科学一覧

第3367話 2024/10/12

アニメ『チ。-地球の運動について-』(4)

 ―真理(多元史観)は美しい―

 アニメ「チ。―地球の運動について―」のキャッチコピー「命を捨てても曲げられない信念があるか? 世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか?」を象徴するようなシーンが昨日の放送(第三話)ではありました。

 地動説研究が発覚し、教会の異端審問でファウル少年は「宣言します。僕は地動説を信じてます」と述べ、刑が確定します。そして、ファウルを捉えた元傭兵の異端審問官ノヴァクとの間で、ファウルは終始穏やかですが、鬼気迫る内容の対話がなされます。

ファウル「敵は手強いですよ。あなた方が相手にしているのは僕じゃない。異端者でもない。ある種の想像力であり、好奇心であり、畢竟、それは知性だ。」
ノヴァク「知性?」
ファウル「それは流行病(はやりやまい)のように増殖する。宿主さえ、制御不能だ。一組織が手なずけられるような可愛げのあるものではない。」
ノヴァク「では、勝つのは君か? あの選択は君の未来にとって正解だと思うのか?」
ファウル「そりゃあ不正解でしょ。でも不正解は無意味を意味しません。」
(中略)
ファウル「フベルトさんは(火あぶりの刑で)死んで消えた。でもあの人がくれた感動は今も消えない。たぶん、感動は寿命の長さより大切なものだと思う。だからこの場は、僕の命に代えてもこの感動を生き残させる。」
ノヴァク「正気じゃない。わけの分からんものに感動して、命さえなげうつ。そんな状態を狂気だとは思わないのか。」
ファウル「確かに。でもそんなのは愛とも言えそうです。」 ※ここでの「愛」とは、キリスト教の教えでいうところの「愛」か。そうであれば、この言葉は皮肉かもしれません。

 こう語ると、ファウルは地動説研究資料の隠し場所を拷問で自白しないよう、服毒により自死し、ドラマの舞台は十年後に飛びます。

 このファウル少年の言葉は、わたしたち古田学派の研究者には次のようにも聞こえるはずです。

 「あなた方(一元史観の学界)が相手にしているのは僕じゃない。古田武彦でもない。ある種の想像力であり、好奇心であり、畢竟、それは知性だ。それは流行病(はやりやまい)のように増殖する。宿主さえ、制御不能だ。一組織が手なずけられるような可愛げのあるものではない。」(つづく)


第3364話 2024/10/08

アニメ『チ。-地球の運動について-』(2)

 ―真理(多元史観)は美しい―

アニメ「チ。―地球の運動について―」は、15世紀のヨーロッパにおいて、教会から禁圧された地動説を命がけで研究する人々を描いた作品です。その中で、地動説を支持する異端の天文学者フベルトと、一人で天体観測を続けていたラファウ少年との間で、次のような会話が交わされます。それは、不規則な惑星軌道を天動説で説明しようとするラファウと、それを詰問するフベルトとの対話です。

フベルト「この真理(天動説)は美しいか。君は美しいと思ったか。」
ラファウ「(天動説の複雑な理屈は)あまり美しくない。」
フベルト「太陽が昇るのではなく、われわれが下るのだ。地球は2種類の運動(自転と公転)をしている。太陽は動かない。これを教会公認の天動説に対して地動説とでも呼ぼうか。」

この対話を聞いて、古田先生の九州王朝説・多元史観と学界の大和朝廷一元史観との関係を思い起こしました。両者について、わたしは次のように指摘したことがあったので、フベルトの言葉が重く響いたのです。

〝学問体系として古田史学をとらえたとき、その運命は過酷である。古田氏が提唱された九州王朝説を初めとする多元史観は旧来の一元史観とは全く相容れない概念だからだ。いわば地動説と天動説の関係であり、ともに天を戴くことができないのだ。従って古田史学は一元史観を是とする古代史学界から異説としてさえも受け入れられることは恐らくあり得ないであろう。双方共に妥協できない学問体系に基づいている以上、一元史観は多元史観を受け入れることはできないし、通説という「既得権」を手放すことも期待できない。わたしたち古田学派は日本古代史学界の中に居場所など、闘わずして得られないのである。〟(注)

「チ。―地球の運動について―」では、ラファウ少年が地動説研究を行っていたことが教会に発覚しそうになったとき、フベルトは自らが身代わりとなって〝罪〟をかぶり、火あぶりの刑になりました。残されたラファウ少年は、「今から地球を動かす」と、地動説研究を引き継ぎます。(つづく)

