関西例会一覧

第1338話 2017/02/19

住吉神は「筑紫の神」「軍神」

 昨日の「古田史学の会」関西例会では新視点からの研究報告が続き、触発されました。
 服部さんの報告では、倭国(九州王朝)が中国南朝(梁)の冊封体制から離脱するときの国際情勢(百済や北魏との関係)などについて論議が深まりました。
 岡下さんからは、「多利思北孤」は自署名ではなく隋側が選んだ文字ではないかとされました。その理由として、「北孤」の字義が天子にふさわしいものではないとされ、論争が巻き起こりました。
 原さんからは、住吉大社の祭神は「筑紫の神」「軍神」とされていることから、九州王朝による「常備軍」としての性格を持った神社だったのではないかとする意表を突く仮説が報告されました。また、住吉神社の祭神を祖と伝える氏族がないという調査結果なども示され、とても興味深いものでした。
 正木さんからは天孫降臨説話において「空白」となっている筑前や肥前、糸島、唐津の説話が神武記紀に盗用されているとして、その詳細を展開されました。
 発表者へは『古田史学会報』への投稿を要請しました。
 2月例会の発表は次の通りでした。

〔2月度関西例会の内容〕
①『別府の風土と人の歩み』紹介(奈良市・水野孝夫)
②倭国が冊封から離脱した理由(八尾市・服部静尚)
③魏志倭人伝の中の30カ国の考察(茨木市・満田正賢)
④原伝承上の、崇神帝・初国知らす(大阪市・西井健一郎)
⑤「金印」と志賀海神社の占い(京都市・古賀達也)
⑥「多利思北孤」について(京都市・岡下英男)
⑦住吉神社は常備軍で神領は駐屯地(2)・住吉大社での埴使の神事(2)(奈良市・原幸子)
⑧九州王朝の九州平定 筑紫糸島・肥前平定(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 1/22新春講演会の報告・『古田史学会報』投稿要請・下山昌孝氏(多元的古代研究会・元副会長)、荒金卓也氏(九州古代史の会・元代表)の訃報・文芸誌『飛行船』の大北恭宏氏「大知識人・坂口安吾」紹介・2/16 「大阪さくら会」の服部氏講演報告・2/25 久留米大学で正木氏、服部氏が講演・2/22NHKカルチャーセンターで谷本氏が講義・2/23「古代史セッション」(森ノ宮)の案内(大阪夏の陣はなぜおこったか、笠谷和比古氏)・6/18「古田史学の会」会員総会と講演会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会会場確保の件・久留米市で「連玉(れんだま)」(弥生時代後期)が出土(犬塚幹夫氏からの情報)・その他


第1328話 2017/01/26

NHKカルチャー神戸教室で谷本茂さんが講義

 「古田史学の会」会員で関西屈指の論客、谷本茂さんがNHKカルチャー神戸教室の冬期特別一日講座で講義されることとなりました。テーマは「神話となった聖徳太子の幻像 〜『遣隋使』の謎を解く〜」で、とても面白そうな内容です。詳細は下記の通りです。ふるってご参加ください。古代史にご興味をお持ちの知り合いの方々にお知らせ・お勧めいただければ幸いです。

□日時
2017年2月22日 13:00〜15:00(1回)
□会場
NHKカルチャー神戸教室
 電話078-360-6198 FAX:078-360-6189
 兵庫県神戸市中央区東川崎町1-2-2 HDC神戸6F
 ※JR神戸駅前すぐ、阪急・阪神・山陽 高速神戸駅から徒歩4分

□上記電話・FAXの受付時間:月〜土 9:30〜15:00
□受講料(税込):会員2,808円 一般(入会)不要3,369円
※筆記用具を持参してください。資料は講師が準備します。


第1327話 2017/01/23

研究論文の進歩性と新規性

 「洛中洛外日記」1315話「2016年の回顧『研究』編」でわたしが紹介した、2016年の『古田史学会報』に発表された特に印象に残った優れた論文の「選考基準」についての質問が、先日の「古田史学の会」関西例会の参加者から出されました。良い機会ですので、わたしが選考に当たって重視している「研究論文の進歩性と新規性」という問題についてご説明することにします。
 わたしは次の論文を特に優れていると判断し、「洛中洛外日記」で紹介しました。

