古田史学の会一覧

第2873話 2022/11/06

『多元』No.172の紹介

 友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.172が届きました。同号には拙稿「藤原宮下層条坊と倭京」を掲載していただきました。同稿は、藤原宮(大宮土壇)下層から出土した条坊跡を根拠に、条坊建設当初の王宮は大宮土壇の北西の長谷田土壇にあったのではないかとする仮説を論じたものです。そして、その後に藤原京条坊域は東へ拡張され、その中央に位置する大宮土壇に藤原宮が新たに創建されたため、『日本書紀』には藤原京を「新益京」と記され、この「新益」は条坊域拡張を意味した命名としました。
 この他に、和田昌美さん(多元の会・事務局長)の論稿「正木裕講演『俾弥呼は漢字を用いていた』所感」では、十月の正木裕さん(古田史学の会・事務局長)の講演を紹介し、「講演では、倭人の漢字の世界が周の時代に始まったことを力説されました。中国史書や漢字の字義を考察した結果と最新の考古学の成果を結びつけた論考であり、大変明快で説得力がありました。」との所感が述べられていました。また、同稿末尾には、わたしの〝周代の二倍年齢〟説の紹介がありました。

 リンクしました。

「邪馬壹国」の官名
 — 俾弥呼は漢字を用いていた
正木裕


第2860話 2022/10/16

銅鐸圏への侵入ルートは鳴門海峡

 昨日はドーンセンター(大阪市中央区)で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月の関西例会はエル大阪(大阪市中央区)で開催します(参加費1,000円)。コロナ騒動もやや落ち着いてきたためか、減少していた例会参加者数も徐々に戻りつつあるようです。
 今回の例会では正木さんの研究が注目されました。『日本書紀』神功紀の近江での忍熊王との戦闘譚を九州王朝の銅鐸圏への侵攻とする仮説を正木さんは発表されていましたが(注)、このときの神功皇后・武内宿禰らの九州から近江へ向かうルートが明石海峡ではなく、鳴門海峡であることを今回は指摘されました。これは神武東征ルートと同じであり、明石海峡が銅鐸圏の防衛拠点であることを神功紀の記事により明らかにされ、同時に銅鐸の出土数がこの記事と対応しているとされました。正木さんによれば、兵庫県の銅鐸出土数(68個)は全国一であり、その内の26個が淡路島からの出土とのこと。このように考古学的出土事実も正木説に対応しており、強い説得力を感じました。
 昼食休憩後、全国の会員へのサービスとして、関西例会のリモート参加制度を発足させたいとの提案をわたしから行い、実施のメリットや予想される問題点、運用ルール、参加登録手数料などについての試案を説明させていただきました。例会参加者からは賛否両論が出ましたので、それらのご意見を踏まえて検討を継続することにしました。
 10月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

(注)正木裕「神功紀(記)の『麛坂王・忍熊王の謀反』」古田史学の会・関西例会、2020年1月。
正木裕「神功紀(記)の「麛坂王(かごさかおう)・忍熊王(おしくまおう)の謀反」とは何か」『古田史学会報』156号、2020年。

〔10月度関西例会の内容〕
①縄文語で解く記紀の神々・七 ―伊邪那美神の生んだ国々(大阪市・西井健一郎)
②装飾古墳に見られる顎鬚の集団(大山崎町・大原重雄)
③『旧唐書』の倭国・日本国(姫路市・野田利郎)
④九州年号の証明 ―白鳳は白雉の美称にあらず(八尾市・服部静尚)
⑤群書類従に収録された各種縁起、系図の中にある九州年号の出典に関する考察(茨木市・満田正賢)
⑥「渦の道」の発見により達成できた銅矛勢力の銅鐸勢力駆逐(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 11/19(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)
12/17(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)


第2857話 2022/10/13

『古田史学会報』172号の紹介

 『古田史学会報』172号が発行されました。一面に掲載された「『漢書』地理志・「倭人」項の臣瓚注について」は中国古典に博識な谷本さんならではの論稿です。『漢書』に付された三種類の注記(如淳・臣瓚・顔師古)について論じた西嶋定生氏の説を紹介し、そこでの古田説批判が的を射て居らず、「古田氏の見解を無視し、その内容に言及しないのは不可解」としたものです。『後漢書』の臣瓚注について、わたしは勉強したことがなく、西嶋氏の古田説批判も知りませんでした。古田先生とのお付き合いが永い谷本さんの論稿に、冥界の先生も目を細めておられることでしょう。

