富雄丸山古墳出土「蛇行剣」の発祥地
奈良新聞に掲載された富雄丸山古墳出土の盾形銅鏡を見て、その形状と文様が平城京跡出土の「隼人の盾」(注①)に似ていることに気付きました。ともに「盾」と称されているのですから、形状が似ていることは当然ですが、盾形銅鏡の上下にある「鼉(だ)龍鏡」文様と「隼人の盾」の逆S字文様も似ています。
鼉龍鏡とは国産鏡の一種で、乳と呼ばれる突起の周りを想像上の動物「鼉龍」が巻き付いた文様のあるのが特徴です。盾形銅鏡には上下二つの鼉龍鏡文様がありますが、その「鼉龍」の巻き方向が上下で反対方向になっています。「隼人の盾」の逆S字の字体も、上と下とで文字のラインの巻き方向が異なります。 更にいえば、盾形銅鏡には鋸歯文があり、「隼人の盾」にも鋸歯文が上下にあります。このように、両者には形状と文様に共通の要素があります。もちろん、両者の年代(四世紀と八世紀)や材質(銅と木材)は異なり、偶然の類似という可能性も否定できません。
しかしながら、わたしは両者の関係は偶然ではないように思います。富雄丸山古墳からは蛇行剣も出土しているからです。この蛇行剣の出土は南九州が最も多く、当地で発祥したと考えられています。「ウィキペディア」では蛇行剣について次のように説明しています。
〝蛇行剣(だこうけん)は、古墳時代の日本の鉄剣の一つ(大きさによっては鉾と捉えられている)。文字通り剣身が蛇のように曲がりうねっている(蛇が進行しているさまの如く)形状をしているため、こう名づけられている。
〔概要〕
西日本を中心に出土している鉄剣で、その形状と出土数から実用武器ではなく、儀礼用の鉄剣と考えられている。古墳や地下式横穴墓群などから出土している。九州地方発祥の鉄剣と考えられているが、5世紀初頭には近畿圏にも広がりをみせている。(後略)〟
以上のように、「隼人の盾」と蛇行剣の発祥の地(注②)が九州地方(南九州)であることから、富雄丸山古墳出土の盾形銅鏡と大型(2.37m)蛇行剣を九州王朝系勢力によるものとする視点での研究が必要ではないでしょうか。
(注)
①「ウィキペディア」には次の説明がある。
〝隼人の楯(はやとのたて)は、奈良県奈良市の平城宮跡より出土した、古代在京隼人が使用した8世紀前半頃の木製の盾。『延喜式』に見える「隼人楯」の記述と合致する特徴を備えた奈良時代の考古資料である。
〔概要〕
飛鳥・奈良時代、南九州の薩摩・大隅地域の人々は、当時の律令政府により擬製的な化外の民(夷狄)として扱われ、「隼人」と呼ばれた。(後略)〟
②主に宮崎県と大隅地方の古墳・地下式横穴墓から出土している。
「日本の歴史」(https://xn--u9j228h2jmngbv0k.com/2017/11/%e8%9b%87%e8%a1%8c%e5%89%a3/)には、韓国での1例を除いては同時代の海外での出土例は報告されていないとあり、この見解に従った。