①「近江朝年号」の実在について 川西市 正木裕(133号)
②古代の都城 -宮域に官僚約八千人- 八尾市 服部静尚(136号)
③盗まれた天皇陵 八尾市 服部静尚(137号)
④南海道の付け替え 高松市 西村秀己(136号)
⑤隋・煬帝のときに鴻臚寺掌客は無かった! 神戸市・谷本 茂(134号)

 これらの論文はいずれも研究論文としての「進歩性」と「新規性」が他の論文よりも際だっていました。
 特許出願に関わられた経験のある方ならよくご存じのことですが、特許庁による特許審査では、その特許申請の内容が社会の役に立つのかという「進歩性」の有無と、まだ誰もやったことのない初めての事例であるのかという「新規性」の有無が厳しく審査されます。そして進歩性と新規性が認められると、それが事実に基づいているかどうかという「実施例」と「実施データ」がこれまた厳しくチェックされます。ここに虚偽データや虚偽記述があると拒絶査定されますし、特許が成立した後で発覚すれば厳しい罰則(企業倒産するケースもあります)が課せられるほどです。
 わたしも勤務先での特許申請においては、特許事務所の専門家と何度も打ち合わせを行い、最後は胃が痛くなるような決断をして特許出願します。場合によっては担当審査官の個人的「性格」まで勘案して文言やデータの修正を行うこともあるほどです。
 学術論文でも同様に「進歩性」と「新規性」が学術誌への採否で厳しく審査(査読)されます。その研究が学問や研究に役立つ進歩性があるのか、まだ誰も行ったことがない、あるいは未発見という「新規性」があるのかをその分野の第一人者とされる研究者が査読します。権威のある学術誌ほど採用のハードルは高いのですが、世界中の研究者はそうした権威ある学術誌(ネイチャー誌は有名)への採用を目指して切磋琢磨しています。従って、投稿されたほとんどの論文は「没」になる運命が待っているのです。
 『古田史学会報』では通常の学会誌ほど厳しくは査定しませんが、進歩性・新規性の有無、そして論証の成立の有無や史料根拠の妥当性は重要視しています。念のため付け加えますが、採否にあたり、わたしの説とあっているかどうかは判断基準とはしませんし、更にいうならば個別の古田説にあっているか異なっているかも採否には無関係です。この点、誤解が生じやすいのではっきりと断言しておきます。
 また、投稿論文の採否検討にあたり、わたしが不得意な分野は、そのことをよくご存じの方に意見を求めることもあります。わたしが「採用」と判断しても、西村秀己さんから「不採用」とされるケースも極めて希ですがありました。掲載後に会員読者から「なぜこのような原稿を採用するのか」という厳しいご指摘が届いたことも一度や二度ではありません。ちなみに最も厳しい意見を寄せられたのは古田先生でした。そのときは、採用理由や経緯を詳しく説明し、その論文に対する反論をわたしが書くことでご了解いただいたこともありました。懐かしい思い出です。
 以上のことを「2016年の回顧『研究』編」で紹介した論文①の正木稿を例に、具体的に解説します。正木さんの「『近江朝年号』の実在について」は、それまでの九州年号研究において、後代における誤記誤伝として研究の対象とされることがほとんどなかった「中元」「果安」という年号を真正面から取り上げられ、「九州王朝系近江朝」という新概念を提起されたものでした。従って、「新規性」については問題ありません。
 また「近江朝」や「壬申の乱」、「不改の常典」など古代史研究に於いて多くの謎に包まれていたテーマについて、解決のための新たな視点を提起するという「進歩性」も有していました。史料根拠も明白ですし、論証過程に極端な恣意性や無理もなく、一応論証は成立しています。
 もちろん、わたしが発表していた「九州王朝の近江遷都」説とも異なっていたのですが、わたしの仮説よりも有力と思い、その理由を解説した拙稿「九州王朝を継承した近江朝廷 -正木新説の展開と考察-」を執筆したほどです。〔番外〕として拙稿を併記したのも、それほど正木稿のインパクトが強かったからに他なりません。
 正木説の当否はこれからの論争により検証されることと思いますが、7〜8世紀における九州王朝から大和朝廷への王朝交代時期の歴史の真相に迫る上で、この正木説の進歩性と新規性は2016年に発表された論文の中でも際だったものと、わたしは考えています。他の論稿②③④⑤も同様です。皆さんも「進歩性」「新規性」という視点でそれらの論文を再読していただければと思います。なお、わたしが紹介しなかったこの他の論文も、『古田史学会報』に掲載されたという点に於いて、いずれも優れた論稿であることは言うまでもありません。この点も誤解の無いようにお願いします。


