関西例会一覧

第363話 2011/12/18

『「九州年号」の研究』を上梓

 ミネルヴァ書房より、できたばかりの『「九州年号」の研究 — 近畿天皇家以前の古代史』が送られてきました。著者への贈呈分として一足早く届いたようですが、これから書店に並ぶことと思います。「古田史学の会」会員の皆さんには2011年度会員サービスとして進呈されま す。会員のお手元に届くのは順次発送作業を進めるため、年明けの2月以降になると思います。しばらくお待ち下さい。
 昨日の関西例会では、百済人祢軍墓誌について竹村さんや水野さんから報告があり、活発な討論が交わされました。当然のことではありますが、まだまだ結論は出そうにありませんでした。古田先生もこれから検討に入られると思いますので、引き続き研究テーマとして例会での検討が期待されます。
 冨川さんからは、鮮卑族に捕らえられた倭人の記事が後漢書に見えることを紹介されました。今後の研究の深化が待たれます。
 12月例会の内容は次の通りでした。その後の懇親会は忘年会と『「九州年号」の研究』出版祝いも兼ねて、盛り上がりました。

〔12月度関西例会〕
(1) オフレコ(ここだけの内緒話)(豊中市・木村賢司)
(2) 鮮卑族に連れ去られた倭人たち(横浜市・冨川ケイ子)
(3) 上柱國百済禰軍の位階(木津川市・竹村順弘)
(4) 日本書紀の蓋鹵王と武寧王(木津川市・竹村順弘)
(5) 継体紀における百済本記(木津川市・竹村順弘)
(6) 万葉3234番歌の「伊勢」批判(川西市・正木裕)
(7) 記紀の干支日(木津川市・竹村順弘)

○代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・会務報告・園城寺の白鳳年号・百済祢軍墓誌の追跡・他。


第344話 2011/10/22

東アジアの古代象嵌銘文大刀

 10月15日の関西例会も盛沢山の発表で、充実した一日となりました。中でも、正木さんからの四寅剣に関する解説はとても勉強になりました。その時に紹介された西山要一氏の論文「東アジアの古代象嵌銘文大刀」は中国や朝鮮半島、日本の古代象嵌大刀を詳細に調査報告されたもので、優れた研究業績と思われました。同論文はインターネットでも閲覧が可能ですので、是非御覧になられることをお奨めします。
 大下さんの発表は、7世紀以前の大阪上町台地には「難波」地名はなかったというもので、前期難波宮の創建を天武期とされるものです。この問題については質疑応答や討論が行われました。大下さんは会報でも発表予定ですので、活発な論争が期待されます。
 当日の発表は次の通りでした。

〔古田史学の会・10月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 反省 ミリアムは二人いた(向日市・西村秀己)
2). 住吉の大神は和珥氏の小戸航海神(大阪市・西井健一郎)
3). 呉寿夢の後裔氏族(木津川市・竹村順弘)
4). 最後の法隆寺見学(豊中市・木村賢司)
5). 元岡古墳群G6号古墳から発掘された鉄剣(刀)について(川西市・正木裕)
6). 小郡飛鳥説からの天智十年十二月の童謡の解釈(川西市・正木裕)
7). 古代大阪湾の新しい地図(難波の地名)(豊中市・大下隆司)
8). 二中歴都督歴と年代歴元稿(木津川市・竹村順弘)
9). 二中歴都督歴と公卿補任(木津川市・竹村順弘)
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田氏近況・会務報告・法隆寺見学「戊子年銘釈迦三尊像」・磐船神社から富雄真弓塚探訪・『先代旧事本紀大成経』・他(奈良市・水野孝夫)

