古田史学の会一覧

第3007話 2023/05/05

『多元』No.175の紹介

友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.175が届きました。同号には拙稿「古代貨幣の多元史観 ―和同開珎・富夲銭・無文銀銭―」を掲載していただきました。同稿は、本年一月の「多元の会」主催リモート研究会で清水淹さんが発表された「謎の銀銭」に啓発されて、投稿したものです。そのなかで、藤原宮から出土した地鎮具に9本の水晶と9枚の富夲銭が使用されていたのは、九州王朝(9本の水晶)を同じく9枚の富夲銭で封印するという、新王朝(日本国)の国家意思を表現したものとする仮説を発表しました。
当号冒頭に掲載された黒澤正延さん(日立市)の「推古朝における遣唐使(一) ―小野妹子と裴世清―」は、推古紀に見える遣唐使の小野妹子は九州王朝が派遣したとする研究です。意表を突く仮説であり、その当否はまだ判断できませんが、わたしは注目しています。今後の検証と論争が期待されます。


第2995話 2023/04/24

待望の復刊、

 『関東に大王あり』(ミネルヴァ書房)

 三月の「古田史学の会」関西例会に、古田先生のご子息の古田光河(こうが)さんが参加され、例会終了後の懇親会にもお付き合いいただきました。亡き先生の思い出話に花が咲きました。ご家族でなければ知らないような先生の一面をお聞きでき、とても楽しい一夕でした。
そのとき、ミネルヴァ書房から復刊される先生の著書のことを聞くことができました。出版不況の最中、古田武彦の本でも復刊が難しく、光河さんのご尽力により、ようやく復刊に至ったとのことでした。それが、この度、ミネルヴァ書房より刊行された『関東に大王あり 稲荷山鉄剣の密室』(注)です。同書は1979年に㈱創世記から出版され、2003年には新泉社から「新版」として復刊された好著です。今回は新泉社版を底本に復刊したことが、光河さん(復刊編集責任)の解説にあります。
本書の中心は、埼玉県行田市の稲荷山古墳出土鉄剣銘の多元史観による読解です。その結果、関東にあった古代王権の実在を論証され、論は、熊本県江田船山古墳出土の鉄剣名、関東の金石文明、『宋書』倭国伝へと及びます。
古田学派の研究者に、是非、読んで頂きたいのが巻末の「学問の方法」です。わたしは古田先生から〝学問は方法が大切です。学問の方法を間違えば、結論も間違うからです〟と厳しく言われ続けました。古代史ファン、古田ファンの皆さんに、この一冊を推奨します。

(注)古田武彦『関東に大王あり 稲荷山鉄剣の密室〈古田武彦古代史コレクション28〉』ミネルヴァ書房、2023年。


第2994話 2023/04/23

『九州倭国通信』No.210の紹介

友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.210が届きました。同号には拙稿「巨勢楲田朝臣の灌漑伝承 ―新撰姓氏録の中の九州王朝―」を掲載していただきました。拙稿は、『新撰姓氏録』「右京皇別 上」に見える、巨勢楲田朝臣(こせのひたのあそん)による七世紀中頃の灌漑事業記事(注①)を、浮羽郡における九州王朝系伝承としたものです。「九州古代史の会」は福岡県を中心として活動する団体ですので、わたしはなるべく九州地方に関係した論稿の投稿を心がけています。
当号には兼川晋さんのご逝去(本年二月五日没)を悼む記事が掲載されており、同氏が亡くなられたことを知りました。兼川さんは福岡市のテレビ局(テレビ西日本)で活躍され、「九州古代史の会」の前身「市民の古代研究会・九州支部」創設者のお一人です。古くからの古田先生の支持者で、古代史の本の編訳(注②)もされています。「市民の古代研究会・九州支部」はわたしが「市民の古代研究会」事務局長時代に創設されたこともあり、古田先生をお招きして創立記念講演会を福岡市で開催したことは懐かしい思い出です。
古くからの古田史学支持者や古田ファンが次々と物故され、寂しい限りです。残された者の使命として、古田先生の学問・学説、そしてその学問精神を過たず後世に伝えなければと、改めて決意しました。兼川さんのご冥福をお祈り申し上げます。

(注)
①『新撰姓氏録』右京皇別上に次の記事が見える。
「巨勢楲田朝臣
雄柄宿禰四世孫稻茂臣之後也。男荒人。天豊財重日足姫天皇〔諡皇極〕御世。遣佃葛城長田。其地野上。漑水難至。荒人能解機術。始造長楲。川水灌田。天皇大悦。賜楲田臣姓也。日本紀漏。」
②李鍾恒著・兼川晋訳『韓半島からきた倭国』新泉社、1990年。