(注)古賀達也「『戦後型皇国史観』に抗する学問 ―古田学派の運命と使命―」『季報 唯物論研究』138号、2017年。


第3363話 2024/10/06

アニメ『チ。-地球の運動について-』(1)

 ―真理(多元史観)は美しい―

 なかなかご理解いただけないかもしれませんが、いわゆる理系の中には、「美しい」という表現を好んで使う人がいます。「美しい」という概念は個人の主観的価値観に基づくものですから、客観性を重視し、自然法則を研究する科学の世界では、違和感がある言葉かもしれません。

 しかし、わたしが専攻した化学(有機合成化学)でも、次のような逸話があります。元勤務先の後輩、小川さんから聞いた話です。名古屋大学院でノーベル賞学者の野依先生のお弟子さんだった小川さんが、ある化学物質の分子構造式を描いたところ、野依先生から「美しくない」と、書き直しを命じられたというのです。複雑な分子構造式を分かりやすく描くのは結構難しいのですが、更にそれを美しく描かなければならないと学生に指導する野依先生のような人物だからこそ、ノーベル化学賞を受賞できたのかもしれません。

 野依先生とは次元もレベルも異なりますが、わたしも美しい分子構造をもつ化学物質の分子構造式を見ると、うっとりとします。なかでも現役時代に取り扱った物質で、構造式の上下左右が対称であり、その中心に金属原子を持つフタロシアニンやテトラアザポリフィリンなどは特に美しく感じたものです。これは、ケミストにとって、ある種の職業病かもしれません。

 物理学の分野でも、アインシュタインが発見した質量とエネルギーの等価性を示す関係式 E=mc2 は、ここまでシンプルで美しい計算式で、物質の基本原理を表せるものなのかと、感動した記憶があります。

 なぜ、「美しい」などという言葉を突然話題にしたのかというと、古田史学リモート勉強会に参加されている宮崎宇史さんから、地動説のために生涯を捧げた人々を主人公とするアニメ「チ。-地球の運動について-」(注)がNHKで放送されるので、是非、見るようにとのメールが届いたのです。宮崎さんからのお薦めであれば、これは見なければならないと思い、昨晩11:45から始まる同番組を見ました。聞けば、アニメ「チ。-地球の運動について-」は、今年、日本科学史学会特別賞を受賞したとのこと。

 そして、その番組の中で、地動説を支持する異端の天文学者フベルトが少年ファゥルに発した言葉が、「この真理(天動説)は美しいか。君は美しいと思ったか。」だったのです。この言葉がわたしの胸に突き刺さりました。(つづく)

(注)『ウィキペディア』に次の説明がある。
『チ。-地球の運動について-』は、魚豊による日本の青年漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて、2020年42・43合併号から2022年20号まで連載された。15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いたフィクション作品。2022年6月時点で、単行本の累計発行部数は250万部を突破。2022年6月にマッドハウス制作によるアニメ化が発表された。2024年5月、第18回日本科学史学会特別賞を受賞。


第2957話 2023/03/03

『多元』No.174の紹介

友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.174が届きました。同号には拙稿「『先代旧事本紀』研究の予察 ―筑紫と大和の物部氏―」を掲載していただきました。同稿は〝物部氏は九州王朝の王族ではなかったか〟とする作業仮説に基づき、物部氏系の代表的古典である『先代旧事本紀』の史料批判を試みたものです。とりわけ、『記紀』に記された〝磐井の乱〟での物部麁鹿火の活躍が、なぜ『先代旧事本紀』には記されていないのかに焦点を絞って論じました。まだ初歩的な「予察」レベルの論稿ですが、筑紫物部と大和物部という多元的物部氏の視点が物部氏研究には不可欠であるとしました。本テーマについて引き続き考察を深めたいと考えています。
当号に掲載された新庄宗昭さん(杉並区)の「随想 古代史のサステナビリティ」は、法隆寺五重塔心柱などの年輪年代測定値が間違っているとして訴訟にまで至った事件を紹介し、これをセルロース酸素同位体比年輪年代測定で検証すべきとされており、我が意を得たりと興味深く拝読しました。
というのも、セルロース酸素同位体比年輪年代測定の研究者、中塚武さん(当時、総合地球環境学研究所教授)とは、九州王朝説の是非を巡って論争したことがあり(注①)、「古田史学の会」講演会で同測定法について講演して頂いたこともあったからです(注②)。
更には、奈文研の年輪年代測定値が間違っており、年代によっては史料記載年代よりも百年古く出ているとする鷲崎弘朋説に対して、前期難波宮水利施設出土木材や法隆寺五重塔心柱の年輪年代測定値は妥当とする異論を唱えたこともありました(注③)。
「洛中洛外日記」(注④)でも紹介したことがありますが、セルロース酸素同位体比年輪年代測定とは、次のようなものです。

