現代一覧

第530話 2013/02/23

中嶋嶺雄さんを悼む
 2月14日、中嶋嶺雄さん(国際教養大学学長)が亡くなられました。76歳とのこと。中嶋さんの訃報をわたしは名古屋のホテルのテレビニュースで知りました。大変残念でなりません。心よりお悔やみ申し上げます。
 中嶋さんは松本深志高校での古田先生の教え子で、新・東方史学会の会長でもあり、陰に陽に古田先生を応援されてきました。松本深志時代の若き古田先生とのエピソードを「洛中洛外日記」第6話「中嶋嶺雄さんと古田先生」で紹介していますので、是非ご覧ください。
 古田先生も中嶋さんのご逝去を大層残念がっておられました。「古田史学会報」4月号に弔辞をご寄稿いただくことになりました。中嶋嶺雄さんのご冥福をお祈り申し上げます。


第529話 2013/02/23

谷本茂さんの古代史講義

 古田史学の会会員で古くからの古田史学研究者である谷本茂さんがNHK文化センター梅田教室で古代史の講義をされます。テーマは「邪馬台国は大和にあったか?」というもので、多元史観古田史学による講義です。皆さんの受講をおすすめします。
 
 谷本さんは2001年に東京で開催された『「邪馬台国」はなかった』発刊30周年記念講演会で、わたしとともに祝賀講演を行った間柄で、優れた研究者で
す。中でも短里研究では優れた業績を残されており、祝賀講演でも「史料解読方法の画期」というテーマで短里説を展開されました。
   谷本さんは京都大学在学中(1972年頃)からの古田ファンだそうで、古田先生の息子さんの家庭教師をしながら、古田先生の最新研究を真っ先に聞かれていたとのこと。
  「大変おいしいアルバイトだった」と祝賀講演でも話されていました。
 
 祝賀講演のわたしの演題は「古田史学の誕生と未来」というものでした。当初、事務局に提出していた演題は「古田史学を学ぶ覚悟」だったのですが、「刺激
的すぎる」というあまりよくわからない理由で変更を求められ、「古田史学の誕生と未来」に落ち着きました。もっとも内容に変更はなく、「わたしたちの学問
は、体制に認められようとか、私利私欲のためにあるのではなく、真実と人間の理性にのみ依拠し、百年後二百年後の青年のために真実を追求する、この学問を
やっていきたい。」と「檄」を飛ばしました。
   あの日からもう12年たったのかと思うと、それだけ私も谷本さんも、そして古田先生も年齢を重ねたのだと、感慨深いものがあります。これからも谷本さんと共に切磋琢磨して古田先生の学問を継承していかねばならないと、決意を新たにしました。
   谷本さんの講義は下記の通りです。ご参照ください。
   NHKカルチャー NHK文化センター梅田教室
   邪馬台国は大和にあったか?(講師:谷本茂)
  2013年4月8日(月)と4月22日(月)の2回 10:30~12:00
  一般受講料:6,300円(NHK文化セ ンター会員受講料:5,670円)
  問い合せ電話:06-6367-0880
  【概 要】
   古代史の重要な発掘や調査があると決まって大新聞が報道する「邪馬台国=近畿説に新たな証拠!」という論調には大きな疑問符がつきまといます。
   三角縁神獣鏡は卑弥呼に贈られた鏡なのか?箸墓は卑弥呼の墓である可能性が高いのか?三世紀の近畿に存在した王権を「邪馬台国」と判断する根拠は何なのか?
 
