古田史学の会一覧

第1169話 2016/04/16

九州王朝の占星台

 昨日からの熊本・大分で発生した大地震の被災地のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。実家(久留米市)の母親に電話したところ、初めて経験するような大地震で、夜も眠れないと怯えていました。久留米市には水縄活断層が東西に走っており、連動して地震が発生することを恐れています。わたしも来月に予定していた鹿児島・熊本・長崎出張を取りやめました。

 本日の「古田史学の会」関西例会では、議論百出の新説が発表されました。中でも、岡下さんから前月に続いて発表された、『日本書紀』持統紀最末尾の一文「策定禁中」について、九州王朝天子薩夜麻没後の「天子不在」のタイミングになされた文武天皇即位の「策定」とする仮説は興味深いものでした。
 正木さんからは『日本書紀』天武4年条(675)の占星台造営記事を34年遡った舒明13年(641)のときのこととされ、九州王朝による占星台造営記事とされました。天武紀までの天文記事は正確なのに、持統紀になると当たらなくなることを示され、その理由として、九州王朝副都の前期難波宮の占星台で行われていた天体観測が朱鳥元年(686)の前期難波宮焼亡により停止され、近畿天皇家に天文情報が入らなくなり、持統紀の天文記事が当たらなくなったとされました。これも面白い仮説と思われました。
 服部さんからは、冨川ケイ子さんの「河内戦争」(『盗まれた「聖徳太子」伝承』所収)に基づいて、河内や泉州の大型前方後円墳は近畿天皇家の陵墓ではなく、河内の権力者のものとする理解が示されました。その当否はわかりませんが、恐ろしい仮説でした。これからの論争や検証が楽しみです。
 4月例会の発表は次の通りでした。

〔4月度関西例会の内容〕
①東征勢力が畿内に併存した古墳時代(八尾市・服部静尚)
②推古紀は隋との国交を記録していた(その2)(姫路市・野田利郎)
③新唐書・日本傳の史料価値の見直し(神戸市・谷本茂)
④定策禁中(再)(京都市・岡下英男)
⑤盗まれた九州王朝の占星台(川西市・正木裕)
⑥「阿蘇山噴火史要」(熊本測候所編、昭和6年11月)の紹介(川西市・正木裕)
⑦ニギハヤヒの正体(東大阪市・萩野秀公)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 遺跡巡りハイキング(近鉄名張駅近辺・夏見廃寺跡・同展示館)・朝日新聞3/24朝刊の駒野剛氏コラムへの批判・熊本県(天草)に多い神武天皇を祀る神社・その他


第1163話 2016/04/05

『古田史学会報』133号のご案内

 『古田史学会報』133号が発行されましたので、ご紹介します。本号も岡下さんや正木さんらの好論が満載です。特に正木さんの「中元」「果安」を「近江朝」年号とする仮説は魅力的かつ衝撃的です(検証すべき疑問もありますが)。天智天皇の「不改常典」とも関わり合いそうなテーマですので、これからの論争や展開が楽しみです。
 わたしからは久しぶりに前期難波宮問題を取り上げた論稿「『要衝の都』前期難波宮」を発表しました。前期難波宮九州王朝副都説を提唱してから8年が過ぎましたが、九州王朝説論者からの反論がありますので、改めて説明と再反論を行いました。わたしは「学問は批判を歓迎する」(武田邦彦さんの言葉)と考えていますので、自説への批判は歓迎しますが、その上で、前期難波宮副都説を批判される方には、次の質問をすることにしています。

1.前期難波宮は誰の宮殿なのか。
2.前期難波宮は何のための宮殿なのか。
3.全国を評制支配するにふさわしい七世紀中頃の宮殿・官衙遺跡はどこか。
4.『日本書紀』に見える白雉改元の大規模な儀式が可能な七世紀中頃の宮殿はどこか。