第2987話 2023/04/16

火の婚姻儀礼、

  九州西北部・信州・関東に分布

 昨日、東淀川区民会館で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月は都島区民センターで開催です。

 昨日の関西例会で、わたしは「律令制王都の誕生と須恵器坏Bの出現 ―中央官僚の母体は太宰府―」を発表しました。これは先月発表したテーマ(注①)の続編で、本年11月の〝八王子セミナー2023〟で発表予定の主要部分、七世紀の律令制王都・中央官僚群の成立と須恵器坏Bの出現時期に相関関係があるとする仮説です(注②)。その結果、七世紀前半から中頃にかけて大宰府政庁で最初に坏B(卓上使用のための食器)が本格使用されたとしました。

 今回、大原さんの発表で紹介された「火の婚姻儀礼」の分布図はとても興味深いものでした。同分布図は江守五夫さんの研究(注③)によるものとのことで、〝花嫁が火を跨いで婚家に入る〟という入家儀礼が九州西北部(肥前・肥後・豊後)と信州(長野県)と関東に濃密分布しています。北部九州と信州に古代まで遡るであろう密接な関係が遺っていることは今までも紹介してきたところですが(注④)、「火の婚姻儀礼」という共通点があることを今回初めて知りました。

 4月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔4月度関西例会の内容〕
① 後期九州王朝に関する仮説の再提起 (茨木市・満田正賢)
② 「藤原宮・京」呼称について (八尾市・上田 武)
③ 遺跡巡りハイキング(4月、石切神社・暗峠・枚岡神社・他)の報告 (萩野秀公・上田 武)
④ 律令制王都の誕生と須恵器坏Bの出現 ―中央官僚の母体は太宰府― (京都市・古賀達也)
⑤ 5月の遺跡巡りハイキングの案内 (豊中市 中本賢治)
⑥ 火を跨ぐ婚姻儀礼を見ていた裴世清 (大山崎町・大原重雄)
⑦『書紀』の史料批判― 「真実は痕跡を残す」 (川西市・正木 裕)
⑧ 天照大神とスサノオのウケヒで成る神々(概要) (大阪市・西井健一郎)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
5/20(土) 会場:都島区民センター ※JR京橋駅北口より徒歩10分。
6/17(土) 会場:エルおおさか(大阪府立労働センター) ※京阪天満橋駅より西300m。午後は「古田史学の会」記念講演会・会員総会。

(注)
①「七世紀、律令制王都の絶対条件 ―律令制官僚の発生と移動―」を発表した。
②古賀達也「太宰府出土須恵器杯Bと律令官制 ―九州王朝史と須恵器の進化―」『多元』167号、2022年。
③江守五夫「日本の婚姻 ―その歴史と民俗」日本基礎文化の民俗学的研究Ⅱ、弘文堂、1986年。
④古賀達也「洛中洛外日記」442話(2012/06/10)〝「十五社神社」と「十六天神社」〟
同「洛中洛外日記」483話(2012/10/16)〝岡谷市の「十五社神社」〟
同「洛中洛外日記」484話(2012/10/17)〝「十五社神社」の分布〟
同「洛中洛外日記」1065話(2015/09/30)〝長野県内の「高良社」の考察〟
同「洛中洛外日記」1240話(2016/07/31)〝長野県内の「高良社」の考察(2)〟
同「洛中洛外日記」1246話(2016/08/05)〝長野県南部の「筑紫神社」〟
同「洛中洛外日記」1248話(2016/08/08)〝信州と九州を繋ぐ「異本阿蘇氏系図」〟
同「洛中洛外日記」1260話(2016/08/21)〝神稲(くましろ)と高良神社〟
同「洛中洛外日記」1720話(2018/08/12)〝肥後と信州の共通遺伝性疾患分布〟
同「洛中洛外日記」2050話(2019/12/04)〝古代の九州と信州の諸接点〟
同「洛中洛外日記」2085話(2020/02/16)〝「筑後国風土記」の疾病記事と八面大王〟
同「多元的『信州』研究の新展開」『多元』136号、2016年。

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古田史学の会 東淀川区民会館 2023.04.15

4月度関西例会発表一覧(ファイル・参照動画)

 YouTube公開動画は①②③です。参照PDF動画は古賀のみです。

1,後期九州王朝に関する仮説の再提起 (茨木市・満田正賢)

https://www.youtube.com/watch?v=ddTOPiHaHdg

https://www.youtube.com/watch?v=MRaujps7WTE

2, 「藤原宮・京」呼称について (八尾市・上田 武)
https://www.youtube.com/watch?v=yxbvsx9hyds

https://www.youtube.com/watch?v=cMyTHKbueRU

https://www.youtube.com/watch?v=57FxJJOx5zo

3, 遺跡巡りハイキング
(4月、石切神社・暗峠・枚岡神社・他)の報告 (萩野秀公・上田 武)
Youtube動画はありません。

4, 律令制王都の誕生と須恵器坏Bの出現
―中央官僚の母体は太宰府― (京都市・古賀達也)

