2023年06月27日一覧

第3054話 2023/06/27

元岡遺跡出土木簡に遺る

      王朝交代の痕跡(4)

 元岡・桑原遺跡群出土の二つの紀年木簡、「大寶元年辛丑」(701年)木簡と「壬辰年韓鐵□□」木簡の考察を続けてきましたが、同遺跡からは次の二つの「延暦四年」(785年)木簡も出土しています(注①)。

・口壹升(サイン・花押)
・計帳造書口粮用(伋)口
延暦四年六月廿四日

献上  □□□(沙)魚皮〈折損〉延暦四年十月十四日真成

 701年に王朝交代し、785年にもなると木簡の紀年表記は年号(延暦四年)だけとなり、干支は使用されていません。しかも年号記載箇所は、「大寶元年辛丑」木簡とは異なり、文末に移動します。この頃になると、九州王朝時代の干支表記の伝統が失われていたことがわかります。

 九州王朝は早くから干支に強いこだわりを見せていたように思います。それを象徴するのが元岡遺跡群の古墳から出土した〝四寅剣(刀)〟です(注②)。それには金象眼で次の銘文が記されています。

大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果(練)

 「庚寅正月六日庚寅」と、年干支・日付干支があるので、570年の庚寅であることがわかります。冒頭の「大歳庚寅」は『日本書紀』の用例に従えば、九州王朝の天子の即位年干支が庚寅であることを意味しますが、この年に九州年号が和僧から金光に改元されており、天子即位による改元と思われます。ところがこの年干支と日付干支が共に庚寅であることに着眼されたのが正木裕さん(古田史学の会・事務局長)でした。

 正木さんによれば、干支が寅の年、寅の月、寅の日、寅の時に作られた剣を四寅剣(しいんけん)といい、朝鮮半島古来の伝統の剣とのこと。そして、570年が庚寅の年で、正月が寅の月、その六日が寅の日になり、もし寅の時(午前3時~5時)に造られたのであれば四寅剣になることに気付かれたのです。朝鮮半島では古代から中近世にかけて四寅剣が数多く作られ、国家の危機を救う「辟邪」として重宝されたようです(注③)。この四寅剣(刀)のように、九州王朝は干支の持つ意味に関心を示しており、荷札木簡にさえも年号ではなく干支表記を採用したことに、国家としての深い政治思想が込められていたと思われるのです。

(注)
①『元岡・桑原遺跡群8 ―第20次調査報告―』福岡市教育委員会、2007年。
服部秀雄「韓鉄(大宰府管志摩郡製鉄所)考 ―九州大学構内遺跡出土木簡―」『坪井清足先生卒寿紀年論文集』2010年。文字の判読については当論文の見解を採用した。花押が古代木簡に使用されていたとする見解を服部秀雄氏は提起しており、興味深い。
②古賀達也「洛中洛外日記」339話(2011/09/25)〝「大歳庚寅」象眼鉄刀銘の考察〟
同「洛中洛外日記」340話(2011/10/01)〝「大歳庚寅」鉄刀銘と「金光」改元〟
同「洛中洛外日記」341話(2011/10/02)〝「大歳庚寅」銘鉄刀の目的〟
同「洛中洛外日記」342話(2011/10/09)〝「大歳庚寅」銘鉄刀は四寅剣(刀)〟
正木 裕「福岡市元岡古墳出土太刀の銘文について」『古田史学会報』107号、2011年。
古賀達也「『大歳庚寅』象嵌鉄刀の考察」『古田史学会報』107号、2011年。
③古賀達也「洛中洛外日記」848話(2015/01/03)〝金光元年(570)の「天下熱病」〟
正木 裕「『壹』から始める古田史学・二十三 磐井没後の九州王朝3」『古田史学会報』157号、2020年。
古賀達也「古代日本の感染症対策 ―九州王朝と大和朝廷―」『東京古田会ニュース』192号、2020年。
正木 裕「『壹』から始める古田史学・三十三 多利思北孤の時代Ⅹ 多利思北孤と九州年号と「法興」年号」『古田史学会報』167号、2021年。

Youtube 講演

木簡の中の九州王朝 古賀達也
https://www.youtube.com/watch?v=cA5YSIm4o0Y
古田史学の会・関西例会
2023年8月19日