 この質問に対して、史料(あるいは考古学的)根拠を示して合理的に回答された九州王朝説論者をわたしは知りません。わたしの前期難波宮副都説はこの四つの疑問に答えるための数年に及ぶ苦心惨憺の中から生まれた説ですから、それを超える合理的な仮説があるのでしたら、是非お答えいただきたいと思います。
 133号に掲載された論稿・記事は次の通りです。

 『古田史学会報』133号の内容
○「是川」は「許の川」  京都市 岡下英男
○「近江朝年号」の実在について 川西市 正木裕
○岡下論文『「相撲の起源」説話を記載する目的』の補遺としての考察 -筑前にも出雲があった-  福岡市 中村通敏
○「要衝の都」前期難波宮  京都市 古賀達也
○「善光寺」と「天然痘」  札幌市 阿部周一
○令亀の法  八尾市 服部静尚
○追憶・古田武彦先生(3)
 蕉門の離合の迹を辿りつつ  古田史学の会・代表 古賀達也
○「壹」から始める古田史学Ⅳ
 九州年号が語る「大和朝廷以前の王朝」 古田史学の会・事務局長 正木裕
○久留米大学公開講座のお知らせ 5月28日
 講師 正木裕 「聖徳太子」は久留米の大王だった
 講師 古賀達也 九州王朝の「聖徳太子」伝承
○『古田史学会報』原稿募集
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○2016年度会費納入のお願い


第1160話 2016/04/01

3月に配信した

「洛中洛外日記【号外】」のご紹介

 3月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 3月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2016/03/02 絶景富士山!静岡側と山梨側から拝観
2016/03/08 韓国で発見された前方後円墳
2016/03/15 『古田武彦は死なず』が3月18日に発行
2016/03/20 百田尚樹さんの『カエルの楽園』を読む
2016/03/25 『古田武彦は死なず』が刊行
2016/03/26 『東京古田会ニュース』No.167のご案内
2016/03/29 名古屋駅の三省堂とジュンク堂の落差
2016/03/30 和田家文書研究のための用語定義


第1157話 2016/03/29

古田武彦は死なず

古田武彦は死なず

好評『古田武彦は死なず』の目次紹介

 この度、明石書店から発刊された『古田武彦は死なず』(『古代に真実を求めて』19集)はご好評をいただき、「古田史学の会」内外からたくさんご注文をいただいています。「古田史学の会」2015年度賛助会員(年会費5000円)の方へは、明石書店から順次発送されますので、しばらくお待ちください。一般会員の皆さんも、お近くの書店などでお買い求めいただければ幸いです。
 同書の目次を紹介します。ご覧のように古田先生の追悼特集にふさわしい内容とすることができました。また、優れた研究論文も収録しています。おかげさまでとても良い本となりました。今は亡き古田先生にも喜んでいただけるものと思います。

『古田武彦は死なず』 目次

○巻頭言
二〇一五年、慟哭の十月  古田史学の会代表 古賀達也
古代の真実の解明に生涯をかけた古田武彦氏  古田史学の会全国世話人・事務局長 正木 裕

○追悼メッセージ
古代史学の「天岩戸」を開いた古田先生を讃える  荻上紘一
弔意  創価学会インターナショナル会長 池田大作
古田武彦先生を悼む  東北大学教授 佐藤弘夫
古田武彦さんを悼む  学校法人旭学園理事長、考古学者 高島忠平
古田武彦さんを忘れない  中山千夏
古田先生を悼む  桂米團治
追悼 古田武彦先生  森嶋瑤子
同志、古田武彦先生を悼む  明石書店代表取締役会長 石井昭男
古田武彦先生を偲んで  古田武彦と古代史を研究する会会長 藤沢 徹
追悼  多元的古代研究会会長 安藤哲朗
古田先生と齋藤史さん  古田史学の会まつもと 北村明也
古田先生との思いで  古田史学の会・北海道代表 今井俊圀
古田武彦先生への追悼文  古田史学の会・仙台会長 原 廣通
古田武彦という人をどこまでも愛して  古田史学の会・東海会長 竹内 強
古田史学とわたし  水野孝夫
古田先生をしのぶ  古田史学の会・四国会長 阿部誠一
古田武彦先生 追悼文  久留米地名研究会(編集長) 古川清久
「倭人伝」のご返事-古田先生の書簡のご紹介-  野田利郎

