「近江年号」という新たな概念である。江戸期成立の諸史料に、天智天皇の時代の年号として「中元(六六八〜六七一年)」「果安(六七二年)」が散見されるのだが、従来は九州年号と見なされることはなく、言わば誤伝あるいは後世の創作の類ではないかとされ、九州年号研究者から取り上げられることもほとんどなかった。わたしの知るところでは、二〇一一年五月の「古田史学の会・関西例会」で竹村順弘氏(古田史学の会・事務局次長)が「天智の年号ではないか」と指摘されたくらいであった。
 その詳細は当該論文を読んでいただくこととして、この新概念は九州年号研究の延長線上で生まれたものであり、六〜七世紀の日本列島の古代の真実を探る上で有力な視点となる可能性を秘めている。中でも九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への中心権力の移行(王朝交代)の実体を研究するうえで、貴重な仮説と言わざるを得ない。まだ検証過程の「未証仮説」でもあり、読者からのご批判を待ちたい。
 以上のように、本書は倭国年号(九州年号)研究を新次元に引き上げるべく、野心的な論稿を収録した。「古田史学の会」が全ての日本古代史研究者や歴史ファンに是非を問う一冊なのである


第1344話 2017/03/01

2月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 2月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 2月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2017/02/01 『東京古田会ニュース』No.172が届く
2017/02/08 『季刊唯物論研究』の校正と英文タイトル
2017/02/18 愛知県一宮市の「賀」地名
2017/02/24 『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』最終校正


第1342話 2017/02/27

『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』の目次

 今春発行予定の『古代に真実を求めて 古田史学論集第二十集』の目次が服部静尚さんから送られてきましたので、ご紹介します。「古田史学の会」2016年度賛助会員には1冊進呈します。お楽しみに。

『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』
          古田史学の会編
 A5判 192頁 定価2200円+税
 明石書店から3月中旬刊行
 ISBN978-4-7503-4492-8 C0321-E

 『日本書紀』『続日本紀』等に登場しない年号――それは大和朝廷(日本国)以前に存在した九州中心の王朝(倭国)が制定した独自の年号であり、王権交代期の古代史の謎を解く鍵である。九州王朝を継承した近江朝年号など倭国年号の最新の研究成果を集める。

〔巻頭言〕九州年号(倭国年号)から見える古代史 古賀達也

【特集】失われた倭国年号《大和朝廷以前》

Ⅰ 倭国(九州)年号とは

初めて「倭国年号」に触れられる皆様へ    西村秀己
「九州年号(倭国年号)」が語る「大和朝廷以前の王朝」    正木 裕
九州年号(倭国年号)偽作説の誤謬―所功『日本年号史大事典』『年号の歴史』批判―    古賀達也
九州年号の史料批判―『二中歴』九州年号原型論と学問の方法―    古賀達也
『二中歴』細注が明らかにする九州王朝(倭国)の歴史    正木 裕

失われた倭国年号

失われた倭国年号
《大和朝廷以前》

訓んでみた「九州年号」    平野雅曠
『書紀』三年号の盗用理由について    正木 裕

コラム① 九州王朝の建元は「継体」か「善記」か    古賀達也
コラム② 『二中歴』九州年号細注の史料批判    古賀達也
コラム③ 「白鳳壬申」骨蔵器の証言    古賀達也
コラム④ 同時代「九州年号」史料の行方    古賀達也
コラム⑤ 九州年号「光元」改元の理由    古賀達也
コラム⑥ 「告期の儀」と九州年号「告貴」    古賀達也
コラム⑦ 「元号の日」とは    合田洋一

Ⅱ 次々と発見される「倭国年号」史料とその研究
    
九州年号「大長」の考察    古賀達也
「近江朝年号」の研究    正木 裕
九州王朝を継承した近江朝廷―正木新説の展開と考察―    古賀達也
越智国・宇摩国に遺る「九州年号」    合田洋一
「九州年号」を記す一覧表を発見―和水町前原の石原家文書―    前垣芳郎
納音付き九州年号史料の出現―熊本県玉名郡和水町「石原家文書」の紹介―        古賀達也
納音付き九州年号史料『王代記』    古賀達也
兄弟統治と九州年号「兄弟」    古賀達也
天皇家系図の中の倭国(九州)年号    服部静尚
『日本帝皇年代記』の九州年号(倭国年号)    古賀達也
安土桃山時代のポルトガル宣教師が記録した倭国年号    服部静尚