 拙稿〝官僚たちの王朝交代 ―律令制官人登用の母体―〟と〝「二倍年歴」研究の思い出 ―古田先生の遺訓と遺命―〟を掲載していただきました。前者は、七世紀末の藤原宮で執務した大勢の律令制官僚は前期難波宮の官僚が登用されたとする佐藤隆さん(大阪市教育委員会)の説を紹介し、その前期難波宮官僚群の母体となったのは七世紀前半の九州王朝の太宰府官僚群とするものです。
後者は、二十年ほど前に『論語』は二倍年暦で書かれているとする説を発表したとき、わたしに託された古田先生の遺訓(悉皆調査)と遺命(書籍発行)の経緯を紹介したものです。古田史学を生み出した古田先生の人となりを、わたしや関係者の記憶が確かな内に書きとどめていく必要を感じており、機会があればこれからも紹介したいと思います。

 172号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』172号の内容】
○『漢書』地理志・「倭人」項の臣瓚注について 神戸市 谷本 茂
○室見川銘板はやはり清朝の文鎮 京都府大山崎町 大原重雄
○官僚たちの王朝交代 ―律令制官人登用の母体― 京都市 古賀達也
○倭国の女帝は如何にして仏教を受け入れたか 八尾市 服部静尚
○乙巳の変は九州王朝による蘇我本宗家からの権力奪還の戦いだった 茨木市 満田正賢
○「二倍年歴」研究の思い出 ―古田先生の遺訓と遺命― 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・三十八
九州万葉歌巡り 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○古田史学の会・関西例会のご案内


第2846話 2022/09/28

『東京古田会ニュース』No.206の紹介

 本日、『東京古田会ニュース』206号が届きました。拙稿「和田家文書に使用された和紙」を掲載していただきました。同稿は和田家文書に使用された紙が明治時代の和紙であることや、故・竹内強さんによる美濃和紙の紙問屋調査報告(注①)などを紹介したものです。
 同号には拙稿の他にも皆川恵子さん(松山市)「意次と孝季in『和田家文書』」、玉川宏さん(弘前市、注②)「大神神社と三ツ鳥居」が掲載され、和田家文書特集の観がありました。これも東京古田会ならではの特色と思いました。わたしも、これを機にしばらくは和田家文書関連の投稿を続けたいと考えています。

(注)
①竹内強「寄稿 和田家文書『北斗抄』に使用された美濃和紙を探して」『和田家資料3 北斗抄 一~十一』藤本光幸編、北方新社、二〇〇六年。
②秋田孝季集史研究会・事務局長。


第2838話 2022/09/17

九州年号関連研究三件の発表

 本日はドーンセンター(大阪市中央区)で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月の関西例会もドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。
 今回の例会では、珍しいことに九州年号関連の研究が三件発表されました。特に興味深く拝聴したのが、萩野さんの発表で、白雉開元の儀式が行われたのは前期難波宮ではなく、太宰府とするものでした。古田先生がご健在の時、先生(太宰府説)とわたし(前期難波宮説)とで厳しく論争したテーマでしたので、当時のことを思い出し、懐かしい気分になりました。このときのことを拙稿「古田先生との論争的対話 ―『都城論』の論理構造―」(『古田史学会報』147号、2018年)で紹介していますので、ご参照ください。
 正木さんからは九州年号の訓みについての試案が発表されました。基本的には日本呉音と思われるが、途中から日本漢音に変化した可能性についても言及されました。難しいテーマなので例会参加者を交えて検討が行われました。従来「ぜんき」と訓まれていた善記は、日本呉音では「ぜんこ」になり、白雉・白鳳は「びゃくち」「びゃくほう」、大化に至っては「たいけ」になるとのことで、ちょっと驚きました。『古代に真実を求めて』26集に大原重雄さん作成の「九州年号年表」を掲載しますので、そこに九州年号の訓みが付記される予定です。
 9月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

 なお、例会後の懇親会では、関西例会のリモート参加について役員とネット配信担当者とで検討を続けました。希望される「古田史学の会」会員に参加登録費(初回のみ)をお支払いいただいて、関西例会へのリモート参加を認める方向で話しがまとまりました。これから、具体的な検討に入ります。