○特別掲載 古代史対談
      桂米團治・古田武彦・古賀達也
     (KBS京都ラジオ「本日、米團治日和。」の妙禄。茂山憲史氏による)

○〔再録〕古田武彦先生の記念碑的遺稿
村岡典嗣論 -時代に抗する学問-  古田武彦
アウグスト・ベエクのフィロロギィの方法論について〈序論〉  古田武彦
真実と歴史と国家 -二十一世紀のはじめに-  古田武彦

○論説・古田史学 〔資料 古田武彦研究年譜〕
古田武彦先生の著作と学説  古賀達也
学問は実証よりも論証を重んじる  古賀達也
「言素論」研究のすすめ  古賀達也
資料 古田武彦研究年譜  西村秀己

○研究論文
孫権と俾弥呼
 古田武彦氏の「俾弥呼の魏への戦中遣使」論証を踏まえて  正木 裕
四天王寺と天王寺  服部静尚
盗用された「仁王経・金光明経」講説
 -古田武彦氏の「持統吉野行幸の三十四年遡上」論証を踏まえて-  正木 裕
鞠智城神籠石山城の考察  古賀達也
「イ妥・多利思北孤・鬼前・干食」の由来
 -古田武彦氏の『隋書』イ妥国伝、「釈迦三尊光背名」の解釈を踏まえて-  正木 裕
九州王朝にあった二つの「正倉院」の謎  合田洋一
『日本書紀』の「田身嶺・多武嶺」と大野城
 -古田武彦氏の『書紀』斉明紀の解明を踏まえて-  正木 裕
「唐軍進駐」への素朴な疑問  安随俊昌
倭国(九州王朝)遺産一〇選  古賀達也
「坊ちゃん」と清  西村秀己

○古田史学の会・会則
○「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
○編集後記  服部静尚
○二十一集投稿募集要項
○古田史学の会 会員募集


第1156話 2016/03/26

『肥さんのこの10年〜50代「半ば」の仕事』

 「古田史学の会」会員の肥沼さんから『肥さんのこの10年〜50代「半ば」の仕事』が送られてきましたので、ご紹介いたします。肥沼さんとは、多元的「国分寺」研究サークルを立ち上げて、共同研究しています。以下、肥沼さんのブログからの転載です。

 肥さんのこの10年〜50代「半ば」の仕事

 上記のミニガリ本を作ったので,お知らせしておく。
 最近『歴史地理教育』誌に書かせてもらったので,それを収録して仮説や古田史学の資料集とした。
 内容を説明すると,以下のようなものだ。
(1) 肥さん年図
(2) これまで書いた「論文」たち
(3) 「私の授業の工夫」(「くわ」1月号掲載)
(4) 小川洋著『空 見上げて』の書評(『たの授』11月号掲載)
(5) 「仮説実験授業の《世界の国ぐに》と立体教材「GDPボックス」」(『歴史地理教育』2月号掲載)
(6) 「国分寺」はなかった!
(7) 多元的「国分寺」論に有利な事象
(8) 12弁の菊花紋は,九州王朝の家紋か?
(9) 「12弁の菊花紋」無紋銀銭の出土地
(10) 日本古代ハイウェーは,九州王朝の作った軍用道路か?
 付録 (国分寺の塔が,回廊の「内」か「外」かのグラフ)


第1155話 2016/03/25

「誰も知らなかった古代史」セッションのご案内

 古田史学の会・事務局長の正木裕さんが主催されている「誰も知らなかった古代史」セッションのご案内をいただきましたので、ご紹介します。6月のセッションにはわたしも「カタリスト」として出席予定です。少人数を対象とされており、古田史学入門編として面白いテーマが毎回取り上げられています。ふるってご参加ください。