第338話 2011/09/24

公卿補任のONライン

 9月17日の関西例会で、竹村さんが公卿補任(くぎょうぶにん)の調査結果を報告されました。公卿補任は近畿天皇家の歴代の職員録で従三位以上が記されています。著者や成立年代は不明とのことですが、そこに記された739年まで年別の登録人員数の集計をされました。
その結果、701年を境に人数が増えるという現象を発見されたのです。そしてその原因として、701年以降になって近畿天皇家は自らの官僚名を正確に記し、それ以前の九州王朝の官僚は記されていないため、人数が少ないのではないかとされました。正に王朝交代の画期点である701年(ONライン)が公卿補任にも反映している可能性を指摘されたのです。大変優れた調査結果と考察だと感心しました。
 竹村さんには、公卿補任だけでなく、例えば『二中歴』の「都督歴」なども調査されるよう要請しました。このところ、竹村さんの研究発表には刺激されることが多く、毎月の例会が楽しみです。
 奈良市の原さんからも久しぶりに発表があり、当麻寺の中将姫伝説などを教えていただきました。
当日の発表は次の通りでした。
 
〔古田史学の会・9月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 『俾弥呼』を読む(向日市・西村秀己)
2). 青木さんからの手紙(豊中市・木村賢司)
3). 「論争のすすめ」(会報105号)について(豊中市・大下隆司)
4). 公卿補任の大宰帥(木津川市・竹村順弘)
5). 大宰帥の家系図(木津川市・竹村順弘)
6). 当麻寺の曼陀羅由来・他(奈良市・原幸子)
7). 久留米・太宰府地名研究会講演会の報告(川西市・正木裕)
 
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田氏近況・会務報告・住吉神社研究・他(奈良市・水野孝夫)

第335話 2011/08/23

初伝時の仏像と三角縁仏像鏡

 8月20日の関西例会で、竹村氏がわが国への仏教初伝時の仏像の様式を検討され、初伝時の仏教は中国南朝ではなく北魏からの影響が強いという説を発表されました。この考えは有力な仮説だと思います。

 わたしも、「倭国に仏教を伝えたのは誰か」(『古代に真実を求めて』1集、1996年)という論文の中で、初伝僧として糸島雷山千如寺の清賀上人を提起しました。そして、その千如寺の本尊である千手観音の中に清賀上人の持仏とされる小仏像が埋め込まれているのですが、目がつり上がったちょっと異様な仏像なのです。
 ところが、今から10年ほど前に仕事で上海に行ったとき、上海博物館を訪れたのですが、時代別に展示してあった仏像の中で、北魏の仏像が千如寺の体内仏に顔がそっくりだったのです。従って、清賀上人は北魏の、あるいは北魏経由の僧侶ではないかと考えていたのです。今回の竹村さんの発表はわたしの考えと一 致するものであり、興味深く傾聴しました。
 なお、竹村さんが調査された対象は「仏像」だけでしたので、古墳時代に出土している「三角縁仏像鏡」の存在を指摘し、これらも調査対象にされることを要望しました。今後の継続調査に期待しています。
 当日の発表は次の通りでした。

〔古田史学の会・8月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 仏教初伝時の仏像(木津川市・竹村順弘)
2). 『古鏡銘文集成』の裏文字銘文(京都市・岡下英男)
3). 河内戦争後の畿内–律令制の始まり(横浜市・冨川ケイ子)
4). 厳然として凛として立つ国・他(豊中市・木村賢司)
5). 古代大阪湾の新しい地図(豊中市・大下隆司)
6). 論争の提起に応えて(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
  古田氏近況・会務報告・三井寺の「白鳳八年」・平城京の観世音寺・他(奈良市・水野孝夫)