〝酸素原子には重量の異なる3種類の「安定同位体」がある。木材のセルロース(繊維)中の酸素同位体の比率は樹木が育った時期の気候が好天だと重い原子、雨が多いと軽い原子の比率が高まる。酸素同位体比は樹木の枯死後も変わらず、年輪ごとの比率を調べれば過去の気候変動パターンが分かる。これを、あらかじめ年代が判明している気温の変動パターンと照合し、伐採年代を1年単位で確定できる。〟

この方法なら原理的に1年単位で木材の年代決定が可能です。新庄さんが言われるように、同測定方法で年輪年代測定値をクロスチェックすべきだと、わたしも思います。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」2842話(2022/09/23)〝九州王朝説に三本の矢を放った人々(2)〟
②同「洛中洛外日記」1322話(2017/01/14)〝新春講演会(1/22)で「酸素同位体比測定」解説〟
③同「年輪年代測定「百年の誤り」説 ―鷲崎弘朋説への異論―」『東京古田会ニュース』200号、2021年。
④同「洛中洛外日記」667話(2014/02/27)〝前期難波宮木柱の酸素同位体比測定〟
同「洛中洛外日記」672話(2014/03/05)〝酸素同位体比測定法の検討〟


第2275話 2020/10/27

開発途上国のエイジ・ヒーピング現象

 訳あって、「ベイズ統計学(主観確率)」の勉強のため、以前に買った門倉貴史著『本当は嘘つきな統計数字』(幻冬舎新書、2010年)を再読しました。「ベイズ統計学」については別の機会に触れることがあるかもしれませんが、同書に紹介されていた開発途上国のエイジ・ヒーピング現象に興味を持ちました。
 今年、わたしは古代戸籍(大宝二年籍)における二倍年齢の影響について研究をすすめ、来月15日の〝八王子セミナー〟(注①)で発表することになりました(注②)。その研究において、古代戸籍年齢分布に10歳毎の大ピークと5歳毎の小ピークの存在が、先学(注③)により指摘されていることを知りました。
 このような現象はエイジ・ヒーピング(age heaping)と呼ばれ、開発途上国に多く見られることを『本当は嘘つきな統計数字』で知りました。たとえば、インドネシアの「国勢調査」は10年に1度実施されていますが、その結果をみると、人口に関する統計値で、人口を1歳刻みで並べていくと、下一桁に「0」と「5」がつく年齢の人がそうでない人に比べて極端に多くなる傾向が見られます。この5歳刻みのピーク発生をエイジ・ヒーピングと呼びます。その発生理由は、インドネシアをはじめ多くの開発途上国では、自分の年齢をあまり気にしないからだそうです。中には自分の年齢を知らないまま一生を終える人もいるとのこと。
 ですから、「国勢調査」の調査員に年齢を聞かれても、自分の年齢を適当に丸めて答えてしまう人が多く、その結果、5歳毎のピークが発生するわけです。ただ、開発途上国でも、ベトナムのようにエイジ・ヒーピングが見られない国もあり、それらの国に共通する特徴として、十二支が社会的習慣として浸透していることがあります。年齢があやふやでも、みんなが生まれた年の干支を知っているので、調査員が干支を聞けばその人の年齢を把握することができるわけです。なお、インドネシアでは、近年の「国勢調査」に統計的な手法を使って原統計からエイジ・ヒーピングの現象を取り除く補正作業が行われているそうです。
 確かに年干支が社会に浸透している国では、エイジ・ヒーピングが発生していないということは理解できますが、干支が浸透していたはずの7世紀の日本(倭国)において、大宝二年(702)戸籍に10年毎の大ピークが発生している事実を、単純なエイジ・ヒーピングでは説明できません。このことについて、11月14~15日の〝八王子セミナー〟で発表します。