【お知らせ】
 「誰も知らなかった古代史」セッションの第3回、第4回を事務局長の正木さんの主催で次の通り開催されます。

第3回 4月22日(金)18時30分〜20時。
「縄文・弥生人は南米に渡った」
【カタリスト】大下隆司さん(古田史学の会・会員)

下に掲載済み

第4回 5月13日(金)18時30分〜20時。
「実在したイワレヒコ(神武)」
【カタリスト】正木裕さん(古田史学の会・事務局長)

□会場 森ノ宮キューズモール(大阪市 中央区森ノ宮中央二丁目一番。JR大阪環状線森ノ宮駅西徒歩五分)の二階「まちライブラリー」。
□定員20名(参加費ドリンク代500円)。

□申し込みは正木さんまでメールで。
 Babdc106@jttk.zaq.ne.jp


第1151話 2016/03/19

律令時代の中央職員数は九千人強

 本日の「古田史学の会」関西例会では、冒頭に服部静尚さん(古田史学の会・全国世話人、『古代に真実を求めて』編集責任者)よりミネルヴァ書房から出版された『邪馬壹国の歴史学 「邪馬台国」論争を超えて』の説明があり、会場で特価販売を行いました。『古田武彦は死なず』(『古代に真実を求めて』19集)も刊行され、2015年度賛助会員へは明石書店から順次発送されるとの報告がなされました。
 その服部さんから、古代律令時代の中央職員数に基づく考察が発表されました。養老律令によれば総勢九千人以上の職員が宮殿や官衙(平城宮)で勤務していたとのこと。従って、7世紀中頃に九州王朝が評制による全国支配をしていた宮殿として、九千人が勤務したり、家族と共に生活できる都は前期難波宮か太宰府しかないとされました。一元史観の通説では孝徳天皇没後に前期難波宮から飛鳥宮へ遷都したとされていますが、九千人もの職員やその家族を収容できるような宮殿も官衙も飛鳥宮にはありません。この矛盾を一元史観では全く説明できないのです。
 こうしたことから、前期難波宮が造営された難波には、職員やその家族が生活する「宅地分譲」のために条坊が同時に造営されたとする高橋工さん(大阪文化財研究所)の説を紹介されました。わたしもこの7世紀中頃の前期難波宮と条坊造営説に賛成ですので、服部さんの数字を示しての発表には説得力を感じました。
 3月例会の発表は次の通りでした。高知市から別役(べっちゃく)さん(古田史学の会・会員)が夜行バスで初参加されました。

〔3月度関西例会の内容〕
①「宮城と官僚」-難波宮・飛鳥宮・太宰府政庁・藤原宮・平城京(八尾市・服部静尚)
②推古紀は隋との国交を記録していた(姫路市・野田利郎)
③中国風一字名称について -『二中歴』年代歴の「武烈」の理解-(高松市・西村秀己)
④定策禁中(京都市・岡下英男)
⑤弥生の硯が証明する古田論証(川西市・正木裕)
⑥ニギハヤヒを考える(東大阪市・萩野秀公)
⑦『日本書紀』の盗用手法について -大和中心にベクトルを転換-(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田光河氏より来信・史跡巡りハイキング(大東市立歴史民俗資料館)・ミネルヴァ日本評伝選『三好長慶』を読む・東大寺二月堂「お水取り」に関する水野説(長屋親王への慰霊)・TV視聴・その他


第1147話 2016/03/10

5月28日(土)久留米大学で講演済み

 毎年開催されています久留米大学の公開講座のパンフレットが届きました。今年は5月28日(土)に正木裕さん(古田史学の会・事務局長)とわたしが講演します。テーマは次の通りですが、九州王朝のお膝元であり、わたしの故郷の久留米市で講演できることを楽しみにしています。

