古田史学の会一覧

第1101話 2015/12/01

東京新聞に古田先生の記事掲載

 本日付け東京新聞の「こちら編集委員室」というコラム(小寺勝美記者)に古田先生のことが紹介されていました。
 「邪馬『壹』国の人」と題された同コラムは、小寺さんが学生時代に読まれた『「邪馬台国」はなかった』に衝撃を受けたと、古田先生の邪馬壹国説を簡潔にかつ見事に要約して紹介されています。敏腕記者の文章力はすごいものです。感心しました。理系のわたしは、この歳になっても文章や文法の誤りが多く、「洛中洛外日記」も友人からいつも指摘訂正をいただいていますので、うらやましい限りです。
 コラムの最後に次のように古田先生の学問の姿勢についても記されており、古田先生の支持者・理解者が各界に数多くおられることを改めて実感しました。機会があれば上京のおり、小寺さんにお会いしたいと思います。

 「数々の例証を挙げ、権威にとらわれず論理の赴くままに歩むその手法に思わずうなってしまう。古田さんは生前の講演で「子どもにもよく分かる簡明さで論証する」と話していた。至言であろう。」

 なお、同記事の全文は「古田史学の会」、わたしや正木裕さん(古田史学の会・事務局長)のfacebookに掲載されていますので、ご参照ください。


第1100話 2015/11/30

高島忠平先生からのメール

 「洛中洛外日記」第1099話で高島忠平さんによる古田先生の追悼記事が「西日本新聞」11月4日朝刊に掲載されていることをご紹介しました。とても誠実な追悼文でしたので、高島先生にメールでお礼を申し上げ、『古代に真実を求めて』古田先生追悼特集号への転載許可をお願いしたところ、ご了解のメールをいただきました。大変有り難いことと感謝しています。機会があれば、佐賀市の旭学園を訪問し、お礼を申し上げたいと思います。
 11月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルは次の通りです。配信をご希望される会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com )まで、メールでお申し込みください。(「洛洛メール便」は当会会員向けのサービスです。)

11月の「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル

2015/11/01 角替豊さんと旧交をあたためる
2015/11/04 城南海さんの新曲「月と月」が美しい
2015/11/07 わたしが死んだら、賀茂川に入れて魚に与えよ
2015/11/10 朝来市の赤淵神社訪問
2015/11/15 中島みゆきと古田先生
2015/11/18 赤淵神社文書の撮影調査を実施
2015/11/20 最古の木造建築物、法隆寺の耐震技術
2015/11/27 大阪大学中之島センターで講演


第1095話 2015/11/21

関西例会で赤淵神社文書調査報告

 今日の関西例会は冒頭に西村さんから、那須与一が扇の的を射たのは現地伝承の高松市牟礼町側(東側)ではなく、西の屋島側からとする考察が発表されました。西側からでないと逆光(夕日)となり、眩しくて的を射ることは困難とのことです。また、その日の戦闘で那須与一は屋島の「内裏」焼き討ちに参戦しており、屋島側にいたことは明らかです。従って、現在の「現地伝承」は信用できないとされました。
 正木裕さんからは、北海道のアイヌの聖地(沙流川水系額平川・沙流郡平取町)から産出される「アオトラ石(縄文時代の石斧の材料・緑色片岩の一種)」を紹介され、古田先生が『真実の東北王朝』で記されたとおり、アイヌ神話(アイヌの「天孫降臨神話」)が縄文時代にまで遡ることを報告されました。
 11月18日に実施した朝来市の赤淵神社文書現地調査報告として、茂山憲史さんが撮影された文書の写真をプロジェクターで映写し、正木さんから説明されました。
 わたしからも、赤淵神社縁起が2種類あり、どちらがより原型を保っているのか史料批判上判断しがたいことを説明しました。いずれにしても平安時代成立(天長5年、828年)の史料に九州年号の「常色」や「朱雀」が記されていることには違いなく、九州年号を鎌倉時代に僧侶が偽作したとする「通説」を否定する直接史料であることを強調しました。引き続き、同史料の調査分析を進めたいと思います。
 11月例会の発表は次の通りでした。

〔11月度関西例会の内容〕
①那須与一「扇の的」の現場検証(高松市・西村秀己)
②「最勝会」について(八尾市・服部静尚)
国伝の「東西五月行南北三月行」(姫路市・野田利郎)
④『園部垣内古墳』を読んで(京都市・岡下英男)
⑤『真実の東北王朝』は「真実」だった(川西市・正木裕)
⑥赤淵神社文書映写(茂山憲史氏撮影。解説:正木裕さん)
⑦赤淵神社文書現地調査報告(京都市・古賀達也)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生追悼会の準備・森嶋瑤子さん(森嶋通夫夫人)へメッセージ要請・KBS京都「本日、米團治日和」テープ起しの校正・史跡巡りハイキング(阪神香櫨園駅周辺、辰馬考古資料館)・TV視聴(奈良大学文学講座)・光石真由美『旅を書く』・大橋乙羽『千山萬水』・その他