〔9月度関西例会の内容〕
①日本書紀に出現する九州年号の成立に関する作業仮説(茨木市・満田正賢)
②白雉開元式は本拠地で(東大阪市・萩野秀公)
③神代七代の神(三)(大阪市・西井健一郎)
④『漢書』地理志・「倭人」項の臣瓚注について(神戸市・谷本 茂)
⑤『隋書』俀国伝の「此後遂絶」の解釈(京都市・岡下英男)
⑥装飾古墳絵画の馬に乗る小さな子(大山崎町・大原重雄)
⑦倭国にあった二つの王家 ―海幸山幸説話―(八尾市・服部静尚)
⑧不改常典とは(八尾市・服部静尚)
⑨九州年号の訓み(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 10/15(土) 会場:ドーンセンター(大阪市中央区)
 11/19(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)
12/17(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)


第2810話 2022/08/17

『古田史学会報』171号の紹介

 『古田史学会報』171号が発行されました。一面には正木裕さんの〝「室見川の銘版」と倭王の陵墓・祭殿〟が掲載されました。古田先生が『ここに古代王朝ありき』(注)で初めて学界にその重要性を提起した「室見川の銘版」ですが、古田先生に次いで本格的な銘文の史料批判を試みたのがこの正木稿です。倭国(九州王朝)の墓誌(棟札)研究の起点にもなり得る優れた研究ではないでしょうか。
拙稿〝初めての鬼ノ城探訪 ―多元的「鬼ノ城」研究序論―〟を掲載していただきました。これは本年五月に初めて訪れた鬼ノ城の調査報告書を九州王朝説の視点から検討したものです。まだ、初歩的な研究ですので、これからも鬼ノ城を注視していきたいと思います。

 服部さんの論稿〝二倍年暦・二倍年齢の一考察〟は、『論語』など周代史料が二倍年暦(二倍年齢)で書かれているとするわたしの研究への疑問点を提示されたものです。この論争は関西例会などで数年前から行われてきました。〝学問は批判を歓迎する〟とわたしは考えていますので、こうした批判論文はありがたいものです。学問的な反論とは別に、二倍年暦研究の経緯や古田先生との「共同作業」などについて、詳しくご存じない会員や読者のために整理記録しておく必要を感じました。関係者やわたしの記憶が確かなうちにその作業を進めたいと思います。

 171号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』171号の内容】
○「室見川の銘版」と倭王の陵墓・祭殿 川西市 正木 裕
○二倍年暦・二倍年齢の一考察 八尾市 服部静尚
○若狭ちょい巡り紀行 年縞博物館と丹後王国 東大阪市 萩野秀公
○初めての鬼ノ城探訪 ―多元的「鬼ノ城」研究序論― 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・三十七
「利歌彌多弗利」の事績 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○古田史学の会 第二十八回会員総会の報告
○古田史学の会・関西例会のご案内

(注)古田武彦『ここに古代王朝ありき 邪馬一国の考古学』朝日新聞社、昭和五四年(一九七九)。ミネルヴァ書房より復刻。


第2789話 2022/07/17

『九州倭国通信』No.207の紹介

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.207が届きました。同号には拙稿「大化改新と王朝交替 ―改新詔が大化二年の理由―」を掲載していただきました。拙稿は、『日本書紀』孝徳天皇大化二年条(646年)に見える一連の大化改新詔には、九州年号の大化二年(696年)に近畿天皇家(持統)により出されたものと、九州年号の命長七年(646年)に九州王朝から出されたものとが混在していることを論じたものです。そして、九州年号の大化二年に出された改新詔は、九州王朝から大和朝廷への王朝交替の準備段階の詔勅であり、その翌年(697年、文武元年)に文武が天皇に即位していることを指摘しました。
 今回の207号は、縦書きの論稿は拙稿を含めて3編で4ページ、それ以外の12ページは横書きでした。「九州古代史の会」の決算・予算報告などが横書きで掲載されていることはありますが、古代史の会報も横書き主流の時代に入ってきたのかも知れません。注目すべき傾向です。


第2788話 2022/07/16

室見川の銘版は「墓誌」か

 本日はドーンセンターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月の関西例会もドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。