 客観的な出土物の分析ならびに文献との整合性を重視する立場から、古代史の研究・報道に関わる冷静な批判的視点を提案します。「こうであろう」論理から
「こうであるはずがない」論理に転換することで、新しい古代史の展望が開けてくることを、具体的な事例で解説します。
   NHK文化セ ンターの当該ページは↓
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_854561.html


第509話 2012/12/27

NHK大河ドラマ「平清盛」雑感

 NHK大河ドラマ「平清盛」が終わりました。巷では視聴率が最低だったとか、場面が暗い汚いなどと散々な評判のようです が、わたしはなかなかの名作と思いました。NHK大河ドラマで、わたしが全編を見たのは「平清盛」と「龍馬伝」だけです。どちらも面白かったのですが、平 安時代末期という時代背景や、登場人物の名前が「平○○」「源○○」「○○法皇」「○○上皇」ばかりで、わかりにくかったことも視聴率低迷の要因かもしれ ません。
 しかし、わたしは平安時代の勉強になりましたし、場面の多くが地元の京都市内ということもあって、とても身近に感じられました。それと豪華俳優陣、中でも常盤御前(牛若丸の母)役の武井咲さんや、清盛の妻・時子役の深田恭子さんらの平安時代の衣装をまとった美しさも魅力的でした。清盛役の松山ケンイチさ んの演技や特殊メイクも回を追うごとに迫真さを増し、良かったと思います。この「平清盛」は後世必ずや再評価されるに違いありません。
 古代から中世に移る源平の時代ですが、鎌倉時代に入ると、それまで諸史料に散在していた九州年号が、各種年代暦や『二中歴』(鎌倉時代初頭の成立)などの文献に「九州年号群」史料としてまとまって出現・成立するようになります。この現象を、近畿天皇家という古代王権が衰退したため、別王朝(九州王朝・倭国)の年号である九州年号の「使用」「記述」がはばかられなくなったためと、わたしは理解してきました。ところが、どうもそれだけではないのではないかと思うようになりました。
 もしかすると、中世以降の文献に九州年号が「頻繁」に出現するようになったのは、本当に九州王朝の存在が忘却されたため、別王朝の年号という認識が無いまま「使用」「記述」されたのではないでしょうか。その証拠として、ほとんどの九州年号使用「年代暦」などは、6~7世紀の九州年号が701年からは近畿天皇家の「大宝」年号へと「継続」した表記となっているからです。何者かはわからないまま、古代史料に遺された九州年号を近畿天皇家の年号と「同類視」 し、両者を疑うことなく「継続」表記させたと思われるのです。
 もちろん、例外もあります。江戸時代成立の『襲国そのくに偽僭考』などのように、明確に「九州年号」という表記があり、このことから九州年号を「九州地方の年号」とする認識がうかがわれます。宇佐八幡宮文書にも「教到」を「筑紫の年号」と記されている文書のあることが知られています。これも、九州年号を「筑紫地方の年号」と理解していた痕跡です。
 こうした若干の例外はあるものの、ほとんどの場合は九州王朝の存在が忘却され、「九州年号」が「使用」「記述」されているのです。こうした九州年号史料の日本思想史的な考察・研究も、これからの古田学派の仕事でしょう。
 さて、来年の大河は「八重の桜」です。綾瀬はるかさん演じる山本八重(同志社創立者新島嬢の妻)の生涯をドラマ化したものです。わたしの娘の母校である同志社大学からも新島八重の生涯を漫画で綴った小冊子が送られてきました。なかなかの力の入れようですが、創立者の奥さんの生涯がNHK大河ドラマとなるのですから、当然でしょう。人気女優の剛力彩芽さんや黒木メイサさんも出演されるとのことで、来年の大河ドラマも楽しみにしています。


第504話 2012/12/14

平成24年の回顧

 昨年に続いて、年末にあたり平成24年を回顧してみます。もちろん「古田史学の会」関連の個人的学問的な関心に基づいたものです。順不同ですが、印象の強いものから取り上げてみます。

1.太宰府出土「戸籍」木簡の衝撃
やはり今年の筆頭はこれでしょう。九州王朝の時代の「戸籍」関連木簡が太宰府から出土したのですから、九州王朝末期の王朝中枢領域の研究にとって第一級の文字史料です。