(注)
①「古田武彦記念古代史セミナー2020」、11月14~15日。八王子市の大学セミナーハウスで開催。
②発表テーマ:古代戸籍に見える二倍年暦の影響―「延喜二年籍」「大宝二年籍」の史料批判―。
③岸俊男『日本古代籍帳の研究』(塙書房、1973年)
 南部昇『日本古代戸籍の研究』(吉川弘文館、1992年)


第1938話 2019/07/13

物理学者との邂逅、博多駅にて

 明日の久留米大学での講演のため、九州入りしました。そして、博多駅で元九州大学の物理学者のお二人とお会いしました。上村正康先生と長谷川宗武先生です。上村先生は九州大学で教授をされていた頃からの古田先生の支持者ですし、長谷川先生は上村先生と同じ研究室におられた方で、昨年末、ご著書『倭国はここにあった 人文地理学的な論証』(ペンネーム谷川修。白江庵書房、2018.12)をご恵送いただき、本年六月に上村先生からの同書ご推薦のお手紙があったのがきっかけとなり、本日の邂逅となりました。
 博多駅近くのホテルのお店で昼食をご一緒させていただき、2時間にわたり歓談しました。もちろん話題は九州王朝や学問研究についてです。長谷川先生からはご著書の主テーマ「太陽の道」についてご説明いただきました。わたしが最も驚いたのが、飯盛山と宝満山々頂が同一緯度にあり、その東西線上に須久岡本遺跡・吉武高木遺跡・三雲南小路遺跡・細石神社が並んでいることで、とても偶然とは考えられないことでした。この遺跡の位置関係は、太陽信仰を持つ九州王朝が弥生時代から太陽の動きに関心を持ち、測量技術を有していたことを示しているのです。
 上村先生は、1991年11月に福岡市で開催された物理学の国際学会の晩餐会で古田説を英語で紹介(GOLD SEAL AND KYUSHU DYNASTY:金印と九州王朝)され、世界の物理学者から注目を浴びられました。古田史学の会HP「新古代学の扉」に掲載されている上村先生の論稿「物理学国際会議における古田史学の紹介 金印と九州王朝 GOLD SEAL AND KYUSHU DYNASTY」をご覧ください。その上村先生から、博多湾岸における縄文海進についての興味深い研究論文を紹介していただきました。(つづく)


第1720話 2018/08/12

肥後と信州の共通遺伝性疾患分布

 九州と信州が古代から交流があったことを「洛中洛外日記」でも紹介してきました。本稿末尾にそのタイトルを転載しています。それらの記事を読まれた読者のSさんから興味深い情報がメールで寄せられました。
 Sさんは長崎県在住の医師で、家族性アミロイドポリニューロパチーという遺伝性の病気の集積地が熊本県と長野県にあり、このことは両地域の交流を示す痕跡ではないかとお知らせいただいたのです。それは専門家の間ではよく知られた分布状況とのことです。アミロイドポリニューロパチーは難病の一つで、患者さんは同じ遺伝子異常を持っていることがわかっており、長野のかたは熊本から移住したひとたちの子孫の可能性があるのではないかとSさんは考えておられました。
 この疾患は、常染色体優性遺伝形式をとり、お父さんかお母さんのどちらかにその遺伝子があれば50%の確率で子供に遺伝するそうです。実際に発症するのはそれほど多くはないそうです。
 送っていただいた分布図を見ても、熊本県と長野県に大きな分布が見られ、両者に血縁的関係があることを示唆していました。もっとも遺伝子情報だけではどちらからどちらへ伝播したのか、その時代が現在からどのくらいまで遡るのかは未詳です。歴史研究に遺伝子情報がどの程度有効なのか、その分野の進展が期待されます。今回、アミロイドポリニューロパチーの分布情報をお知らせいただいたSさんにお礼申し上げます。

「洛中洛外日記」の信州と九州関連記事タイトル

422話 2012/06/10 「十五社神社」と「十六天神社」
483話 2012/10/16 岡谷市の「十五社神社」
484話 2012/10/17 「十五社神社」の分布
1065話 2015/09/30 長野県内の「高良社」の考察
1240話 2016/07/31 長野県内の「高良社」の考察(2)
1248話 2016/08/08 信州と九州を繋ぐ「異本阿蘇氏系図」
1260話 2016/08/21 神稲(くましろ)と高良神社