コラム⑧ 北と南の九州年号(倭国年号)    古賀達也
コラム⑨『肥後国誌』の寺社創建伝承    古賀達也
コラム⑩ 「宇佐八幡文書」の九州年号(倭国年号)    古賀達也
コラム⑪ 和歌木簡と九州年号(倭国年号)    古賀達也
コラム⑫ 日本刀と九州年号    古賀達也
コラム⑬ 神奈川県にあった「貴楽」年号    冨川ケイ子
コラム⑭ こんなところに九州年号!    萩野秀公
コラム⑮ 東北地方の九州年号(倭国年号)    古賀達也

資料『二中歴』『海東諸国紀』『続日本紀』


第1338話 2017/02/19

住吉神は「筑紫の神」「軍神」

 昨日の「古田史学の会」関西例会では新視点からの研究報告が続き、触発されました。
 服部さんの報告では、倭国(九州王朝)が中国南朝(梁)の冊封体制から離脱するときの国際情勢(百済や北魏との関係)などについて論議が深まりました。
 岡下さんからは、「多利思北孤」は自署名ではなく隋側が選んだ文字ではないかとされました。その理由として、「北孤」の字義が天子にふさわしいものではないとされ、論争が巻き起こりました。
 原さんからは、住吉大社の祭神は「筑紫の神」「軍神」とされていることから、九州王朝による「常備軍」としての性格を持った神社だったのではないかとする意表を突く仮説が報告されました。また、住吉神社の祭神を祖と伝える氏族がないという調査結果なども示され、とても興味深いものでした。
 正木さんからは天孫降臨説話において「空白」となっている筑前や肥前、糸島、唐津の説話が神武記紀に盗用されているとして、その詳細を展開されました。
 発表者へは『古田史学会報』への投稿を要請しました。
 2月例会の発表は次の通りでした。

〔2月度関西例会の内容〕
①『別府の風土と人の歩み』紹介(奈良市・水野孝夫)
②倭国が冊封から離脱した理由(八尾市・服部静尚)
③魏志倭人伝の中の30カ国の考察(茨木市・満田正賢)
④原伝承上の、崇神帝・初国知らす(大阪市・西井健一郎)
⑤「金印」と志賀海神社の占い(京都市・古賀達也)
⑥「多利思北孤」について(京都市・岡下英男)
⑦住吉神社は常備軍で神領は駐屯地(2)・住吉大社での埴使の神事(2)(奈良市・原幸子)
⑧九州王朝の九州平定 筑紫糸島・肥前平定(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 1/22新春講演会の報告・『古田史学会報』投稿要請・下山昌孝氏(多元的古代研究会・元副会長)、荒金卓也氏(九州古代史の会・元代表)の訃報・文芸誌『飛行船』の大北恭宏氏「大知識人・坂口安吾」紹介・2/16 「大阪さくら会」の服部氏講演報告・2/25 久留米大学で正木氏、服部氏が講演・2/22NHKカルチャーセンターで谷本氏が講義・2/23「古代史セッション」(森ノ宮)の案内(大阪夏の陣はなぜおこったか、笠谷和比古氏)・6/18「古田史学の会」会員総会と講演会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会会場確保の件・久留米市で「連玉(れんだま)」(弥生時代後期)が出土(犬塚幹夫氏からの情報)・その他


第1336話 2017/02/13

FaceBookで同時代九州年号史料を紹介

 竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)のお勧めで始めたFaceBookですが、とても重宝しています。特に写真を掲載できるというメリットは絶大です。「洛中洛外日記」のように文字情報だけで説明するのに比べて、FaceBookは写真や図でも説明できるので、その圧倒的な情報量により説得力が増し、効果的です。
 そうしたFaceBookの情報発信力や表現力を利用して、このところ同時代九州年号史料の解説を写真付きで連載しています。今まで、芦屋市から出土した「元壬子年」木簡、茨城県岩井市出土の「大化五子年」土器、福岡市から出土し行方不明になっている「白鳳壬申」骨蔵器などの紹介をしてきたところです。
 FaceBookの機能として、コメント欄に質問や意見、写真なども貼り付けられ、多くの読者が見ている中で双方向のやりとりができます。「洛中洛外日記」読者の皆さんもFaceBookに登録され、「友達承認」してバーチャルな古代史例会に参加されませんか。
 「古田史学の会」のFaceBookもあり、ホームページ「新古代学の扉」から閲覧が可能です。是非、ご覧ください。