第1325話 2017/01/21

九州年号「継躰」建元の追号説

 本日の「古田史学の会」関西例会では偶然にも九州年号「継躰」建元について二件の研究が報告されました。
 一つは西村さんによるもので、『二中歴』にのみ最初の九州年号「継躰」が見える理由として、九州王朝が梁の冊封から離脱して「善記」という年号を公布したとき、それ以前に「継躰」という年号も遡って「公布」、すなわち追号したとする仮説(アイデア)です。追号という事情により『二中歴』以外の史料には「善記」を「最初の年号」と記されることになったとされました。この仮説の成立や論証過程は西村さんから論文として発表されることと思いますが、単なるアイデアとは思えない説得力もあり、今後の論争が期待されます。
 二つ目は正木さんからの研究報告です。『聖徳太子伝暦』に見える「遷都予言記事」(九州王朝の多利思北孤の記事と思われます)の中に、「聖徳太子」46歳のとき(617年)から100年前(517年)に都を置いたというような記事があるのですが、この517年が九州年号の「継躰」建元の年に一致します。このことから、正木さんは筑後のある場所に筑紫君磐井が遷都し、それを記念して「継躰」建元した史料痕跡ではないかとされました。また、617年の翌年には九州年号が「倭京」と改元されるのですが、この年が太宰府遷都の年とする仮説をわたしは発表したことがあります(「よみがえる倭京(太宰府)」『古田史学会報』50号 2002年、「『太宰府』建都年代に関する考察」『古田史学会報』65号 2004年)。今回の正木さんの報告は「継躰」建元年にも遷都の痕跡を発見されたものです。この『聖徳太子伝暦』の「遷都予言記事」は、九州王朝の遷都関連記事を「聖徳太子」の事績としてまとめて記録したものとする理解が可能となり、とても興味深い発表でした。
 1月例会の発表は次の通りでした。

〔1月度関西例会の内容〕
①『別府の風土と人のあゆみ』の宣伝(奈良市・水野孝夫)
②倭国年号建元を考える(高松市・西村秀己)
③古代九州の国の変遷(茨木市・満田正賢)
④倭国と狗奴国の紛争(相模原市・冨川ケイ子)
⑤出野正・張莉著『倭人とはなにか』-漢字から読み解く日本人の源流-(奈良市・出野正)
⑥洛陽発見の三角縁神獣鏡の銘文から(八尾市・服部静尚)
⑦文字伝来と北朝認識(八尾市・服部静尚)
⑧井上信正氏講演会の報告「大宰府 古代都市と迎賓施設」(京都市・古賀達也)
⑨九州王朝の王都の変遷と筑後勢力(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の準備・02.16 「大阪さくら会」で服部氏が講演・02.25 久留米大学で正木氏、服部氏が講演・7月久留米大学で古賀が講演・「古代史セッション」(森ノ宮)の報告と案内・その他


第1310話 2016/12/17

『倭人伝』「陸行一月」の計算方法

 本日の「古田史学の会」関西例会はバラエティーに富み、かつ質疑も濃密なものでした。一年を締めくくるにふさわしい内容で、とても勉強になりました。
 満田さんは例会デビューでした。厳しい批判が出されましたがめげることなく引き続き発表を続けられるとのこと。谷本さんからは『日本書紀』応神紀などの年代が信用できないことを詳細に説明されました。その中で、わたしが25年前に書いた論文中の年代判断の甘さも指摘され、冷や汗ものでしたが、久しぶりに読み直した自分の若い頃の論文に懐かしさを覚えました。
 正木さんからは「倭人伝」行程記事の「陸行一月」を陳寿がどのような基準で計算したのかについての研究報告がなされました。『初學記』や『太平御覧』に引用された「漢律」の規定によれば、使者が遠国に派遣される場合、5日働いて1日休む「五日得一休」であることを明らかにされました。その規定に基づいて「倭人伝」の里程を計算すると、どんぴしゃりで30日「陸行一月」になるのです。正木さんの中国古典調査力にはいつも驚かされるのですが、今回も見事な論証でした。『古田史学会報』での発表が待ち遠しいものです。
 12月例会の発表は次の通りでした。