2.市 大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』と多元的木簡研究
太宰府「戸籍」木簡出土を契機に、古田学派では木簡に関する関心が一段と高まりました。その同時期に中公新書から刊行された市
大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』は一元史観に立脚したものとはいえ、最新の木簡研究の成果が記されており、わたしも大変勉強になった一冊です。
これらを契機に「多元的木簡研究会」(略称:たも研)を発足させることになりました。

3.新人論客の登場
札幌市の阿部周一さんが彗星のように登場され、次々と研究論文を投稿されています。会報掲載が間に合わないほどの投稿ペースです。さらなる研究の深化が期待されます。

4.観世音寺創建年史料の発見
阿部周一さんから『日本帝皇年代記』(鹿児島県、入来院家所蔵未刊本)が紹介され、その中に白鳳10年条(670)に「鎮西建立観音寺」という記事があることをお知らせいただきました。
また、井上肇さんから送っていただいた『勝山記』にも観世音寺の創建年が白鳳10年と記録されていました。観世音寺創建年については、『二中歴』では
「白鳳年間(661~683)」とされているのですが、具体的年次は不明でした。今回の「発見」により、創建年が明らかとなり、太宰府編年研究が前進しま
した。

5.越智国の「紫宸殿」「天皇」地名
西条市(旧・東予市)に字地名「紫宸殿」とその近傍に字地名「天皇」があることが、「古田史学の会・四国」の今井久さんらにより報告されました。この発見により、古代越智国の位置づけや九州王朝論に新たな展開が期待されています。

6.合田洋一著『地名が解き明かす古代日本』
合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人、同四国の会事務局長)が『地名が解き明かす古代日本』(ミネルヴァ書房)を上梓されました。地名を多元史観・九州王朝説により考察されたもので、古田史学の新たな分野と可能性を拓かれました。

7.中国にあった「聖徳太子」九州年号史料
名古屋市の服部和夫さん(古田史学の会・会員)から、聖徳太子が書写したとされる『維摩経』断簡が中国にあり、末尾に九州年号「定居元年」が記されていることが報告されました。これにより、九州王朝の「聖徳太子」という視点が明確となり、研究が促されました。

8.久留米大学公開講座で「九州王朝論」講義
九月に開催された久留米大学公開講座で「筑後の九州王朝」というテーマでわたしと正木裕さんが講義を行いました。古田先生以外の研究者が先生の後を受け
継ぎ、大学の公開講座で古田説・九州王朝論が講義できる時代になったのです。10年前には考えられなかった快挙です。

 この他にも、ミネルヴァ書房からは古田先生の著作が続々と復刻されており、全国の書店に並ぶようになりつつあります。来年も古田史学や「古田史学の会」にとって飛躍の年となるでしょう。楽しみです。


第492話 2012/11/14

「古田史学の会」の「成果」

 ドラッカーによれば、非営利組織について次のように定義されています。

 「非営利組織はミッションのために存在する。それは社会を変え人を変えるために存在する。」(『非営利組織の経営』)

 「古田史学の会」にとって、「社会を変え人を変える」とはどういうことなのかをわたしたちは考え続けてきました。「古田 史学の会」のミッション(使命)からすれば、古田史学・多元史観を日本古代史の定説とするために、長期にわたって一元史観の学界と論争を続け、真実の古代 史と学問の方法を国民に訴え続けなければなりませんから、質が高く層の厚い古田学派を作り上げる必要があります。そのためには、一般の古代史ファンを古田 史学のファン・会員に変え、古田史学のファンを古田史学の研究者に変え、古田史学の研究者を古田史学の著作者・講演者に変えなければならないと考えていま す。
 この「人を変える」という不断の取り組みにより、様々な「成果」を得ることができます。具体的にそれは会員の増加、例会参加者の増加、例会発表者の増 加、会報会誌投稿者の増加、古田史学関連著作の刊行という「成果」として現れます。同時に「古田史学の会」を支えるボランティアスタッフも増加することで しょう。
 こうした「成果」を既にわたしたちはいくつも実現させてきました。そして、これからも「成果」をあげ続けなければなりません。そのためにどのような戦略 や目標・行動が必要で効果的であるかをいつも考えています。わたしたち「古田史学の会」が持っている「資源(人・資金・時間など)」は限られていますの で、優先順位を決め、「費用対効果」にも配慮して運営していきたいと思います。これからも皆さんのご理解とご協力を心よりお願い申しあげます。