第1335話 2017/02/13

『古田史学会報』138号のご案内

本年最初の『古田史学会報』138号が発行されましたので、ご紹介します。

一面には、古田先生から教えていただいた言葉「学問は実証よりも論証を重んじる」を次世代に伝えていきたいとする、わたしからの新年のご挨拶が掲載されました。二面では正木裕さんから、昨年発見された筑紫野市の巨大土塁の解説と「田身嶺・多武嶺」=大野城説の関連性について論じられました。
服部静尚さんからは九州王朝の諱(いみな)・字(あざな)という、今までにないテーマに挑戦された論稿が発表されました。新しい研究分野ですのでこれからの論争が期待されます。

わたしからは、九州王朝の「家紋」が「十三弁紋」とする説(口碑伝承)の紹介と、『日本書紀』に見える「倭京」の出現が前期難波宮存続期間に限られることから、その「倭京」記事には前期難波宮を「倭京」とするものがあるのではないかとする西村秀己さんのアイデアが作業仮説として成立する可能性について論じました。

このところ常連組の論稿が目立っています。他の研究者や新人の投稿をお待ちしています。なお、長文の原稿を送られる方もありますが、極端な字数オーバーは物理的に掲載不能で、採用対象から除外されます。長文の原稿は『古代に真実を求めて』に投稿してください。内容次第ですが、短い原稿ほど採用の可能性は高くなります。

138号に掲載された論稿・記事は次の通りです。
『古田史学会報』138号の内容
○2017年 新年のご挨拶
次世代に伝えたい古田先生の言葉 古田史学の会・代表 古賀達也
○太宰府を囲む「巨大土塁」と『書紀』の「田身嶺・多武嶺」・大野城 川西市 正木 裕
○九州王朝の家紋(十三弁紋)の調査  京都市 古賀達也
○諱と字と九州王朝 八尾市 服部静尚
○「倭京」の多元的考察 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅸ 倭国通史私案④
九州王朝の九州平定-怡土平野から周芳の沙麼へ
古田史学の会・事務局長 正木裕
○久留米大学公開講座(正木氏・服部氏)のお知らせ
○NHKカルチャー神戸教室(谷本茂氏)
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○2016年度会費納入のお願い
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1332話 2017/02/05

1月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 1月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 1月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2017/01/04 本年7月に久留米大学で講演
2017/01/10 服部静尚さんが異業種交流会で講演
2017/01/12 古田先生の「年号」観
2017/01/17 『九州倭国通信』No.184のご紹介
2017/01/26 荒金卓也さんの訃報に接して
2017/01/28 『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』再校


第1331話 2017/02/05

「誰も知らなかった古代史」セッションのご案内

 正木裕さん(古田史学の会・事務局長)が主催されている「誰も知らなかった古代史」セッションの2月3月(13回14回)のご案内です。場所・申し込み方法等は前回どおりです(定数が30名に増えています)。
 2月は近世文書研究の第一人者である笠谷和比古さん(国際日本文化センター名誉教授)が講演されます。わたしも和田家文書研究のおり、お会いしたことがあります。貴重な講演ですので、お誘い合わせの上、ご参加ください。

「誰も知らなかった古代史」

第13回 2月23日(木)18時30分〜20時
「大坂の陣はなぜおこったか」
【カタリスト】笠谷和比古さん(国際日本文化センター名誉教授)

第14回 3月27日(月)18時30分〜20時
「王朝交代―倭国から日本国へ」
【カタリスト】正木裕さん(古田史学の会事務局長)
(場所)森之宮キューズモール(大阪市中央区森ノ宮中央二丁目一番
 JR大阪環状線森ノ宮駅西徒歩五分)の二階「まちライブラリー」
定員30名(参加費ドリンク代五百円)

