古田史学の会一覧

第2617話 2021/11/20

「蕨手文様、北部九州から信濃へ伝播」説

 本日はi-siteなんばで「古田史学の会」関西例会が開催されました。12月と新年1月もi-siteなんばで開催します(参加費1,000円)。
 本日の例会には長野県上田市の会員吉村八洲男さんが参加され、上田市出土の蕨手文瓦当の文様(複合蕨手文)が北部九州(桂川町・王塚古墳)から信濃へ伝播したとする仮説を発表されました。重い瓦を持参されての発表でしたので、注目を浴びました。わたしからの多くの質問にも丁寧に回答され、同仮説に説得力を感じました。遠くから大阪までお越し頂き、有り難いことと思います。
 なお、発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔11月度関西例会の内容〕
①「蕨手文様・瓦当」への一考察 (上田市・吉村八洲男)
②野田利郎氏の「俀国」の地理的認識について (神戸市・谷本 茂)
③『隋書』開皇二十年記事を読む ―兄弟統治と俀― (姫路市・野田利郎)
④服部論文「磐井の乱は南征だった」の再考証 (茨木市・満田正賢)
⑤騎馬民族説の多元論での解釈 (大山崎町・大原重雄)
⑥斉明紀の征西記事と朝倉宮 (東大阪市・荻野秀公)
⑦三世紀の東(ヤマト・イワレヒコの後裔)と西(邪馬壹国の俾弥呼・壹與) (川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
12/18(土) 10:00~17:00 会場:
 01/15(土) 10:00~12:00 会場:i-siteなんば
      ※午後は恒例の新春古代史講演会。

◎新春古代史講演会 参加費1,000円 共催:古田史学の会、他。
 2022年1月15日(土) 13:30~16:30 会場:i-siteなんば
 講師:佐藤隆さん(元大阪歴博学芸員) 演題:難波京発掘調査の最新研究(仮題)
 ※午前中は古田史学の会・関西例会。

 ※コロナによる会場使用規制のため、緊急変更もあります。最新情報をホームページでご確認下さい。

《関西各講演会・研究会のご案内》
◆「市民古代史の会・京都」講演会 参加費500円 〔お問い合わせ〕℡090-7364-9535
○11/23(水・祝) 13:30~17:00 会場:キャンパスプラザ京都(JR京都駅北西側)
【講演テーマ「古代官道の研究」】
 ①「古代官道の不思議発見」 講師 古賀達也(古田史学の会・代表)
 ②「『多賀城碑』の解釈 ~蝦夷は間宮海峡を知っていた~」 講師 正木 裕(大阪府立大学講師、古田史学の会・事務局長)
○12月は休会。

◆「古代大和史研究会」講演会(原 幸子代表) 資料代500円 〔お問い合わせ〕℡080-2526-2584
○11/24(水) 13:30~16:30 会場:奈良県立図書情報館
 「白村江の戦い① 白村江前史~専守防衛に徹した伊勢王」 講師:正木裕さん(古田史学の会・事務局長)
 「飛鳥寺は飛鳥にあったのか」 講師:服部静尚さん(古田史学の会・会員)
○12/21(火) 10:00~12:00 会場:奈良県立図書情報館
 「徹底解明解説 邪馬台国九州説① ~邪馬台国の物証」 講師:正木裕さん(古田史学の会・事務局長)
○1/26(水) 13:30~16:30 会場:奈良県立図書情報館
 「白村江の戦い② 白村江前と九州王朝」 講師:正木裕さん(古田史学の会・事務局長)
 「王朝交替の真実①~天武は筑紫都督だった」 講師:服部静尚さん(古田史学の会・会員)

◆「和泉史談会」講演会 会場:和泉市コミュニティーセンター(中会議室)
○12/14(火) 14:00~16:00
 「発見された卑弥呼の宮城」 講師:正木裕さん(古田史学の会・事務局長)