PDF動画https://www.youtube.com/watch?v=CFEL2JXs280

https://www.youtube.com/watch?v=nvvKQTUsy5Y

https://www.youtube.com/watch?v=i9mTsZlpDBQ

5,5月の遺跡巡りハイキングの案内 (豊中市 中本賢治)
Youtube動画はありません。

6火を跨ぐ婚姻儀礼を見ていた裴世清 (大山崎町・大原重雄)

https://www.youtube.com/watch?v=fxftMIQx3d8
https://www.youtube.com/watch?v=i6GzR-Lw9x4

7,『書紀』の史料批判― 「真実は痕跡を残す」 (川西市・正木 裕)

https://www.youtube.com/watch?v=xDIrINAVcrE

https://www.youtube.com/watch?v=M6FnNPugbs0

https://www.youtube.com/watch?v=ahrgKO8H7lk

8、天照大神とスサノオのウケヒで成る神々(概要)
(大阪市・西井健一郎)

   Youtube動画はありません。


第2984話 2023/04/12

『古田史学会報』175号の紹介

 『古田史学会報』175号が発行されました。一面には拙稿「唐代里単位の考察 ―「小里」「大里」の混在―」を掲載して頂きました。『旧唐書』倭国伝の「去京師一萬四千里」や同地理志に見える里程記事は実際距離との整合が難しく、実測値から換算した一里の長さもバラバラです。この「一萬四千里」が短里なのか唐代の長里なのかなど、京師(長安)から倭国までの距離について諸説が出されています。本稿では、諸説ある唐代の里単位について考察し、『旧唐書』に「小里」(約430m)と「大里」(約540m)が混在していることを論じました。

 谷本稿は、『古田史学会報』173号の大原稿「田道間守の持ち帰った橘のナツメヤシの実のデーツとしての考察」への批判論文で、史料の解釈上の問題点と田道間守の持ち帰った橘をバナナとする西江碓児説の有効性についての指摘です。谷本さんらしい、厳密な史料読解と諸仮説への慎重な姿勢を促す論稿と思われました。

 日野稿は倭国における名字の発生や変遷について論じたもので、古田先生も古田学派内でもあまり論じられてこなかったテーマです。日本史上で使用されてきた「姓(かばね)」「本姓」「氏」「名字」などの定義(注①)とその変遷の煩雑さ・重要さを改めて考えさせる論稿でした。

 大原稿は関西例会でも発表されたもので、三内丸山遺跡の六本柱〝高層建築物(高さ20m)〟の復元が誤っているとするものです。同復元作業における様々な疑問点を指摘し、実際はもっと低い建物と考えざるを得ないとされました。吉野ヶ里遺跡の楼観についても疑義を示されており(注②)、今後の検証が期待されます。

 今号には2023年度の会費振込用紙が同封されています。「古田史学の会」の各種事業は皆様の会費・ご寄付に支えられていますので、納入をよろしくお願い申し上げます。

175号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。
【『古田史学会報』175号の内容】
○唐代里単位の考察 ―「小里」「大里」の混在― 京都市 古賀達也
○常世国と非時香菓について 神戸市 谷本 茂
○上代倭国の名字について たつの市 日野智貴
○三内丸山遺跡の虚構の六本柱 大山崎町 大原重雄
○「壹」から始める古田史学・四十一
「太宰府」と白鳳年号の謎Ⅲ 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○関西例会の報告と案内
○『古田史学会報』投稿募集・規定
○古田史学の会・関西例会のご案内
○2023年度会費納入のお願い
○編集後記

(注)
①ウィキペディアでは「姓氏」「名字」について、次の説明がなされている。(以下、転載)
姓氏(せいし)とは、「かばね(姓)」と「うじ(氏)」、転じて姓や名字(苗字)のこと。
名字または苗字(みょうじ、英語:surname)は、日本の家(家系、家族)の名のこと。法律上は氏(民法750条、790条など)、通俗的には姓(せい)ともいう。
日本の名字は、元来「名字(なあざな)」と呼ばれ、中国から日本に入ってきた「字(あざな)」の一種であったと思われる。公卿などは早くから邸宅のある地名を称号としていたが、これが公家・武家における名字として発展していった。近世以降、「苗字」と書くようになったが、戦後は当用漢字で「苗」の読みに「ミョウ」が加えられなかったため再び「名字」と書くのが一般になった。以下の文では表記を統一するため固有名、法令名、書籍名を除き「名字」と記載する。
「名字」と「姓」又は「氏」はかつては異なるものであった。たとえば清和源氏新田氏流を自称した徳川家康の場合は、「徳川次郎三郎源朝臣家康」あるいは「源朝臣徳川次郎三郎家康」となり、「徳川」が「名字」、「次郎三郎」が「通称」、「源」が「氏(うじ)」ないし「姓(本姓)」、「朝臣」が「姓(カバネ)」(古代に存在した家の家格)、「家康」が「諱(いみな)」(本名、実名)となる。
②吉野ヶ里遺跡の「環濠」や「土塁・柵」の疑義について、大原氏の次の論稿がある。
大原重雄「弥生環濠施設を防衛的側面で見ることへの疑問点」『古田史学会報』149号、2018年。