第1094話 2015/11/17

「大阪異業種交流プラザ」で服部さんが講演

 本日、大阪市北区大手前のアスコット社で開催された「大阪異業種交流プラザ」で服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)が講演されましたので、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)や茂山憲史さん(『古代に真実を求めて』編集委員)とともに参加してきました。演題は「古代史が語る天王寺と四天王寺の真相」というもので、なぜ地名(天王寺区)とお寺(四天王寺)の名前が異なるのかという問題を、金光明経や九州年号、九州王朝説という視点から解明するという講演でした。
 質疑応答ではわたしにもご質問いただいたので、「日本最初の年号、大化」や「聖徳太子」が歴史教科書から消えつつあることを古田説に基づいて説明しました。参加者は大阪市の企業経営者の方々が多く、初めて聞かれる九州王朝説・多元史観に驚いておられました。
 講演後の懇親会でも、とても面白かったとなかなかの評判で、「古田史学の会」に入会して勉強したいというご婦人も現れたほどです。会場を提供されていた株式会社アスコットの森井義雄社長は、箸墓古墳が卑弥呼の墓と考えておられる方ですが、「古賀さんの説明は論理的で反論のしようがなかった」とお褒めの言葉をいただきました。
 服部さんや主催者のみなさんのおかげで、また古田史学の輪が広がりました。古田先生の本を読みたいと、著作名を聞かれる方もあらわれ、古田史学の持つ真実の学問の力を改めて感じることができました。


第1093話 2015/11/14

永禄三年(1560)成立『赤淵大明神縁起』

 朝来市の赤淵神社所蔵の『赤淵神社縁起』の研究を「洛中洛外日記」で連載したところ、金沢大学のKさんからメールをいただき、以来、学問的な交流が続いています。今回、Kさんから『赤淵大明神縁起』(松平文庫本)の存在を教えていただきました。いただいたメールによると、『赤淵神社縁起』は朝倉義景が永禄三年(1560年)に心月寺(福井市)の才応総芸に命じて作らせたとされる『赤淵大明神縁起』に酷似しているということなのです。
 そこで、先日拝見させていただいた赤淵神社所蔵の『赤淵神社縁起』(活字本、天長五年成立)と比較したところ、オール漢字の『赤淵神社縁起』を読み下したものが『赤淵大明神縁起』であることがわかりました。しかも、『赤淵大明神縁起』は欠字が多く、『赤淵神社縁起』の方がより祖形であると判断できました。
 しかも両者は恐らく同系統の原本に基づいていると考えられます。その根拠の一つは、冒頭近くにある次の文の※部分の字が共に欠字となっており、既に※の部分が欠字となった共通の原本(の系統)によったと考えられるからです。

 「吾朝大日※字之上具足国也雖為小国号大日本国」(『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本)

 「吾ガ朝ハ大日※字ノ之上ニ□テ?□足スル国也、小国為リトイヘドモ、大日本国ト号ス、」(『赤淵大明神縁起』松平文庫本)
 〔古賀注〕「※」「□」は欠字。「?」は活字が読みとれませんでした。

 この他にも、『赤淵大明神縁起』では九州年号の「常色元年」(647年)という表記が「常□元年」(□は欠字)となっていたり「常常元年」となっている部分があり、『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本の方が良好な写本です。しかも、『赤淵大明神縁起』松平文庫本の末尾には書写年次は「永禄三年庚申六月六日 総芸 判」と記されていますが、書写原本の成立年次「天長五年」(828年)は記されていません。もちろん、最終的には活字本ではなく原本での確認が必要です。
 この『赤淵大明神縁起』松平文庫本により、『赤淵神社縁起』赤淵神社所蔵本の書写原本、あるいは同系統本の存在が永禄三年(1560年)までは確実に遡れることとなりました。
 心月寺(福井市)の才応総芸に『赤淵大明神縁起』の作成を命じた朝倉義景は表米宿禰の子孫ですから、みずからの出自が7世紀の表米宿禰であり、表米宿禰は孝徳天皇の皇子であるとする『赤淵大明神縁起』やその伝承を重要視していたことは確かでしょう。こうして、平安時代成立の九州年号史料『赤淵神社縁起』の研究はまた一歩進展しました。こうなると学問のためにも、赤淵神社所蔵原本を拝見する機会を得たいと願っています。