◆「古代史講演会in東大阪」講演会 会場:布施駅前市民プラザ(5F多目的ホール) 資料代500円 〔お問い合わせ〕090-7364-9535
○11/27(土) 18:00~20:00 「天皇と蘇我氏と屯倉」 講師:服部静尚さん
○12/27(月) 14:00~16:00 「聖徳太子と十七条憲法」 講師:服部静尚さん

 ※コロナ対応のため、緊急変更もあります。最新情報をご確認下さい。


第2611話 2021/11/10

『多元』No.166掲載

「『古事記』序文の『皇帝陛下』」の紹介

 先日、友好団体「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.166が届きました。同号の一面に拙稿「『古事記』序文の『皇帝陛下』」を掲載していただきました。ご評価頂き有り難いことです。
 同稿は、15年ほど前に古田先生との意見交換(内実は論争)で何度も対立したテーマを紹介しました。それは、『古事記』序文に見える「皇帝陛下」を唐の天子とするのか、通説通り元明天皇とするのかという問題で、ついには古田先生のご自宅まで呼び出され、長時間の論争となった、いわく付きのテーマでした。今となっては懐かしい限りですが、当時は先生から散々叱られて、泣きそうになりました。しかし、自らが正しいと思うことについては頑張ってみるもので、最終的には通説でよいとする論文を先生は『多元』(注)で発表されました。
 ご自宅での論争の数日後、先生は書き上げたばかりの二百字詰め原稿用紙30枚に及ぶ「お便り」を拙宅まで持参され、その最後には「わたしは古賀さんを信じます」の一言が付されており、激しい〝師弟論争〟も「破門」されることなく終わりました。31歳のあの日、古田先生の門をたたいてから35年が過ぎました。先生からはよく叱られ、何歳になっても震え上がったものです。

(注)古田武彦「古事記命題」『多元』80号、2007年7月。


第2609話 2021/11/05

古代山城発掘調査による造営年代

 昨日、「古田武彦記念古代史セミナー2021」(八王子セミナー。注①)の予稿集が送られてきました。自説とは異なる論稿も収録されており、学問的刺激を受けています。わたしは〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟と考えていますので、こうした予稿集は自説を検証する上でも貴重であり、勉強になります。
 古墳や土器の他に神籠石山城なども当日のテーマになりそうですし、神籠石山城の築城年代を「倭の五王」の時代(5世紀)とする見解が古田学派内に以前からありますので、この機会に古代山城についてのわたしの知見を紹介しておきます。
 古代山城研究に於いて、わたしが最も注目しているのが向井一雄さん(注②)の諸研究です。向井さんの著書『よみがえる古代山城』(注③)から関連部分を下記に要約紹介します。

(1) 1990年代に入ると史跡整備のために各地の古代山城で継続的な調査が開始され、新しい遺跡・遺構の発見も相次いだ(注④)。
(2) 鬼ノ城(岡山県総社市)の発掘調査がすすみ、築城年代や城内での活動の様子が明らかになった。土器など500余点の出土遺物は飛鳥Ⅳ~Ⅴ期(7世紀末~8世紀初頭)のもので、大野城などの築城記事より明らかに新しい年代を示している。鬼ノ城からは宝珠つまみを持った「杯G」は出土するが、古墳時代的な古い器形である「杯H」がこれまで出土したことはない。
(3) その後の調査によって、鬼ノ城以外の文献に記録のない山城からも7世紀後半~8世紀初め頃の土器が出土している。
(4) 最近の調査で、鬼ノ城以外の山城からも年代を示す資料が増加してきている。御所ヶ谷城―7世紀第4四半期の須恵器長頸壺と8世紀前半の土師器(行橋市 2006年)、鹿毛馬城―8世紀初めの須恵器水瓶、永納山城―8世紀前半の畿内系土師器と7世紀末~8世紀初頭の須恵器杯蓋などが出土している。
(5) 2010年、永納山城では三年がかりの城内遺構探索の結果、城の東南隅の比較的広い緩やかな谷奥で築造当時の遺構面が発見され、7世紀末から8世紀初めの須恵器などが出土している。