第2976話 2023/03/29

『東京古田会ニュース』No.209の紹介

 『東京古田会ニュース』209号が届きました。拙稿「『東日流外三郡誌』真実の語り部 ―古田先生との津軽行脚―」を掲載していただきました。同稿は3月11日(土)に開催された「和田家文書」研究会(東京古田会主催)で発表したテーマで、30年ほど前に行った『東日流外三郡誌』の存在を昭和三十年代頃から知っていた人々への聞き取り調査の報告です。当時、証言して頂いた方のほとんどは鬼籍に入っておられるので、改めて記録として遺しておくため、同紙に掲載していただいています。次号には「『東日流外三郡誌』の考古学」を投稿予定です。
当号には特に注目すべき論稿二編が掲載されていました。一つは、同会の田中会長による「会長独言」です。今年五月の定期総会で会長職を辞されるとのこと。藤澤前会長が平成28年(2016)に物故され、その後を継がれて、今日まで会長としてご尽力してこられました。
当稿では、「高齢化の波は当会にも及んでおり、会員の減少だけでなく、月例学習会への結集も低迷が続いています。」と、高齢化やコロナ過による例会参加者数の低迷を吐露されています。これは「古田史学の会」でも懸念されている課題です。日々の生活や目前の関心事に追われるため、わが国の社会全体で〝世界や日本の歴史〟を顧みる国民が減少し続けていることの反映ではないでしょうか。そうした情況にあって、例会へのリモート参加が高齢化の課題解決に役立っているのではないかと、田中会長は期待を寄せられています。わたしも同感です。この方面での取り組みを、わたし自身も始めましたし(古田史学リモート勉強会)、「古田史学の会」としても同体制強化を進めてきました。関係者のご理解とご協力を得ながら、更に前進させたいと願っています。
注目したもう一つの論稿は新庄宗昭さん(杉並区)の「小論・酸素同位体比年輪年代法と法隆寺五重塔心柱594年の行方」です。奈文研による年輪年代法が、西暦640年以前では実際よりも百年古くなるとする批判が出され、基礎データ公開を求める訴訟まで起きたことは古代史学界では有名でした。そうした批判に対して、奈文研の測定値は間違っていないのではないかとする論稿〝年輪年代測定「百年の誤り」説 ―鷲崎弘朋説への異論―〟をわたしは『東京古田会ニュース』200号で発表しました。今回の新庄稿ではその後の動向が紹介されました。
奈文研の年輪年代のデータベース木材をセルロース酸素同位体比年輪年代法で測定したところ、整合していたようです。その作業を行ったのは、「古田史学の会」で講演(2017年、注①)していただいた中塚武さんとのこと。中塚さんはとてもシャープな理化学的論理力を持っておられる優れた研究者で(注②)、当時は京都市北区の〝地球研(注③)〟で研究しておられました。氏の開発された最新技術による出土木材の年代測定に基づいた、各遺構の正確な編年が進むことを期待しています。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」1308話(2016/12/10)〝「古田史学の会」新春講演会のご案内〟
②同「洛中洛外日記」2842話(2022/09/23)〝九州王朝説に三本の矢を放った人々(2)〟で、中塚氏との対話を次のように紹介した。
「中塚さんは、考古学的実証力(金属器などの出土事実)を持つ邪馬壹国・博多湾岸説には理解を示されたのですが、九州王朝説の説明には納得されなかったのです。
巨大前方後円墳分布などの考古学事実(実証)を重視するその中塚さんからは、繰り返しエビデンス(実証データ)の提示を求められました。そして、わたしからの文献史学による九州王朝実在の説明(論証)に対して、中塚さんが放たれた次の言葉は衝撃的でした。
「それは主観的な文献解釈に過ぎず、根拠にはならない。古賀さんも理系の人間なら客観的エビデンスを示せ。」
中塚さんは理由もなく一元史観に固執する人ではなく、むしろ論理的でシャープなタイプの世界的業績を持つ科学者です。その彼を理詰めで説得するためにも、戦後実証史学で武装した大和朝廷一元史観との「他流試合」に勝てる、史料根拠に基づく強力な論証を構築しなければならないと、このとき強く思いました。」
③総合地球環境学研究所。地球研は略称。