第1668話 2018/05/11

山田春廣さんの「実証・論証」論

 今年9月に東京家政学院大学で開催される『発見された倭京』出版記念講演会で、多元的古代官道について講演される山田春廣さん(古田史学の会・会員)がご自身のブログ(sanmaoの暦歴徒然草)で、「実証」と「論証」について論じられています。わたしは「学問は実証よりも論証を重んずる」という村岡典嗣先生の言葉を古田先生から教えていただいたのですが、わたし自身の理解が不十分なため、その意味についてうまく説明できないでいました。この山田さんのブログを拝見し、このような説明の仕方もあるのかと感銘しました。
 山田さんのご了解のもと、以下転載します。

「学問は実証より論証を重んじる」
―「実証主義」は「教条主義」、科学は「仮説主義」―

 肥さんが夢ブログでこの難しいテーマを論じられた。
 学問は実証より論証を重んじる
 http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/05/post-4dad.html
 私は、肥さんとは別の角度から論じてみたいと思う。
 学問は、様々な分野に分化している(化学、物理学、歴史学、社会学、…、〜学と)。
 〜学とつけば学問かといえば、そうではない。文学は学問ではなく芸術だ。芸術は「表現したい」という欲求を満たす活動で、副次的にその表現が他の人を楽しませる。
 学問は芸術とは違う。学問する者は、「表現したい」という欲求をもっているかもしれないが、それは目的ではない。学問は「知りたい」という欲求を満たす活動だ。ただ「知りたい」のであれば「読書」、「鑑賞」、「見学」、「旅行」などといった行為をすればよい。文学は鑑賞法といったことも扱うかも知れないが、それはハウ・ツー(How to 〜)であり、ハウ・ツー(うまくやるにはどうすれば良いか)を知ることは、学問とは異なる。学問は「真実」を「知りたい」という欲求を満たすための活動で、それが他の人の同じ欲求を満たす。
 「能書き」はこれくらいにして、本題に入ろう。
 私は、学問を「真実を知ろうとする活動」だと考えている。しかし、この考えを他人に強制しようという意図はない。
 学問(真実を知ろうとする活動)=サイエンス(科学)と考える。サイエンスでなければ真実を知ることができないと考えている。この考えに反対の考えもある。宗教やイデオロギーである。
 宗教やイデオロギーは「論証されていないこと」を事実・真実としている。科学と対極の考え方と言える。だとすれば、科学と宗教の違いを確認しておくことが重要だと考える。

 科学的とは

 「科学」は「科学的な方法論」によって成り立つ。「科学的な方法論」には「科学的なものの考え方」が含まれる、というよりそれが基礎になってはじめて成り立つといえる。
 「科学的なものの考え方」とは「科学は仮説によって成り立っている」とする考え方である。今現在「正しい」とされていることも、それは「今のところ、正しいとされている(だけ)」と考える「ものの考え方」である。昨日まで「太陽が地球を回っている」とされていても(それで天体の運行が計算できていても)、今日は「地球が太陽を回っている」と証明されてしまうようなことは科学では「起きるのが当たり前」と考える「ものの考え方」である。「科学的なものの考え方」によれば「現在正しいとされていること(認識や理論)も仮説である」ということである。これと対極にあるのが宗教・イデオロギーである。

 神学(イデオロギーの典型)

 宗教・イデオロギーの典型として「神学」をとりだして論じよう。
 神学は、科学とは「ものの考え方」において科学の対極の考え方に基づいている。科学は「科学は仮説によって成り立っている」と考えるのに対して「神学は絶対的真理によって成り立っている」と考えている。いや、神学は言うであろう。「神は絶対的真理だ」と。
 とにかくこう言おう。科学が「真理・真実」といっても「仮の正しさ」であるが、神学が「真理・真実」といえば「絶対的正しさ」をいっている。これが科学と神学の違いである。

 神学の証明法

 神学の真理の証明法は、次の通りである。
・絶対的真理が定義されている(経典・福音書などに)
・ここにこう書かれていると実証する
・Q.E.D(証明終り)

 科学の証明法

・現象・事実をうまく説明できる仮説を立てる
・従来説明できなかったことがその仮説によって説明できると論証する
・論証した仮説の通りであることを実証する
・Q.E.D(証明終り)