以上のように古代山城の築城年代に関する考古学エビデンスは増え続けています。そして、その多くが7世紀後半以降の年代を示しています。古墳時代5世紀の築城とする遺物の出土報告は見えませんから、古代山城の築城年代は古く見ても7世紀頃であり、5世紀の倭の五王時代とする考古学エビデンスは見つからないとするのが、学問的な判断だとわたしは思います。

(注)
①古田武彦記念 古代史セミナー2021 ―「倭の五王」の時代―。主催:公益財団法人大学セミナーハウス。開催日:2021年11月13日~14日。共催:多元的古代研究会・東京古田会・古田史学の会・古田史学の会・東海。
②古代山城研究会代表。
③向井一雄『よみがえる古代山城 国際戦争と防衛ライン』吉川弘文館、2017年。

よみがえる古代山城 -- 国際戦争と防衛ライン

 

 

 

 

 

 

 

④播磨城山城(1987年)、屋島城南嶺石塁(1998年)、阿志岐山城(1999年)、唐原山城(1999年)など。


第2602話 2021/10/24

『九州倭国通信』No.204の紹介

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.204が届きました。同号には拙稿「『塩尻』の九州年号(倭国年号) ―「九州年号」現地調査のすすめ―」を掲載していただきました。拙稿は、江戸時代の学者、天野信景(あまの・さだかげ)の随筆『塩尻』に見える九州年号について論じたものです。
 同紙には、新たに「九州古代史の会」代表幹事(会長)に就任された工藤常泰さんの挨拶が掲載されていました。同会の発展に向けて、意欲的な取り組みが指し示されており、頼もしく思いました。これからも両会の友好発展を目指したいと思います。


第2598話 2021/10/20

京都講演会(11月23日)Video一覧

主催:市民古代史の会・京都(代表:山口哲也)

古代官道の不思議発見@古賀達也@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@03:18@DSCN9278
古代官道の不思議発見@古賀達也@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@03:17@DSCN9279
古代官道の不思議発見@古賀達也@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@29:01@DSCN9280
古代官道の不思議発見@古賀達也@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@29:01@DSCN9282
古代官道の不思議発見@古賀達也@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@08:51@DSCN9283
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多賀城碑の解釈~蝦夷は間宮海峡を知っていた@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@29:01@DSCN9288
多賀城碑の解釈~蝦夷は間宮海峡を知っていた@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@20:08@DSCN9291
多賀城碑の解釈~蝦夷は間宮海峡を知っていた@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@22:51@DSCN9293
多賀城碑の解釈~蝦夷は間宮海峡を知っていた@市民古代史の会・京都@キャンパスプラザ京都@20211123@26:42@DSCN9294

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参照できる会報を紹介

書評『発見された倭京 太宰府都城と官道』 古賀達也(会報146号)

「東山道十五国」の比定 — 西村論文「五畿七道の謎」の例証 山田春廣(会報139号)

南海道の付け替え 西村秀己 (会報136号)

古代官道 南海道研究の最先端(土佐国の場合) (会報142号)

割付担当の穴埋めヨタ話⑧ 五畿七道の謎 西村秀己

 

京都講演会(11月23日)の再開

 先日、久冨直子さん(『古代に真実を求めて』編集部)から、コロナ禍のため中断していた「市民古代史の会・京都」の講演会を再開したいとの連絡がありました。11月23日(火)を予定されているとのことで、まだ相談中ですが、わたしと正木裕さん(古田史学の会・事務局長)の二人で講演させていただくことになりそうです。
 わたしに要請された講演テーマは「古代官道」でしたので、下記の演題と要旨で講演資料(パワポ)を作成中です。正式に決まりましたら、改めて報告します。久しぶりの京都講演会ですので、わたしも楽しみにしています。