 今回の例会では、意表を突かれた発表がありました。正木さんの「倭国(九州王朝)略史」です。天孫降臨から大和朝廷との王朝交替までの九州王朝の略史をパワーポイント画像で説明するという画期的な試みでした。その冒頭部分で紹介された九州王朝金石文「室見川の銘版」について、従来の古田説では王宮造営を記したものとされてきたのですが、その文面の研究により、正木さんは墓誌ではないかとされたのです。わたしはこの墓誌説に驚きました。確かに、王宮よりも陵墓(吉武高木遺跡か)造営のことを記したとする解釈は有力です。
 その上で、わたしは次の提案を行いました。墓誌であれば被葬者名と没年月日の記載が最低限必要だが、同銘版には年次(延光四年、西暦125年)のみで被葬者名がない。従って、広い意味での墓誌としての性格を有すとは思われるが、むしろ寺社創建・再建時に付される「棟札」のようなものではないか。学術的により適切な名称が望ましい、という提案です。
 「棟札」が古代まで遡るものかは知らないのですが、より近い表現としては、現代の建築物に付設される「定礎」のようなものかもしれません。いずれにしても、正木さんの墓誌説は古田説を進化・発展させる優れた仮説です。

 7月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔7月度関西例会の内容〕
①乙巳の変は九州王朝による蘇我本宗家からの権力奪還の戦いだった(茨木市・満田正賢)
②神代七代神名の解析(一)「常立神と豊雲野神」(大阪市・西井健一郎)
③『古事記』における「王」(たつの市・日野智貴)
④裴世清は九州内部を陸行した(京都市・岡下英男)
⑤倭国(九州王朝)略史(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 08/20(土) 会場:ドーンセンター


第2781話 2022/07/03

『多元』No.170の紹介

友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.170が届きました。同号には拙稿「『日本書紀』は時のモノサシ ―古田史学の「紀尺」論―」を掲載していただきました。同稿は、古田先生が「紀尺」と名づけた編年方法を解説したものです。それは、中近世文書に見える古代の「○○天皇××年」という記事について、その実年代を当該天皇が実在した年代で理解するのではなく、「○○天皇××年」を皇暦のまま西暦に換算するという編年方法(『東方年表』と同様)です。
当号には『隋書』俀国伝に見える里程記事が短里か長里かをテーマとする論稿三編(注①)が掲載されており、同問題が活発に論議されているようです。こうした真摯な論争・検証は学問の発展には欠かせません。このテーマはすぐには決着がつきそうにありませんが、それは次のような克服すべき二つの問題があるためと考えています。一つは、短里なのか長里なのかを峻別するための史料批判や論証が簡単ではないこと。もう一つは、当時(隋代・唐代)の1里が何メートルなのかという実証的な問題です。
現在の論争は主に前者の史料解釈の当否を巡って行われていますが、わたしは後者の問題をまず検証すべきと考えています。特に『旧唐書』に見える中国々内の里程記事は、1里を何メートルに仮定しても、全ての、あるいは大半の里程記事を矛盾無く表すことが出来ず、実際の距離と乖離するケースが少なくないからです。わたし自身もこの問題に苦慮しています(注②)。従って、本テーマは結論を急がず、各論者の仮説の発展に注目したいと思います。
同誌末尾の安藤哲朗会長による「FROM 編集室」に次の一文があり、体調を崩されているのではないかと心配しています。
「◆人身受け難し(台宗課誦)◆私もあと短期ののち古田先生の忌に従うであろう◆」
洛中より、御快復を祈念しています。

(注)
①「隋書・日本書紀から見えてきた倭国の東進」(八尾市・服部静尚)、「海賦について」(清水淹)、「会報、友好誌を読む」(横浜市・清水淹)。
②古賀達也「洛中洛外日記」2642~2660話(2021/12/21~2022/01/13)〝『旧唐書』倭国伝「去京師一萬四千里」 (1)~(10)〟


第2771話 2022/06/22

「トマスによる福音書」と

     仏典の「変成男子」思想 (6)

 日本列島への仏教初伝や経典受容期における女人救済思想についても検討することにします。他国とは異なって、日本神話では女神の天照大神を最高神としたり、宗像三女神が崇敬されたりしています。倭人伝に見える邪馬壹国の女王俾弥呼の登場などを考えると、古代日本では比較的女性は尊重されており、インドや西洋とは少々様相が異なっているようにも思われます。そこで、史料事実を重視して、実証的に考察してみます。
 日本列島への仏教の伝来や影響を考える場合、わたしたち古田学派としては当然多元史観・九州王朝説を基礎とする多元的伝来への配慮が必要です。そこで、最初に『日本書紀』を中心として近畿天皇家(近畿地方)の受容について見てみます。近畿天皇家の勢力が仏教を公的に受け入れたのは『日本書紀』によれば、敏達十三年条(584年)のことであり、最初に受容したのは蘇我馬子らです。