第327話 2011/07/23

野中寺弥勒菩薩銘の中宮天皇

 7月16日の関西例会で、わたしは野中寺の弥勒菩薩銘にある「中宮天皇」を九州王朝の天子 (薩夜麻)の奥さんのこととする、仮説以前のアイデア(思いつき)を発表しました。中宮天皇の病気平癒を祈るために造られた弥勒菩薩像のようですが、銘文中の中宮天皇について、一元史観の通説では説明困難なため、偽作説や後代造作説なども出ている謎の仏像です。
 造られた年代は、その年干支(丙寅)・日付干支から666年と見なさざるを得ないのですが、この年は天智5年にあたり、天智はまだ称制の時期で、天皇にはなっていません。斉明は既に亡くなっていますから、この中宮天皇が誰なのか一元史観では説明困難なのです。
 従って、大和朝廷の天皇でなければ九州王朝の天皇と考えたのですが、この時、九州王朝の天子薩夜麻は白村江戦の敗北より、唐に囚われており不在です。 そこで、「中宮」が後に大和朝廷では皇后職を指すことから、その先例として九州王朝の皇后である薩夜麻の后が中宮天皇と呼ばれ、薩夜麻不在の九州王朝内で代理的な役割をしていたのではないかと考えたのです。(不改常典については別に紹介したいと思います)
まだまだアイデアレベルの作業仮説ですので、間違っているかもしれませんが、皆さんのご意見を聞くために発表しました。
7月例会の発表は下記の通りですが、西村さんの隼人研究のための現地調査報告は歴史研究の王道とも言うべき取り組みで、「歴史は脚にて知るべきものなり」(秋田孝季)を実践されたものです。また、岡下さんの作成された資料は、鏡の銘文の裏文字・左文字を抜粋されたもので、なかなかの労作です。今後の銘文研究に役立つことが期待されます。
〔古田史学の会・7月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 竹村順弘氏作成資料の解説(向日市・西村秀己)
2). 鹿児島旅行の報告(隼人調査)(向日市・西村秀己)
3). 女多男少(京都市・岡下英男)
4). 『古鏡銘文集成』の裏文字銘文(京都市・岡下英男)
5). 古代大阪湾の新しい地図 難波(津)は上町台地になかった(豊中市・大下隆司)
6). 古田史学の会総会出席雑感メモ(豊中市・木村賢司)
7). 伊勢王と明日香皇子の歌(川西市・正木裕)
8). 百済大寺・高市大寺・大官大寺について(川西市・正木裕)
9). 中宮天皇と不改常典(京都市・古賀達也)
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田氏近況・会務報告・役行者伝説の山々は大隅半島か・他(奈良市・水野孝夫)

第325話 2011/07/09

青田勝彦さん、来阪

6月19日に開催された古田史学の会定期会員総会に、福島県南相馬市の青田勝彦さん(古田史学の会・全国世話人)が見えられました。 青田さんは古田史学の会設立時からの草創の会員です。「市民の古代研究会」理事会が古田支持派と反古田派に分裂したときの会員総会に福島から出席され、帰 り間際に「古賀さん頑 張って下さい」と少数派になり関西で孤立していたわたしを激励していただいたのが、青田さんとの出会いでした。そして、古田史学の会創立から今日まで、共 に古田史学のためにご尽力いただいた魂の同志のお一人なのです。
その青田さんとは3月11日の大地震と大津波以後、一時期連絡がとれなかったのですが、青田さんのお話によると、地震と津波には何とか耐えたけれども、 その後の原発事故の発生で「もうだめだ」と思い、ご家族5人で宮城県へ車で逃げたとのこと。福島原発の爆発音が南相馬市まで聞こえたとのことですから、そ のときの驚きは想像を絶するものと思います。
今はご友人のすすめもあり、滋賀県大津市に避難されています。落ち着かれたら関西例会にも参加していただけるとのことで、草創の同志と会えた喜びと、災 害の甚大さやご苦労を思うと、複雑な気持ちです。ちなみに、青田さんは宮城県へ避難するとき、限られた持ち出し荷物の中に、古田先生の著書40冊を入れら れたそうです。さすがは筋金入りの古田ファンです。
会員総会の午前中に行われました関西例会の内容は次の通りです。太田副代表は久々のご出席で、お元気そうで何よりでした。
〔古田史学の会・6月度関西例会の内容〕
○研究発表
1) 『東日流外三郡誌』の津波記事(奈良市・太田斉二郎)
2) 百済寺・大官大寺移築説(川西市・正木裕)
3) 板付水田遺跡は弥生か縄文か(知多郡阿久比町・竹内強)
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
    古田氏近況・会務報告・「出雲国」は島根県か?・他(奈良市・水野孝夫)