第一講演 古代官道の不思議発見
〔要旨〕
○古代官道(七道)の不思議な名称
 不思議その1 東海道。陸路なのに、なぜ「海道」
 不思議その2 西海道。島(九州)なのに、なぜ「海道」
 不思議その3 北海道がないのはなぜ
 不思議その4 北陸道だけが、なぜ「陸道」
 不思議その5 山陽道と山陰道。なぜ東西南北がないの
○謎を解くカギは『日本書紀』景行55年条にあった
○地名に遺された古代王朝の記憶
○『宋書』倭国伝に記された倭王武の侵攻領域
○王朝交替により官道名が改変された
○九州王朝「官道」の歴史的変遷
○九州王朝「官道」の終着点

第二講演 『多賀城碑の解釈』

〜蝦夷は間宮海峡を知っていた

講師:正木裕(古田史学の会事務局長)


第2595話 2021/10/16

万葉歌〝大和三山〟「高山」調査の思い出

 本日はドーンセンターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。11月はi-siteなんばで開催します(参加費1,000円)。
 今回の例会でわたしは来月14日に迫った〝八王子セミナー2021〟の予行練習を兼ねて、〝「倭の五王」時代(5世紀)の考古学 ―古田武彦「筑後川の一線」説の再評価―〟をパワポを使用して発表しました。関西例会参加者からの厳しい批判や指摘を事前にいただいておけば、当日の発表に役立つと考えたからです。おかげさまで、想定される批判や反論、不十分な点などが参加者から次々と指摘され、発表内容の修正に活かせそうです。ご指摘いただいた皆さんにお礼申し上げます。
 不二井さんが紹介された、万葉歌に見える〝大和三山〟の「高山」(原文)を通説の香具山ではなく、交野山(このさん、交野市)とする説は、古田先生との現地調査で発見されたものです。先生とドライブ中に偶然に発見した「高山町」(生駒市)という道路標識が新説誕生の端緒となったのですが、交野山々頂の巨岩に古田先生と登った思い出が、不二井さんの発表を聞きながら蘇ってきました。この〝大和三山〟「高山」説は古田武彦著『古代史の十字路 万葉批判』「第五章 あやまれる『高山』の歌」(東洋書林、2001年。後にミネルヴァ書房から復刻)に収録されています。

 なお、発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔10月度関西例会の内容〕
①大和三山 (明石市・不二井伸平)
②俀国と兄弟統治 (姫路市・野田利郎)
③服部論文「磐井の乱は南征だった」の根拠が失われる可能性について (茨木市・満田正賢)
④「倭の五王」時代(5世紀)の考古学 ―古田武彦「筑後川の一線」説の再評価―(京都市・古賀達也)
⑤会誌第二十二集『倭国古伝』(荒覇吐神社~)の絵図に関して (大山崎町・大原重雄)
⑥名字と本姓の扱い方 ―秋田次郎橘孝季の例― (たつの市・日野智貴)
⑦景初鏡・正始鏡 (京都市・岡下英男)
⑧藤原宮造営中断の実相 (川西市・正木 裕)
⑨斉明紀の征西記事と朝倉宮 (東大阪市・荻野秀公)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(「三密」回避に大部屋使用の場合は1,000円)
11/20(土) 10:00~17:00 会場:i-siteなんば
 ※コロナによる会場使用規制のため、緊急変更もあります。最新情報をホームページでご確認下さい。

《関西各講演会・研究会のご案内》
 ※コロナ対応のため、緊急変更もあります。最新情報をご確認下さい。

◆「古代大和史研究会」講演会(原 幸子代表) 資料代500円 〔お問い合わせ〕℡080-2526-2584
○10/27(水) 13:30~16:30 会場:奈良県立図書情報館
 「伊勢王の時代⑤ 大化の改新と二つの大化年号」 講師:正木裕さん(古田史学の会・事務局長)
 「王朝交代の真実 天武は筑紫都督だった」 講師:服部静尚さん(古田史学の会・会員)
○11/24(水) 13:30~16:30 会場:奈良県立図書情報館
 「白村江の戦い① 白村江前史~専守防衛に徹した伊勢王」 講師:正木裕さん(古田史学の会・事務局長)
 「飛鳥寺は飛鳥にあったのか」 講師:服部静尚さん(古田史学の会・会員)