〝(敏達天皇十三年)秋九月、從百濟來鹿深臣闕名字、有彌勒石像一軀、佐伯連闕名字、有佛像一軀。
 是歳、蘇我馬子宿禰、請其佛像二軀、乃遣鞍部村主司馬達等・池邊直氷田、使於四方訪覓修行者。於是、唯於播磨國得僧還俗者、名高麗惠便。大臣、乃以爲師、令度司馬達等女嶋、曰善信尼年十一歳、又度善信尼弟子二人。其一、漢人夜菩之女豊女名曰禪藏尼、其二、錦織壼之女石女名曰惠善尼。壼、此云都苻。
 馬子獨依佛法、崇敬三尼。乃以三尼付氷田直與達等、令供衣食經營佛殿於宅東方、安置彌勒石像、屈請三尼大會設齋。此時、達等得佛舍利於齋食上、卽以舍利獻於馬子宿禰。馬子宿禰、試以舍利置鐵質中振鐵鎚打、其質與鎚悉被摧壞、而舍利不可摧毀。又投舍利於水、舍利隨心所願浮沈於水。由是、馬子宿禰・池邊氷田・司馬達等、深信佛法、修行不懈。馬子宿禰、亦於石川宅修治佛殿。佛法之初、自茲而作。〟(注①)

 この記事が示す重要な〝史料事実(『日本書紀』編者の主張)〟は次の点です。

(1)百済からもたらされた弥勒菩薩石造ともう一つの仏像を蘇我馬子が受け入れ、崇敬した。
(2)男性ではなく、なぜか若い女性三人(善信尼〈11歳〉・禅蔵尼・恵善尼)を出家させた。
(3)近畿天皇家の下には僧侶がいないため、播磨国にいた還俗僧の高麗の惠便を法師として三人を〝得度〟させた。
(4)仏舎利を得た蘇我馬子は仏殿を造り、敬った。
(5)「佛法之初、自茲而作」、こうして仏法は始まった。

 この一連の記事で最も注目すべきは、(5)の近畿天皇家(近畿地方)への「仏法初伝」を敏達十三年(584年)とする記事です。現在の通説(近畿天皇家一元史観)では、わが国(大和朝廷)への仏教伝来を欽明十三年(552年)、あるいは宣化三年(538年)としてきましたが(注②)、天皇家の正史『日本書紀』には敏達十三年のこととしています。この史料事実は重要です。
 次に注目すべき記事が、若い女性を尼僧として出家させていることです。古代日本での仏教による女人救済思想を考える上で、この近畿地方での〝仏法の初め〟が若い(幼い)女性の出家であることは、百済からもたらされた仏像が弥勒菩薩像であることと共に重要な視点ではないでしょうか。(つづく)

(注)
①日本古典文学大系『日本書紀』岩波書店。
②古賀達也「倭国に仏教を伝えたのは誰か ―「仏教伝来」戊午年伝承の研究―」『古代に真実を求めて』第一集(古田史学の会編、1996年。明石書店から復刊)において、次のように中小路駿逸氏(元追手門学院大学教授)の見解を紹介した。
〝それに対して多元史観の立場から果敢な史料批判を試みられたのが中小路駿逸氏でした。氏は近畿天皇家への仏教初伝は『日本書紀』が「仏法の初め」と自ら記している敏達十三年(五八四)であり、しかもそれは百済からではなく播磨の還俗僧恵便からの伝授と記されていることを指摘され、永く通念であった欽明十三年の記事は「仏教文物の伝来」であって「仏教の伝来」ではないと喝破されました。更に返す刀で、『上宮聖徳法王帝説』や『元興寺伽藍縁起』などに見える、百済から戌午の年に伝来したとする説は近畿天皇家の伝承にはあらず、なぜなら『日本書紀』には播磨の恵便から仏法が伝わり、大和でも出家者が出たことをもって「仏法の初め」と明記されているからであると、言われてみればあまりにも単純明瞭な史料事実と論理を示されたのでした。その上で、百済から戊午の年に伝来したとされるのは九州王朝への仏教初伝伝承であり、その時期は四一八年の戊午である蓋然性が大きいとされました。


