史料批判の基本「大局観」
昨日の関西例会でも活発な質疑応答がなされました。わたしもなるべく発言するよう心がけているのですが、岡下さんの発表「隅田八幡神社人物画像鏡の銘文」に関しては難しくて黙り込んでしまいました。
隅田八幡神社人物画像鏡が国産で、「日本書紀」神功紀四六年条に見える「斯摩宿禰」が大王年に贈ったとする説を岡下さんは発表されたのですが、神功紀や鏡の編年、銘文解釈について活発な質疑が行われました。しかし、わたしにはどうしても腑に落ちない課題があり、最後まで発言できませんでした。
それは、この鏡の大局的な位置づけがわからなかったからです。歴史学において、取り扱う史料の性格や大局的な位置づけを明らかにするという、史料批判に おける最初に取り組むべき課題・作業があります。たとえば、古事記や日本書紀は近畿天皇家が近畿天皇家のために作成した「勝者自らの史書」という史料性格 と大局的位置づけが明確なため、歴史研究に使用する場合も、天皇家にとって都合よく編纂されていという視点で読むことになります。
これと同様に隅田八幡神社人物画像鏡でも大局的位置づけが必要なのですが、百済王から倭王(日十大王年)に贈られたとする説に対して、岡下さんが指摘されたように、国家間の贈答品にしては鏡の出来が悪いという「史料事実」から、見直しが迫られているのです。このため、岡下さんは国産説を採られ、臣下から倭王への献上品とされたのですが、この鏡の出来の悪さが、国内献上説をも否定してしまうのです。国産の献上品であれば粗悪な鏡でもかまわないとはならないからです。
こうしたことから、わたしにはこの鏡の大局的位置づけ、すなわち「出来の悪さ」と銘文解釈の双方をうまく説明できる仮説を提起できなかったのです。たとえば、百済王から倭国王への贈答品の質の良い鏡が別に存在していて、そのレプリカがこの人物画像鏡だったのではないかなどの作業仮説も浮かびましたが、確信を持てるまでには至りませんでした。
これからも考え続けたいと思います。なお、関西例会の発表は次の通りでした。
〔3月度関西例会の内容〕
(1) 「古田史学キーワード辞典」の作成協力者を求む(豊中市・木村賢司)
(2) 学校の先生の教育をする自由(豊中市・木村賢司)
(3) 「古代史・道楽三昧」第五号の発行(豊中市・木村賢司)
(4) 主格助詞「イ」(明石市・不二井伸平)
(5) 円仁と張保皋(木津川市・竹村順弘)
(6) 石棺と装飾古墳(木津川市・竹村順弘)
(7) 隅田八幡神社人物画像鏡の銘文(その4)(京都市・岡下英男)
(8) 「継体」年号前後(相模原市・冨川ケイ子)
(9) 守君大石の正体と小郡なる飛鳥の宮(川西市・正木裕)
(10)卑しめられた蘇我馬子(川西市・正木裕)
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
会員寄贈著書紹介(寺本躬久著「いのちの風景」)・古田先生近況・会誌「古代に真実を求めて」15集編集状況・会務報告・関西例会担当者交代(新担当:竹村順弘)・東野治之「百済人祢軍墓誌の『日本』」はおかしい・その他