※申し込みは森之宮まちライブラリー事務局まで
 ℡ 06―6949―9222
 受付は11時〜19時。定休日は火曜日

 笠谷先生は日本における近世文書研究の第一人者で、「関ケ原」(講談社選書)、「関ケ原合戦と大坂の陣」(吉川弘文館)、「歴史の虚像を衝く」(教育出版)など御著書を多数出されています。
 笠谷和比古国際日本文化センター名誉教授が、全く新たな視点で徳川家康の実像を明らかにする「徳川家康」(ミネルヴァ書房)の出版を記念して、大坂の陣開戦に至る驚きの経緯をお話しいただきます。


第1330話 2017/02/04

正木さんと服部さんが久留米大学で講演

 正木裕さん(古田史学の会・事務局長)と服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)が今月25日に久留米大学公開講座で講演されることが決まりました。お近くの方は是非ご参加ください。なお、わたしも7月に講演依頼をいただいています。こちらも詳細が決まり次第、ご紹介します。

〔久留米大学公開講座〕
【日時】2017年2月25日(土)12:30〜16:30
【会場】久留米大学御井学舎(久留米市御井町1635 )500号館51A教室
【参加費】無料 (申し込み無くとも当日参加で可)
【テーマと講師】
1、天皇系図に使われた九州年号(九州王朝と天皇家の関係) 講師:服部 静尚
2、全盛期の九州王朝を担った筑後勢力(筑後は倭国の首府だった) 講師:正木 裕


第1328話 2017/01/26

NHKカルチャー神戸教室で谷本茂さんが講義

 「古田史学の会」会員で関西屈指の論客、谷本茂さんがNHKカルチャー神戸教室の冬期特別一日講座で講義されることとなりました。テーマは「神話となった聖徳太子の幻像 〜『遣隋使』の謎を解く〜」で、とても面白そうな内容です。詳細は下記の通りです。ふるってご参加ください。古代史にご興味をお持ちの知り合いの方々にお知らせ・お勧めいただければ幸いです。

□日時
2017年2月22日 13:00〜15:00(1回)
□会場
NHKカルチャー神戸教室
 電話078-360-6198 FAX:078-360-6189
 兵庫県神戸市中央区東川崎町1-2-2 HDC神戸6F
 ※JR神戸駅前すぐ、阪急・阪神・山陽 高速神戸駅から徒歩4分

□上記電話・FAXの受付時間:月〜土 9:30〜15:00
□受講料(税込):会員2,808円 一般(入会)不要3,369円
※筆記用具を持参してください。資料は講師が準備します。


第1327話 2017/01/23

研究論文の進歩性と新規性

 「洛中洛外日記」1315話「2016年の回顧『研究』編」でわたしが紹介した、2016年の『古田史学会報』に発表された特に印象に残った優れた論文の「選考基準」についての質問が、先日の「古田史学の会」関西例会の参加者から出されました。良い機会ですので、わたしが選考に当たって重視している「研究論文の進歩性と新規性」という問題についてご説明することにします。
 わたしは次の論文を特に優れていると判断し、「洛中洛外日記」で紹介しました。

①「近江朝年号」の実在について 川西市 正木裕(133号)
②古代の都城 -宮域に官僚約八千人- 八尾市 服部静尚(136号)
③盗まれた天皇陵 八尾市 服部静尚(137号)
④南海道の付け替え 高松市 西村秀己(136号)
⑤隋・煬帝のときに鴻臚寺掌客は無かった! 神戸市・谷本 茂(134号)