〔12月度関西例会の内容〕
①古事記の中の「倭」と「夜麻登」(八尾市・服部静尚)
②魏志倭人伝の中にある卑弥呼の都(茨木市・満田正賢)
③神功皇后・応神天皇の年代をめぐって(神戸市・谷本茂)
④「四天王寺」、略称「天王寺」(京都市・岡下英男)
⑤「水城は水攻めの攻撃装置である」という作業仮説について(下)(吹田市・茂山憲史)
⑥文武天皇は「軽天皇」(相模原市・冨川ケイ子)
⑦住吉神は九州王朝の軍神であった。そして、当麻寺は九州王朝の官寺(奈良市・原幸子)
⑧太宰府を囲む「巨大土塁」と『書紀』の「田身嶺・多武嶺」・大野城(川西市・正木裕)
⑨『魏志倭人伝』の陸行一月について -陳寿は極めて厳密な史官だった-(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
大阪府立大学「古田史学コーナー」の移転完了(2階)・千歳市の「まちライブラリー」で「古田史学コーナー」設置と12.23「植本祭」で講演(古田史学の会・北海道 今井俊圀さん「邪馬台国はなかった!?〜古代史の謎〜」)・11.26和水町で古代史講演会の報告・11.27『邪馬壹国の歴史学』出版記念福岡講演会の報告(久留米大学福岡サテライト)・2016.11.14東京ダイワハウスで服部静尚さんが講演・12.24東京古田会例会で冨川ケイ子さん講演「河内戦争」・2017.01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の報告と案内・会費未納者への督促・『古代に真実を求めて』20集「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」の編集について・「他流試合」の勧め・12.03史跡巡りハイキングの実施報告・その他


第1299話 2016/11/19

天武朝(天武14年)国分寺創建説

 本日の「古田史学の会」関西例会はいつも以上にエキサイティングな一日となりました。中でも正木裕さん(古田史学の会・事務局長)の発表で、天武朝(天武14年)国分寺創建説なるものがあったことを初めて知りました。正木さんの見解では『日本書紀』天武14年条に見える「諸国の家ごとに仏舎を造営せよ」という記事は、34年遡った九州王朝の記事とのことでした。国分寺のなかには創建軒丸瓦が複弁蓮華紋のケースもあり、その場合は天武期の創建とすると瓦の編年ではうまく整合するので、天武期(白鳳時代)における九州王朝の国分寺創建の例もあるのではないかと思いました。なお、正木さんの発表を多元的「国分寺」研究サークルのホームページに投稿するよう要請しました。

 茂山憲史さん(『古代に真実を求めて』編集委員)の発表は、水城の軍事上の機能として、単に土塁と堀による受け身的な防衛施設にとどまらないとするものでした。このテーマについては茂山さんとのメールや直接の意見交換を交わしてきたこともあり、水城と交差する御笠川をせき止めることが、当時の土木技術で可能だったのか否かという質疑応答が続きました。来月も後編の発表を予定されているとのことで、わたしとは異なる見解ですが、刺激的で勉強になるものでした。

 なお、このテーマについて茂山説に賛成する服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)とわたしとで例会後の二次会・三次会で「場外乱闘」のような論争が続きました。知らない他人が見たら二人がケンカしているのではと心配されたかもしれませんが、関西例会ではよくあることですので、心配ご無用です。
11月例会の発表は次の通りでした。

〔11月度関西例会の内容〕
①「淡海」から「近江」そして「大津」は何時かわったのか(堺市・国沢)
②倭国・日本国考 八世紀初頭の造作(八尾市・服部静尚)
③「水城は水攻めの攻撃装置である」という作業仮説について(上)(吹田市・茂山憲史)
④藤原京下層瀬田遺跡の円形周溝暮(径30m)の調査報告について(川西市・正木裕)
⑤天武の「国分寺創建詔」はなかった -『書紀』天武十四年の「仏舎造営・礼拝供養」記事について-(川西市・正木裕)
⑥『二中歴』細注の「兵乱海賊始起又安居始行」と「阡陌町収始又方始」(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
大阪府立大学「古田史学コーナー」の移転(二階に)・パリ在住会員奥中清三さん寄贈の絵画(「壹」の字をデザイン)を「古田史学コーナー」に展示・千歳市の「まちライブラリー」(国内最大規模の「まちライブラリー」)で「古田史学コーナー」設置の協力・11/26和水町で古代史講演会の案内・11/27『邪馬壹国の歴史学』出版記念福岡講演会の案内(久留米大学福岡サテライト)・2017.01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の報告と案内・会費未納者への督促・『古代に真実を求めて』20集「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」の編集について・藤原京下層瀬田遺跡の円形周溝暮(径30m)の調査報告について・その他