第2593話 2021/10/15

パリからの国際電話(古田先生の命日)

 昨晩、パリ市在住の奥中清三さん(古田史学の会・会員)から国際電話をいただきました。奥中さんはパリ市公認の画家で、年に一ヶ月ほどはモンマルトルのアトリエで観光客の似顔絵などを描き、それ以外のときは自らが好きな絵を描いておられるとのこと。今年はパリに渡って50年になるそうです。コロナでフランスも大変で、政府に対してワクチン接種反対デモなども頻繁に行われていると仰っていました。日本とは大違いです。
 コロナ禍のために帰国もままならいようで、前回は2016年11月に大阪市でお会いし、大阪城や難波宮跡などをご案内しました。昨日(10月14日)は、古田先生の命日ということで、お電話をいただきました。先生の命日を忘れずにいていただき、有り難いことと感謝しています。


第2590話 2021/10/12

『古田史学会報』166号の紹介

 『古田史学会報』166号が発行されましたので紹介します。
一面には、9月18日に亡くなられた竹内強さん(全国世話人、古田史学の会・東海会長)への弔辞として、故人の思い出と研究業績を綴らせていただきました。古田先生や古田史学を守り続けてきた同志のご逝去は耐えがたい悲しみです。

 本号で、わたしがもっとも注目したのは野田さんの論稿です。『隋書』の表記「自A以東」において、「以東」の中にAを含むのか含まないのかという文法についての研究で、当時の人々の文法認識に迫る点では、フィロロギーに関わるテーマです。従来の研究では〝含む場合もあれば、含まない場合もある〟という説が有力だったのですが、それでは『隋書』の中の重要な位置情報が、読む人の主観に任されるという懸念があり、わたしは疑問に感じていました。野田稿では『隋書』の史料批判の結果、含まないとされました。野田説の当否は置くとしても、こうした位置情報に関して、含むのか含まないのかという基本的な文法に曖昧さを残さないという研究は貴重と思いました。

 正木さんの論稿は、『赤渕神社縁起』(兵庫県朝来市)を史料根拠とする九州王朝の天子、伊勢王の事績研究です。七世紀における九州王朝史研究の基本論文の一つではないでしょうか。

 大原さんの論稿は関西例会で論議を巻き起こした研究です。『日本書紀』斉明紀に見える「狂心の渠」を水城のこととする古田説を深化させたもので、更なる論議検証が期待されます。

 166号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』166号の内容】
○竹内強さんの思い出と研究年譜 古田史学の会・代表 古賀達也
○「自A以東」の用法 ―古田・白崎論争を検証する― 姫路市 野田利郎
○九州王朝の天子の系列(3) 『赤渕神社縁起』と伊勢王の事績 川西市 正木 裕
○『無量寺文書』における斉明天皇「土佐ノ國朝倉」行幸 高知市 別役政光
○狂心の渠は水城のことだった 京都府大山崎町 大原重雄
○「壹」から始める古田史学・三十二
多利思北孤の時代Ⅸ ―多利思北孤の「太宰府遷都」― 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○『古田史学会報』原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○編集後記 西村秀己


第2589話 2021/10/11

鬼ノ城と前期難波宮の使用尺が合致

 昨日の多元的古代研究会月例会では、鈴木浩さんが「倭五王王朝の興亡 朝鮮式山城・神籠石と装飾古墳」というテーマで研究発表されました。神籠石などの古代山城の多くは九州王朝の時代に築城されていることもあり、わたしも研究対象として注目してきました。そこで、同例会に先だって古代山城について予習しました。
 予習として最初に読んだのが向井一雄さんの『よみがえる古代山城』(注①)です。同書は大和朝廷一元論に基づいていますが、古代山城研究の第一人者と目される向井さんの著書だけに、考古学的出土事実に関する紹介は参考になり、古田学派の研究者にも注目して欲しい一冊です。そこに、次の興味深い指摘がありました。