 これらの論文はいずれも研究論文としての「進歩性」と「新規性」が他の論文よりも際だっていました。
 特許出願に関わられた経験のある方ならよくご存じのことですが、特許庁による特許審査では、その特許申請の内容が社会の役に立つのかという「進歩性」の有無と、まだ誰もやったことのない初めての事例であるのかという「新規性」の有無が厳しく審査されます。そして進歩性と新規性が認められると、それが事実に基づいているかどうかという「実施例」と「実施データ」がこれまた厳しくチェックされます。ここに虚偽データや虚偽記述があると拒絶査定されますし、特許が成立した後で発覚すれば厳しい罰則(企業倒産するケースもあります)が課せられるほどです。
 わたしも勤務先での特許申請においては、特許事務所の専門家と何度も打ち合わせを行い、最後は胃が痛くなるような決断をして特許出願します。場合によっては担当審査官の個人的「性格」まで勘案して文言やデータの修正を行うこともあるほどです。
 学術論文でも同様に「進歩性」と「新規性」が学術誌への採否で厳しく審査(査読)されます。その研究が学問や研究に役立つ進歩性があるのか、まだ誰も行ったことがない、あるいは未発見という「新規性」があるのかをその分野の第一人者とされる研究者が査読します。権威のある学術誌ほど採用のハードルは高いのですが、世界中の研究者はそうした権威ある学術誌(ネイチャー誌は有名)への採用を目指して切磋琢磨しています。従って、投稿されたほとんどの論文は「没」になる運命が待っているのです。
 『古田史学会報』では通常の学会誌ほど厳しくは査定しませんが、進歩性・新規性の有無、そして論証の成立の有無や史料根拠の妥当性は重要視しています。念のため付け加えますが、採否にあたり、わたしの説とあっているかどうかは判断基準とはしませんし、更にいうならば個別の古田説にあっているか異なっているかも採否には無関係です。この点、誤解が生じやすいのではっきりと断言しておきます。
 また、投稿論文の採否検討にあたり、わたしが不得意な分野は、そのことをよくご存じの方に意見を求めることもあります。わたしが「採用」と判断しても、西村秀己さんから「不採用」とされるケースも極めて希ですがありました。掲載後に会員読者から「なぜこのような原稿を採用するのか」という厳しいご指摘が届いたことも一度や二度ではありません。ちなみに最も厳しい意見を寄せられたのは古田先生でした。そのときは、採用理由や経緯を詳しく説明し、その論文に対する反論をわたしが書くことでご了解いただいたこともありました。懐かしい思い出です。
 以上のことを「2016年の回顧『研究』編」で紹介した論文①の正木稿を例に、具体的に解説します。正木さんの「『近江朝年号』の実在について」は、それまでの九州年号研究において、後代における誤記誤伝として研究の対象とされることがほとんどなかった「中元」「果安」という年号を真正面から取り上げられ、「九州王朝系近江朝」という新概念を提起されたものでした。従って、「新規性」については問題ありません。
 また「近江朝」や「壬申の乱」、「不改の常典」など古代史研究に於いて多くの謎に包まれていたテーマについて、解決のための新たな視点を提起するという「進歩性」も有していました。史料根拠も明白ですし、論証過程に極端な恣意性や無理もなく、一応論証は成立しています。
 もちろん、わたしが発表していた「九州王朝の近江遷都」説とも異なっていたのですが、わたしの仮説よりも有力と思い、その理由を解説した拙稿「九州王朝を継承した近江朝廷 -正木新説の展開と考察-」を執筆したほどです。〔番外〕として拙稿を併記したのも、それほど正木稿のインパクトが強かったからに他なりません。
 正木説の当否はこれからの論争により検証されることと思いますが、7〜8世紀における九州王朝から大和朝廷への王朝交代時期の歴史の真相に迫る上で、この正木説の進歩性と新規性は2016年に発表された論文の中でも際だったものと、わたしは考えています。他の論稿②③④⑤も同様です。皆さんも「進歩性」「新規性」という視点でそれらの論文を再読していただければと思います。なお、わたしが紹介しなかったこの他の論文も、『古田史学会報』に掲載されたという点に於いて、いずれも優れた論稿であることは言うまでもありません。この点も誤解の無いようにお願いします。


第1326話 2017/01/22

新春講演会でのご挨拶

 「古田史学の会」を代表し、新年のご挨拶を申し上げます。昨年、わたしたちは友好団体と共に、この大阪府立大学なんばサテライト(i-siteなんば)で古田先生の追悼講演会を執り行いました。その後、追悼論文集『古田武彦は死なず』(明石書店)、『邪馬壹国の歴史学』(ミネルヴァ書房)を上梓しました。この出版記念講演会を東京家政学院大学千代田キャンパスや久留米大学福岡サテライトをお借りして開催しました。

 今年は九州年号の「継躰」が517年に建元されてから1500年に当たります。報道によれば今上陛下の御譲位に伴い、数年後には「平成」が改元されるとのことです。これからわが国では年号や改元が注目されることでしょう。
 「古田史学の会」は『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』を明石書店から今春発行します。『続日本紀』に記された大和朝廷にとって初めての年号「大寶建元」記事と『日本書紀』に記された九州年号の「大化・白雉・朱鳥の改元」記事などに焦点を当てた研究論文などが収録されています。「平成」の改元にあたりタイムリーな一冊となることでしょう。