第2969話 2023/03/19

『大安寺伽藍縁起』の

  仲天皇と袁智天皇 (1)

 3月17日の「多元の会」のリモート研究会では、藤田隆一さんから『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』(注①)の原文に基づく解説がなされ、とても勉強になりました。今まで同縁起の活字本による研究はしたことがありますが、やはり原文に基づいた研究の重要さを再認識することができました。しかも、藤田さんの解説によれば同縁起は天平十九年(747年)に作成された原本とのことで、もしそうであればなおさら貴重です。
以前から気になっていたのですが、同縁起には「仲(なか)天皇」と「袁智(おち)天皇」という『日本書紀』に見えない天皇名が記されており、特に「仲天皇」を誰とするのかについては諸説あり、未だ通説がないようです。両天皇は次の文脈中に現れます(注②)。

「爾時後岡基宮御宇 天皇造此寺
司阿倍倉橋麻呂、穗積百足二人任賜、以後、天皇行幸筑志朝倉宮、
將崩賜時、甚痛憂勅〔久〕、此寺授誰參來〔久〕、先帝待問賜者、如何答申〔止〕憂賜〔支〕、爾時近江宮御宇 天皇奏〔久〕、開〔伊〕髻墨刺〔乎〕刺、肩負鋸、腰刺斧奉爲奏〔支〕、仲天皇奏〔久〕、妾〔毛〕我妋等、炊女而奉造〔止〕奏〔支〕、爾時手拍慶賜而崩賜之」※〔〕内の時は小字。

「一帳像具脇侍菩薩八部等卅六像
右袁智 天皇坐難波宮而、庚戌年冬十月始、辛亥年春三月造畢」

 仲天皇と袁智天皇以外の天皇の場合は、次のように『日本書紀』などに見える宮号による表記を用いており、天平十九年(747年)成立の文書として穏当な様式です。

○小治田宮御宇太帝天皇〈推古〉
○飛鳥宮御宇天皇(癸巳年・633年)〈舒明〉
○飛鳥岡基宮御宇天皇(歳次己亥・639年)〈舒明〉
○前岡本宮御宇天皇(庚子年・640年)〈舒明〉
○後岡基宮御宇天皇〈斉明〉
○飛鳥岡基宮御宇天皇〈斉明〉
○近江宮御宇天皇〈天智〉
○淡海大津宮御宇天皇〈天智〉
○飛鳥淨御原宮御宇天皇(歳次癸酉・673年)〈天武〉
○淨御原宮御宇天皇(丙戌年七月・686年)〈天武〉
○飛鳥淨御原宮御宇天皇(甲午年・694年)〈持統〉
○後藤原宮御宇天皇〈文武〉
○平城宮御宇天皇(養老六年歳次壬戌・722年)〈元正〉
○平城宮御宇天皇(養老七年歳次癸亥・723年)〈元正〉
○平城宮御宇天皇(天平二年歳次庚午・730年)〈聖武〉
○平城宮御宇天皇(天平十六年歳次甲申・744年)〈聖武〉

 以上は『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』から天皇名を抜粋し、即位順・年次順に並べ替えたもので、重複するものなどは省きました。〈〉内はわたしによる比定です。このように天皇名が宮号で表記されているのですが、仲天皇と袁智天皇だけがこの表記ルールから外れています。これは同縁起編纂に当たり参考にした元史料に「仲天皇」「袁智天皇」とあり、そのまま転用したものと解さざるを得ません。そうであれば『日本書紀』に見えない両天皇を、九州王朝系の天皇と理解することが多元史観・九州王朝説では可能です。
ちなみに、国会図書館デジタルコレクションの『群書類従』所収『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』には、「仲天皇」を「件天皇」に、「袁智天皇」は「天智天皇」に置き換えられています。「仲(なか)」は「件(くだん)」の誤字と判断したうえでの原文改訂と思われますが、「袁智」を「天智」としたのは、八世紀後半頃に淡海三船により付されたとされる『日本書紀』の漢風諡号が天平十九年(747年)までに成立していなければならず、また同縁起には漢風諡号が見られないことからも、これは無理な原文改訂と思われます。いずれにしても、『群書類従』本の編者も、原文にあった「仲天皇」「袁智天皇」をそのままでは意味不明としていたことがうかがえます。(つづく)

(注)
①大安寺(奈良市)が天平十九年(747年)に国家に進上した縁起と財産目録。正暦寺(奈良市)に伝わった古本(重要文化財)が国立歴史民俗博物館に保管されている。同本を原本とする説と写本とする説があるようである。
②竹内理三編『寧楽遺文』中巻(東京堂、1962年)による。