 神学と科学の違い

 ご覧の通り、神学と科学の違いは「論証」が有るか無いかなのです。そしてこの「論証」は何の為になされているかといえば、「従来説明できなかったことがこの仮説によって説明できる」と論証しているのです。つまり「仮説」を立てて「この仮説で説明できる」と論証し、「仮説の通りである」ことを実証する、これが科学的方法論なのです。
 これに対して「神学」の真骨頂は「実証」です。「実証」こそが「神学」の「神学」たる所なのです。神学の実証法は「典拠主義」といわれます。「どこどこにこう書いてある」「誰々がいつどこでこう言われた」という実証法です。この実証からは何も新しい知見は出てきません。いや、出てきては困るのですから、神学にとって「典拠主義」は正しいありかたなのです。「実証主義(実証することが目的、つまり実証すれば事足りるとする立場)」は「典拠主義」なのです。「典拠主義」は英語で dogmatismといいます。「典拠主義」は「教条主義」とも訳されます(教義の条文をもって証明するから「教条」です)。これによって異端審判(宗教裁判)ができるわけです。
 一方、科学は、従来説明できないことを何とか説明できるようにする仮説を立てることに努力しますから、新しい仮説によって新しい知見がもたらされて、「真実(いまのところはそう見えている)を知りたい」という欲求を満たし、他の人の同じ欲求を満たすわけです。
 神学(イデオロギーの代表)が一つたりとも新しい知見をもたらさず、科学が新しい知見をもたらすのは、神学は「実証主義」であるが、科学は「仮説主義」だからなのです。
 つまり、科学の本質は「実証」などではなく、「仮説」を立てるところにあるのです。

 結語

 学問は新しい知見を得るための活動なのですから、「学問(科学)は実証より論証を重んじる」のです。
(追加注記)
「論証」は論理的に証明すること。
「実証」は具体的な事実を示して証明すること。
 これを混同してはならない。


第1540話 2017/11/16

天寿国繍帳のグリーン色の謎

 今日は終日大阪での学会発表(繊維応用技術研究会)を聴講しました。信州大学でエレクトロスピニングによるナノファイバー量産化技術を開発し、自らベンチャーを起業された渡邊圭さん(株式会社ナフィアス社長、30歳)の発表の座長を務めさせていただきました。また、天然染料を研究されている武庫川女子大学の古濱裕樹先生とは懇親会で古代の天然染料について意見交換しました。
 古濱先生によれば、天然色素は緑色で良いものがないとのことなので、クロロフィル(葉緑素。テトラピロール環の中心にマグネシウムを配位した分子骨格)は利用できないかと質問したところ、葉っぱをすりつぶしてそのまま着色するという技術はあるが、すぐに退色するとのこと。そこで、奈良の中宮寺にある国宝「天寿国繍帳」は飛鳥時代の作品だが、緑色の亀の部分の色素は現代まで退色しておらず、どのような色素が使用されたのかを懇親会で論議しました。
 古濱先生の見解では、藍の青色と黄色の染料の重ね染めと思うが、黄色の染料は退色が早いので、飛鳥時代の黄色が現在まで残るとは考えられないとのことでした。わたしは鎌倉時代に補修した部分は緑色の部分が黄色に変色しており、むしろ青色の染料の退色が早いことを示しているのではないかと思いました。結論は出ませんでしたが、久しぶりの古代染色論議で楽しい時間を持てました。現代化学の技術や知見でも古代染色技法を解明できないことに、古代人の英知を感じました。
 渡邊社長のご講演では、ナノファイバーでのプルシアンブルー(青色顔料)担持により、ゼオライトよりも効果的なセシウムの吸収が可能との報告がありました。福島原発から放出した放射性セシウムの防護・回収フィルターへの利用を想定されているのですかと質問したところ、その通りですとのこと。渡邊さんは福島市ご出身で、同技術が故郷の除染に貢献できればよいなと思いました。
 若い研究者との対話はいつも新鮮でエキサイティングです。わたしは定年まで残すところ3年を切りましたが、この夏に開発に成功した、太陽光発熱色素と同染色技術を世に送り出すことが勤務先や業界への最後のご奉公になりそうです。


第1399話 2017/05/17

塔心柱による古代寺院編年方法

  今日、出張先の書店で別冊宝島『古代日本の伝統技術』を購入しました。わたし自身も業界誌『月刊加工技術』に「古代のジャパンクオリティー」という古代日本の各種技術を紹介するコラムを連載したこともあって、同書の内容に興味をそそられました。

