第2410話 2021/03/16

逆遠近法の宮殿、「飛鳥宮内郭」「エビノコ郭」

 飛鳥宮跡の研究を始めたとき、その内郭やエビノコ郭の平面図(注①)が四角形ではなく台形であることを不思議に思いました。なぜこんなヘンテコな形にしたのだろうかと、そのことを「洛中洛外日記」573話(2013/07/25)〝いびつな宮殿、飛鳥宮〟と574話(2013/07/27)〝へんてこな大極殿、エビノコ郭〟で指摘しました。天武期以前に造営された前期難波宮(九州王朝の複都)や九州王朝系の近江大津宮は四角形であり、この差は造営した主体(王朝)が異なるためと考えました。しかし、近畿天皇家の王宮がなぜ台形を採用したのかについてはわかりませんでした。
 前話の〝拡張する飛鳥宮「エビノコ郭」遺跡〟の執筆にあたり、その規模を調べました。飛鳥宮内郭ははっきりと台形であり、北側の塀が台形の〝長辺〟になっています。すなわち、南の正門から宮殿を眺めると、内部の殿舎配置も〝末広がり〟の構造となっているのです。

 飛鳥宮最上層内郭 東西152-158m 南北197m
 飛鳥宮エビノコ郭 東西92-94m  南北約55m

 地形上の制約をうけて飛鳥宮を台形にしたとも思われませんし、測量技術が劣っていたわけでもありません。従って、意図的に台形にしたと考えざるを得ないのです。もしかすると〝逆遠近法〟を採用したのではないでしょうか。。
 わたしが中学生の頃、美術の先生から逆遠近法という画法を教えていただきました。特に日本画に多く使われているとのことでした。遠近法とは逆で、遠くのものを大きく描くという画法です。古代建築に応用例があるのかどうか知見はありませんが、丘陵に囲まれた飛鳥の狭量な地域に宮殿を建てる際に、より広く見せるために逆遠近法の原理を採用したのではないでしょうか。
 このことの当否については全く自信ありませんが、平安末期成立の『源氏物語絵巻』(注②)は逆遠近法で描かれていますし、七世紀にも同様の技術や設計思想があっても不思議ではないように思われます。古代の絵画や建築に詳しい方のご教示をお願いします。

(注)
①吉田歓著『古代の都はどうつくられたか 中国・日本・朝鮮・渤海』(吉川弘文館、2011年)89頁掲載の飛鳥浄御原宮(飛鳥宮3-B期)平面図による。
②通称「隆能源氏」(たかよしげんじ)と呼ばれている『源氏物語絵巻』(国宝)は平安末期の作とされる。

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