第491話 2012/11/12

ドラッカー著『非営利組織の経営』を読む

 思うところがあり、ドラッカー著『非営利組織の経営』を毎日のように読んでいます。NPOなど非営利組織に関するドラッ カーの論文は『ハーバード・ビジネス・レビュー』等で読んだことはあったのですが、著作としてまとめられたものは初めてでした。「古田史学の会」も非営利組織ですから、そのあり方や運営について、基礎から考えるうえで同書は最適の一冊でした。
 「古田史学の会」は古田先生の研究活動のサポートを始め、会報・会誌の発行、例会の運営、遺跡巡りハイキングの主催、ホームページの管理、書籍の刊行、 講演会の開催など、ミッション(使命)にもとづいて多くの活動を行っています。この他にも、地域の会との連絡や支援、友好団体とのおつきあいなども重要な 仕事です。
 これらの活動領域において、無報酬のボランティアスタッフが強い信念と責任感に基づいて会を支えています。さらに全国の会員からの会費により財政的に支 えられています。従って、「古田史学の会」はボランティアスタッフや会員に対して「成果」をあげ続けることが求められており、その「成果」が明日の「古田史学の会」の存続を可能にしてくれる、わたしはそのように考えています。
 本会のような非営利組織において最も大切なこと、それはミッション(使命)であるとドラッカーは次のように指摘します。

 「最近、リーダーシップがよく問題にされる。遅すぎたくらいである。しかし、最初に考えるべきものはリーダーシップではない。ミッションである。非営利組織はミッションのために存在する。それは社会を変え人を変えるために存在する。」

 「古田史学の会」のミッションは「古田史学を継承(学び)・発展(研究を深化)させ、世に広める(定説とする)」ことで す。このミッション(歴史的使命)のために、会員は会費を支払い、ボランティアスタッフは献身的に会に貢献してくれるのです。わたし自身もその一人です。
 今から20年ほど前のことですが、古田説支持者や古田ファンにより結成された「市民の古代研究会」が、そのミッションを見失ったため分裂・消滅しまし た。当時、わたしは「市民の古代研究会」の事務局長としてその分裂騒動の渦中にいました。そして、ミッションを見失った組織の末路をこの目で見てきまし た。このときの苦い経験が、「古田史学の会」の規約・名称・会報名・会誌名に、これでもかこれでもかと「古田史学」の四文字を入れる動機となったのです。 「そこまでしなくても」というご意見もありましたが、ミッションを疑いようのないほど明確にするため、あえてこのようにしました。(つづく)


第486話 2012/10/23

古田先生と森嶋通夫さん

 未明から降り出した強い雨の中、新幹線で東京にむかっています。JR東海エクスプレスカードのポイントを利用して、グリーン車でくつろいでいます。出張の多いビジネスパーソンにはありがたいサービスです。
 今日は東京日本橋のN商社で今年度下期のビジネスの打ち合わせと景気動向について情報交換をした後、今晩は山形市で宿泊予定です。ちなみに、東京の日本橋は「にほんばし」と言い、大阪の日本橋は「にっぽんばし」と言います。なぜ読み方が異なるのか理由は知りませんが、このことに最近気づきました。