正木裕さん 『聖徳太子』は久留米の大王だった
       14:00〜15:30
古賀達也  九州王朝の「聖徳太子」伝承
      ー日出ずる処の天子と肥後の翁ー
       16:00〜17:30

●受講料 2160円
●定員 100名
●申込締切 5月13日(金)
●久留米大学御井キャンパス 500号51A教室
◎申し込み・問い合わせ先
 久留米大学御井学舎事務部 地域連携センター
 電話・FAX 0942-43-4413
 E-mail  koukai@kurume-u.ac.jp

 当日、講演終了後に当地の会員や希望者のみなさんと懇親会(夕食会)を開催したいと考えています(「古田史学の会」主催)。この懇親会は久留米大学とは無関係ですので、お問い合わせなどは「古田史学の会」にお願いします。懇親会の詳細が決まりましたら、「洛中洛外日記」などでご報告します。


第1143話 2016/03/05

弥生後期の硯が出土

 昨晩遅く、インフルエンザ?の発熱でふらふらになりながら東京出張から帰宅しました。正木さんからのメールで、糸島市から弥生後期の硯が出土していたことを知りました。これは画期的な出土であり、『三国志』倭人伝にあるように倭国での文字文化を証明するものです。体調が戻ったら調べてみたいと思います。
 2月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルは次の通りです。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 2月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2016/02/01 大型化する銅鐸と鋳造技術
2016/02/06 『東京古田会ニュース』に投稿
2016/02/09 Facebookでビジュアル「洛中洛外日記」発信
2016/02/10 「九州年号」研究サークル設立の相談
2016/02/11 久留米大学公開講座で講演します
2016/02/28 「古田武彦氏の著作と学説」の目次紹介


第1141話 2016/02/20

「是川」は「うじ川」か「この川」か

 本日の「古田史学の会」関西例会は久しぶりに谷本茂さんや大下さんの発表があったり、横浜市の長谷さんが例会デビューをされました。
 谷本さんからは古事記に基づいて、神武東征や天孫降臨の時代を推定するという「未証説話」の考察が報告されました。学問の方法を意識されたもので、仮説や論理の組立方のよい訓練となりました。
 正木さんからは九州年号史料に散見される「中元」「果安」を天智と大友の「近江朝年号」とする大胆な仮説を発表されました。「果安(はたやす)」は人名に使用されており、年号とすることに否定的な意見も出されましたが、今後の検証が期待さります。
 今回の例会で印象に残ったのが岡下さんからの発表でした。『万葉集』の柿本人麻呂の歌にある「是川」を「うじ川」と訓まれていることに疑問を呈し、「この川」と訓むべきとされました。
 滋賀や京都のこの付近が古代において「この国」と呼ばれていたとする説が西井健一郎さん(古田史学の会・全国世話人)からかなり以前に発表されていますが、人麻呂の歌の「是川」を「この川」とすることで、「この国」との関連もうかがわせます。近年、古田先生は関西の銅鐸圏の国こそ倭人伝にある狗奴国のことであるとされていましたから、「この国」「この川」の淵源は狗奴国(こうの国)にあったとする理解も有力ではないでしょうか。
 2月例会の発表は次の通りでした。発表希望者が多く、時間配分が大変でしたが、いずれも勉強になる発表でした。

〔2月度関西例会の内容〕
①出雲神統譜(高松市・西村秀己)
②恩智縁起と玉祖(たまおや)縁起より見えるもの(八尾市・服部静尚)
③河内における倭国大乱とは何か(八尾市・服部静尚)
④「是川」は「許の川」(京都市・岡下英男)
⑤仮説「国伝」のご意見への回答2(姫路市・野田利郎)
⑥「天孫降臨」の時期を推定する-古事記・未証説話の内在的史料批判-(神戸市・谷本茂)
⑦郭務そうの二千人(横浜市・長谷信之)
⑧『魏志』倭人伝「郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国を歴へ、乍は南し乍は東し、其の北岸狗邪韓国に到る七千餘里」の「北岸」について(奈良市・出野正)
⑨「近江朝年号」の実在について(川西市・正木裕)
⑩ロシア調査団がエクアドル・バルディビア遺跡を発掘中(豊中市・大下隆司)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 追悼会での古田光河氏との会話(古田先生の好物。濃い日本茶、いかなごの釘煮。他)・森嶋通夫氏のこと。ノーベル経済学賞候補、文化勲章1976年・追悼会の懇親会挨拶、献杯・新井宏氏著書を読む・「楽浪土城」(平壌市内。日本人が発見)・オリーブに思う・TV視聴、ヒストリーチャネル開局15周年記念「日本発見」・その他


