藤原宮の完成年
市 大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』を読み、自らの不勉強を痛感する昨今です。中でも、藤原宮の完成が大宝三年(703年)以降であったことが、出土木簡から明らかとなったという指摘には驚きました。
同書(168頁)によると、藤原宮の朝堂院東面回廊の東南隅部付近の南北溝から7940点の木簡が出土しているのですが、この南北溝は東面回廊造営時に 掘削され、回廊完成とともに埋められました。出土した大部分の木簡は八世紀初頭のもので、記されていた最も新しい年紀は「大宝三年」(703年)でした。 このことから、東面回廊が完成したのは、703年以降となり、このことはとりもなおさず藤原宮の完成が703年以降だったことを意味します。
このようなことまで判明するのも、同時代史料としての木簡のすごさですが、このことと関係しそうな記事が『続日本紀』慶雲元年十一月条(704年)にありました。
「始めて藤原宮の地を定む。宅の宮中に入れる百姓一千五百五烟に布を賜うこと差あり。」
694年の藤原京遷都から10年もたっているのに、「始めて藤原宮の地を定む。」というのもおかしな話だったのですが、大宝三年(703年)以降に藤原宮が完成していたとになると、この記事も歴史の真実を反映していたことになりそうです。
『続日本紀』慶雲元年十一月条(704年)のこの記事については、古田学派内でもいろんな見解が出されてきましたが、今後はこの出土木簡7940点を精査したうえでの再検証が必要ではないでしょうか。