 考古学の分野でも太宰府条坊都市の成立が「日本最古」とする井上信正説(太宰府市教育委員会)が注目されています。その太宰府を防衛する羅城と思われる巨大土塁遺跡も昨年末に筑紫野市で発見されました。国内最大規模の大野城山城や基肄城・水城など、太宰府は日本列島内最大の巨大防衛施設で守られており、九州王朝(倭国)の首都に相応しいことが一層明確となりました。
 他方、7世紀の同時代史料である『隋書』には倭国が北部九州にあることを示唆する記述があり、阿蘇山の噴火の様子まで記録しています。その次の『旧唐書』には倭国(九州王朝)と日本国(大和朝廷)が別国(日本は倭の別種)として表記されており、その王朝交代が8世紀初頭に起こったことをうかがわせる記述があります。これは8世紀初頭における九州年号の終了と大和朝廷の年号開始(大寶建元、701年)や、出土木簡に記された地方行政単位の「評」から「郡」への全国一斉変化と時期的にピッタリと対応しています。
 このように古田先生の多元史観・九州王朝説は日本古代史における最有力説といわざるをえません。他方、わたしたち古田学派には文献史学の研究者が多いこともあり、考古学や自然科学の研究成果に対しての知見が十分とはいえません。わたしたちは、そうした学問分野に謙虚に学ぶ姿勢が必要です。
 そのため本日の講演会には大阪の考古学の第一人者であられる大阪府文化財センターの江浦先生と理化学的年代測定の新分野を切り開かれた総合地球環境学研究所(地球研、京都市)の中塚先生をお招きしました。お二方のご講演をとても楽しみにしています。

 本日は、古田史学の会・東海の竹内会長、古田史学の会・四国の合田事務局長にもお越しいただいています。関東からは「古田史学の会」関東地区窓口担当の冨川ケイ子さん、東京古田会の平松健さんもお見えになっています。遠くからお越しいただき、ありがとうございます。
 昨日開催した「古田史学の会」役員会では、古田史学に基づいた合田洋一さんの論文が愛媛県内最大の歴史研究会で注目されていることなどが報告されました。
 「古田史学の会・北海道」では古田先生の著書の図書館への寄贈や今井会長による古田説普及のセッションを千歳市で開催されています。このセッションは大阪で正木事務局長が続けられてきた「誰も知らなかった古代史」セッションが北の大地へ波及したものです。
 「古田史学の会・仙台」では東北という地の利を活かして和田家文書研究が続けられています。
 「古田史学の会・東海」では、名古屋市で毎年開催される愛知サマーセミナーに参画され、愛知県下の高校生への古田史学普及活動を続けられています。
 「古田史学の会・関西」では活発な例会活動・遺跡巡りが催され、そうした活動は「古田史学の会」ホームページ(新古代学の扉)やfacebookを通じて全国の古代史ファンから注目されているところです。

 昨年からは、福岡市を拠点に活動されている「九州古代史の会」とも友好団体として交流をスタートしました。また6〜7世紀の古代寺院(国分寺)の編年を再検討するため、多元的「国分寺」研究サークルを立ち上げ、主に関東の研究者(肥沼孝治さんら)たちが全国の国分寺遺跡の調査研究を開始しています。その成果はインターネットで見ることができます。
 福岡県の久留米大学からは今年も正木事務局長や服部編集長、わたしへ公開講座での講義要請をいただいています。また江田船山古墳で有名な熊本県和水町では、当地から九州年号史料が発見されたことをご縁に、わたしや正木さんが毎年講演をさせていただいています。

 最後に、フランス・パリ在住の会員、奥中清二さんが昨年秋、一時帰国され、そのとき記念に絵画をいただきました。奥中さんはパリ市公認の画家でモンマルトルのアトリエで絵をかいておられます。長年の古田ファンで、邪馬壹国の「壹」の字をモチーフにした抽象画をいただきました。額に入れ、しかるべきところで保管展示したいと思います。

 「古田史学の会」は全国の古田学派の研究者、古田ファンの皆様と手を携えて今年も前進してまいります。会員の皆様の力強いご指導とご協力をお願い申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。