 一昨日の日曜日に京都市下京区の旧・成徳中学校校舎で古田先生の講演会があり聴講しました。主催者は「文化政策・まちづくり大学校」(代表:池上惇・京都大学名誉教授)という団体で、旧・成徳中学校校舎を拠点に様々な学習会活動を主催されています。
 今回の古田講演は世界的に高名な経済学者の森嶋通夫さんの奥様(ロンドン在住で一時帰国されています)をお招きして、「森嶋学と日本古代史」というテーマで、古田先生が森嶋通夫さんとの出会いや最新の発見について講演されました。古田史学の会からは水野代表をはじめ木村賢司さん・大下隆司さん・正木裕さん・古賀らが参加しました。古田先生の奥様も参加されました。
 講演で話された古田先生と森嶋さんの出会いのエピソードについては、正木さんの提案により会報に掲載する予定です。
 森嶋さんは何度もノーベル経済学賞候補に名前が上った経済学者で、若くして文化勲章も受賞された方です(53歳のとき)。2004年に亡くなられました が、古田先生の熱心な支持者で、邪馬壱国説や九州王朝説についてもよくご存じでした。1998年11月には古田先生と対談をされ、その様子が『新・古代学』第4集(新泉社刊、1999年)に掲載されています(対談「虹の架け橋 ロンドンと京都の対話」)。
 理系(有機合成化学)出身のわたしには経済学はさっぱりわからない分野ですが、森嶋さんが古田先生同様に学問や論証をとても大切にされる本物の学者であ ることは、氏の著書(『なぜ日本は没落するか』『血にコクリコの花咲けば–ある人生の記録』『智にはたらけば角が立つ–ある人生の記録』他)を読めばよくわかります。また、文化勲章受章にともなってもらえる「年金」は全額ロンドン大学の研究所に寄付されているそうです(森嶋さんはロンドン大学名誉教授でした)。日本では本物の学者は、経済学であれ古代史であれなかなか受け入れられないようですが、世界の知性はしっかりと評価しているのではないでしょう か。
 日頃聞くこともできないような世界の経済学者のエピソードなども森嶋夫人からお聞きすることができ、とても思いで深い京都の一夕でした。


第481話 2012/10/13

九州の書店で古田武彦フェア

 ミネルヴァ書房の神内冬人(かみうちふゆと)さんから、九州・沖縄の主要書店16店で古田武彦書籍フェア開催のご案内をいただきましたので、お知らせします。開催書店のお近くの方は是非行ってみて下さい。

 ミネルヴァ書房刊行の古田先生関連の書籍を集めたフェアとのことで、古田先生のフェアに寄せたメッセージを掲載した特別リーフレットが展示されま
す。「邪馬壹国」「九州王朝」のご当地の九州で、多くの市民の皆様に古田先生の学説を知っていただくよい機会になればと期待しています。

 

【フェア概要】

フェア名称:「古田武彦・古代史フェア」

期間:2012年10月1日~10月末日までの予定

書目:「古田武彦・古代史コレクション」「シリーズ・古代史の探求(古田史学の会編「九州年号」の研究・他)」「なかった」「なかった別冊」「俾弥呼」(日本評伝選)「ゼロからの古代史事典」

ご協力書店:

