斉明紀「狂心の渠」=水城説の展開!
本日はi-siteなんばで「古田史学の会」関西例会が開催されました。10月例会はドーンセンター、11月はi-siteなんばで開催します(参加費1,000円)。
今日の発表はいずれも勉強になることばかりで、驚きの連続でした。満田さんは、大業四年(608年)倭国に派遣された裴世清使節団の副使、遍光高という人物を紹介されました。『日本書紀』にも中国史書にも記されていない人物で、元興寺伽藍縁起にのみ記されているとのこと。従来、平安末期成立の偽文書扱いされている同縁起の再評価が必要と思われました。
谷本さんも同縁起に見える「大隨國」の「隨」の時に焦点を当て、本来の国名「隋」と字が異なる理由について解説されました。隋唐時代に「隋」と「隨」が併用されており、隋代では「隋」が圧倒的に多く、唐代になって「隨」字の使用が激増したとのこと。このことをわたしは知りませんでしたが、隋唐の研究者にとっては有名なことのようです。結論として、元興寺伽藍縁起に引用されている古文書には古態を遺している部分があり、全否定するには惜しい文献とされました。
正木さんは、九州年号「常色」「朱雀」などが記されている『赤渕神社縁起』(兵庫県朝来市)の詳細な史料批判を行われ、九州王朝(倭国)に関する記事の洗い出しに成功されました。同縁起の史料価値を更に高めた研究でした。『古田史学会報』への発表が待たれます。
不二井さんの発表は短里の基礎となった「短歩」に関するもので、短里説の証明や痕跡を研究する上で役立つものと思われました。
大原さんは、『日本書紀』斉明紀に見える「狂心の渠」記事を丹念に読み解くことにより、同記事を水城や神籠石造営のこととする古田説を精緻に発展させたもので、説得力を感じました。優れた研究と思いましたので、『古田史学会報』への投稿を要請しました。
最後に発表された日野さんは、『記紀』ではなぜ初代天皇が神武とされ、ニニギとされなかったのかという疑問を提起し、元明天皇らがニニギを始祖とした九州王朝の存在を隠蔽するためとされました。この他にも、「古人大兄皇子は九州王朝の皇子」説などを発表されました。
わたしは、宮崎県の「阿万」「阿萬」「米良」姓の集中分布と西都原古墳群の異形前方後円墳(前「三角錐」後円墳)との関係について研究発表しました。いずれの発表に対しても活発な質疑応答がなされ、更にパワーアップした「古田史学の会・関西」らしい例会となりました。コロナ禍も徐々に落ち着いてきましたので、多くの皆さんの参加をお待ちしています。
なお、発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。
〔9月度関西例会の内容〕
①裴世清と高表仁の格の違いについて (茨木市・満田正賢)
②「丈六光銘」の「大随國」をめぐって (神戸市・谷本 茂)
③服部仮説「遣唐使=14年のズレ」は成り立つか? (神戸市・谷本 茂)
④『赤渕神社縁起』の重要性の再発見 (川西市・正木 裕)
⑤「あま」姓・「米良」姓の分布と論理 ―宮崎県の「阿万」「阿萬」姓と異形前方後円墳― (京都市・古賀達也)
⑥人足と狸歩 (明石市・不二井伸平)
⑦狂心の渠は水城のことだった (大山崎町・大原重雄)
⑧元明天皇はなぜ九州王朝を隠蔽したのか (たつの市・日野智貴)
◎会務報告(正木事務局長)
1.大阪府立大学と市立大学の合併(大阪公立大学)によるi-siteなんばの今後について。
◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(「三密」回避に大部屋使用の場合は1,000円)
10/16(土) 10:00~17:00 会場:ドーンセンター
11/20(土) 10:00~17:00 会場:i-siteなんば
※コロナによる会場使用規制のため、緊急変更もあります。最新情報をホームページでご確認下さい。