第322話 2011/06/11

6月19日、記念講演会のご案内 済み

来る6月19日(日)に古田史学の会会員総会を開催します。総会に先だって、午後1時(開場)から恒例の記念講演会も開催します。今回の講演は次のお二人です。
石田敬一さん(古田史学の会会員) 演題「倭人伝の戸と家について」
正木 裕さん(古田史学の会会員) 演題「盗まれた九州」
記念講演会は、毎年その一年に優れた研究発表をされた古田学派の研究者を招聘して行われますが、今回は「古田史学の会・東海」の研究者石田さんと「古田史学の会・関西」の論客正木さんにお願いしました。
石田さんは「東海の古代」(古田史学の会・東海の機関紙)で好論を数多く発表されていますが、関西での発表は初めてです。学問の方法や原則を強く意識さ れて自説を展開し、他者への批判でもこうした視点をしっかりと持たれており、わたしも以前から注目してきた研究者のお一人です。今回の発表テーマは倭人伝 における「戸」と「家」についてで、古田説を更に展開・深化させるかもしれないと期待されています。
正木さんは皆さんご存じの通り、九州年号に基づいた『日本書紀』史料批判の展開を中心とする、その圧倒的な研究は質量とも素晴らしい内容と言わざるを得 ません。限られた現存史料という制約の中、危険な論理の領域にも踏み込まれており、これからの展開が益々楽しみな研究者です。今回はこれまで発表された九 州年号研究と『日本書紀』史料批判による九州王朝の実像解明をまとめて発表していただく予定です。
古田史学を愛する多くの皆さんの参加を呼びかけます。なお、会場は大阪市北区中之島にある「大阪府立大学中之島サテライト」(大阪府立中之島図書館別館 2階ホール)です。本会総会では初めて使用する会場ですので、お間違えないように。午前中は関西例会を開催していますので、こちらへも是非。

第319話 2011/05/22

九州王朝鎮魂の寺

 昨日の関西例会では、西村さんから研究発表するようにと常々言われ続けていたこともあり、久しぶりに発表しました。 数日前に発見したテーマで、法隆寺が大和朝廷による九州王朝鎮魂の寺であったとする仮説です。7月2日の古田史学の会・四国の例会でも発表予定です。その 後に論文にしようと思っています。
 小林さんからは大歳神社についての岩永芳明稿が紹介され、その分布が播磨に集中していることなどが指摘されました。以前、わたしが研究した「八十神」の分布と重なっているようなので興味深く聞きました。
 竹村さん発表の「大聖勝軍寺の聖徳太子弑逆伝承」は初めて聞く伝承なので驚きました。今後の調査が期待されます。
 例会の発表は次の通りでした。
 
〔古田史学の会・5月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). Basic & New (豊中市・木村賢司)
2). 乙巳の変は動かせる(2) (向日市・西村秀己)
3). 『三国志』の第一読者が理解したこと −古賀達也氏への返答−(姫路市 野田利郎)
4). 倭人伝の国々 −「邪馬一国」の内部に所在する小国について−(姫路市 野田利郎)
5). 隅田八幡神社人物画像鏡の銘文(補足) (京都市・岡下英男)
6). 九州王朝鎮魂の寺 −「天平八年二月二二日法会」の真実− (京都市・古賀達也)
7). 大歳神社について(岩永芳明稿の紹介) (神戸市・小林嘉朗)
8). 宣化紀の松浦佐用姫(木津川市・竹村順弘)
9). 天智の中元年号(木津川市・竹村順弘)
10).大聖勝軍寺の聖徳太子弑逆伝承(木津川市・竹村順弘)
11).弥努王の爵位(木津川市・竹村順弘)
○2010年度関西例会会計報告(豊中市・大下隆司)
○水野代表報告(代理報告:西村秀己)
   古田氏近況・会務報告・『諸寺縁起集』の金剛山・天狗は猿田彦・他(奈良市・水野孝夫)

第316話 2011/05/01

「越智国」論、合田さん熱弁

 4月16日の関西例会では、ゲスト発表者として松山市の合田洋一さん(古田史学の会全国世話人)をお招きして、「越智国の実像」というテーマで発表していただきました。「紫宸殿」地名や熟田津などの存在で、近年注目を集めている越智国についての研究成果をまとめて発表していただいたのですが、詳細な地図や豊富な資料も準備され、当地の土地鑑のない人にも大変わかりやすい報告でした。関西例会ではこれからも関西以外の地域の論客を招いて研究発表していただ くという企画を行いたいと考えています。
 当日の発表内容は次の通りでした。また、大下さんの発議により、東日本大地震被災地の会員に古田先生の新著を送るためのカンパも行われました。ご協力いただき、有り難うございました。
 