第1286話 2016/10/15

難波京朱雀大路延長線上の「字南門」地名

 本日の「古田史学の会」関西例会でも初参加の方からの自己紹介で始まり、興味深い報告が続きました。中でも谷本さんの難波京条坊や地名に関する報告は刺激的なものでした。
 谷本さんの報告によれば、難波宮を中心とする朱雀大路の南限(四天王寺よりも東南)に「南門」という字地名が明治期の地図に記されており、難波京の南限の門と推定できるとのこと。しかもその位置が現在の推定条坊ラインの中間に位置することから、考古学者により推定されている条坊ラインが間違っているのではないかとされました。その根拠として、推定条坊ラインの西限が上町台地の西側の谷の下に位置しており、そこは条坊の外としか考えられないと指摘されました。
 この谷本さんからの指摘を聞いて、わたしは現在推定されている一辺約265mの条坊ラインは二分割して、従来条坊間道路と見られていた条坊中間の道路遺構を条坊道路そのものと見なしてはどうかというアイデアを述べました。そう考えると、今回の谷本報告で明らかとなった四天王寺東南にある字地名「南門」の位置が条坊の中間ではなく、難波京域南限の「南門」として、ちょうど最南端条坊と朱雀門の交差点に相当する位置となります。そして西端の推定条坊ラインが上町台地の下部の谷町筋から、条坊半分だけ東へずれることができ、京域として妥当な位置となります。
 このアイデアはまだ思いつきにすぎませんが、列島最古の条坊都市で九州王朝の都があった太宰府条坊の一辺が約90mであることから考えても、難波京条坊の一辺を従来の約265mからその半分の約130mとする方が、九州王朝の条坊の時代変化(時代とともに拡大する)として穏当のように思われるのです。この件、引き続き検討します。
 10月例会の発表は次の通りでした。

〔10月度関西例会の内容〕
①安土桃山時代のポルトガル宣教師が記録した九州年号(八尾市・服部静尚)
②ロドリゲスの見た日本-地理と歴史-、その限界(八尾市・服部静尚)
③記紀の真実Ⅴ 推古紀が告げる近畿朝の真相(大阪市・西井健一郎)
④難波古地図偽作説の再検討(神戸市・谷本茂)
⑤「洛陽で発見された三角縁神獣鏡」雑感(京都市・岡下英男)
⑥九州王朝による九州一円の平定史(1)(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 11/27『邪馬壹国の歴史学』出版記念福岡講演会の案内(久留米大学福岡サテライト)・11/26和水町で古代講演会・2017.01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の報告と案内・愛媛大学の細川隆雄先生(鯨の研究家)との懇談・会費未納者への督促・『古代に真実を求めて』20集「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」の編集について・その他


第1273話 2016/09/17

洛陽発見の三角縁神獣鏡、国産特鋳説

 本日の「古田史学の会」関西例会の冒頭、初参加の方2名からの自己紹介の後、最初に発表された出野さんから「始皇帝と大兵馬俑展」(国立国際美術館・大阪中之島)の無料招待券10枚のプレゼントがありました(先着10名)。
 今回は正木さんの発表が短かったこともあり、時間が余りましたので、最後にわたしから報告をさせていただきました。その中で、狭山池博物館で西川寿勝さんから教えていただいた中国洛陽で発見された三角縁神獣について、その銘文の文字が比較的大きく、文字の字形も整っていることに注目し、このような三角縁神獣鏡は今まで見たことがなく、この鏡は中国の有力者に贈答するため倭国内で特別に丁寧に作られた「国産特鋳鏡」と考えるのがよいとの感想を述べました。ちなみに、西川さんからこの鏡のような銘文の文字の大きなものの同笵鏡は無いことも教えていただきました。わたしは鏡については不勉強ですが、現時点での感想(思いつき)として「倭国製特鋳三角縁神獣鏡」仮説として提起しました。皆さんからのご批判をお願いします。
 9月例会の発表は次の通りでした。