第2968話 2023/03/18

「三角縁神獣鏡」新・舶載(中国)鏡論の矛盾

 本日、大阪市都島区民センターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月は東淀川区民会館(JR・阪急 淡路駅から徒歩10分)で開催します。こちらも初めて使用する会場ですので、ご注意下さい。コロナ過が終息し、各種イベントが再開されたこともあり、例会会場確保のため、担当者(上田武さん)にご尽力していただいています。ご理解ご協力をお願いいたします。

 今回の例会では、近年話題となった〝「三角縁神獣鏡」新・舶載(中国)鏡説〟を批判する報告が岡下さんと正木さんから発表されました。なかでも正木さんからは、「三角縁神獣鏡」中国鏡説の新たな根拠とされた〝鏡范再利用〟論(注①)を精査され、その論理矛盾について詳細な指摘がなされました。この〝鏡范再利用〟論とは、平原出土鏡などを中国鏡と見なし、その鏡范(鏡の鋳型)を再利用して作られた痕跡を持つ「三角縁神獣鏡」も中国鏡とする仮説です。しかし、正木さんの調査によれば、当該平原鏡の鉛同位体比分析値は国産鏡であることを示しており、「三角縁神獣鏡」の〝鏡范再利用〟の痕跡は〝踏み返し〟技法(注②)によるものと見なせるとしました。正木論文の発表が待たれます。

 わたしは古田先生との和田家文書調査の報告を行う予定でしたが、急遽、テーマを変えて「七世紀、律令制王都の絶対条件 ―律令制官僚の発生と移動―」を発表しました。本年11月の〝八王子セミナー2023〟では倭国から日本国への王朝交代がテーマになるとのことで、それに関連する研究の発表要請が和田昌美さん(多元的古代研究会・事務局長)からいただきましたので、「七世紀の律令制王都(太宰府、難波京、近江京、藤原京)」についての所見を関西例会で報告し、事前にご批判や助言をいただくことにしたものです。

 古田先生のご子息、古田光河さんが久しぶりに参加され、この度、立ち上げられた「古田武彦古代史研究会」の紹介をされました。懇親会にも出席され、古田先生の思い出や古田史学の将来について語り合いました。

 3月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔3月度関西例会の内容〕
①縄文語で解く記紀の神々 イザナギ神の禊で成る神々 (大阪市・西井健一郎)
②神武伝承から一行の進路を推理する (八尾市・上田 武)
③消された「詔」と移された事績(後編) 『古事記』は改名されていた (東大阪市・萩野秀公)
④七世紀、律令制王都の絶対条件 ―律令制官僚の発生と移動― (京都市・古賀達也)
⑤ふたたび「河内戦争」について (茨木市・満田正賢)
⑥三内丸山遺跡の六本柱 (大山崎町・大原重雄)
⑦三角縁神獣鏡研究の新展開(補足) (京都市・岡下英男)
⑧「三角縁神獣鏡」と舶載鏡・倣製鏡論争の最近の話題 (川西市・正木 裕)
◎「古田武彦古代史研究会」創設のご挨拶と紹介 (古田光河氏)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
4/15(土) 会場:東淀川区民会館 ※JR・阪急 淡路駅から徒歩10分。
5/20(土) 会場:都島区民センター ※JR京橋駅北口より徒歩10分。

(注)
①清水康二・宇野隆志・清水克朗・菅谷文則・豊岡卓之・小林可奈恵「平原から黒塚へ ―鏡笵再利用技法研究からの新視点―」『古代学研究』215号、2018年。
②完成品の鏡を原型として鋳型(鏡范)を造り、それを利用してコピー製品を造る技法。この技法で造られたと思われる「三角縁神獣鏡」(同笵鏡)の存在が多数報告されている。

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古田史学の会 都島区民センター2023.03.18

3月度関西例会発表一覧(ファイル・参照動画)

 YouTube公開動画は①②③⑩です。参照公開動画は古賀のみです。

①縄文語で解く記紀の神々 イザナギ神の禊で成る神々
(大阪市・西井健一郎)
https://youtu.be/6ujGWESjEXs

神武伝承から一行の進路を推理する (八尾市・上田 武)
https://youtu.be/ttJjZe-7YFk
https://youtu.be/P4V3n6_4lBI

③消された「詔」と移された事績(後編) 『古事記』は改名されていた
    (東大阪市・萩野秀公)
https://youtu.be/ZDkpw6sPIIg
https://youtu.be/KL06SIS3cgc
https://youtu.be/i2jcXjsV5yE2

七世紀、律令制王都の絶対条件 ―律令制官僚の発生と移動―
(京都市・古賀達也)
PDF動画https://www.youtube.com/watch?v=CFEL2JXs280
https://youtu.be/5s4nu05P4EI

⑤ふたたび「河内戦争」について (茨木市・満田正賢)
https://youtu.be/jJQcdAzgy8c
https://youtu.be/QzRPNGZtLgQ