 「古代山城の倉庫は、通常の郡衙倉庫が三〇平方㍍であるのと比べても大きく、特に大野・基肄城で採用されている三×五間の総柱礎石建物は六〇平方㍍とひときわ大きい。設計に使用された尺度は大野城では天平尺の二九・六㌢よりも若干長く国分寺建設期の一尺(二九・九㌢)と合致する(鏡山 一九八〇)。鬼ノ城では前期難波宮使用尺の二九・二㌢と合致する柱間が指摘されており、大野城倉庫の年代が八世紀代に下る可能性が尺度面からもうかがえる。」108頁

 最後の「大野城倉庫の年代が八世紀代に下る可能性が尺度面からもうかがえる。」には賛成できませんが、次の指摘部分は九州王朝説にとって、貴重な知見です。

(1)古代山城の倉庫は、通常の郡衙倉庫と比べて大きく、特に大野・基肄城で採用されている三×五間の総柱礎石建物は六〇平方㍍とひときわ大きい。
(2)大野城の設計に使用された尺度は一尺:二九・九㌢。
(3)鬼ノ城では前期難波宮使用尺の二九・二㌢と合致する柱間が指摘されている。

 上記(1)は、九州王朝の都(太宰府条坊都市)を防衛する南北の山城(基肄城・大野城)に「ひときわ大きい倉庫」があることは、九州王朝説に有利な事実です。
 (2)の大野城設計使用尺が29.9cmであることは、太宰府条坊設計尺(約29.9~30cm)に極めて近く、両者が同時期に設計・造営されたことをうかがわせる事実です。井上信正説(注②)によれば、太宰府条坊都市造営は太宰府政庁Ⅱ期に先行するとされており、大野城も太宰府条坊都市と同時期(七世紀前半~中頃)に設計・築城が始まったと考えられます。従って、使用尺を国分寺建設期(八世紀)のものとする向井さんの見解には賛成できません。
 そして、わたしが最も驚いたのが(3)の知見、鬼ノ城と前期難波宮の造営尺(29.2cm、注③)が同じという指摘です。前期難波宮九州王朝複都説(九州年号の白雉元年:652年造営)に立つわたしの視点からすると、同一尺を使用した鬼ノ城と前期難波宮の設計・造営時期はともに七世紀中頃と見なせます。それはとりもなおさず、鬼ノ城の築城者は九州王朝複都の前期難波宮造営尺を使用した勢力ということになり、北部九州や瀬戸内海地域に点在する神籠石山城を九州王朝(系勢力)による築城とみなした古田説を支持します。そして古田説が正しいとなれば、鬼ノ城と同一尺で設計された前期難波宮を九州王朝の複都とするわたしの説と整合するからです。

(注)
①向井一雄『よみがえる古代山城』吉川弘文館、2017年。
②井上信正「大宰府の街区割りと街区成立についての予察」『条里制・古代都市の研究17号』2001年
 井上信正「大宰府条坊について」『都府楼』40号、2008年。
 井上信正「大宰府条坊区画の成立」『考古学ジャーナル』588、2009年。
 井上信正「大宰府条坊研究の現状」『大宰府条坊跡 44』太宰府市教育委員会、平成26年(2014年)。
 井上信正「大宰府条坊論」『大宰府の研究』(大宰府史跡発掘五〇周年記念論文集刊行会編)、高志書院、2018年。
③古賀達也「都城造営尺の論理と編年 ―二つの難波京造営尺―」『古田史学会報』158号、2020年6月。
 古賀達也「洛中洛外日記」2522話(2021/07/18)〝難波京西北部地区に「異尺」条坊の痕跡〟