 中でも「古代からの建築技術に隠された制振システム」に記された古代寺院の塔の制振構造の図に注目しました。ご存じのように寺院建築において五重塔などの優れた制振構造により、日本のような地震国にあっても寺院の塔が地震で倒れたという例はほとんどありません。その基本技術は中心の心柱とそれを囲む四天柱(してんばしら)と外側の側柱(がわばしら)の組み合わせにあるとされています。とりわけ、心柱の構造は制振技術のキーテクノロジーと見なされています。

 わたしは古代寺院の編年基準として瓦の様式編年の他に、この心柱の構造も編年基準の参考になると考えています。それは、7世紀頃(飛鳥時代)の心柱は基壇の地中に埋め込まれている「堀立型」であり、8世紀頃(白鳳時代〜奈良時代)になると基壇上の礎石の上に心柱が乗る形式(心礎上型)が主流となります。このことを大阪歴博の考古学者で古代建築の専門家、李陽浩さんから教えていただきました。

 わたしがこのことに興味を持った理由は、多元的「国分寺」研究において、7世紀に九州王朝の命により建立された寺院(国府寺)と、8世紀中頃に聖武天皇の命により建立された国分寺の遺構を区別する判断基準として、瓦の編年以外にも何かないものかと考えていたからでした。

 たとえば法隆寺は心柱の下に礎石はなく、地下空洞があり、今では地下部分の心柱は朽ち果てていますが、元々は心柱が地中に埋まっていたと見られています。他方、太宰府の観世音寺は心柱や側柱の礎石が残っており、基壇上の礎石に心柱などが乗せられていたことがわかっています。しかも、観世音寺の場合、心柱の礎石上面が他の側柱礎石上面よりもやや高い位置にあったようです。ちなみに、鎌倉時代以降になりますと、心柱の位置は更に上昇することが知られています。それは「梁上型」とか「宙づり型」と呼ばれているようです。

 わたしの研究では観世音寺の創建年は白鳳十年(670)ですから、九州王朝でも7世紀後半の白鳳時代には、塔の心柱は「堀立柱」方式から「礎石」方式に変わっていたと思われます。こうした塔の心柱の時代変遷が『古代日本の伝統技術』には描かれており、改めて多元的「国分寺」の編年研究に役立つことを確認できました。

 なお、現・法隆寺の移築元を創建・観世音寺とする説がありましたが、塔心柱の様式(礎石の有無)や柱間の距離が両者では全く異なっており、時代も規模も別物であることは一目瞭然です。学問研究の自由、学説発表の自由は尊重されなければなりません。ですから、このように「実証」とは大きくくい違う説が出てくることもあるものです。


第1350話 2017/03/10

炭素同位体比年代測定値の性格

 友好団体「多元的古代研究会」の機関紙『多元』No.138に掲載された内倉武久さんの「太宰府都城は五世紀中ころには完成していた」を興味深く拝見しました。内倉さんが太宰府都城の成立を五世紀中頃とされた根拠は炭素同位体比年代測定(14C)データという「実証」でした。よい機会ですので、古代史研究に使用する際の炭素同位体比年代測定値の性格について整理しておきたいと思います。
 古代遺跡や遺物の年代判定において、従来の土器や瓦の相対編年に対して、理化学的年代測定が科学技術の進歩とともにますます重視されるようになりました。炭素同位体比年代測定もその一つですが、絶対年代の判断材料になるという長所と同時に留意すべき弱点も持っています。従ってこの弱点や限界を正確に理解しておかないと、誤判断が避けられません。
 わたしの本業は化学ですが、勤務先の品質保証部で製品検定などにも携わってきた経験もあります。そのとき、機器分析や化学分析において様々な弱点や欠点に配慮しながら品質評価をしてきました。中でも、必要とされる評価基準に機器の精度や管理は適切なのか、測定するサンプルは製品全体を正しく代表しているのか、母集団に対してサンプル数は妥当なのか、分析担当者の技能は十分なのか、その技能水準の判定は確かかなど、実に多くの項目や課題をクリアしなければなりませんでした。その上で出された分析値を信用してよいのかどうかを勘と経験を交えて判断するのですから、理化学的分析能力と職人芸の両方が必要でした。理科学的分析と「勘と経験」では矛盾するようですが、機械による測定値を無条件に信用してはならないということは、同じような仕事の経験をお持ちの方であればご理解いただけるのではないでしょうか。
 理化学的年代測定全般を含め、特に炭素同位体比年代測定も同様で、それで出された年代をそのままサンプルやサンプル採取した遺物・遺跡の年代と判断することは危険です。ちょっと考えただけでも次のような問題をはらんでいるからです。