第1137話 2016/02/11

『古田史学会報』132号のご紹介

『古田史学会報』132号が発行されましたので、ご紹介します。西条市の今井さんの力作が掲載されています。「古田史学の会」会員の肥沼孝治さんが今井稿をホームページ“多元的「国分寺」研究サークル”で要領よく紹介されていますので、転載させていただきます。なお、掲載された論稿・記事は次の通りです。

『古田史学会報』132号の内容
○『日本書紀』に引用された「漢籍」と九州王朝 川西市 正木裕
○伊予国分寺と白鳳瓦 -最初に国分寺制度を作ったのは誰か(伊予国分寺出土の白鳳瓦を巡って)- 西条市 今井 久
○「皇極」と「斉明」についての一考察 -古田先生を偲びつつ-  松山市 合田洋一
○追憶・古田武彦先生(2)
池田大作氏の書評「批判と研究」 古田史学の会・代表 古賀達也
○古田武彦先生追悼会の報告 八尾市 服部静尚
○二〇一五年の回顧と年頭のご挨拶  古田史学の会・代表 古賀達也
○『古田史学会報』原稿募集
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○編集後記 西村秀己

【転載】「今井久さんの論文から学ぶ」 肥沼孝治

今井久さんの論文から学ぶために,「見出し」の書き出しをしてみる。つまり「構成」から学ぼうというワケである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一.「国分寺建立」は聖武天皇が始めた,その実態の検討
イ.「国分寺」創建の詔の寺の「名称」
ロ.聖武天皇の詔の前にすでに国分寺が存在している事を示す記録があること
ハ.『続日本紀』は詔勅の「金光明寺・法華寺」の寺名を抹消した

二.聖武天皇の詔の前に全国に国が統制する寺院が存在
イ.「詔」以前の文献にあらわれる国分寺と推定される寺院の存在
ロ.聖武天皇の詔の百年前.七世紀に寺院数が激増
ハ.九州地方には左記の初期寺院が,小田富士雄氏に仍って列挙されている

三.国分寺遺跡出土の遺構・遺物が示す疑問点
1.国分寺遺跡出土の伽藍配置が大きく二つにわかれている(塔が回廊内か回廊外か。前者が古式)
2.全国の国分寺遺跡から出土する国分寺の伽藍配置が分裂(古式からは白鳳瓦が出土)

四.伊予の国分寺の考察(古式の伽藍配置で白鳳瓦が出土)

五.国分寺制度を最初に創ったのは倭国九州王朝である

六.「国分寺制度創設」を開始した倭国王は誰か

まとめ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なるほど,構成がすっきりしていてわかりやすい。統計的に分類し,しっかりとした結論を導き出している。天国の(もしかしたらご希望だった地獄の)古田先生にも喜んでいただけるのではないかと思った。


第1132話 2016/02/02

1月配信「洛中洛外日記【号外】」のタイトル

 1月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルは次の通りです。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 1月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2016/01/08 5月に正木さんと久留米大学で講演予定
2016/01/13 近畿化学協会で講演しました
2016/01/21 『九州王朝の都城』(仮称)の検討
2016/01/24 古田先生追悼号のタイトル『古田武彦は死なず』(試案)
2016/01/30 小保方晴子著『あの日』を読む