祇園祭と船越
わたしは勤務先へ自転車で通っている「チャリ通族」です。夏場は暑くて大変ですが、それでも祇園祭が近づくとウキウキしてきます。と言うのも、自宅の上京区から会社のある南区までの道に、山鉾が立つからです。いつもは油小路通を走りますが、その間、山鉾が二つ立ちます。別の道、例えば室町通や新町通を利用すると、更に多くの鉾を見ることができます。祭の一週間ほど前から組立が始まり、三日ほど前には飾り付けも終わり、ほぼ完成します。こうした組立の様子やお囃子の練習などを朝夕の通勤時に見ることができるのですから、京都ならではのうらやましい自転車通勤かもしれません。
この祇園祭の山鉾ですが、その淵源は古代まで遡るのではないか。山鉾や博多山笠の「山」は邪馬壹国のヤマと何か関係はないか、と以前から思っていたのですが、山鉾は古代の「船越」の様子を表現したものとする説が、最近出されました。
ホームページ「有明海・諫早湾干拓リポートIII」に掲載された古川清久さんの論文「船越」に次のように述べられています。
「全国の船越地名の分布と、祭りで山車(ダンジリ、ヤマ)を使う地域がかなり重なることから、もしかしたら、祭りの山車は、車の付いた台車で“船越”を行なっていた時代からの伝承ではないか」※「古田史学会報」No. 68に転載。
そう言えば、松本市の須々岐水神社のお祭り「お船祭り」では、「お船」と呼ばれる山車が繰り出されますが、これなど「船越」そのもの。古川さんの新説は意外と正解かもしれませんね。