1.測定年代値は幅を持っており、たとえば西暦500年±50年のような表記がなされます。従って、年輪年代測定や年輪セルロース酸素同位体比測定のようにピンポイントで暦年を特定できません。
2.酸素同位体比については新たな補正値が報告されており、その補正が適切になされているか確認しなければなりません。
3.サンプルが木材の場合、年輪の最内層と最外層では年輪の数だけ年代幅があります。従って、木材のどの部分からサンプリングしたのかが明示されていない測定データは要注意です。木材が大きければそれだけサンプリング箇所の年代と伐採年との年代差発生の原因となります。
4.その点、米(炭化米)のような一年草は年代幅がなく、比較的年代判定に有利です。水城築造に使用された敷粗朶のような小枝の場合も年輪の数が少ないので、これも比較的年代判定に有利です。
5.炭化木材のように年輪の外側から焼失した炭からのサンプリングの場合、当然のこととして伐採年よりも焼けた年輪の数だけ古く測定値が出ます。したがって、炭による測定値はそのまま遺物・遺跡の年代とするのは危険です。
6.古代においては木材の再利用や、廃材の再利用は一般的に行われます。従って、測定値が伐採年か再利用時なのかの判断が必要です。その判断ができない場合は遺跡の年代判定に炭素同位体比年代測定値を採用してはいけません。
7.以上の問題点をクリアできても、その測定値から論理的に言えることは、そのサンプルの遺物・遺跡は測定値よりも「古くならない」ということであり、測定値の年代は参考値にとどまるという論理的性格を有しています。
8.従って、炭素同位体比年代測定は遺物・遺跡の年代判定の参考にはできるが、その他の年代判断方法(年輪年代や土器編年など)による総合的判断を加え、より適切な年代判定を行う必要があります。

 以上のことは極めて単純で常識的なことですから、理系の人間でなくてもご理解いただけるものと思います。
 また、最先端の理化学的分析結果であれば信頼できるとされた時代もありましたが、足利事件のように当時としては最先端のDNA鑑定結果(実証)を採用した判決によって悲劇的な冤罪事件が発生した経験もあり、現在では最先端技術はそれだけ未完成部分が多い不安定な技術と理解されるようになりました。他方、「和歌山毒物カレー事件」では最先端科学装置スプリング8による砒素の分析結果を根拠に有罪判決が出されましたが、その分析値に対する判断が誤っているとする京都大学の学者による指摘もなされるようになりました。(つづく)


第1322話 2017/01/14

新春講演会(1/22)で「酸素同位体比測定」解説

 来週1月22日に開催する「古田史学の会」新春講演会では講師のお一人として中塚武さん(総合地球環境学研究所)をお招きして、木材の最先端年代測定法である「酸素同位体比測定」の解説をしていただきます。木材年輪セルロース中の酸素同位体比を年代測定に利用するというアイデアが素晴らしく、樹種を選ばす、精度も高いということにとても驚きました。
 「洛中洛外日記」667話で紹介しましたように、西井健一郎さん(古田史学の会・全国世話人)から送っていただいた「読売新聞」(2014.02.25)の記事『難波宮跡の柱「7世紀前半」…新手法で年代特定』により「年輪セルロース酸素同位体比法」という、樹木の年代を測定する新技術を知りました。インターネットでは次のように解説されています。

 「酸素原子には重量の異なる3種類の『安定同位体』がある。木材のセルロース(繊維)中の酸素同位体の比率は樹木が育った時期の気候が好天だと重い原子、雨が多いと軽い原子の比率が高まる。酸素同位体比は樹木の枯死後も変わらず、年輪ごとの比率を調べれば過去の気候変動パターンが分かる。これを、あらかじめ年代が判明している気温の変動パターンと照合し、伐採年代を1年単位で確定できる。」

 新聞報道によれば、難波宮から出土した柱を酸素同位体比法で測定したところ、7世紀前半のものとわかったとのこと。この柱材は2004年の調査で出土したもので、1点はコウヤマキ製で、もう1点は樹種不明。最も外側の年輪はそれぞれ612年、583年と判明しました。伐採年を示す樹皮は残っていませんが、部材の加工状況から、いずれも600年代前半に伐採され、前期難波宮北限の塀に使用されたとみられるとのことです。
 新春講演会でこの技術と測定結果が詳しく解説していただけます。これからの古代史研究にとっても基本技術となることでしょう。とても楽しみです。