(北九州市)アカデミアサンリブシティ小倉店、ブックセンタークエスト小倉本店、 喜久屋書店小倉店、白石書店本店

(福岡市)紀伊國屋書店福岡本店、ジュンク堂書店福岡店

(久留米市)紀伊國屋書店久留米店

(福津市)未来屋書店福津店

(粕屋町)フタバ図書TERA福岡東店、ブックイン金進堂長者原店

(長崎市)メトロ書店本店

(熊本市)喜久屋書店熊本店、蔦屋書店熊本三年坂

(荒尾市)ブックスあんとく荒尾店

(鹿児島市)ジュンク堂書店鹿児島店

(那覇市)ジュンク堂書店那覇店


第455話 2012/08/12

「史蹟百選・九州篇」の検討

 突然の豪雨や雷で、JR環状線などが止まる中、昨日、関西例会が行われました。

 竹村さんからは、ミネルヴァ書房より発行予定の「古田史学による史蹟ガイド・九州編」(仮称)の企画案が報告されました。おかげで、同ガイドのイメージが一層明確になりました。もちろん、単なる「観光ガイド」ではなく、読んだ人が行きたくなり、古田史学・多元史観の勉強も同時にできるという、そんな切り口の遺跡ガイドになればと思っています。まずは、役員で手分けして古田史学にとって重要な九州の100箇所をピックアップしていきます。ご期待ください。

8月例会の報告テーマは次の通りでした。

〔8月度関西例会の内容〕
1). 日本書紀の「難波」(豊中市・木村賢司)
2). 「□妻倭国所布評大野里」木簡(向日市・西村秀己)
3). 古田武彦著作で綴る史蹟百選・九州篇(木津川市・竹村順弘)
4). 太宰府「戸籍」木簡と大宝二年「嶋郡川辺里戸籍」(京都市・古賀達也)
5). 高砂と筑紫の「神松」「山ほめ祭」(川西市・正木裕)
6). 「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」木簡の「春草」とは(川西市・正木裕)
7). 杜甫の「鬼」(豊中市・木村賢司)
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・ミネルヴァ『壬申大乱』出版・『大日本古文書』「大宝二年嶋郡川辺里戸籍」の確認・会務報告・後藤聡一『邪馬台国・近江説』を読む・その他


第453話 2012/08/12

科学的事実と空気的事実

 今回は古代史から離れますが、科学的事実(古代史では多元史観・古田史学)よりも、社会の「空気」(利害関係に縛られた通念)を「正しい」とする空気的事実(古代史では近畿天皇家一元史観)という、学問・真理と現実社会に焦点を当てた鋭い一文を紹介します。

 執筆者の武田邦彦さんは中部大学教授で、原子力工学・材料工学の専門家です。テレビにもよく出ておられる著名人といってもよいでしょう。下記は氏
のホームページから転載させていただきました。これを読んで、皆さんはどのように感じられるでしょうか。わたしは、古田史学と古代史学界の関係に似ている
ようで、とても考えさせられました。

 

「理科離れ」・・・君の判断は正しい(先輩からの忠告)  武田邦彦

 「理科離れ」が進んでいる。日本は科学技術立国だから250万人ほどの技術者が必要で、少なくなると自動車もパソコンもテレビも公会堂も作れなくなるし、輸出もできずに食料や石油を輸入することもままならない貧乏国になる。

 だから、どうしたら理科離れを防ぐことができるか?と学会、文科省などが苦労している。でも、私は子供に理科をあまり勧められない。

・・・・・・・・・・

 理科が得意な子供は「アルキメデスの原理」を理解できる。そうすると「北極の氷が融けても海水面は上がらない」ということが分かる。それを学校で言うと先生から「君は温暖化が恐ろしいのが分からないのか!」と怒られる。

 理科が得意な子供は「凝縮と蒸発の原理」が理解できる。そうすると「温暖化すると南極の氷が増える」と言うことが分かる。でも、それを友人に言う
と「お前は環境はどうでも良いのか!」といじめられる。反論しても「NHKが放送しているのがウソと言うのか!」とどうにもならない。

 理科が得意な子供は「森林はCO2を吸収しない」ということを光合成と腐敗の原理から理解している。しかし、それを口にすることはできない。「森を守らないのか!」と怒鳴られる。

 物理の得意な大学生は「エントロピー増大の原理から、再生可能エネルギーとかリサイクルは特殊な場合以外は成立しない」ことを知る。でも、そんな
ことを学会で話すことはできない。エントロピー増大の原理を理解している人は少ないし、まして、そのような難解な原理と日常生活の現象を結びつけることが
できる人も少ない。