第1090話 2015/11/10

「古田武彦先生追悼講演会」のご案内済み

 10月14日に御逝去された古田先生の追悼講演会を、来年1月17日(日)、大阪市浪速区の「大阪府立大学なんばサテライト(I-siteなんば)」にて執り行うことといたしましたので、取り急ぎご案内申し上げます。
 年内に京都で開催すべく検討を進めてきましたが、時節柄会場や宿泊施設の確保が困難なため、「古田史学の会」が予定していました新年講演会の会場をそのまま利用し、「古田武彦先生追悼講演会」とすることにしました。なお、『古田史学会報』などでご案内したとおり、新井宏氏にご講演いただきます。
 既に、松本深志高校時代の教え子、北村明也様(古田史学の会・松本)や御遺族(古田光河様)らのご臨席のご承諾もいただいています。また、東北大学の御後輩で日本思想史学会前会長の佐藤弘夫教授からもメッセージをいただけるはこびです。
 ご来賓や式次第などの詳細は決まり次第、ご報告いたします。古田先生とのお別れに多くの皆様にご臨席賜りますよう、お願い申しあげます。なお、主催は「古田武彦と古代史を研究する会(東京古田会)」「多元的古代研究会」「古田史学の会」の三団体で、ミネルヴァ書房様協賛での開催となります。

古田武彦先生追悼講演会のご案内

期日 2016年 1月17日(日)午後1時から4時30分まで
場所

大阪府立大学I-siteなんば2階C会議場
          カンファレンスルーム

住所:大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル2階
大阪府立大学I-siteなんばの交通アクセスはここから。

南海電鉄難波駅なんばパークス方面出口より
       南約800m 徒歩12分
地下鉄なんば駅(御堂筋線)5号出口より
       南約1,000m 徒歩15分
地下鉄大国町駅(御堂筋線・四つ橋線)
    1号出口より東約450m 徒歩7分

講演
1).追悼式 午後1時〜2時30分
2). 古代史講演会 午後3時〜4時30分

  「鉛同位体比から視た平原鏡から三角縁神獣鏡」
      新井 宏氏

 銅鏡に含まれる鉛同位体の分析から、「三角縁神獣鏡の大部分は複製を含めた国産である」とされている冶金学者で『理系の視点からみた「考古学」の論争点』などの著書があります。
(韓国国立慶尚大学招聘教授)

 

なお終了後、懇親会(別途申込)も実施されます。

参加費

無料


第1087話 2015/11/03

慟哭の10月

 今日は会社で『フリードランダー』(FRIEDLANDER  FORTSCHRITTE DER TEERFARBEN-FABRIKATION 1887-1890)を書庫から探し出して読みました。同書はドイツの有機合成化学の論文集で、現在進めている開発案件が暗礁に乗り上げたため、もう一度古典的合成ルートから確認する必要を感じて読んだものです。表紙もかなり痛んでいる貴重書で、国内で所蔵しているところはかなり珍しいでしょう。
 Dr.Rudolf Nietzki による1890年の論文を探すのが目的でした。日本で言えば明治時代の論文なのですが、今から120年以上も前にドイツではこれだけの化学研究水準だったのかと感動しました。その一部は今でも実際に工業的に使われている化学反応ですから、当時のドイツの工業力や化学技術力はすごいものです。これでは欧米列強により日本以外の有色人種の国々が植民地となり、奴隷状態におかれたのも残念ながらよく理解できます。本当に明治維新による近代化が間に合って、日本国民は幸福でした。
 同書はドイツ語で書かれていますから、最初はほとんど理解できませんでしたが、読んでいるうちに40年前に学校で習ったドイツ語(工業ドイツ語)の単語が少しずつよみがえり、何とか目的の論文であるかどうかは判断できるようになりました。10代の頃習ったドイツ語が還暦になって役立つとは、不思議な感じです。

 10月14日に古田先生が亡くなられ、「慟哭の10月」となりました。「慟哭」の出典は『論語』です。

 「顔淵死す。子、之を哭して慟す。従者曰く、子慟せりと。曰く、慟する有りしか。夫(か)の人の為に慟するに非ずして、誰が為にかせんと。」
              『論語』先進第十一

 「夫(か)の人」最愛の弟子、顔淵の死に、孔子が慟哭したというものです。わたしは尊敬する師を失い、「慟哭の10月」でした。

 その「慟哭の10月」に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルは次の通りです。配信をご希望される会員は担当(竹村順弘事務局次長)まで、メールでお申し込みください。