第2588話 2021/10/10

「多元的古代研究会」月例会にリモート参加

 本日、「多元的古代研究会」月例会にリモート参加させていただきました。ときおり、配信状況が悪くなり、よく聞き取れなかったのが残念でした。
 今回の発表は次のお二方で、西坂さんが紹介された古田先生の「筑紫の難波長柄豊碕宮」説は、先生と意見交換や論争を十年間続けたテーマでもあり、当時のことを思い出しながら聞きました。

○西坂久和さん 「筑紫の難波長柄豊碕宮を探る」
○鈴木 浩さん 「倭五王王朝の興亡 朝鮮式山城・神籠石と装飾古墳」

 質疑応答の時間に、古田先生との論争内容やその後の研究状況などについて、紹介させていただきました。
 まず、『日本書紀』に見える「難波長柄豊碕宮」に「碕」の字が使用されており、岩山である愛宕山(福岡市西区)にふさわしい用字とする見解について、『日本書紀』(岩波日本文学大系本、国史大系本)では、「さき」地名には「碕」の字が使用されており(注①)、「崎」は見あたらないので、「碕」字使用を岩山と結びつける根拠にはできないことを説明しました。次に大阪市北区長柄豊崎地区には古墳時代の豊崎遺跡が出土しており、当地を「低湿地」とする理解は適切ではないと述べました(注②)。
 そして、古田先生との間で見解が対立した論点について、わたしからの次の主張を紹介しました。

(1)福岡市西区の愛宕山からは七世紀の宮殿跡は出土していない。古墳の出土をもって七世紀に宮殿があったとはできない。〔古田先生はこの地で「乙巳の変」(入鹿暗殺)が起こったとされる(注③)〕
(2)福岡市西区の愛宕山付近に九州王朝の宮殿があったと解しうる現地伝承はない。他方、大阪市北区には「難波長柄豊崎宮」伝承地(豊崎神社創建伝承・他)がある(注④)。

 今回の西坂さんの発表が刺激となり、『日本書紀』孝徳紀を精査したところ、新たな発見がありました。別途、報告したいと思います。例会にリモート参加させていただき、ありがとうございました。

(注)
①『日本書紀索引』(吉川弘文館)によれば、次の「碕」字使用の地名が見える。
 「笠狭之御碕」「熊野之御碕」「豊碕」「豊碕宮」「長柄豊碕宮」「難波之碕宮」「難波長柄豊碕宮」「腠碕」「三津之碕」「三穂之碕」「山碕」
②古賀達也「洛中洛外日記」561話(2013/05/25)〝豊崎神社境内出土の土器〟
 古賀達也「洛中洛外日記」1593話(2018/02/01)〝豊崎神社付近の古代の地勢〟
③古田武彦「大化改新批判」『なかった』第五号、ミネルヴァ書房、2008年。
④古賀達也「洛中洛外日記」268話(2010/06/19)〝難波宮と難波長柄豊碕宮〟
 古賀達也「洛中洛外日記」1402話(2017/05/20)〝前期難波宮副都説反対論者への問い(6)〟
 古賀達也「洛中洛外日記」1689話(2018/06/12)〝「長柄の国分寺」の寺伝〟


第2585話 2021/10/01

『親鸞と被差別民衆』の人間模様

 河田光夫氏と古田先生、藤田友治さん

 四半世紀ぶりに、河田光夫氏の『親鸞と被差別民衆』(明石書店、1994年)を書架より探し出して読みました。同書冒頭には古田先生による序文が記されています。

〝(前略)
 わたしは馬齢を重ね、古希の坂へと登ろうとしている。しかし、振り返っても、君は亡い。
 河田氏の新著を祝うための一文が、一片の弔辞としてはじまったこと、それを読者におゆるしいただきたいと思う。わたしにとって氏は、親鸞研究の未知の沃野を開くべき刮目の人、そういう研究者だったのである。
 氏は、わたしの親鸞に関する論文を深く熟読して下さった。わたしの親鸞学の学問としての方法を理解し、その成果を深く摂取しつつ、新たな研究分野を切り開いてゆかれたのである。
 中でも、被差別民衆の立場から親鸞言説を検証する、その方法論は、出色だった。幾多の親鸞研究の中でも燦然たる光を放っている。今後も、失われることはないであろう。
 (中略)
 それゆえに、弔いの言葉としてではなく、お祝いの言葉をもって、本書の序文を結ばせていただきたいと思う。
  一九九四年十月十五日
  ――住井すゑさんの牛久の会の講演に赴く前夜――
                     古田武彦〟