 日本は「理科を理解しない方がよい」という社会である。「それは本当はこうなんです」と説明すると「ダサい」と言われる。原発が危険な理由を説明すると「お前は日本の経済はどうでも良いのか!」とバッシングを受ける。

 理科を理解できない人が理科を理解している人をバッシングする時代、理科的に正しいことでも社会にとって不都合と思われることを口にできない時代なのだ。だから君が理科を勉強すると不幸が訪れる。「理科離れ」は正しいのだ。

 これほど自然現象を無視した社会では理科を勉強しない方がよい。NHKは科学的事実を報道しているのではなく、空気的事実を報道する。そしてそれが社会の「正」になるし、さらに受信料を取られる。それは極端に人の心を傷つけるものだ。

(平成24年8月11日)


第452話 2012/08/11

古代オリンピックは2年に一度

ロンドンでのオリンピックは毎日のように感動的なシーンを見せてくれます。今まで以上に楽しいオリンピックのように思い ますが、いかがでしょうか。オリンピックは四年に一度の世界最大のスポーツイベントですが、この四年に一度というのは古代ギリシアでのオリンピックにな らったものです。ところが、わたしの研究では古代オリンピックは二年に一度だったと思われるのです。
ご存じのことと思いますが、古田先生は三国志魏志倭人伝の研究により、古代日本では倭人が一年を二年と計算する「二倍年暦」を使用していたことを明らか にされました。倭人伝に記された倭人の年齢が80~100歳と当時としては考えられないような長寿であることなどから、倭人は一年で二歳年をとると計算し ていたことを発見されたのです(『「邪馬台国」はなかった』参照)。
わたしも、この二倍年暦という概念で、洋の東西の古典を精査したところ、各地に二倍年暦と考えざるを得ない痕跡(史料状況)を見いだしました(「二倍年暦の世界」「続・二倍年暦の世界」をご参照ください)。その一つが古代ギリシアだったのです。ディオゲネス・ラエルディオス著の『ギリシア哲学者列伝』(岩波文庫)によれば、古代ギリシアの哲学者はのきなみ長寿(70~100歳)で、これも二倍年暦による年齢表記としか考えられないのです。
さらに、暦年表記として「第○○回オリンピックの第三年」という表記法が採用されているのです。従って、年齢表記と同様にオリンピックの「四年ごと」も現在の二年ということになります。
こうした史料状況と論理性により、古代オリンピックは四年ごとではなく、二年に一回の祭典だったことになるのです。古代人は現代人よりもはるかに短命で すから、選手の活躍年齢期間も短く、最大のスポーツイベントが四年に一度では間が空きすぎるというべきでしょう。
女子レスリングの伊調選手や吉田選手の三連覇は本当に素晴らしいことですが、これも現代人の寿命が延びたことが一要因でしょう。お二人の活躍を喜びながら、古代オリンピックの二倍年暦について考えてみました。


第438話 2012/07/08

済み

古田先生が愛知サマーセミナーで講義

古田先生は今年の夏で86歳になられますが、お元気に活躍されています。7月15日(日)には、愛知県の東邦大学で開催される「愛知サマーセミ ナー2012」にて講義をされます。講座名は「真実の学問とは –邪馬壱国と九州王朝論」です。東邦高校をはじめ県内の私立高校の生徒さんや一般の受講者へ熱く語られます。受講料は無料です。詳細は「愛知サマーセミ ナー2012」のホームページをご覧下さい。
同サマーセミナーへは「古田史学の会・東海」が毎年のように講師派遣をして参加協力されていました。そのご努力もあって、今年は古田先生の講座が設けられました。東海地方の多くの皆さんのご参加をお待ちしています。
また、10月6日(土)には「古田史学の会・四国」の月例会100回目を記念して、松山市でも古田先生が講演されます。こちらも、道後温泉旅行も兼ねて、是非、遠方の皆様にもご参加いただきますよう、お願いいたします。