〔9月度関西例会の内容〕
①古田武彦氏の行程批判(奈良市・出野正)
②盗まれた天皇陵(八尾市・服部静尚)
③『続日本紀』研究の勧め(川西市・正木裕)
④難波宮址北辺出土の注根列の造営年代について(豊中市・大下隆司)
⑤大阪湾岸の古地理図について(豊中市・大下隆司
⑥皇位継承(京都市・岡下英男)
⑦記紀の真実4 四人の倭健(大阪市・西井健一郎)
⑧西川寿勝さん(狭山池博物館)との対話(京都市・古賀達也)
⑨中塚武さん(地球研)との対話(京都市・古賀達也)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 古田武彦著『鏡が映す真実の古代』発刊(ミネルヴァ書房、平松健編)・11/27『邪馬壹国の歴史学』出版記念福岡講演会の計画(久留米大学福岡サテライト)・9/03 狭山池博物館 西川寿勝さん講演の報告・2017.01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の報告と案内・『古代に真実を求めて』20集の編集について・その他


第1266話 2016/09/04

狭山池博物館訪問と西川寿勝さん講演

 昨日は、中国洛陽から発見された三角縁神獣鏡を現地で実見調査された狭山池博物館の西川寿勝さんから詳しい調査の報告をしていただきました。
 「古田史学の会・関西」の遺跡巡りハイキングの一環として、狭山池博物館を訪問し、西川さんに同館をご案内いただいた後に、洛陽発見の三角縁神獣鏡についてご説明いただきました。ハイキングの一行だけではなく、遠く関東から冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人)や『鏡が映す真実の古代』を編集された平松健さん(東京古田会)も見えられ、総勢30名ほどでお聞きしました。
 西川さんは国内トップクラスの鏡の専門家で、その説明は説得力のあるものでした。同鏡が贋作ではなく、日本出土の三角縁神獣鏡と同じ技術で製造されていることなど、詳細に説明されました。現地での「裏話」も含めてとても有意義な講演でした。洛陽発見の三角縁神獣鏡の「立体拓本」も見せていただきました。同鏡の所蔵者から贈呈されたものだそうです。この写真はわたしのfacebookに掲載していますので、ご覧ください。
 西川さんには同博物館や狭山池の案内もしていただきました。特に土器編年についても詳しく教えていただき、勉強になりました。その後、なかもず駅近くの白木屋で歓談。翌朝は青森県三内丸山遺跡に行かなければならないというハードスケジュールにもかかわらず、遅くまでお付き合いいただきました。「古田史学の会」の講演会にも来ていただけるとのことで、また楽しみが一つ増えました。
 なお、今年は狭山池造営(616年)からちょうど1400年で、その幟が博物館や市内に立てられているとのこと。同館には文化財級の遺物の本物が多数展示されており、おすすめです。


第1259話 2016/08/20

『続日本紀』の中の多元史観
    (もう一つのONライン)

 本日の「古田史学の会」関西例会では、学問の方法論に関する茂山さんの発表など重要な報告が続きました。中でも、西村さんと正木さんからの『続日本紀』に見える「もう一つのONライン」とでもいうべき痕跡についての報告は興味深いものでした。古代官道の南海道が四国内の阿波国府から土佐国府のルートが変更されており、その変更が九州王朝から大和朝廷への王朝交代によるものという、西村さんの発見は画期的でした。
 南海道旧道は阿波国府・讃岐国府・伊予国府・土佐国府(333km)でした。新道は阿波国府・土佐国府(148km)へと短縮されたのですが(『続日本紀』養老2年5月条〔718年〕)、この変更は中心王朝から出発して土佐国府への最短ルートとしたもので、その中心王朝が九州から大和へ変更になったためとされたのです。素晴らしい発見です。なお、古代南海道のルートが変更されているという指摘は今井久さん(古田史学の会・会員、西条市)からなされており、今回の西村さんの発見の契機になったとのことです。

 わたしからは「評」系図の史料批判として系図を史料根拠に使用する難しさについて報告し、「異本阿蘇氏系図」などを根拠に評制の開始時期を7世紀初頭以前にまで引き上げることはできないとしました。また、以前から問題となっていた『二中歴』「年代歴」の虫喰部分を「不記年号」とする明治10年書写の国会図書館デジタルコレクションの『二中歴』小杉写本を紹介しました。
 この他にも、茂山さんからの最新の論理学による「実証」と「論証」の解説など、普段はなかなか聞くことができない貴重な報告がありました。
 8月例会の発表は次の通りでした。