10月の「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル

2015/10/03 王仲殊さんご逝去
2015/10/10 映画「図書館戦争」(テレビ録画)の感想
2015/10/11 五戸弁護士からのお礼状
2015/10/13 金沢大学4年生、Kさんからのメール
2015/10/14 『歴史読本』休刊と出版事業の課題
2015/10/17 各界・各氏から弔意のお電話とメール来信
2015/10/22 学士会館での三団体協議
2015/10/27 学士会館での懇談余話
2015/10/31 フェスタ’15 JTCC近畿で講演


第1086話 2015/11/01

大好評! フェスタ’15 JTCC講演会

 昨日、大阪市中央区のエル・おおさかで開催された「フェスタ’15 JTCC近畿」(主催 JTCC近畿:日本繊維技術士センター)で、「理系が読む『倭人伝』 -「邪馬台国」女王卑弥呼の末裔-」というテーマで講演し、邪馬壹国説や九州王朝説、九州年号論までご紹介しました。わたし自身もおどろくほどのご好評をいただき、参加されていた他の団体役員の方から2件の講演依頼までいただきました(大阪・名古屋)。
 わたしの前にご講演された東洋紡株式会社・代表取締役会長の坂元龍三さんからも会場最前列でわたしの話をお聞きいただき、過分のお言葉をいただきました。その後の懇親会場でも、多くの方から次々とご質問をいただきましたし、名刺交換も多数させていただきました。
 染料合成化学の第一人者で大先輩の安部田貞治先生(住友化学OB。同氏の著書や論文で、わたしは若い頃、染料合成化学を学びました)からは、以前、わたしが講演した機能性色素の話よりも面白かったと、微妙なお褒めの言葉を賜りました。わたしの機能性色素の講演は面白くなかったのかと、ちょっと複雑な気持ちになり、苦笑いしました。11月末にも大阪中之島(繊維機械学会)で機能性色素の講演をするのですが、安部田先生から猛烈なプレッシャーをかけられてしまいました。
 「古田史学の会」の会合があるため、懇親会を途中で退席したいと申し上げたところ、司会の方がマイクで会場の皆さんに「講師の古賀さんが御用事で退席されますので、質問される方は今の内にお願いします。」とアナウンスまでしていただきました。
 古田説・九州王朝説をご存じない方はまだまだ多く、それだけにこうした講演で、初めて知った方々からの反響が大きいということでしょう。これからも、もっともっと積極的に講演活動を進めたいと思いました。主催者の方々をはじめ聴講していただいた皆様に心より御礼申し上げます。


第1082話 2015/10/25

桂米團治さんのブログに古田先生の訃報

 KBS京都放送のラジオ番組「本日、米團治日和。」に古田先生と出演させていただいたことなどがご縁となり、桂米團治師匠には何かとお気遣いいただいています。その米團治師匠のオフィシャルブログに古田先生の訃報が掲載されています。これも有り難いことです。米團治師匠のご了解をいただきましたので、転載紹介させていただきます。

「五代目 桂米團治ブログ」より転載

2015.10.16 《古田武彦さん、逝去》
 10月14日(水)、歴史学者の古田武彦さんがお亡くなりになりました。享年89歳。
 常に文献に偏見なく向き合い、独自の解釈で古代史学界に“喝”を入れた先生──。
 私はただただ古田武彦著書の一愛読者だったのですが、今年、ひょんなことからKBS京都ラジオの私の番組へ古田武彦さんをお招きすることが叶ったのです。
 かなりのご高齢で、もう講演活動もされておられない状況である中、無理を承知で打診してみたところ、「出ます!」というご快諾の返事をいただきました。
 8月29日(土)、ご長男の光河さんに付き添われてスタジオ入りした先生は、明瞭なお声で私のインタビューに応じて下さいました。
 お弟子さんの古賀達也さんも加わっての古代史談義は、なんと二時間以上続いたのです!
 私が少しでも論理に合わないことを言えば賺さず「いや、それは違う」と質され、どんな質問にも丁寧に答えて下さいました。
 逆に、私の話す内容に賛同された時など、スタジオに響き渡るような声で「その通り!」と絶叫されました(*^o^)/
 「これからはどんな研究をなさりたいですか」との私の問いかけに対しては、「やるだけのことはやりました。もう思い残すことはありません。あとは弟子たちが頑張ってくれるでしょう」との返答。
 9月に入り、その模様が三週にわたり紹介されましたが、それが古田武彦さんの最後の放送となりました。
 先生の遺志は必ずや「古田史学の会」の皆さんが受け継いで下さることでしょう。
 勇気と感動を与えて下さり、本当に本当にありがとうございました!    ご冥福をお祈り致します。