⑥三内丸山遺跡の六本柱 (大山崎町・大原重雄)
https://youtu.be/-OVwE7Y4teY

https://youtu.be/RDqS1YL_nO0

⑦三角縁神獣鏡研究の新展開(補足) (京都市・岡下英男)
https://youtu.be/IC-EIdNDiSQ
2https://youtu.be/Un0BnUzpark

⑧「三角縁神獣鏡」と舶載鏡・倣製鏡論争の最近の話題
(川西市・正木 裕)

https://youtu.be/5iBZn9_nmTo
https://youtu.be/TRXrDP6PmJs
https://youtu.be/WpbUmsfiRts


第2962話 2023/03/08

古田光河さん、

  「古田武彦 古代史研究会」を創設

 古田武彦先生のご子息、古田光河(こうが)さんが「古田武彦 古代史研究会」を創設されましたので、紹介します。

 3月中にも開設される同研究会ホームページから会員登録(無料)されますと、古田先生著作・論文(約二万頁)のキーワード検索機能などのコンテンツが利用でき、研究者にはとても便利です。また、古田武彦初期三部作(『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』)などの「読書会」にZoomで参加・閲覧でき、こちらも古田史学初心者や古田ファンにはありがたい企画・コンテンツです。
同研究会ホームページのアドレスは下記の通りです。古田史学に賛同、ご支持される皆さんの入会をお薦めします。
https://www.furuta-takehiko-sg.jp/


第2957話 2023/03/03

『多元』No.174の紹介

友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.174が届きました。同号には拙稿「『先代旧事本紀』研究の予察 ―筑紫と大和の物部氏―」を掲載していただきました。同稿は〝物部氏は九州王朝の王族ではなかったか〟とする作業仮説に基づき、物部氏系の代表的古典である『先代旧事本紀』の史料批判を試みたものです。とりわけ、『記紀』に記された〝磐井の乱〟での物部麁鹿火の活躍が、なぜ『先代旧事本紀』には記されていないのかに焦点を絞って論じました。まだ初歩的な「予察」レベルの論稿ですが、筑紫物部と大和物部という多元的物部氏の視点が物部氏研究には不可欠であるとしました。本テーマについて引き続き考察を深めたいと考えています。
当号に掲載された新庄宗昭さん(杉並区)の「随想 古代史のサステナビリティ」は、法隆寺五重塔心柱などの年輪年代測定値が間違っているとして訴訟にまで至った事件を紹介し、これをセルロース酸素同位体比年輪年代測定で検証すべきとされており、我が意を得たりと興味深く拝読しました。
というのも、セルロース酸素同位体比年輪年代測定の研究者、中塚武さん(当時、総合地球環境学研究所教授)とは、九州王朝説の是非を巡って論争したことがあり(注①)、「古田史学の会」講演会で同測定法について講演して頂いたこともあったからです(注②)。
更には、奈文研の年輪年代測定値が間違っており、年代によっては史料記載年代よりも百年古く出ているとする鷲崎弘朋説に対して、前期難波宮水利施設出土木材や法隆寺五重塔心柱の年輪年代測定値は妥当とする異論を唱えたこともありました(注③)。
「洛中洛外日記」(注④)でも紹介したことがありますが、セルロース酸素同位体比年輪年代測定とは、次のようなものです。

〝酸素原子には重量の異なる3種類の「安定同位体」がある。木材のセルロース(繊維)中の酸素同位体の比率は樹木が育った時期の気候が好天だと重い原子、雨が多いと軽い原子の比率が高まる。酸素同位体比は樹木の枯死後も変わらず、年輪ごとの比率を調べれば過去の気候変動パターンが分かる。これを、あらかじめ年代が判明している気温の変動パターンと照合し、伐採年代を1年単位で確定できる。〟

この方法なら原理的に1年単位で木材の年代決定が可能です。新庄さんが言われるように、同測定方法で年輪年代測定値をクロスチェックすべきだと、わたしも思います。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」2842話(2022/09/23)〝九州王朝説に三本の矢を放った人々(2)〟
②同「洛中洛外日記」1322話(2017/01/14)〝新春講演会(1/22)で「酸素同位体比測定」解説〟
③同「年輪年代測定「百年の誤り」説 ―鷲崎弘朋説への異論―」『東京古田会ニュース』200号、2021年。
④同「洛中洛外日記」667話(2014/02/27)〝前期難波宮木柱の酸素同位体比測定〟
同「洛中洛外日記」672話(2014/03/05)〝酸素同位体比測定法の検討〟


第2953話 2023/02/27

7月9日(日)、久留米大学で講演します

 今年も久留米大学公開講座で講演させていただくことになりました。演題は「京都(北山背)に進出した九州王朝 ―『隋書』俀国伝の秦王国と太秦氏―」です。昨年の公開講座では、九州王朝(倭国)の両京制(太宰府〈倭京〉と前期難波宮〈難波京〉)を主テーマとしましたが、今年は九州王朝が列島の代表王朝となるに至った経緯や痕跡を紹介します。