〔8月度関西例会の内容〕
①土左への交通路(南海道)の変更(高松市・西村秀己)
②巨大古墳は大和朝廷の政治的統一を表すものなのか(八尾市・服部静尚)
③定策禁中(その3)(京都市・岡下英男)
④記紀の真実3 神武東征は無った(大阪市・西井健一郎)
⑤岩波日本書紀の注に一つの疑問(相模原市・冨川ケイ子)
⑥前期難波宮造営の年代について(川西市・正木裕)
⑦古田先生の肉筆草稿新発見報告(奈良市・水野孝夫)
⑧「学問の方法」を整理して今後の「古田史学」を考える 〜パースの論理学をめぐって〜
 ※添付資料:『議論パターン』について(吹田市・茂山憲史)
⑨『二中歴』の「不記年号」問題の新史料(京都市・古賀達也)
⑩「評」系図の史料批判(京都市・古賀達也)
⑪『続日本紀』もう一つのONライン(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 7/23『邪馬壹国の歴史学』出版記念東京講演会の報告・9/03 狭山池博物館 西川寿勝さん講演の案内・2017.01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の案内・その他


第1249話 2016/08/10

大阪府立狭山池博物館見学と講演のご案内済み

 大阪府立狭山池博物館見学と講演のご案内です。中国から出土した三角縁神獣鏡を実地調査された西川寿勝さんから、詳細な調査報告をしていただきます。とても貴重な内容ですので、わたしも楽しみにしています。

○日時 9月3日(土) 14時〜16時30分
  ①14時〜15時 博物館展示解説
 ②15時〜16時30分 講演
  演題 「洛陽発見の三角縁神獣鏡について」
  講師 西川寿勝氏(大阪府立狭山池博物館学芸員)
  (於:博物館会議室)

○場所 大阪府立狭山池博物館
    大阪狭山市池尻中2丁目(南海高野線大阪狭山市駅、西に徒歩5分)

※人数限定のため希望者は事前に正木事務局長まで申し込んでください。メール Babdc106@jttk.zaq.ne.jp
「古田史学の会・関西」ハイキング参加者はコースに入っているので申し込み不要です。


第1233話 2016/07/16

投馬国五万戸の領域

 いつもの大阪府立大学なんばキャンパスが使用できなかったので、大阪歴史博物館の会議室で開催した本日の「古田史学の会」関西例会では、古田史学の方法論に関する大下さんの発表など刺激的な報告が続きました。評制施行時期に関する谷本さんの発表では、わたしと谷本さんとで論争となり、懇親会で服部静尚さん(古田史学の会・編集長)から感情的になりすぎるとお叱りをうけました。論争になるとついつい声が大きくなるという欠点は、還暦を過ぎてもなかなかなおりません。ごめんなさい。
 出野さんの発表で、倭人伝の投馬国を薩摩とする古田説に対して、筑前・筑後・肥前に広がる邪馬壹国の七万戸と比較して、薩摩で五万戸は無理とする出野さんからの指摘に、なるほどと思いました。懇親会でもこのことが話題となり、出野さんや大下さんと検討した結果、投馬国は薩摩だけではなく肥後も含まれていたのではないかという意見にまとまりました。最近、わたしが研究を進めている肥後の古代の見直しを、倭人伝の時代にまで遡って研究する必要を感じました。懇親会も有意義な関西例会に是非ご参加ください。
 7月例会の発表は次の通りでした。

〔7月度関西例会の内容〕
①暁鐘成(あかつきかねなる)の証言-大仁村にあった石棺(八尾市・服部静尚)
②難波宮の羅城 -暁鐘成の証言2(八尾市・服部静尚)
③「古田史学」の基本は実証主義 “学問は実証よりも論証を重んじる”について(豊中市・大下隆司)
④『住吉大社神代記』にあった「国宰」(奈良市・原幸子)
⑤古田先生は孔穎達をどう訓んでいたか(奈良市・水野孝夫)
⑥帯方郡から狗邪韓国の行程は水行か陸行か(奈良市・出野正)
⑦トリ氏出で埋められた神代巻-天照大神とその後の時代-(大阪市・西井健一郎)
⑧「評」史料の再検討(神戸市・谷本茂)
⑨実在した「イワレヒコ(神武)」-神話・伝承はある事実の反映だった-(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 7/23 「古田史学の会」東京講演会シンポジウム(正木さん・服部さん・古賀)の案内・9/03 狭山池博物館 西川寿勝さん講演の案内・「九州古代史の会」との交流開始・7/02 四国の会講演会(正木さん)の報告・8/31 NHK文化センター特別講座(谷本茂さん)の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の案内・その他