〔古田史学の会・4月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 「あと・さき」(てれこ)(豊中市・木村賢司)
2). 倭人伝の日数記事を読む–邪馬一国と投馬国の解明(姫路市 野田利郎)
3). 「始哭」年号について(川西市・正木裕)
4). 倭王と仏教伝来(木津川市・竹村順弘)
5). 清賀上人の来倭布教とその時代背景(木津川市・竹村順弘)
6). 前期難波宮=九州王朝副都説についての疑問(3)(豊中市・大下隆司)
7). 越智国の実像(松山市・合田洋一)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・会報103号斎藤稿への反論・他(奈良市・水野孝夫)

第308話 2011/03/20

東日本大震災

 この度の大地震・大津波でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。テレビなどを通じて知らされるこの災害の悲惨さに、語るべき言葉もありません。また、古田史学の会の東北地方在住会員の皆さまの御無事をお祈りするばかりです。
 古田史学の会全国世話人で仙台市の佐々木広堂さんとはようやく連絡がとれ、御無事であることを確認できましたが、同じく南相馬市の青田勝彦さんとは未だ連絡がとれません。とても心配しています。
 同日開催しました古田史学の会役員会では、被災地域である岩手県・宮城県・福島県の三県在住会員の2011年度会費を免除することを決定いたしました。既に御支払い済みの場合は2012年度会費として取り扱うこととします。
 昨日の関西例会では亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、参加者全員で黙祷を捧げました。発表内容は次の通りでした。

〔古田史学の会・3月度関西例会の内容〕
○研究発表
(1) 国難 (豊中市・木村賢司)
(2) 白鳥さんと水主神社 (豊中市・木村賢司)
(3) 辟易 (豊中市・木村賢司)
(4) 古代史「道楽三昧」No,4の作成 (豊中市・木村賢司)
(5) 前期難波宮の九州王朝副都説についての疑問 (豊中市・大下隆司)
(6) 「邪馬壹国」は「女王国」ではない
ーー魏志倭人伝「不弥国」の新解釈 (姫路市 野田利郎)
(7) PC検索とDB活用 (木津川市・竹村順弘)
(8) 恵総と慧慈 (川西市・正木裕)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・白鳳朱雀年号の研究史・他(奈良市・水野孝夫)


第305話 2011/02/26

法興と聖徳

 2月19日の関西例会では、竹村さんが6件という驚異的な数の発表をされました。百済など古代朝鮮に関する研究が中心で、わたしにとっては不勉強な分野ですので初めて知ることも多く、参考になりました。竹村さんを中心として、最近の関西例会はちょっとした韓流ブームです。
 正木さんからは、『二中歴』に見えない九州年号「法興」「聖徳」についての新仮説の発表で、触発されました。この二年号を多利思北孤と利歌弥多弗利の 「法名」「法号」ではないかという仮説です。また、多利思北孤と煬帝の出家が同年ではなかったかとの指摘もあり、こちらも興味深いテーマです。会報での発表が待たれます。
 2月例会の発表は次の通りでした。

〔古田史学の会・2月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 宇佐八幡妄想 (豊中市・木村賢司)
2). P.Fドラッカーと森嶋通夫 (豊中市・木村賢司)
3). 歴史を学んでどう生きる (豊中市・木村賢司)
4). 遊・学同源 (豊中市・木村賢司)
5). 平成の鎖国 (豊中市・木村賢司)
6). 応神紀弓月君と佛流百済 (木津川市・竹村順弘)
7). 南史と北史の温度差 (木津川市・竹村順弘)
8). 雄略紀の百済滅亡記事 (木津川市・竹村順弘)
9). 華北の穢貊人観と江南の倭人観 (木津川市・竹村順弘)
10).百済の馬韓制圧と神功紀 (木津川市・竹村順弘)
11).世子の倭王興 (木津川市・竹村順弘)
12).隅田八幡神社人物画像鏡の銘文  (京都市・岡下英男)