 近年、研究が進展した京都市の七世紀の古代寺院群が九州王朝の東方進出と深く関係していたことなどを中心に説明します。具体的には次のような構想を抱いています。また、テレビや新聞報道で有名になった富雄丸山古墳の出土物(盾形銅鏡、蛇行剣)と九州王朝との関係についても触れたいと思います。

○出土した京都市(北山背)の古代寺院群
○「聖徳太子」伝承を持つ広隆寺と法観寺
○『日本書紀』に書かれなかった真実
○筑後の物部さんと秦さん
○『隋書』俀国伝の秦王国の場所
○『新撰姓氏録』の秦氏
○京都市太秦(うずまさ)の秦氏
○滋賀県(近江)の「聖徳太子」伝承

 講演日時は次の通りです。お問い合わせや参加申し込みは久留米大学御井キャンパスの地域連携センターまで。正木裕さん(古田史学の会・事務局長)も7月2日に「大宰府と九州王朝」というテーマで講演されますので、そちらも併せて受講されることをお薦めします。

□日時 2023年7月9日(日) 14:30~16:00
□会場 久留米大学御井キャンパス 500号館51A教室
□電話 0942-43-4413

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古田史学の会キャンバスプラザ京都 2023.1.21

1月度関西例会・講演会発表一覧(ファイル・参照動画
YouTube公開動画は①②③です。

午前の関西例会
1,垂仁記の日子坐王の系譜に関係する北方文化の説話
 追加資料 (1)ソグド人の葬送儀礼 (2)把手のついた棺での模倣

 YouTube動画①https://www.youtube.com/watch?v=oR-J5JFHpfQ
     ②https://www.youtube.com/watch?v=Wzo7qSGTLZ0

        ③https://www.youtube.com/watch?v=1qhmJpO02jA

2,太宰府の謎 正木裕

 奈良新聞 令和五年(2023年)1月 20日 金曜日企画6

太宰府の謎

 奈良新聞 令和五年(2023年)1月 20日 金曜日企画7

太宰府と白鳳年号の謎〜唐の駐留と都督薩夜麻

 YouTube動画①https://www.youtube.com/watch?v=41vNg1VT5c4

       https://www.youtube.com/watch?v=USL3IbsPOzs

午後の講演会

【令和5年 新春古代史講演会 よみがえる京都の飛鳥・白鳳寺院】
日時 2023121() 午後1時開場~5
会場 キャンパスプラザ京都 4階第3講義室 定員170
主催 市民古代史の会・京都、古田史学の会・他
演題
1,京都の飛鳥・白鳳寺院 平安京遷都前の北山背―
高橋潔氏(公益財団法人 京都市埋蔵文化財研究所 資料担当課長)
    資料・講演記録はありません。

2,『聖徳太子』伝承と古代寺院の謎
日本書紀が伝えない真実が京都にもあった
古賀達也(古田史学の会・代表)
YouTube動画https://www.youtube.com/watch?v=5Pmic7O7Qg0
https://www.youtube.com/watch?v=4vMTb4OOM6w
https://www.youtube.com/watch?v=6IQBzhFyhFA


第2952話 2023/02/26

『東日流外三郡誌』真実の語り部たち

昨日、安彦克己さん(東京古田会・副会長)からお電話をいただき、1月、3月に続いて5月も和田家文書研究会での発表の要請を受けました。三十年前に古田先生と行った和田家文書調査の記録を『東京古田会ニュース』に掲載していただいており、それと併行してリモートでも発表させていただくことにしたものです。
1月は「和田家文書調査の思い出」(注)、3月11日(土)のテーマは「『東日流外三郡誌』真実の語り部たち」で、早くから和田家文書や『東日流外三郡誌』の存在を知る次の方々の証言を紹介します。

佐藤堅瑞氏(泊村浄円寺住職・青森県仏教会々長)
松橋徳夫氏(山王日吉神社宮司・洗磯崎神社宮司)
白川治三郎(元市浦村々長)
藤本光幸氏(北方新社版『東日流外三郡誌』編集者)
和田喜八郎氏(和田家文書所蔵者)
和田章子氏(喜八郎氏の長女)
※肩書きは当時のもの。和田章子さん以外は故人。

5月の和田家文書研究会では、考古学的出土事実と『東日流外三郡誌』の整合について報告をします。青森県弘前市の「秋田孝季集史研究会」(竹田侑子会長)の皆さんもリモートで聴講されており、同会との交流を深めるため、久しぶりに津軽を訪問できればと願っています。

(注)古賀達也「洛中洛外日記」2917話(2023/01/15)〝「和田家文書調査の思い出」を発表〟