第2769話 2022/06/20

竹村さんからの提案、ボカロ版「洛中洛外日記」

 昨日の出版記念講演会は全国の会員・会友を対象にネットで生配信しました。「古田史学の会」が採用している配信機器は当初と比べ、性能は上がりコンパクトになりました。そのシステムを優れたテクニカルスタッフ(横田幸男さん、久冨直子さん、竹村順弘さん)が運営しています。聞けば、ハイスペックの機種で、操作も難しいとのこと。
 今回からは講師の声を収音マイクではなく、専用の小型マイクでとり、それを会場最後尾に設置したホストPCへ飛ばし、そこから全国配信する新システムを採用しました。おかけで音声や画像がきれいに配信できるようになりました。スタッフの皆さんに感謝します。
 ホームページ「新・古代学の扉」を横田さん(古田史学の会・全国世話人、インターネット事務局担当)が立ち上げて以来、「古田史学の会」ではインターネットを重視してきました。「洛中洛外日記」のリリースも、「新・古代学の扉」へのアクセス件数が増えるようにと始めたものです。その後、FaceBookにも参入しましたが、web環境やその社会的影響力は拡大を続け、SNSの進化によりコンテンツやビジネスモデルは劇的に変化しました。「古田史学の会」のインターネット事業にも新たな分野への挑戦が必要と感じています。
 そのようなとき、昨日の「古田史学の会」全国世話人会終了後に、竹村さん(古田史学の会・事務局次長、木津川市)から面白い提案を受けました。古田史学の紹介動画として、10~15分ほどのボーカロイドやトークロイド(注①)による解説番組やボカロ版「洛中洛外日記」を制作してはどうかというものです。ボーカロイドといえば初音ミクさんの「虹色蝶々」や「千本桜」をよく聴いていましたが、古代史の解説に使うという発想には至りませんでした。実際にどのように使用されているのかを久冨さんにうかがったところ、「ゆっくり動画」というサイトがあり、古代史のコンテンツもあることを教えていただきました。
 実現のためには技術的な問題の他、内容そのものに魅力がないと効果が見込めません。どのような層をターゲットとできるのかも含めて検討したいと思います。ボーカロイドやトークロイドに詳しい方のアドバイスをいただければ幸いです。

(注)
①トークロイドとは、本来歌うために作られたボーカロイド(VOCALOID)で喋りの質を追い求めた動画に付けられるタグである。(ニコニコ大百科の解説による)
②「虹色蝶々」初音ミク。
https://www.youtube.com/watch?v=3qYHaLlGyWs
 「千本桜」初音ミク。
https://www.youtube.com/watch?v=Mqps4anhz0Q


第2768話 2022/06/19

古代史の争点 KANSAI出版記念講演会

古田史学の会総会にて 2022年6月19日 於:アネックスパル法円坂

参照PDFを取得し印刷してご覧下さい。

ホームページ内動画 卑弥呼と邪馬壹国
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/move/yamaitik.html

 

俾弥呼の鏡 — 俾弥呼がもらった鏡は三角縁神獣鏡か?

服部静尚

卑弥呼を、「俾彌呼」としました。

https://www.youtube.com/watch?v=-iK4UxLCfpg

 

 

「邪馬壹国」の官名

     — 俾弥呼は漢字を用いていた 

(太夫・泄謨觚・柄渠觚・兕馬觚の真実)

正木裕

https://www.youtube.com/watch?v=LC_KWXaMKk8

質問は、省略しました。

 

関西例会と記念講演会を開催しました

 本日はアネックスパル法円坂で、「古田史学の会」関西例会と『古代史の争点』出版記念講演会・会員総会が開催されました。お昼休みには全国世話人会を開催し、総会議案の承認と今後の事業方針などについて審議しました。来月の関西例会は7月16日(土)にドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。

 今回の例会は午前中だけでしたので、発表は大原さんと西井さんの2名だけになりました。例会冒頭には正木事務局長より会員総会・記念講演会の段取りと受付などの協力要請がありました。関東からは久しぶりに冨川ケイ子さん(古田史学の会・全国世話人、相模原市)が参加され、関西のメンバーと旧交を温めました。

 6月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔6月度関西例会の内容〕
①火の国なる秦王国を訪れた裴世清(大山崎町・大原重雄)
②飛鳥時代の新羅(大山崎町・大原重雄)
③『古事記』神世七代のアイヌ語地名(大阪市・西井健一郎)

 午後の記念講演会の講師と演題は次の通りでした。
○服部静尚さん 「俾弥呼の鏡~俾弥呼がもらった鏡は三角縁神獣鏡か?」

○正木 裕さん  「邪馬壹国の官名 — 俾弥呼は漢字を用いていた」