13). 法興・聖徳年号とは何か(試案) (川西市・正木裕)
 釈迦三尊の光背銘や伊予温湯碑に見える「法興」は、法王たる多利思北孤の「法号・法名」であり、彼が法号を授かった五九一年時を元年とする。 聖徳は、同様に多利思北孤の太子「利」の法号である。従って九州王朝の年号というより、多利思北孤と利の個人の「仏教上の年期」を示すものである事を、隋や倭国における法号授与の経緯、法興に「元」が付される事、法皇・菩薩天子は「法号」を持たねばならない事等を根拠として示した。

14). 「橿と檍」、そしてイザナギと神武帝(大阪市・西井健一郎)

○水野代表報告
    古田氏近況・会務報告・行基と道照と智通・他(奈良市・水野孝夫)


第300話 2011/01/16

両京制への展望

 昨日の関西例会では、わたしの前期難波宮九州王朝副都説の検証が行われました。事前に大下さんに多岐に渡る質問項目をレジュメとして用意していただいたので、有意義な質疑応答が繰り返されました。
 わたしも事前に自説を改めて見直したのですが、前期難波宮は副都に留まらず、難波京ともいうべき規模であることから、九州王朝は7世紀後半に倭京(太宰府)と難波京の「両京制」を採用していたのではないかと考えるようになりました。というのも、昨年、難波に条坊制の痕跡が確認されたことにより、その条坊区割り尺度から前期難波宮の造営と同時に条坊制の京域設計がなされたと考えられるに至ったからです。この点、『古田史学会報』に連載予定の拙稿「前期難波宮の考古学」にて詳細に説明したいと考えています。
 この他、例会では竹村さんによる『先代旧事本紀』の研究報告や、水野代表による東大寺「お水取り」長屋王鎮魂法要説は興味深いものでした。このように、新年最初の関西例会に相応しい発表や質疑応答があり、2011年も新発見続出の予感がしています。
1月例会の発表は次の通りでした。

〔古田史学の会・1月度関西例会の内容〕
○研究発表
(1) 米国防長官 (豊中市・木村賢司)
(2) 天子(帝)になれる条件 (豊中市・木村賢司)
(3) 陳寿の音韻 (豊中市・木村賢司)
(4) 「糊塗」 (豊中市・木村賢司)
(5) 出産の測定は曜日でする (豊中市・木村賢司)
(6) 倭人伝の「距離」と「旅行記」
ーー倭人伝に残された謎(1)の補足(姫路市・野田利郎)
(7) 其の北岸 ーー倭人伝に残された謎(2) (姫路市・野田利郎)
(8)先代旧事本紀「推古27年条」 (木津川市・竹村順弘)
(9) 唐の倭国駐留軍 (木津川市・竹村順弘)

(10)「飛鳥」は「筑紫小郡」か  (川西市・正木裕)
ーー書紀の編纂者は「飛鳥浄御原宮」の命名根拠を知らなかった

『書紀』では天武が六七二年飛鳥浄御原宮を造り即位したと記す一方、六八六年に朱鳥改元に因んで飛鳥浄御原宮と名づけたとする。この二つの記事の合理的解釈として、
1).飛鳥浄御原宮は九州王朝の宮で「飛鳥の明日香」と呼ばれた筑紫小郡にあった。
2).天武は壬申乱後この宮で即位した。
3).薩夜麻はここで育ち、その地名(山川・野の名)をとり幼名明日香皇子と名づけられた。
4).しかし、近畿天皇家が政権を奪取した九州年号大化期に明日香(飛鳥)は大和の地名とされ、筑紫明日香は阿志岐に変えられた。
5).『書紀』編者は「飛鳥浄御原宮」を近畿天皇家・天武の宮とする必要があったが、筑紫の現地地名に因む宮の名の由来を知らなかった為、「朱鳥改元」を根拠にせざるを得なかった。

以上を「大化改新詔」「古事記序文」「万葉歌」ほかを根拠に示した。

(11)前期難波宮九州王朝副都説の検証 (京都市・古賀達也)

○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・東大寺「お水取り」は長屋王鎮魂法要・他(奈良市・水野孝夫)