2023年05月25日一覧

第3023話 2023/05/25

九州年号「大化」「大長」の原型論 (8)

 大長は701年以後に実在した九州年号であり、九州王朝についての記憶が失われた後代において、九州年号最後の大長を大和朝廷最初の年号である大宝元年に接続するため、各史料編纂者が下記のような思い思いの位置に大長を移動させたと考えました。

(a) 692年壬辰を大長元年とする丸山モデル。大長九年まで続く。
(b) 695年乙未を大長元年とするタイプ。大長六年まで続く。
(c) 698年戊戌を大長元年とするタイプ。大長三年まで続く。

 これら3タイプの大長は元年の位置は異なりますが、いずれも大長が最後の九州年号であり、その直後に大宝元年(701)が続いており、大長の直前の九州年号は大化という共通点があります。これらの史料情況から、大長の本来型は次のようなものと推論できます。

(1) 九州年号の最末は、大化→大長と続いている。大化と大長の間に他の九州年号を持つ史料は見えない。
(2) 大長は9年間続いたと考えられる。これよりも長い大長の史料は見えない。
(3) 同様に大化も最長9年間続く史料(注①)が見え、九州年号の末期は大化九年→大長九年であったと考えられる。
(4) 上記の推論結果を『二中歴』の朱鳥(686~694年)・大化(695~700年)を起点として復元すると、朱鳥(686~694年)→大化(695~703年)→大長(704~712年)となり、それぞれ9年間続いている(注②)。

 論証の結果、以上の復元案に至りました。こうして大長は701年の王朝交代後に実在した〝最後の九州年号〟とする仮説が成立したのです。なお、686年丙戌を大化元年とする丸山モデルですが、実は寺社縁起などの実用例として、686年丙戌を大化元年とするものは見つかっていません。そして、実際に使用された痕跡がなかったことを丸山氏自身も自説の弱点として認めていたのです(注③)。(つづく)

(注)
①『箕面寺秘密縁起』(『修験道史料集Ⅱ』)に「持統天皇御宇大化九秊乙未二月十日」とある。『峯相記』には「大化八年」の記事が見えるとのこと(『市民の古代』第11集所収〝「九州年号」目録〟による)。
②最末期の三つの九州年号がいずれも9年間続いていることについて、偶然のことか、意図的な改元なのか、未だ結論を持っていない。
③丸山晋司『古代逸年号の謎 ―古写本「九州年号」の原像を求めて―』株式会社アイ・ピー・シー刊、1992年。同書84頁に次のように述べている。
「寺社縁起などでの丙戌大化の実用例は遺憾ながら見つけ出せていない。このことは丙戌大化原型説の弱点である。」