第1081話 2015/10/24

古田先生から娘への贈り物

 古田先生からいただいた「宝物」の一つに、娘への贈り物があります。1992年11月に「市民の古代研究会」主催の全国研究集会を京都御所の西にある私学会館で開催したとき、当時3歳の娘を連れて先生にご挨拶しました。そのとき、新泉社から発行されたばかりの古田先生の著書『すべての日本国民に捧ぐ 古代史--日本国の真実』にサインをお願いしたところ、次の一文を記していただきました。

 「古賀小百合様
  いつもひとりで歴史の真実を求めて来た者です。わたしのいなくなった二十一世紀、あなたのいのちを見守っています。おしあわせに。
   一九九二.十一月二十九日 京都 私学会館にて
              古田武彦」

 このときの全国研究集会は「市民の古代研究会」の総力を挙げて取り組んだ一大イベントでした。当時、わたしは同会事務局長でしたので、成功させるために会場や宿泊施設の手配などを一手に引き受けていました。「市民の古代研究会」の会員数や影響力が最も華やかな一瞬でした。
 しかし理事会内部は一部理事による「古田離れ」がまさに開始される直前の時期でした。この二年後の1994年、「市民の古代研究会」は古田支持の少数派理事と反古田の多数派理事とで分裂に至り、わたしは水野孝夫さん(古田史学の会・前代表)らと共に「古田史学の会」を創立しました。このようなとき、娘にいただいた古田先生のサイン本は我が家の家宝となりました。


第1080話 2015/10/23

古田先生からいただいた宝物

 わたしが31歳のとき、古田先生に初めてお会いしたのですが、先生からはいくつかの「宝物」をいただきました。今回はその中の一つをご紹介します。
 それは2000年5月26日にいただいた、古田先生の自筆原稿「村岡典嗣論 -時代に抗する学問-」です。古田先生の東北大学時代の恩師、村岡典嗣先生を学問的に乗り越えるべく執筆された記念碑的論稿と言ってもよいでしょう。同論文は『古田史学会報』38号(2000年6月)に掲載されましたが、その自筆原稿をわたしにくださったのです。それには次の一文が付されていました。

 「この『村岡典嗣論』わたしにとって記念すべき論稿です。お手もとに御恵存賜らば終生の幸いと存じます。
  二〇〇〇 五月二十六日  古田武彦 拝
 古賀達也様」

 古田先生ご逝去により、『古代に真実を求めて』19集を追悼号としますが、この古田先生自らが「記念すべき論稿」として託された自筆原稿を巻頭写真に掲載し、同論稿を再録したいと思い、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)に検討を要請しました。この自筆原稿をいただいてから15年も経つのかと思うと、感無量です。もう一度、しっかりと読み直したいと思います。


第1077話 2015/10/17

悲しみと励ましの関西例会

本日の関西例会はいつもとは少し異なり、重苦しい雰囲気が感じられました。というよりも落ち込んでいるわたしを皆さんにおもんばかっていただいたためでした。
 お昼休みに開催した「古田史学の会」役員会では古田先生のご逝去により、「偲ぶ会」の検討や『古代に真実を求めて』追悼特集について打ち合わせを行いました。午後の部の冒頭では参加者全員で黙祷しました。
 例会後の懇親会には桂米團治さんが駆けつけていただきました。米團治さんはは住吉での落語会を終えた後、懇親会に参加していただいたものです。 有り難いことです。今日は姫路市で落語会とのことでした。これからの米朝一門を立派に牽引されていかれることでしょう。皆さんに励まされた一日でした。
 10月例会の発表は次の通りでした。

〔10月度関西例会の内容〕
①本朝皇胤紹運録の中の九州年号(八尾市・服部静尚)
②新唐書日本伝の史料批判(八尾市・服部静尚)
③「副葬」は「廃棄」である(京都市・岡下英男)
④仮説、「国伝」(姫路市・野田利郎)
⑤盗まれた九州王朝の「難波宮」と「吉野宮」の歌(川西市・正木裕)
⑥「ニギハヤヒの位置付け」及び「神武の東征はなかった」の補足(東大阪市・萩野秀公)
⑦六国史の「皇祖母」(高松市・西村秀己)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(10月14日22時13分、西京区の桂病院にてご逝去)・史跡ハイキング(関大博物館・他)・「最勝会」の研究・高橋崇『藤原氏物語 栄華の謎を解く』・水野孝夫「泰澄と法蓮」会報74号・その他