 著者は親鸞研究を通して古田先生と懇意にされていたようです(注①)。河田氏はガンの闘病生活のなかで同書の校正を続け、その途中で亡くなられました(1993年12月18日没)。その校正作業を引き受け、出版にまでこぎ着けたのが藤田友治さん(注②)でした。同著末尾にある藤田さんの「河田光夫氏への追悼と本書の解題」にその経緯が記されています。また、藤田さんは河田氏を介して古田先生の著作を知り、先生との交流が始まったとのこと。当時の様子を次のように記されています。

〝河田氏の引越しの手伝いで河田氏宅にいった際、河田夫人から古田武彦『「邪馬台国」はなかった』や『親鸞 人と思想』の贈呈を受け、古田氏は河田氏の友人であることが解った。
 「偶然は人を思いがけないところへ導くものである」という言葉通り、河田氏から紹介された古田氏を中心にして、その後“囲む会”、さらに発展改称し、“市民の古代研究会”とし、全国組織となったのである(当初、事務局長、前会長)。そして最近は「古田史学の会」へその精神は引き継がれた。〟『親鸞と被差別民衆』146頁

 こうした学問研究を縁(えにし)とした人間模様は、これからも誰かに繋がっていくものと思います。河田氏、藤田さん、古田先生は既に鬼籍に入られました。残された者の一人として、記憶を書き留め、これからの新たな学縁を繫いでいきたいと願っています。

(注)
①古田武彦『親鸞 人と思想』(清水書院、1970年)に河田氏の研究が次のように紹介されている。
 「この問題について、河田光夫に『念仏弾圧事件と親鸞』〈『日本文学』一九六八・七・十月号〉という、みごとな研究がある。言語文法の側面から、この問題を分析したものだ。」170頁
②藤田友治氏(1947~2005年)。「市民の古代研究会 ―古田武彦と共に―」の創立者で、事務局長、会長を歴任された。1994年の「古田史学の会」創立に参加。


第2582話 2021/09/27

『東京古田会ニュース』No.200の紹介

 『東京古田会ニュース』200号が届きました。今号は拙稿「年輪年代測定『百年の誤り』説 ―鷲崎弘朋説への異論―」を掲載していただきました。奈良文化財研究所による年輪年代測定は西暦640年以前のヒノキ標準パターンが百年間違っているとする鷲崎弘朋説に対して、法隆寺五重塔心柱(594年)と前期難波宮水利施設出土の木枠(634年)の両伐採年については妥当とする異論を発表したものです。また、「洛中洛外日記」2529話(2021/08/02)〝『東京古田会ニュース』No.199の紹介〟も転載していただきました。有り難いことです。
 同号に掲載された吉村八洲男さん(上田市)の論稿「『真田の鉄』発見記 その①」は、フィールドワークと顕微鏡観察に基づいた、なかなかの力作でした。吉村稿によれば、従来、長野県上田市真田町には鉄に関連した遺跡や史料は皆無とされてきましたが、真田町傍陽(そえひ)地区に製鉄に関する伝承があることを知った吉村さんは、同地を調査され、鉄滓・炉壁・鉱石を発見されました。その経緯や分析結果が報告されています。文献史学や考古学とは少し違った分野での新発見でもあり、続編が楽しみです。
 なお、200号という記念すべき当号の発行にあたり、一面には田中巌会長のご挨拶が掲載されています。会紙を200号まで続けるということは大変な努力の積み重ねの結果であり、東京古田会を支えてこられた先人や現役員の皆様に改めて敬意を表します。